スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

これは美味い!



この山の近く
スポンサーサイト

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

孫文ゆかりの地をさるく

1911年10月10日、中国(清)の武昌で革命派の軍隊が蜂起し、辛亥革命が始まった。

きょうは、この日から100年目の記念日。

現在、長崎では、その中国革命の父・孫文と、彼を経済的にも(総額1兆円とも言われる)精神的にも支援した長崎生まれの梅屋庄吉の功績を顕彰するプロジェクトが立ち上がっている。

長崎歴史文化博物館では「孫文・梅屋庄吉と長崎」と題した特別企画展を開催中(10/1-2012/3/25)だ。

先日その企画展を観たが、なかなか興味深かった。
長崎さるくにも「孫文ゆかりの地をめぐる」があるを知り参加してみた。

参加料は、歴文の入館料(800円)込みで1000円だから、企画展を観るだけよりもお得かも知れない。

◆コースは、出島 →精洋亭跡・長崎米穀市場跡 →長崎新地中華街 →湊公園 →四海楼跡 →唐人屋敷 →福建会館 →丸山公園 →花月楼跡・鹿島屋跡 →丸山本通り →丸山オランダ坂 →孫文先生故縁の地 →浜市アーケード →梅屋商店跡 →(電車移動) →長崎歴史文化博物館「企画展」自由見学

孫文は、日本に16回、そのうち長崎には9回訪れたそうだが、孫文が中華民国の建国を宣言し、臨時大統領に就任した大正2年(1913)の翌年に、8回目の来崎を果たした時のゆかりの地を巡るという。

111010_sonbun01.jpg
▲スタートはおなじみ出島のヘトル部屋。久しぶりのさるく参加だ。出島復元の看板が出てたので撮ってみた。
28年度に6棟復元予定だとか。気が長いなぁ~~。将来、完全に海に戻せるのだろうか・・・

111010_sonbun02.jpg
▲精洋亭跡・長崎米穀市場跡。現在はダイエー銅座店があるところ。ガイドは山田一男さん。
 この精洋亭で長崎医専に在学していた中国留学生と晩さん会を開いたという。
 庄吉の実家は米問屋だったが、庄吉は24歳の時、米投機に失敗しアモイに逃亡した。米穀市場はその所縁の地。

111010_sonbun03.jpg
▲新地中華街の入り口。敷地面積は3500坪。東西南北4か所にある門には、中国の四神、東=青竜(せいりゅう)、西=白虎(びゃっこ)、南=朱雀(すざく)、北=玄武(げんぶ)があてられている。この門は築26年と比較的新しい。

111010_sonbun04.jpg
▲唐人屋敷の土神堂で。今回の参加者は東京や埼玉から来られたそうで、皆さんコッコデショを観に来たとおっしゃった。

111010_sonbun05.jpg
▲福建会館。ここで長崎の知事、市長、町の有力者たちと午餐会を開いた。

111010_sonbun06.jpg
▲花月。県の指定史跡。

111010_sonbun07.jpg
▲ブーゲンビリア。さるくや孫文とは何の関係もありません(笑)。ただきれいだったので。

111010_sonbun08.jpg
▲孫文先生故縁の地。孫文は長崎に来ると、彼を支援した東洋日の出新聞の鈴木天眼宅を訪れたという。

111010_sonbun09.jpg
▲鉄橋を渡ったところに土佐商会跡の石碑があったが、いつの間にかこの看板に変わっていた!龍馬伝はどうなった!?(笑) 梅屋庄吉は西浜町のこの辺りで育ったという。

そういえば歴文で、庄吉は何度も死に損ね「猫魂(ねこだま)」と言われていたという。一度は溺れて棺桶に入れられた後に蘇生したのだそうだ。ホント?!

111010_sonbun10.jpg
▲中国から贈られた孫文と梅屋庄吉夫妻像。歴文のロビーに展示されている。

辛亥革命と孫文の功績を記念すると同時に、梅屋庄吉が中国に4体の孫文銅像を贈呈した返礼として、中国が長崎県に対し、孫文と梅屋庄吉夫妻三名の全身像および半身像の銅像を贈ることを発表した。

この辛亥革命100年を記念して、中華人民共和国も中華民国も記念式展を開いたが、この革命の経緯から、表現は大きく食い違った。→中国ニュース通信社

今後「中華統一」が実現するとしたら、この両国をつなげる役目を果たせるのは、長崎なのかも知れない。

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

憲法さるく~孫文と梅屋庄吉のゆかりの地をさるく~

報道として初仕事は「憲法さるく」の取材だった。

中国・辛亥革命の指導者・孫文とその活動を支えた長崎出身の実業家、梅屋庄吉ゆかりの地をめぐる「憲法さるく」がありました。

県九条の会と長崎歴史文化協会が企画した「憲法さるく」には、観光客や市民らおよそ90人が参加しました。

参加者は十八銀行本店前をスタートし、孫文が中国の留学生を集めて晩さん会を開いた「西洋亭跡」や、辛亥革命を支援した華僑を招いて昼食会を開いたとされる「福建会館」、梅屋庄吉の自宅跡などをおよそ2時間かけてめぐりました。

参加者は平和の幸せを感じながら長崎のまちを歩き、孫文と梅屋庄吉に思いを馳せていました。

             (NCCスーパーJチャンネルながさきから)


◆コース:西洋亭跡→新地→中国領事館跡→福建会館→鹿島屋跡→鳳鳴楼跡→宝亭跡→東洋日之出新聞社跡→鈴木天眼自宅跡→榎津小学校→梅屋庄吉自宅跡

110504_kenpoSaruku01.jpg
▲18銀行本店前から10:00スタート。メガホンを持っているのは井田洋子県九条の会事務局長=「平和でなければ歩くこともできない」。その右は朝長万左男代表=「ビン・ラディン殺害など武力がまかり通る世界に疑問」。

110504_kenpoSaruku02.jpg
▲市民病院前で。

110504_kenpoSaruku03.jpg
▲中国領事館跡(現在は駐車場)

110504_kenpoSaruku04.jpg
▲唐人屋敷入口

110504_kenpoSaruku05.jpg
▲福建会館へ

110504_kenpoSaruku06.jpg
▲左手に上海市から寄贈された孫文像がある。右手の階段でかの有名な記念写真が撮られた。

110504_kenpoSaruku07.jpg
▲中国・辛亥革命の父・孫文と彼を物心両面で支えた梅屋庄吉。

 県は「孫文と梅屋庄吉」発信プロジェクトを10月から始めるそうだ。→関連ブログ

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

第7回長崎さるく英雄編講演会・シンポジウム

12日の13寺半からは、午前中と同じく市立図書館多目的ホールで「第7回長崎さるく英雄編講演会・シンポジウム」があった。午前中の講演でお会いしたM姉弟と一緒にNBC裏の「銅八銭」で美味しいハンバーグを食べてから、午後の講演に向かった。今年は龍馬一色であったが、これでひとまず締めくくりだ。

101212_rakusaruku01.jpg
▲NHK大河ドラマ「龍馬伝」も終わり、この楽さるくも第7回の最終回を迎える。最終回のテーマは「龍馬が残したもの」。龍馬伝の経済効果は180億円とも言われる。果たして「龍馬が残したもの」とは何か??「ポスト龍馬伝」をいかに演出するか今後の課題である。引き続き皆さんのご支援を賜りたいなどとあいさつされる股張一男さるく観光幕末編推進委員会事務局長。ちなみに左はロマン長崎の高崎順子さん。

101212_rakusaruku02.jpg
▲講演のテーマは「龍馬伝を通して見る龍馬像について」。講師は「龍馬伝」の演出をされた大友啓史氏。いろいろと物議をかもした「龍馬伝」。大友氏によれば、様々な狙いで「龍馬伝」を作った。そのキーワードは、
・龍馬を神棚に奉りたくなかった。
・僕らの傍にいる人を描きたかった。
・脱藩した一浪人が「坂本龍馬」になっていく姿を視聴者が追体験して欲しかった。
・視聴者のフィクションに対するリテラシーを信じた。
・「動き」(move→movie、motion→emotion)を出したかった。
・過去の龍馬を描くのではなく、未来の龍馬を描きたかった。龍馬伝はSFである!
・アマデウスとの対比。嫉妬と羨望の弥太郎。
・ほこりっぽいのはコンスターチ。現場から様々なアイデアが出てきた。
・刀は真剣を持たせた。俳優の気持ちが変わってくる。
・土佐はメキシコ。江戸はベニス。長崎は六本木だとスタッフに印象付けた。
・福山は最後は死にたくないと言いだした。
・福山は完全に龍馬に成り切り、「世界の海援隊」としてマダガスカルなど世界を見て回った。
・龍馬と福山は完全に一致し、そして福山は龍馬を超えた。

101212_rakusaruku03.jpg
▲シンポジウムのテーマは「龍馬が残したもの」
 コーディネーターは、合田敏行NHK長崎放送局長
 パネリストは、本田貞勝(「龍馬の長崎」著者)志の高さ、私を捨てた龍馬
 小曽根育代(「お龍さんの長崎日和」著者)17代小曽根家当主の妻。乾堂は13代。
 前田由紀枝(高知県立坂本龍馬館主任学芸員)龍馬に1年365日食わせてもらっている!

小曽根さんは、龍馬は裕福な家庭に育って、大らかで、物欲がなく、末っ子だから甘え上手で、相手に警戒心を抱かせない人物だったと思うと語ったが、正に僕もそう思う。

龍馬が残したもの。それは志を高く持ち、人の話をよく聞き、とにかく行動すること。彷徨える現代に最も必要なことではないか。

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

英字新聞さるく

27日朝9時半から、長崎さるくの学さるく「日本最初の英字新聞から読み解く幕末・維新当時の長崎」があった。

日本最初の英字新聞「The Nagasaki Shipping List and Advertiser」を使って、居留地といえばこの方、ブライアン・バークガフニ先生が読み解いてくださり、講話の後に実際にその地をさるくという画期的な学さるくだ。

101127_eijishinbunsaruku01.jpg
▲主催された長崎国際観光コンベンション協会の武田さんのごあいさつ。一緒に土佐や馬関に行った友人だ。

101127_eijishinbunsaruku02.jpg
▲講師は、地元では知らぬ者はいないブライアン・バークガフニ総合科学大学教授
改めて教授のユニークな経歴をご紹介。

<略歴>
1950年カナダ・ウィニペグ市出身。
72年ヨーロッパ・インド等を経て来日。
73年臨済宗入門得度、京都の妙心寺で9年間禅の修行後、 82年より長崎市在住。
現在、長崎総合科学大学 人間環境学部教授、長崎市国際アドバイザー、 長崎日英協会理事。
主な著書に『庵』(グラフ社)、『時の流れを越えて---長崎国際墓地に眠る人々』(長崎文献社)、『花と霜---グラバー家の人々』(同)、共著に『高校生が考えた「居住福祉」』(クリエイツかもがわ)、『高校生が考えた「地域と環境」』(同)ほか


eijishinbun02.jpg
▲教材の「The Nagasaki Shipping List and Advertiser」。直訳すれば「長崎の船舶情報と広告」
 居留地に住む外国人に対して週2回(土、水)に発行したお知らせや輸出入品、入出港情報、広告満載の新聞だ。様々な情報が掲載されているので当時の居留地の様子が手に取るように分かる。特にそこで活躍した外国人の顔が浮かび上がってきて面白い。
 1861年発行、ということはこの年が日本近代新聞発刊記念年ということだ。ちなみにこれは4号。1号と2号は発見されていない。

この広告の中にInternational Bowling Saloonの広告がある。広馬場とある。だから現在、四海楼の前に「ボウリング発祥の地」の碑があるが、これは間違いということになる。

ちなみにこの広告の日、6月22日を「ボウリングの日」としているらしいが、この記事の上のコマーシャルホテルの広告の中にボウリング施設があるとの告知がある。さて、どちらが最初なのだろう??面白いね!

eijishinbun04.jpg
▲当時の居留地の住居表示。大浦の海側の一等地をFrontage、山手の2等地をRearageと呼んだ。
 町名も、DECIMA(出島)、SHINCHI(新地)、MEGASAKI(梅香崎)、OURA(大浦)、SAGARIMATSU(下り松)、KOZONE(小曽根)、NAMINOHIRA(浪の平)と現在も残る。

eijishinbun06.jpg
▲居留地の借地者リスト(1860年10月)。Lotナンバーが上記住居表示の番地に当たる。例えば上から10番目のAlt(オルト)商会はFrontageの7番地にあったことが分かる。居留地には永代借地権が認められており、居留地が廃止になったとき借地料の問題が起こった。

101127_eijishinbunsaruku03.jpg
▲講演の後、実際に居留地をさるいてみる。ここは居留地時代「バンド」と呼ばれていた大浦海岸通り。居留地時代は長崎が最も栄えていた時代だ。

ちなみに大浦6番地は英国領事館(老朽化が進んでいる)、その右の7番地に貿易商社であるホーム・リンガー商会(現在はマンション)があった。

101127_eijishinbunsaruku04.jpg
▲ここは大浦11番1/2だ。1/2とは角地で敷地が三角なのだ。

101127_eijishinbunsaruku05.jpg
▲大浦31番、現在はプロテスタント教会が建つが、ここに長崎シッピングリストの発行人A.W.HANSARDが住んでいて印刷をしていた。だからここは言わば「近代日本ジャーナリズム発祥の地」だ。

101127_eijishinbunsaruku06.jpg
▲孔子廟は大浦32番地。その向こうの33番地、現在NTT病院が建っているところに立派なフランスホテルがあった。

25番地にはミセス・ウィークスがコマーシャルホテルという西洋式のホテルを営んだ。いわば「ホテル発祥の地」である。26番地(現在の梅香崎中)はウィリアム・オルトが大浦慶と組んで製茶業を営んでいた製茶所の跡だ。

101127_eijishinbunsaruku07.jpg
▲ここは居留地時代のメインストリート。現在は「龍馬の道」と呼んでいる。21番は、あのグラバー商会。

いや~~まだまだ埋もれた情報が山ほどある。せめて表示でも欲しいところだ。
現在、老朽化が進んでいる英国領事館を、居留地情報館に!私の提案だ。

長崎で最も賑わいがあった居留地時代。街には西洋人と中国人と日本人が溢れかえり、様々な言葉が行き交い、店の中からジャズの音やボウリングのピンが飛ぶ音が聞こえ、笑い声、叫び声、時には喧嘩もあったろう。

そんな活気あふれる長崎の街が甦らないかな・・・

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

楽さるく「幕末長崎を駆け抜けた英雄 長州編」

3日、10時から、長崎歴史文化博物館で、第5回長崎さるく英雄編講演会「楽さるく」が行われた。

今回のテーマは「幕末長崎を駆け抜けた英雄 長州編」。

講演は、時代を龍馬以前と龍馬後に分け、長崎と関わった長州人を多数紹介された。龍馬以前は、兵学者・医者として吉田松陰・大村益次郎・山田右衛門・青木周蔵・青木研蔵・久坂玄機・日野宗春など。龍馬時代としては高杉晋作・伊藤博文・木戸孝允など錚々たる面々が並ぶ。

101003_gakusaruku01.jpg
▲講師は下関市長府博物館学芸員の古城(こじょう)春樹氏だ。

101003_gakusaruku02.jpg
▲「長州」と言っても、萩藩・長府藩・徳山藩・清末藩・岩国藩と別れていて、萩藩と長府藩は特に仲が悪いそうだ。

101003_gakusaruku03.jpg
▲前々回の「龍馬伝」(39回「馬関の奇跡」)で出てきた第二次長州征伐(幕長戦争)で、龍馬が戦略を練るシーンがあったが、そのときこの海図を実際に使ったそうだ。大きいところはウソが多いが、細かいところはこだわっているとのこと^^

101003_gakusaruku04.jpg
▲龍馬と交流した下関の人々も数多い。

防長両国の政治・学術・経済発展に長崎は多大な貢献をした。

講演を聴いていたら無性に長州に行きたくなり、Tさんと一緒に古城さんに、ぜひ下関に行きたいと告げた。

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

楽さるく「幕末長崎を駆け抜けた英雄 肥前編」

9/4(土)14:00から、メルカつきまちで、第4回楽さるく「幕末長崎を駆け抜けた英雄 肥前編」が行われた。

100904_rakusaruku01.jpg

 講師は、川副義敦(かわそえよしあき)氏(武雄市図書館・歴史資料館学芸員)
 佐賀の洋学と長崎とのかかわりについて、1時間20分ほどお話いただいた。

<概要>
[佐賀藩と長崎]
・1641年の鎖国(オランダ・中国以外との貿易禁止)以来、福岡黒田藩と佐賀鍋島藩は1年交代で長崎御番(長崎湾の警備)をするように江戸幕府から命じられた。
・当番年は、内目(長崎湾内)の台場警備、西泊・戸町番所警備に約1300人体制で望んだ。
・非番年は、外目(長崎湾外)の台場整備を約530人体制で望んだ。
 ※内目と外目の境は、現在女神大橋がかかっている女神と男神をむすぶライン
 ※元々、香焼島・伊王島・沖ノ島は、佐賀藩領だから外目は佐賀藩独自で警備
・大平の世が続き、次第に警備が緩慢となった。
 ↓
[フェートン号事件]
・そして、かの「フェートン号事件」が1808年に起こる。このとき佐賀藩は当番年だったが150人程度しかいなかった!
・この事件の責任をとり、長崎奉行・松平図書頭康英は切腹。佐賀藩主・鍋島斉直は警備を勝手に減らしたとして100日間の閉門を命ぜられた。佐賀藩内は歌舞音曲・祭礼・法会・各種興行も禁止されたという。
・長崎御番の強化。臥薪嘗胆の引き金となった。長崎の失態は長崎で返す!

[佐賀藩の蘭学導入]
・佐賀藩の蘭学導入の立役者 武雄領主・鍋島茂義の登場
・鍋島茂義は名君・鍋島直正の養育係・兄貴分、高島秋帆の門弟となり西洋砲術の直伝うける。
・佐賀藩は1851年に日本初の鉄製の大砲の鋳造に成功する。
・同年、神ノ島・四郎島の埋め立て工事に着手、砲台を建設する。
・1852年、佐賀藩精錬方(理化学研究所)の設置。薩摩の集成館事業より早い!
 ※島津斉彬は「西洋人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も人なり」と薩摩人を鼓舞したという。
・1865年、国産初の本格的蒸気船「凌風丸」を完成させる。
 長崎海軍伝習所創設時、佐賀藩から48名が参加している。
 ※伝習所卒業生には、大隈重信佐野常民、中村奇輔、中牟田倉之助、本島藤太夫など幕末、明治に活躍した藩士が多い。
・1862年、鍋島茂義逝去
 「人間、一生のうちに多くの仕事を成し遂げた者が長生きしたことになる。たとえ長生きしたとしても成し遂げた仕事が少なければ、早死にしたのも同様である」

[幕末肥前の志士たち]
・1860年、幕府遣米使節に参加。アメリカ軍艦「ポーハタン号」に7/77名、日本の海軍伝習のための軍艦「咸臨丸」に1/96名の佐賀藩士が参加
・1862年、幕府遣欧使節に参加。英国軍艦オーディン号に3/38名の佐賀藩士が参加
・同年、幕府上海貿易事情調査に参加。貿易帆船「千歳丸」に4/51名の佐賀藩士が参加。高杉晋作も乗船。

・1867年、英学研究のため「致遠館」創設。もう蘭学の時代ではない。
・アメリカ人宣教師フルベッキを校長として迎え、学監は副島種臣、経営は大隈重信。
・最盛期には1000人以上の学生がいた。※謎のフルベッキ写真

・1867年、パリ万国博覧会使節団に5人(佐野・野中・藤山・深川・小出)を派遣。
・1865年、石丸・馬渡の英国密航→万博の5人と合流

[外国人の手引きによる密航者]
・1863年、イギリス商人の斡旋による長州5(伊藤・井上・遠藤・山尾・野村)のイギリス密航
・1864年、ロシア人の斡旋による安中藩・新島襄のアメリカ密航
・1865年、グラバーの斡旋による薩摩藩19人(五代・森ほか) 

・1871年、鍋島直正、藩邸で没す。その後、佐賀藩は中央の勢力を、薩長に譲ることとなる。
・直正は島津斉彬と肩を並べる幕末の名君。ちなみに双方の母方が異母姉妹で、従兄弟の関係になる。



次回の楽さるく第5回は「幕末長崎を駆け抜けた英雄 長州編」
 ◆日時:10/3(日)10:00~11:30
 ◆場所:長崎歴史文化博物館 ホール
 ◆お申し込みは、長崎さるくで受付中!

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

土砂降りの龍馬紀行

近藤史明コンサートの翌日、先輩らと龍馬紀行を行った。

100829_ryoma07.jpg
▲突然の土砂降りに見舞われた。佐幕派である小倉藩の来訪に龍馬の怒りに触れたのか・・・

100829_ryoma10.jpg
▲龍馬が見つめる雨に煙る長崎港

100829_ryoma02.jpg
▲長崎奉行所・龍馬伝館名物のお白州劇。本日の演目はイカルス号事件。

100829_ryoma03.jpg
▲龍馬登場。果たして一件落着なったのか・・・

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

JRウオーキング初体験

久しぶりにウオーキングをしたいとネット検索をして探し出したのが、JRウオーキング

存在は知っていたが、参加したことはなかった。
参加費無料で、申し込みも不要だから、試しに参加してみようと思った。

この日のコースは、野岳新茶まつりと世界のしゃくなげ公園散策ウォーキング

参加者は5~6名ぐらいだろうとたかをくくっていたら、とんでもない。
佐世保行きのシーサイドライナーに乗っていたら、それ風の人たちをあちこちに見かける。

臨時停車駅である松原駅で降りたら、何と50名ぐらいが続々と降りてくるではないの!

気に入ったこのウオーキング。ハマりそうだ。

100502nodake01.jpg
 ▲しゃくなげ園。世界8カ国45種類のしゃくなげを鑑賞できる。

100502nodake02.jpg

100502nodake03.jpg 100502nodake04.jpg
 ▲裏見の滝

100502nodake05.jpg

100502nodake07.jpg
 ▲野岳湖

100502nodake08.jpg
 ▲バックは野岳

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

勝麟と風雲児。出会いは、まさに維新伝心!

人気の「長崎さるく英雄編」に参加してみようと思ったら、連休中で予約満杯。

このコース↓が空いていたので参加してみた。
勝麟と風雲児。出会いは、まさに維新伝心!~本蓮寺から長崎奉行所立山役所跡~」 

ルートは、
長崎歴史文化博物館 →西園寺公望仮寓居跡 →迎陽亭跡 →聖福寺(いろは丸事件談判) →幣振坂 →福済寺後山 →聖無動寺後山(お久の墓) →本蓮寺(勝海舟寓居の地、沢村惣之丞墓)


さるくガイドは増田さん。確か「長崎の風」の方。四国は岩崎弥太郎の生家・安芸市から~高知市~龍馬脱藩の道~佐賀関~大分~湯布院~熊本~島原と龍馬が長崎入りした道を昨年踏破された6人の中のお一人だ。

100501_ryomasaruku01.jpg
 ▲長崎歴史文化博物館1Fロビーの龍馬と弥太郎像。「龍馬伝」では二人は幼馴染だが、実際二人は長崎で初めて出会ったはずだ。それまでは接点がない。  

100501_ryomasaruku02.jpg
 ▲日本で最初の海難事件「いろは丸事件」の談判が行われた聖福寺。龍馬は賠償金として紀州藩から7万両(約30億)を勝ち取った。

100501_ryomasaruku03.jpg
 ▲聖福寺は傷みが激しく修復が必要だ。映画「解夏」の撮影もここで行われた。

100501_ryomasaruku04.jpg
 ▲聖無動寺後山にあるお久の墓。勝海舟はこの近所に住む梶クマ(お久)との間に一男一女をもうけた。

100501_ryomasaruku05.jpg
 ▲沢村惣之丞の墓から、長崎市内を見下ろす。この墓には「関雄之助」と沢村惣之丞の別名が記載されており、長崎市の職員が半年をかけて探し出したそうだ。

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最新記事
プロフィール

リンデン

Author:リンデン
リンデンの長崎ケルンへようこそ!

長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

あなたもよかったら、ケルン(コメント)を積んでいってくださいね。

facebook
twitter
mixi
freeml
you-tube

カテゴリ
最新コメント
リンク
月別(表示数指定)
検索フォーム
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。