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あるローカル局の思い出(60) シリーズ「復活の丘」⑦日本之聖母 世界へ(事前)

長崎にとってローマとは?
ローマが認めた長崎の教会群が今、世界遺産になろうとしています
このシリーズの旅人二人が、長崎のキリシタンが憧れ続けたローマを訪ね、長崎とのつながりを追いました

いよいよ7回シリーズのラストを撮ることになった。
信徒発見150年と被爆70年を記念して世界遺産となる教会群浦上の民とともに祝うためにバチカンに行くのは私の中では必須だった。シリーズの山場だ。

カモちゃん、サユリ、ハルナと私の4人(「Teamゆりてる」=信徒発見の発言者ユリとテルにちなんで)で最後はバチカンに行くぞと鼓舞していた。

その事をプロデューサーであるイッちゃんに相談すると、上に掛け合ってくれた。しかし何とNo!の返事が返ってきた。カメラマンとディレクターの2人ならいいが、4人で行くのはまかりならんと。
誰がそう言ってるのかと聞くと、社長の前原だという。

情けなかった。あの一件から私は冷や飯を食わされていたが、こんな一番組の事まで社長が口出ししてくるとは・・・何て了見の狭い奴だ・・・

カモちゃんと会議室でひざを突き合わせて相談した。僕らとしては4人で行くか、それとも誰も行かないかのどちらしかないという思いは同じだった。しかし悔しい。ここまで来て。よし、どうせ金のことだろう。自分たちでスポンサーを探せばいい。十八銀行にかけあってみようとなった。ハルナが森拓二郎頭取と少し面識があると聞いていたからだ。営業の西さんに頼んで十八銀行に販売企画書を持って行ってもらった。

すると何と森頭取は二つ返事で2百万円をポンと出してくださったではないか。そして頭取は「私はこの復活の丘の大ファンでずっと観ていて、他のスポンサーには取られたくない」とまで言ってくださった。こんな制作者冥利に尽きる言葉はなく嬉しかった。当然、前原からは何もなかった。ザマミロ😁

しかし、まだスンナリとは行かせてくれなかった。今度はローマ教皇のインタビューを撮れるなら行かせてやると言い出した。世界に20億人いるというキリスト教徒のトップのインタビューを、日本の西の端の一ローカル局がいくら申し入れても簡単に撮れるわけがないではないか。もう嫌がらせとしか思えなかった😠

でも、ここであきらめる訳にはいかない。あらゆる可能性を探った。過去にインタを撮れた例を調べたり、同時期にカトリック東京大司教区の大司教も行くらしいから、その筋に頼んだりした。また「長崎の教会群を世界遺産にする会」の林一馬会長、柿森和年事務局長らが、バチカンに世界遺産の推薦願いをするのを同行取材するという形にしたので、その筋にも当たった。教皇フランシスコとアルゼンチンで師弟関係であったレンゾ神父の意見も聞いた。しかしどれも確約はできないという。そりゃそうだ。最後はプロメディアという現地の取材コーディネーターにフランシスコ教皇の直近まで行けるメディアスペースを獲得してもらい、何とかGOが出た。

晴れてTeamゆりてるはバチカンに旅立った!
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次回はこの撮影のエピソードを紹介する。(続く)

tag : 長崎歴史テレビ文化浦上#キリシタン

あるローカル局の思い出(59) シリーズ「復活の丘」⑥復興と平和の被爆マリア

第6回は、「浦上にとって”原爆”とは?」「原子野から立ち上がった浦上の民の力とは?
原爆を体験し、語り継ぎ、平和を求める人々のそれぞれの思いを追った

シリーズ「復活の丘~マリアが見守る浦上の受難」第6回復興と平和の被爆マリア

出演者それぞれに、上の問いに答えていただいた時のコメントとエピソードを紹介しよう。

本島等:「その十字架が原爆ですよ
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原爆と来れば、先祖はかくれキリシタンで「天皇の戦争責任発言」で全国的に有名となった本島等さんに話を聞かない訳にはいかない。幸い父と近しい方であった。連絡を取るとマンションに来いとおっしゃる。その日は「中国人原爆犠牲者慰霊祭」に出席されるという。マンションから平和公園に向かう車に同行させていただき、私がハンディカメラで取材した。その車は竹下芙美さんご夫婦がいつも本島さんを送迎されている車だった。雨が降っていた。その時にこの驚くべき言葉を撮った。

復活の丘6_永井隆
私はこの「原爆は神の摂理」という考え方は、浦上にとって最大のテーマだととらえ、本島さんにしつこく聞いた。このOAした以外のやり取りに興味ある方は☞こちらを見ていただきたい。
ちなみにこの慰霊祭が本島さんにとって最後の公式の場となった。

深堀繁美:「何が摂理かと だいぶみんな言ってますよ
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深堀さんはカトリック浦上教会の歴史委員会の最長老。教会のすぐ裏に住んでらっしゃる。この言葉は浦上教会の被爆マリア聖堂の前で撮った。永井隆の「原爆は神の摂理」に反したこのコメントには何かホッとするものがあった。

森内浩二郎:「浦上をもう一回立ち上げて行こうとそういうことを伝えたかったんですね
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森内さんには今回も、お父様の貴重な資料を見せていただいたり、貴重なお話を伺った。戦後の復興を成し得たのは青年たちの「浦上四番崩れの劇」だったとは、二回の荒れ野をむすぶ貴重な証言だった。

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また、この森内さんから提供された浦上天主堂の「瓦礫の中から拾いだした長崎の鐘」の写真は後日、大きな展開を見せ、NHK朝の連続テレビ小説「エール」の中で使われることとなった。ちなみに一番高い所に登っているのが森内さんのお父様、秀雄さんである。

山田フジエ:「やっぱ死なんば消えんと思います
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山田シズ:「平和のためにお祈りするようになったと
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戦後を支えた浦上の女性を撮りたいと森内さんに相談したら、このお二人を紹介してくださった。お二人から貴重なコメントをいただいたが、特にフジエさんの浦上弁「やっぱ死なんば消えんと思います」は奥が深いコメントを撮れたと思った。

髙見三明大司教:「そういう生き方をすることが復活
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実はこのコメントは「復活の丘」のためにインタビューしたものではなく、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産に推薦された時にコメントをいただきに大司教館に伺った時のものだ。15秒程度のコメントを撮れればよかったのだが、話が興味深くて1時間以上もカメラを回し続けた時の一部だ。余談だが大司教は映画がお好きだ笑。
赦しましょう。ただ一切とがめだてをせず、反論をせず、反抗もせず、しかも殺す相手を赦す。それがキリストの死であるし、そういう生き方をすることが復活という」のコメントは本当に奥が深く(キリスト教の本質かも知れない)、このことを人類が皆できれば世界から暴力も戦争もなくなるに違いないと思う。人類よ復活せよ!

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この特集ラストに付けた本島さんの「やっぱり努力と継続、勉強、せんばさな(しなければならないよね)」というコメントは、市民病院に入院されたと聞いてお見舞いに伺った時のもの。本島さんをテレビでOAした最後の映像(遺言)となったと思う。勿論、私だけに向けられたメッセージではない。本島さん、ありがとうございました。安らかにお眠りください。

次回はいよいよ7回シリーズのラスト。
バチカンに行こうとする私たちに思わぬ障害があった。(続く)

tag : 長崎歴史テレビ文化浦上#キリシタン被爆復活の丘マリア十字架

あるローカル局の思い出(58) シリーズ「復活の丘」⑤慈悲の聖母・み母マリア

第5回は原爆を描こうと決めていた。しかしどういう切り口で語ろうか・・
でも個人的な体験から一つ決めていたことがあった。

私は幼いころ昭和町に住んでいてカトリック系の純心幼稚園に3年間通っていた。そして登園時と退園時に毎日手を合わせていたのが「白いマリアさま」だった。
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私が大人になってUターンで帰って来て、その30年前の記憶を辿って、白いマリアに会いに行った時、そのマリアは「慈悲の聖母」と呼ばれているのを知り、台座に刻んであったと歌を初めて読んだ。「煩祭の炎の中に祈りつつ 白百合乙女 燃えにけるかも」。永井隆の歌らしい。と、その周りには原爆でなくなった純女学徒隊の名前が数えきれないほど刻まれていた。そのマリアは「純心学園の校墓」だったのだ。愕然とした。僕は毎日このマリアに祈ってたんだ・・
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この経験から、このマリアで描くことだけは決めていた。
すると、このマリアを囲んで行われる8月9日の慰霊祭と、森内浩二郎さんのお父様・秀雄さんのエピソード(原爆で死んでいく純心の生徒らに洗礼を授けたという)に導かれて、自ずと第5回は出来ていった。
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ご覧いただきたい👇
シリーズ「復活の丘~マリアが見守る浦上の受難」第5回 慈悲の聖母・み母マリア

例によってこの第5回のエピソードを。
・このナレーションはタナカハルナに読んでもらった。カモちゃん(鴨川榮二カメラマン)が彼女の才能を見抜き、やらせてみようとなった。今やテレビやラジオやCMで大活躍の彼女にとってこのナレが初めての経験だったと思う。

・ほぼ主人公となった森内さんの出演は取材前日に決め、この慰霊祭の中で洗礼の話をしてもらうのは当日に学園の了解を得た。当日は片岡千鶴子学長もみえていた。
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・洗礼を授けるシーンは再現ドラマにしよう。「本物」に拘る私たちは原爆資料館に展示されている本物の被爆遺構の中で撮影した。当然事前の許可申請、綿密な打ち合わせと当日の立ち合いの下で実現した。

・洗礼を授けるお父様役にはカトリックセンターの下窄神父にお願いした。実際に洗礼を授けるシーンでは流石に仏教徒であるハルナは避けたいと言い、カトリックである沙百合がその役を果たした。神父が額に水をかけ「我、父と子と聖霊の御名によりて汝を洗う」は本当の洗礼のやり方。ちなみに額に十字を切ることはしないという。
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・この慰霊祭の中でお父様が洗礼を授けた学徒隊の生徒の名前が判明した。正にドキュメンタリーだった。

・原爆投下時刻11時2分の黙祷。最後にカモちゃんが涙ぐむ方のアップを捉えたが、その方はこの日からちょうど7年後の2021年の平和祈念式典で「平和への誓い」を読み上げ、その年の11月にお亡くなりになった岡信子さんだった。最後に沙百合とハルナがインタビューしたシーンが忘れられない。
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・毎年純心の中で歌われる「煩祭の歌」。あのマリアの台座に刻まれている歌詞だが、この永井隆のいわゆる「燔祭論」については戦後、原爆を容認することにつながるという批判があった。それについて永井隆の孫である永井徳三郎さんの「カトリック信者として同じ最愛の家族を亡くした者として彼らに向けたメッセージだと思う」に始まるコメントに私も共感した。
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・最後のナレーション「マリアはどん底の浦上で、清められ、天に上りゆく乙女らの御霊を見守ったに違いありません」は、私が祈ってきた「白いマリアさま」への思いを乗せた。

次回は原爆から立ち上がる浦上の信徒たちを描く(続く)

tag : 長崎歴史テレビ浦上#キリシタン被爆純女学徒隊慈悲の聖母マリア復活の丘

あるローカル局の思い出(57) シリーズ「復活の丘」④第4回無原罪のマリア

「岩永マキ」という人物をご存知だろうか?
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👆浦上養育院の岩永マキ像

諸外国からの圧力によりキリシタン禁制の高札が撤去されたのは明治6年(1873)のこと。「浦上四番崩れ」で岡山藩に流刑された岩永マキは、その「旅」から帰村して見たのは荒れ野だった。家財は略奪され荒らされていた。翌年、長崎を伝染病が襲い、それで両親を亡くした孤児タケに出会う。

マキがやったこととは・・・そのマキの姿を通して「荒れ野」から立ち上がる浦上キリシタンの信仰を描きたかった。そしてその信仰を最後のナレーション「それは〇〇という名の〇〇〇〇だったのです」に結実させたかった。ご覧いただきたい。〇〇の答えは番組👇の中で!笑

シリーズ「復活の丘~マリアが見守る浦上の受難」第4回 無原罪のマリア

この制作に当たっては、様々な方を取材し、それぞれに思い出がある。列記してみよう。

・マキの子孫となる岩永勝利さんを取材したが、それがきっかけで浦上キリシタン資料館での「古文書を読もう会」や「市民セミナリヨ」の講師としてお世話になったり、飲食を共にしたり、岩永さんのパソコンのメンテに伺う仲となった。
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👆辻町の岩永勝利さんのご自宅

・浦上養育院では吉永院長から、差別につながるから絶対に院の子供たちの顔を映さないという条件で取材させていただいた。むかしK〇〇が取材した時にその約束を守らなかったとテレビに対する不信感がおありだった。なのでハルナと戯れるシーンの子供たちは実は近所の子たちだ。

・十字修道院の長シスターは外国で学ばれた学者はだしの方で、マキに対する的確な言葉をいただいた。

・お告げのマリア修道会では、久志会長からマキの貴重な写真をお借りできたのだが、取材の度にお昼をご馳走になった。ミナ貝が美味しかった。マキの愛がこの修道会に今でも息づいていることを感じずにはいられなかった。
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👆3,000人の養母となったマキが帰天した時、浦上教会からこの墓まで(1.2km)お参りする列が途切れなかったという。

・シスター橋口ハセは2020.8.19帰天されたが、ドロ神父の「ぞうり並べの唄」を教えていただいたのが懐かしい。貴重な映像だと思う。

・浦上教会の長老、深堀繁美さんからも貴重なコメントをいただいた。その後も浦上教会の歴史のことで取材することとなる。

・「荒れ野」を探すのに苦労した。結局決めたのはカモちゃんの大村の知り合い方から教えてもらった裏山だった。茶碗のカケラで土地を耕すシーンを必ず撮ろうと思っていたのだ。

・孤児タケと出会うシーン。その知り合い方からの紹介。名演技だった。

沙百合とハルナがモンペ姿で顔や服を汚しあう姿(☚動画)は面白かった。今となっては愛おしい。
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・荒れ野で二人が祈るシーンは、お気付きの方もいたかも知れないが、ミレーの「晩鐘」を意識した。
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・ハルナがロザリオを握りしめるラストカットはカモちゃんのアイデア。バッチリだった。

・当時のブログはこれだ。次回はいよいよ原爆を描く。(続く)

tag : 長崎歴史テレビ文化浦上#キリシタン浦上四番崩れ岩永マキ福祉活動浦上養育院

あるローカル局の思い出(56) シリーズ「復活の丘」③禁教のマリア観音と聖クララ

国策としてキリスト教が禁止され、徹底した禁教対策と迫害・拷問があったにも関わらず、キリシタンはなぜ、250年もの間、その信仰を守り続けられたのか??第3回はそれを探った。

個人的にもこだわりがあった。長崎(伊勢町)で産まれ、浦上(旧昭和町)で育った私として、また浦上に唯一建つ放送局として、長崎と浦上の対比を描きたかったのだ。まずは観ていただこう。

シリーズ「復活の丘~マリアが見守る浦上の受難」第3回禁教のマリア観音と聖クララ


そして今回も話しましょう。今だから話せる舞台裏。

①サント・ドミンゴ教会跡で当時、長崎史談会の幹事だった村崎春樹さんに禁教時代の話を伺ったが、当初は長崎史談会の原田博二会長にお声をかけた。しかし原田会長が「私はNBCの仕事があるから」と、村崎さんを推薦されたのだ。これも何かの縁、村崎さんとはその後もアジェンダNOVAながさきの市民セミナリヨで何度も講演していただくこととなった。vlcsnap-00009.jpg

②その村崎さんには長崎歴史文化博物館のお白州で1時間以上も禁教時代のお話を伺ったが、カモちゃんは全部カットした。余りにも話が長くて取りとめがなかったこともあったのだが、村崎さんが本番前に沙百合とハルナにネタばらししてしまったことがあった。二人の驚きの表情を撮りそこなったカモちゃんは相当怒っていた(笑)

③潜伏キリシタンが信じた「バスチャンの預言」「バスチャンの椿」「バスチャンの日繰り」。実は「バスチャンの日繰り」が浦上教会にも残っている。それを撮影させてもらいに行ったが、コピーが展示されていたが、原本を見せていただけなかった。何を出し惜しみするのか??教会ではまだ禁教時代が続いているのかと思った。
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④樫山の曹洞宗・天福寺のエピソードは絶対に入れたかった。キリシタンと寺がお互いを認め合い、尊敬し合った話は”平和の原点”だと思う。曹洞宗である私もそうありたいと今でも思っている。ちなみに”キリシタンの里”として有名な樫山の遠景は「カクレキシタンの里」でタッグを組んだ青木カメラマンと必死に撮影ポイントを探しまくった。vlcsnap-00007.jpg
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⑤サンタクララ教会跡での「家野(よの)のよか盆踊り唄」。これも前回の「切支丹牢屋ノ唄」に続きタナカハルナが作曲してくれた。振り付けは二人に任せた。
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⑥そのサンタクララ教会があったという場所は、現在のサンタクララ教会跡の碑から北に100m浦上川を遡った所だ。ロケハン時にその場所に教会の井戸らしきものを見つけたのだが、すぐにマンションが建ってしまった。もし世が世なら”国指定史跡”級の遺跡の発見者となれたのだが・・・^^;

しかし、カモちゃんの映像はいつも素晴らしかった。私はネタを提示するだけで、後のディレクションはほとんど彼任せだった。それだからこそモノになったのだが。

最後にまた当時事前PRとして書いたブログはこちらだ。
次回は「浦上四番崩れ」から戻った浦上キリシタンの心を描いた。(続く)

tag : 長崎歴史テレビ文化浦上#キリシタン

あるローカル局の思い出(55) シリーズ「復活の丘」②乙女峠の聖母マリア

第1回が好評だったので俄然やる気が出て来た。よし、自分の当初の構想通り進めよう!

前回は世界が驚いた「信徒発見」を描いたが、その浦上の潜伏キリシタンがそのまますんなりとカトリックに戻ったわけではない。明治政府になってもまだキリシタン禁令は続いていて、「浦上四番崩れ」という新たな迫害が起こる。浦上村の全村民3,400人余りが西日本諸藩に流され、改心のための厳しい拷問を受けるという大迫害が起こるのだ。そのことを伝えたい。

最も迫害が厳しかったといわれる鳥取県・津和野で毎年5月3日にここで殉教した浦上キリシタンを慰霊するための「乙女峠まつり」が開かれるという。よしそこを舞台にしよう。田中沙百合・タナカハルナ・鴨川榮二カメラマンと私と4人で向かった。

まずは作った第2回のOAからご覧いただきたい。



これを作る裏で、いくつかの幸運とスタッフの努力があった。いくつかのエピソードを紹介しよう。

①「浦上の聖人」と呼ばれれた高木仙右衛門を主人公にしたかったのだが、彼のひ孫に当たる高木慶子シスターがたまたま「乙女峠まつり」に参加され、心打たれる話をしてくださった。クリスチャンである沙百合のいい表情が撮れた。
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②全国から約1,500人のカトリック信者がこの聖地・津和野に集まり、ごった返す中、私が聖母行列のルートも確認しておらず、マップを町なかで探している間に行列はスタートしてしまった。スタート地点の津和野教会に沙百合とハルナを残したまま・・・。高木シスターはすでに先頭集団の中にいた。(後から責められたのは言うまでもない)
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しかし、さすがカモちゃん。峠でシスターと沙百合、ハルナを捉え、3人の掛け合いをしっかりカメラに収めてくれいた。重たいカメラを抱えて、彼は一人で走り、峠を登り、カメラを回した。彼は息が切れて死ぬかと思ったと語った。
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③浦上キリシタンが拷問を受けたという寺の跡地でミサが行われた。それを司式する神父たちのテントの中で、ある人を見つけた。40数年前に僕が通った純心幼稚園の鶴田好子シスターだった。初恋の人だ。何とシスターとは帰りにアイスクリームを食べに立ち寄った店でも再会した。
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④厳粛なミサが終了した後は、昼食の時間。何千人という信者が一斉に弁当を開き、清浄な空気が一瞬で弁当の匂いに置き換わった。

⑤この聖地を見下ろせる場所から撮りたい。地元の方から、適当な場所を教えてもらったが、そこに歌が欲しいとふと思った。そうだ。前に読んだ高木仙右衛門の覚書の中にいい詩(切支丹牢屋ノ唄)があったよなぁ・・・。その本は持ってきてなかったが、ひょっとして津和野教会にあるかも知れない。3人を車に残して教会へ走った。何と・・あった!私は持ち帰り、ハルナに告げた。「この詩にメロディーを付けれない??」。彼女は車の中で3分で作った。いいシーンになったと思う。
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ちなみに当時、放送前にPRを兼ねて書いたブログはこちら
第3回は、歴史を遡って禁教時代のことを描いた。(続く)

tag : 長崎歴史テレビ文化浦上信徒発見#キリシタン音楽

あるローカル局の思い出(54)シリーズ「復活の丘」①信徒発見のサンタマリア

私がNCCの報道制作局時代、「信徒発見150年」と「被爆70年」を記念して制作したシリーズ「復活の丘」第1回は、2014.4.25 NCC「スーパーJチャンネルながさき」の特集として放送した。

まずは、ご覧いただこう。
シリーズ「復活の丘~マリアが見守る浦上の受難」第1回 信徒発見のサンタマリア
  
出演者を紹介しよう。
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◆田中沙百合(左)➡信徒発見の発言者、浦上のキリシタン・イザベリナゆりの役
 当時私がPだった長崎映像社制作の「はなきん」のリポーター。すごく明るくて素直で元気印の彼女を気に入って声をかけた。このシリーズ出演後、2016ミス日本酒となり、上京しタレント活動を続けている。剣道5段

◆タナカハルナ➡ゆりの妹、クララてるの役
 澄み切った声を持つシンガーソングライター。イッちゃん(一ノ瀬P)が市科学館のイベントで見つけ推薦。シリーズの中でも、浦上に伝わる詩数編にメロディーをつけ歌ってくれた。今や地元のテレビ、ラジオ、CM等で大活躍中。

◆ジェブーラ神父➡プチジャン神父役。当時現役のカトリック西町教会の神父。簡単な打ち合わせだけで素晴らしい演技を披露してくださった。

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◆森内浩二郎さん➡クララてるの玄孫。シリーズの中で、信徒の心情を代弁したり、浦上の貴重な歴史を教えてくださるなど、重要な役割を担ってくださった。今でもアジェンダの活動をサポートしてくださっている。

ちなみに世界が「東洋の奇跡」と驚いたこの信徒発見の再現ドラマは、実際に大浦天主堂で収録したのだが、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産となった現在では、収録許可は簡単にはでないだろう。また彼らのセリフは「プチジャン司教書簡集」から忠実に再現した。

最後に当時書いた➡ブログを紹介しよう。次回はシリーズ第2回「乙女峠の聖母マリア」を。

tag : 長崎歴史テレビ文化浦上信徒発見#キリシタン報道制作

あるローカル局の思い出(53)シリーズ復活の丘~マリアが見守る浦上の受難

2014年はNCC在職中で最も忘れられない年になった。
それはシリーズ「復活の丘~マリアが見守る浦上の受難」を1年をかけて制作放送したからだ。
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夕方のローカルニュース「スーパーJチャンネルながさき」の特集として7回シリーズで放送し、後日これらをまとめた55分番組を制作した。

このシリーズは、それまでの私の「アジェンダNOVAながさき」の市民活動から得た経験と知識を十分に番組制作に活かせたと思う番組であった。

このシリーズを作ろうと思ったのは、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を「信徒発見150年」を迎える2015年に世界遺産に登録しようとする運動の後押しをしたかったこと。また2015年が「被爆70年」という節目の年であったことから、「キリシタン迫害と被爆」という二重苦を受けた浦上の歴史を取り上げたいと思ったからであった。
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もっと言えば当時、「信徒発見」のことを知る人は少なかったし、増してやそれを成し遂げたのは浦上のキリシタンであること、またその後、彼らが受けた迫害「浦上四番崩れ」のことや、「浦上五番崩れ」とも言われる原子爆弾の被害のことをまだまだ知らないと思ったからだ。
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▲被爆70年周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(長崎新聞から)

そのことを「唯一浦上にある放送局」として発信しなければという使命感が湧いたのであった。

幸いテレメンタリー「カクレキリシタンの里」や、キリシタンもののニュースの実績から、一ノ瀬局長も溝田部長もこの企画については全面的に賛成し、私に制作を任せてくれた。

浦上の長い歴史をいきなり1本の番組で作ることは難しいので、夕方のローカルニュース「スーパーJチャンネルながさき」の中の特集として、シリーズで放送することを決めた。

第1話は「信徒発見」のこと。第2話はその後起こった「浦上四番崩れ」のこと。第3話は、なぜそんな迫害が起こったのか歴史を遡って「禁教時代」のこと。第4話は、浦上四番崩れから帰村した浦上の村民らの「荒れ野からの復活」のこと。第5話は浦上の「被爆」のこと。第6話はその「二度目の荒れ野からの再復活」を遂げたこと。そして第7話は「ローマへつながる世界遺産」のこと。

シリーズは4月から10月まで毎月1回、7~8分の特集で放送しようと決めた。そして番組名を考えた。何か7話を一貫して通すキーワードが欲しい。それは「マリア」しかないだろう。そしてそのマリアが浦上の受難を「見守る」という表現を考えた。

ちなみに翌年、キリスト教関連遺産が世界遺産推薦となったことを記念して長崎歴史文化博物館が「聖母が見守った奇跡」という特別展をやり、そのネーミングに評価が高かったが、正直パクられたと思った!(笑)

そしてスタッフはNCCのナンバー1カメラマン鴨川榮二(カモちゃん)、番組の出演者に田中沙百合(さゆちゃん)とタナカハルナ(ハリー)と私の4人でやることを決めた。番組を作るに当たって、カモちゃんと制作方針を話し合った。どうせ作るなら単なる歴史紹介番組ではなく、ドキュメンタリーとして2人に歴史体験者になってもらおう。手を抜かないで本物に拘ろうなど。そして「NHKスペシャル」を200本作った川良浩和氏の本など制作関連本を読み漁った。
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こうして、この4人で濃密な1年が動き出した。
このシリーズのことは、実は以前にこのブログで書いたことがあるが、次回から1話ずつ取り上げながら、その制作秘話を語って行きたい。(続く)

tag : 長崎歴史テレビ文化浦上信徒発見被爆#キリシタン

あるローカル局の思い出(52) 長崎八町~伝えたい故郷の風景~

思い出深い番組の続きだが、次は「長崎八町~伝えたい故郷の風景~」だ。

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八町とは「平成の大合併」(H11~H22で、79市町村が21市町となった)で最後まで合併しなかった八つの町(長与町時津町東彼杵町川棚町波佐見町小値賀町佐々町新上五島町)のことだ。

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これらの町の魅力を紹介するミニ番組(正味2分間)で、各町を4回ずつ取り上げ、毎週水曜の23:10-23:15に、4回×8町の32回を2013年6月から半年以上かけて放送した。

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各町の取材・編集は、私が主に離島や遠方の6町を担当、一ノ瀬Pが近場の時津町と長与町の2町を担当した。スポンサーは長崎県町村会。広告代理店はイーエス九広。各担当者と何を取材するか、各回に関係者からコメントを入れたいがどなたにするか、いつ取材して、いつ放送するかなどを打ち合わせた。

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個人的には八つの町が、時代の流れに逆らって、自分たちの個性を信じ、自分たちだけでやって行こうという気概溢れる姿勢に感銘を受けた。実際、市と合併したために町の個性を失って衰退した町もある。

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長崎県町村会がネットに動画を残してくれていたので紹介しよう。波佐見町は私、時津町は一ノ瀬局長の作品だ。

☆長崎八町~伝えたい故郷の風景~
■波佐見町・レトロな街並み
 https://youtu.be/eGSuq1jA5oM
■波佐見町・癒しのスポット
 https://youtu.be/k7aYWH31Mw0
■波佐見町・鬼木棚田
 https://youtu.be/htWAjREhV6A
■波佐見町・陶郷中尾山
 https://youtu.be/6JXTT-EBMrI
■時津町・巨峰&ワイン
 https://youtu.be/W3VBZzcnEP8
■時津町・時津街道
■時津町・左底の銭太鼓浮立
■時津町・大村湾のナマコ 
 https://youtu.be/hsVdW51A9LQ

その他、小値賀町は、古民家、民泊、野崎島と旧野首教会、おぢか島の落花生など。
東彼杵町は、龍頭泉と千綿人形浄瑠璃、歴史の町、龍頭泉など。
新上五島町は、定置網、五島うどんと海鮮丼など。
川棚町は、うなぎ塚、大崎自然公園など採り上げたことが懐かしい。

長崎は素晴らしい自然とそれに育まれた人々からなり、本当に様々な風景を見せてくれる故郷だ。この番組を通して、改めて長崎の魅力発見になったことは間違いない。

次回は、私が在職中に一番印象に残り、今でもその財産で食っているような番組「復活の丘」を取り上げたい。(続く)

tag : 長崎テレビ文化報道制作長崎八町番組地域発見

あるローカル局の思い出(51) ジュニアゴルフ選手権

通常、ニュースも番組もカメラマンが撮影・編集し、記者が原稿やスーパーを書く。しかし一ノ瀬Pから言われて編集までやった番組がいくつかある。その中で「ジュニアゴルフ選手権」と「長崎八町」は思い出深い。

「ジュニアゴルフ選手権」は小学生から高校生までのアマチュアゴルファーの選手権。ゴルフは以前から自分でもハマってやっていたからルールは熟知していたし、「ダイワNCCゴルフ」の番組収録でマーカー(スコア記録)などの手伝いをしていたので、編集作業は楽しくやれた。
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▲番組PR(↑動画)のBGMには、ももクロのメジャーデビュー曲「行くぜっ!怪盗少女」を使った。録音室の徳永さんに「何か若者向きの元気な曲ない?」と聞いて、いくつか紹介してもらった中の1曲。一発で気に入った。

JrGolf10.jpg
▲高校生女子の参加は一人。彼女は当然優勝した(笑)

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▲高校生男子は日大ゴルフ部が活躍。この日は前評判が高かった選手は崩れ、写真の彼が優勝。

ジュニアだからと言ってバカにしてはいけない。彼らはアンダーパーで回る。この選手権の優勝者はKABジュニア選手権に出場でき、それに優勝したら何とプロゴルファーのトーナメント「KBCオーガスタ」へ出場できるのだ。

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▲女子ジュニアはファッショナブルで可愛いだけでなく、私なんかより遥かに上手いのだ。

P4020048.jpgP4020052.jpg 表彰式の模様P4020030.jpg 目指せ未来のプロゴルファー!
次回は「長崎八町」のことを(続く)

tag : 長崎歴史テレビ文化ジュニアゴルフスポーツ番組

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リンデンの長崎ケルンへようこそ!

長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

あなたもよかったら、ケルン(コメント)を積んでいってくださいね。

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