あるローカル局の思い出(60) シリーズ「復活の丘」⑦日本之聖母 世界へ(事前)
「長崎にとってローマとは?」
「ローマが認めた長崎の教会群が今、世界遺産になろうとしています」
「このシリーズの旅人二人が、長崎のキリシタンが憧れ続けたローマを訪ね、長崎とのつながりを追いました」
いよいよ7回シリーズのラストを撮ることになった。
信徒発見150年と被爆70年を記念して世界遺産となる教会群を浦上の民とともに祝うためにバチカンに行くのは私の中では必須だった。シリーズの山場だ。
カモちゃん、サユリ、ハルナと私の4人(「Teamゆりてる」=信徒発見の発言者ユリとテルにちなんで)で最後はバチカンに行くぞと鼓舞していた。
その事をプロデューサーであるイッちゃんに相談すると、上に掛け合ってくれた。しかし何とNo!の返事が返ってきた。カメラマンとディレクターの2人ならいいが、4人で行くのはまかりならんと。
誰がそう言ってるのかと聞くと、社長の前原だという。
情けなかった。あの一件から私は冷や飯を食わされていたが、こんな一番組の事まで社長が口出ししてくるとは・・・何て了見の狭い奴だ・・・
カモちゃんと会議室でひざを突き合わせて相談した。僕らとしては4人で行くか、それとも誰も行かないかのどちらしかないという思いは同じだった。しかし悔しい。ここまで来て。よし、どうせ金のことだろう。自分たちでスポンサーを探せばいい。十八銀行にかけあってみようとなった。ハルナが森拓二郎頭取と少し面識があると聞いていたからだ。営業の西さんに頼んで十八銀行に販売企画書を持って行ってもらった。
すると何と森頭取は二つ返事で2百万円をポンと出してくださったではないか。そして頭取は「私はこの復活の丘の大ファンでずっと観ていて、他のスポンサーには取られたくない」とまで言ってくださった。こんな制作者冥利に尽きる言葉はなく嬉しかった。当然、前原からは何もなかった。ザマミロ😁
しかし、まだスンナリとは行かせてくれなかった。今度はローマ教皇のインタビューを撮れるなら行かせてやると言い出した。世界に20億人いるというキリスト教徒のトップのインタビューを、日本の西の端の一ローカル局がいくら申し入れても簡単に撮れるわけがないではないか。もう嫌がらせとしか思えなかった😠
でも、ここであきらめる訳にはいかない。あらゆる可能性を探った。過去にインタを撮れた例を調べたり、同時期にカトリック東京大司教区の大司教も行くらしいから、その筋に頼んだりした。また「長崎の教会群を世界遺産にする会」の林一馬会長、柿森和年事務局長らが、バチカンに世界遺産の推薦願いをするのを同行取材するという形にしたので、その筋にも当たった。教皇フランシスコとアルゼンチンで師弟関係であったレンゾ神父の意見も聞いた。しかしどれも確約はできないという。そりゃそうだ。最後はプロメディアという現地の取材コーディネーターにフランシスコ教皇の直近まで行けるメディアスペースを獲得してもらい、何とかGOが出た。
晴れてTeamゆりてるはバチカンに旅立った!