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70's Pops(25)1979年間ランキング

いよいよ70's最後の年、1979年です。このシリーズも最後の投稿となりました。

この年は、年明けから三菱銀行猟銃人質事件(1/26)が起こります。そして昨年からたびたび話題にあがるスリーマイル島原発の放射能漏れ事故(3/28)が発生しました。また今年3/16公開の映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」で描かれるサッチャーがヨーロッパ初の女性首相(5/3)になったのもこの年です。

映画界といえば「地獄の黙示録」が公開され、米アカデミー賞は「クレイマー・クレイマー」でした。
日本歌謡界は、「いとしのエリー」「関白宣言」「異邦人」「大都会」「贈る言葉」などがヒットし、レコード大賞は「魅せられて」でした。

僕はようやく大学4年生。夏に新しい教授が赴任し、2本目の卒論を与えられました。一生懸命、罪の償いをしました・・・(^^ゞ

あの33年前の洋楽ポップス年間ランキングTOP5は、


▲アイム・セクシー/ロッド・スチュワート (1979年間ランキング第1位)

この曲は、全米全英でもTOPに立ちますが、多くのロック関係の雑誌から、ディスコの様なアレンジがスチュワートのブルースに基づいたロックンロールというルーツを裏切ったと非難されます。しかし、スチュワートなどはすぐに、広く尊敬されているポール・マッカートニーやローリング・ストーンズなどの歌手がディスコ調の曲を既に発表していたことを指摘したそうです。


▲チキチータ/ABBA(1979年間ランキング第2位)

70年代、世界中で活躍し、「ポップ・ミュージックの完成者」と呼ばれたABBA。しかしこの79年にアグネッタとビョルンが離婚、続いてベニーとフリーダも81年に離婚します。そして82年に「最後のテレビ出演」を果たし、83年に活動を突然停止します。ちなみに「チキチータ」はスペイン語で「小さい女の子」という意味だそうです。


▲ヴーレ・ヴー/ABBA(1979年間ランキング第3位)

曲名の「ヴーレ・ヴー」はフランス語で「する気があるの、ないの」という意味だそうです!(+o+)

マドンナやレディー・ガガなど多くのアーティストが影響を受けたと語ったABBA。彼らが解散した10年後の1992年、イレイジャーという英国のグループによって発表された"アバエスク"("ABBA-ESQUE"、"ABBA"と"ESQUE(~風)"火付け役となり、ABBAのリバイバルブームが起こります。

また、ABBAの代表曲を網羅したミュージカル「マンマ・ミーア! 」が世界各地でロングラン公演を続けており(日本では劇団四季)、2008年には映画化もされ、日本でも公開されたのも記憶に新しいですね。70年代のABBAの活躍がなかったら今日のミュージックシーンも変わっていたかもですね。


▲ダンスに夢中/レイフ・ギャレット(1979年間ランキング第4位)

曲名通りのダンスミュージック。全米でも第10位と大ヒット。レイフ・ギャレットは当時15歳。ティーンのアイドルと呼ばれました。でも2年前、薬物所持で逮捕されましたよね。若くして成功するとロクなことはないようです。

日本では川崎麻世が「レッツ・ゴー・ダンシング」という曲名で、NHKの「レッツゴーヤング」で歌っていました。


▲ブレックファスト・イン・アメリカ/スーパートランプ(1979年間ランキング第5位)

スーパートランプは70年デビューのイギリスのロックバンド。この曲はビルボート4週連続1位となるほどヒットします。


さあ、いかがでしたか?70's Popsを25回に渡って紹介してきました。
この70年代は、僕が中三から大学四年までの10年間、正に青春時代そのものでした。

いろんな悩みを抱え、悶々としていた時代、でも僕のそばにはいつも音楽があり、慰め、励ましてくれました。
聴いていたのはポップスだけではありませんでしたが、この洋楽ポップスを通して世界を感じ、日本を感じ、自分を見つめていました。

ここに、改めて70's Popsに感謝します。(^^♪



最後のリンデンピックアップは、

何にしようと悩みました。でも今の自分の心情に最も近く、将来に渡っても忘れることがないだろうこの曲にしました。東日本大震災の被災者の方々に捧げます。


▲イマジン/ジョン・レノン

2012年3月11日14時46分。
テレビで繰り返し流される1年前の悲惨な映像を見つめながら、泣きながら、祈りながら、終わります(黙祷)
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70's Pops(24)1978年間ランキング

1978年、成田空港が開港(5/20)し、宮城沖地震(6/12)が起こり、日中国交回復(8/12)し、エガワるが巨人に入団(11/21)した年。

「未知との遭遇」が公開され、「ディア・ハンター」が米アカデミー賞を受賞。

日本歌謡界は、カナダからの手紙・与作・君のひとみは10000ボルト・いい日旅立ちなどがヒット、レコード大賞はUFO/ピンク・レディーだった年。

僕は、大学のクラブのOBが多く在籍する社会人のマンドリンアンサンブルに入部し、学部ではオーバードクターと”たい肥”の研究をするため、リンデンマークのヘルメットをかぶり、”愛”の文字をいれたヤマハミニトレールにまたがって直江兼続ばりに闘っていた年でもあります。

そんな年の洋楽ポップス年間ランキングTOP5は、


▲ストレンジャー/ビリー・ジョエル(1978年間ランキング第1位)

都会的なサウンドがかっこよく、特にあの口笛にしびれました。


▲恋のナイト・フィーヴァー/ビー・ジーズ(1978年間ランキング第2位)

7月に公開された映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が世界的に大ヒット。これによりディスコ・フィーバーが起こります。この映画の主演、ジョン・トラボルタはディスコの代名詞となりました。腰を振りながら真似をしたものです。(^^)v


▲悲しき願い/サンタ・エスメラルダ(1978年間ランキング第3位)

サンタ・エスメラルダは、アメリカ・フランス混成のディスコ・グループ。この曲は64年に作曲されたスタンダードナンバー、ディスコ風のアレンジをして大ヒットしました。


▲夢の旅人/ポール・マッカートニー&ウイングス(1978年間ランキング第4位)

もうお馴染みとなったウイングス。この曲は、かつてビートルズがイギリスでの最多売上記録を有していた「シー・ラヴズ・ユー」を抜いたそうです。


▲ステイン・アライヴ/ビージーズ(1978年間ランキング第5位)

「サタデー・ナイト・フィーバー」の続編「ステイン・アライブ」のテーマ曲。



リンデンピックアップは、次の2曲


▲コパカバーナ/バリー・マニロウ

バニー・マニロウは、アメリカの歌手・作曲家・プロデューサー。彼は70年代にF.シナトラに「次にくるのは彼だ」と言わしめるなど、多くの著名人から高く評価されていました。


▲ハロー・ミスター・モンキー/アラベスク

アラベスクは、西独の音楽プロジェクト。竹の子族などの支持もあり、80年代前期の日本における洋楽の人気の牽引車となり、日本発の人気は韓国・中国語圏などアジアにまで広がりました。一方、本国西独ではほとんどヒットはなかったようです。

そんな時代でした。ではまた(^^)/~ (25)1979年間ランキングTOP5へ

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70's Pops(23)1977年間ランキング

1977年は、王貞治が通算756号ホーマーを放ち、日航機ハイジャック事件(9/28)や、長崎バスジャック事件(10/15)が起こり、11月には横田めぐみさんが新潟県の海岸で拉致されます。

米アカデミー賞は「アニー・ホール」

日本歌謡界は、ピンク・レディーが「S・O・S」「カルメン'77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド 」など記録的な大ヒットを連発。レコード大賞は、沢田研二の「勝手にしやがれ」でした。 

僕はクラブを追い出され(ここは4年で卒業)、放校を免れ、ようやく学部へ進学し、心を入れ替えて?専門学科の勉学に励みます。

そんな年の洋楽ポップスの年間ランキングTOP5はこれらの曲でした。


▲ホテル・カリフォルニア/イーグルス(1977年間ランキング第1位)

この年のグラミー賞最優秀レコード賞受賞しました。アメリカン・ロック史に残る名盤です。


▲ロックン・ローラー/ベイ・シティ・ローラーズ(1977年間ランキング第2位)

彼らの日本での人気は最高潮となります。このTOP5に3曲がランクインしています。


▲あの娘はアイドル/パット・マグリン(1977年間ランキング第3位)

パット・マグリンは、ベイ・シティ・ローラーズに一時期参加していたこともある、ということはTOP5のうち4曲はベイスターズ色??


▲恋のゲーム/ベイ・シティ・ローラーズ(1977年間ランキング第4位)


▲夢の中の恋/ベイ・シティ・ローラーズ(1977年間ランキング第5位)

”タータン・ハリケーン”恐るべし!!実は僕は、大学に入ってからの70's後半は「オールジャパン・ポップ20」を全く聴かなくなりました。DJが76年に「みのもんた」から「せんだみつお」に代わったのも知りませんでした・・・(^^ゞ



今回のリンデンピックアップは、


▲哀愁のヨーロッパ/サンタナ

もはや説明は不要でしょう。ギターがむせび泣くとはこのようなギターをいうのです。98年に彼らはロックの殿堂入りをします。


▲スカイ・ハイ/ジグソー

誰もが聴いたことがある印象的な曲です。よくCMなどに使われていますね。ジグソーはイングランドのバンド。この曲以外にはあまりヒットに恵まれず、81年に解散してしまいます。

そんな時代でした。ではまた(^^)/~ (24)1978年間ランキングTOP5

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70's Pops(22)1976年年間ランキング

1976年の主な出来事は、米ロッキード事件(2/5)発覚、インスブルック冬季大会(2/4-15)、モントリオール夏季大会(7/17-8/1)、毛沢東死去(9/9)、荒井由美結婚(笑)。

映画「愛のコリーダ」が話題となり、米アカデミー賞は「ロッキー」。

日本歌謡界は、春一番/キャンディーズ、横須賀ストーリー/山口百恵、ペッパー警部/ピンクレディーなどがヒットした年でした。

僕は、怠惰な生活から抜けきれず、ついに2留してしまいます。ギターと麻雀とバイトとため息にまみれた、どん底の生活に明け暮れていました。

そんな1976年のポップス年間ランキングTOP5です。


▲ロックン・ロール・ラブ・レター/ベイ・シティ・ローラーズ (1976年間ランキング第1位)

74年から78年にかけて“タータン・ハリケーン”と呼ばれる、熱狂的な社会現象を巻き起こした人気アイドルの面目躍如です。


▲ボヘミアン・ラプソディ/クイーン(1976年間ランキング第2位)

フレディー・マーキュリー作。全世界で大ヒット。ビートルズやレッド・ツェッペリン、エルトン・ジョンなどの楽曲を抑えて、イギリスで最も売れた曲とされています。また、この曲で作れらたプロモーションビデオは、プロモーションビデオとしては世界初と言われます。


▲見つめあう恋/カーペンターズ(1976年間ランキング第3位)

カレンの神経性無食欲症や、リチャードの睡眠薬依存といった問題が表面化してきた時期に作られた作品です。


▲ジョリーン/オリビア・ニュートン・ジョン(1976年間ランキング第4位)

オリビアは、72年にクリフ・リチャードの日本公演のバックコーラスとして初来日し、73年に東京音楽祭出場のために2度目の来日、そしてこの76年にソロとして始めての来日を果たし、人気は不動のものになっていきました。


▲心のラヴ・ソング/ポール・マッカートニー&ウイングス(1976年間ランキング第5位)

原題は、Silly Love Songs(愚かな愛の歌たち)。評論家のリチャード・ゴールドシュタインが「ポールはバラードしか書けない」と批評したとき、ポールは「馬鹿げたラヴ・ソングの何が悪い?」と切り返したそうです。



リンデンピックアップは、


▲ラブ・イズ・ブラインド/ジァニス・イアン

TBSドラマ「グッドバイ・ママ」(木9)の主題歌に使われ大ヒットしました。

そして、僕がカーペンターズで一番好きな曲を最後に。→青春の輝き/カーペンターズ (このビデオは現実の彼らを映し出しています)

そんな時代でした。では~ (23)1977年間ランキングTOP5

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70's Pops(21)1975年間ランキング

1975年は、ベトナム戦争が終結(3/1)し、沖縄海洋博(7/19-76/1/18)が行われ、アンタあの娘の何なのさ?が流行し(笑)、シクラメンのかほり/布施明がレコード大賞を取った年でした。

僕は、大学には興味ある科目しか受講せず、必修科目の単位が足りずに留年してしまいます。ある意味、確信犯・・・

そんな年の年間ランキングを5位まで紹介します。


▲オンリー・イエスタデイ/カーペンターズ(1975年間ランキング1位)

75年は彼らが多作した年。この曲の他に「プリーズ・ミスター・ポストマン」(年間ランキング6位)「ソリティアー」(同14位)もランキング入りしました。これらはアルバム「緑の地平線〜ホライゾン」に収められていますが、このアルバム以降、売り上げは低迷していくのです。


▲あの娘におせっかい/ポール・マッカートニー&ウイングス(1975年間ランキング2位)

前作「バンド・オン・ザ・ラン」を成功させたポールはウイングスの活動を再開し、アルバム「ヴィーナス・アンド・マース」をリリース。この曲はそのアルバムに収録された曲。原題は「Listen to What the Man Said」。全米第1位となりました。


▲キラー・クイーン/クイーン (1975年間ランキング3位)

作者はフレディ・マーキュリー。74年発表のアルバム「シアー・ハート・アタック」に収録。フレディによると、歌詞は高級コールガールをモチーフにしたものだといいます。


▲そよ風の誘惑/オリビア・ニュートン・ジョン (1975年間ランキング4位)

「愛の告白」に続き大ヒット。ジョン・ファーラー作詞作曲。彼女の澄んだ歌声と歌詞の「癒し」や「ゆったり」した生き方への誘いから受けられたのでしょう。


▲バイ・バイ・ベイビー/ベイ・シティ・ローラーズ (1975年間ランキング5位)

彼らは、イギリス・スコットランド出身。74年から78年にかけて“タータン・ハリケーン”と呼ばれる、熱狂的な社会現象を巻き起こした人気アイドル・グループ。第二のビートルズとも呼ばれ、何度も日本にも訪れました。



リンデンピックアップは、僕ら若人を悩ませ続けた、やっぱこれでしょう。


▲エマニエル夫人/ピエール・バシュレ

そんな時代でした。ではまた~ (22)1976年年間ランキングTOP5

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70's Pops(20)1974年10-12月

70'sも前半最後の期に入ります。

74年の秋、素敵な歌がヒットします。


▲天使のささやき/スリー・ディグリーズ (1974年10月第1週TOP)

彼女たちの3枚目のシングルです。この曲はこの年の東京音楽祭世界大会で金賞を受賞し、米英日で1位を獲得。
米国では150万枚を売り上げました。

次は、どっかで聴いたことがあるご機嫌な曲です。


▲シュガー・ベイビー・ラヴ/ルーベッツ(1974年10月第2-4,11月1-4,12月第1週TOP)

74年にデビューしたイギリスのバンド・ルーベッツ。元々スタジオミュージシャンだった彼らのデビューシングルです。何と8週TOPを続けました。その後、82年一時解散し、85年に再結成。現在も活動を続けています。


▲悲しきマリー/ミッシェル・ポルナレフ (1974年12月第2-4週TOP)

アルバム「ポルナレフ革命」からのシングル・カットです。こんな動画しかありませんでした。。。



今回のリンデンピックアップは


▲落葉のメロディー/アバ

ABBAの74年発売のセカンドアルバム「恋のウォータールー」に収録された曲。"Hasta Mañana"とはスペイン語、 "See you tomorrow"という意味です。


▲愛の告白/オリビア・ニュートン・ジョン

48年イギリス生まれ、オーストラリア育ちの彼女。66年にデビューするも下積みを長く経験します。74年のこの曲で全米1位を獲得、グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀女性歌唱賞に輝きました。その後、数々のヒット曲を残し、事業家としても活躍。また環境保護活動やがん啓蒙活動といった社会運動に取り組みはじめ、ユニセフ親善大使も務めています。

ここで皆さんにお断り。

70's Pops、次回から1年ごとの年間ランキング・ベスト5の紹介にさせていただきます。
実は、もうこの時期、僕はフォークとニューミュージックに傾倒しており、70's後半のヒット曲はほとんど覚えていないのに気付いたのです(笑)。70's Popsという看板を立てた以上、途中で止めるのも惜しいのでそうさせてください。どなたか引き続き書いてくださる方いたら歓迎です。

ではまた(^^)/~ (21)1975年年間ランキングベスト5でお会いしましょう。

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70's Pops(19)1974年7-9月

1974年の夏まで毎週末、僕は中学時代の親友Tと、県外の山々へ蝶の採集で飛び回っていました。

大学では「ギターアンサンブル」の入部を考えていたのですが、別の友人Oが可愛い女性が多いから「マンドリンクラブ」へ入ろうという誘惑に負け、そちらへ入部してしまうのです・・・

そんな夏にヒットしてたポップスです。

7月に入って一旦カーペンターズにTOPの座を奪われたロコモーション/グランド・ファンク・レイルロード が7月第1-2週とTOPを奪い返します。

そしてまたフレンチポップスの彼が登場するのです。70's10回目のTOPです。


La vie, la vie m'a quitté 投稿者 caenphx
▲悲しみのロマンス/ミッシェル・ポルナレフ (1974年7月第3-8月第3週TOP)

この曲は5週連続TOPを続けます。原題の la vie, la vie m'a quitte は、「人生は、人生は僕を見捨てた」という意味なのでしょうか?フランス語が分かる方、教えてください。


▲バンド・オン・ザ・ラン/ポール・マッカートニーとウイングス (1974年8月第4-9月第5週TOP)

ウイングスは、このジャケットにある通り「愛しのヘレン」「ジェット」に続くミリオンセラーの第3弾。前回紹介したアルバム「バンド・オン・ザ・ラン」のタイトルナンバー。6週連続首位となりました。



リンデンピックアップのコーナー


▲太陽を背にうけて/ジョン・デンバー

1973年、シングル盤としてリリースされ、1974年初期には全米ナンバーワンのヒットを記録しました。デンバーは、「気分が滅入っていて、ブルーな曲を書きたいと思っていたとき、この曲想が思い付いた。この曲は、自分のライフスタイルを表現したものである。」と語ったといいます。


▲青春の旅路/アート・ガーファンクル

作詞:ポール・ウィリアムス、作曲:ロジャー・ニコルスとくれば、カーペンターズに名曲を提供したコンビですね。アート・ガーファンクルの単独初リーダーアルバム「天使の歌声」からの1曲です。

そんな時代でした。ではまた(^^)/~ (20)1974年10-12月

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70's Pops(18)1974年4-6月

春休みに人生初めての一人旅。沖縄に行くと言って家を出て行き、函館から電話して家族を驚かしたことが懐かしく思い出されます。そのまま北海道旅行をしたかったのですが、入学式が迫っていたので泣く泣く帰ってきました。その入学式は学生のバリケード封鎖で入れませんでした。

4月、人生初の間借り生活。嬉しくてしょうがありませんでした。そんな頃流行っていた洋楽ポップスです。


▲僕はロツクン・ローラー/ミッシェル・ポルナレフ (1974年4月第1-3週TOP)

ポルナレフは、70'sで9回目のTOPです。いかに人気があったかを伺わせますね。


▲ジェット/ポール・マッカートニー&ウイングス (1974年4月第4-6月第2週TOP)

この曲は7週連続TOPを獲得。バンド・オン・ザ・ラン(Band on the Run)というアルバムの2曲目。ビートルズ解散後のポールのアルバムとしては5作目、ウイングス名義では3作目にあたります。このアルバムは全英、全米とも1位に輝き、大ヒットを記録しました。ちなみにジェットとは、ポールが飼っていたポニーの名です。


▲ロコモーション/グランド・ファンク・レイルロード (1974年6月第3-4週TOP)

アルバム「輝くグランド・ファンク (Shinin' On)」からのシングルカット。1962年に全米1位を獲得したジェリー・ゴーフィン & キャロル・キング作によるリトル・エヴァ (Little Eva) の大ヒット曲「ロコモーション (The Loco-Motion)」をハードロック風にアレンジした曲です。見事全米1位を獲得、グランド・ファンク最大のヒットシングルとなりました。


▲愛は夢の中に/カーペンターズ  (1974年6月第5週TOP)

お馴染みカーペンターズの70'sで7回目のTOPです。原題は、I Won't Last A Day Without You これが「愛は夢の中に」という邦題になってしまうのは、名訳なのでしょうか・・・。ここに歌詞の邦訳を見つけましたが、I Won't Last A Day Without You「君さえいれば、なんとかやっていける」は「君がいなければ一日も続けられない」の反語ですが、ついカレンのThe Last Day をイメージしてしまいます。 

今期はいつものポルナレフ、ウイングス、カーペンターズに、新参者のGFRが登場ってところでしたね。



今回のリンデンピックアップは、忘れられない映画の主題歌です。


▲パピヨンのテーマ(ジェリー・ゴールドスミス)/アンディ・ウィリアムス

胸に蝶のイレズミをしている所から“パピヨン”というあだ名で呼ばれている主人公が、無実の罪で投獄され、13年間にも及ぶ刑務所生活を強いられながら、自由を求め執拗に脱獄を繰り返し、ついに成功するまでを描いてゆきます。→allcinema
S.マックイーンとD.ホフマンの名演に感動し泣きました。忘れられないあのラストシーンを最後に・・・



そんな時代でした。ではまた(^^)/~ (19)1974年7-9月

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70's Pops(17)1974年1-3月

さ~いよいよ僕が大学に入る年。1974年を迎えます。

この年の大きな事件は、元日本兵・小野田寛郎少尉を30年ぶりに救出(3/10)、三菱重工ビル爆破事件(8/30)、ウォーターゲート事件でニクソン大統領が辞任表明(8/8)、長島引退試合(10/14)など

米アカデミー賞は、ゴッドファーザー PART II

日本歌謡界のヒット曲は、赤ちょうちん/南こうせつとかぐや姫、二人でお酒を/梓みちよ、私は泣いています/リリィ、精霊流し/グレープ、ひと夏の経験/山口百恵、レコード大賞は襟裳岬/森進一

てな年。

昨年からヒットしていた愛の伝説/ミッシェル・ポルナレフ が、1月第2週まで10週連続TOPを続けた後、その記録に終止符を打ったのは、またしてもアメリカの兄妹でした。


▲ジャンバラヤ/カーペンターズ (1974年1月第3-2月第3週,3月第2週TOP)

この曲はカントリー音楽に多大な影響を与え、29歳で夭折したハンク・ウィリアムズが作った曲。彼の演奏は→これ

ちなみにジャンバラヤとは、北米ケージャン地方の香辛料が効いた炊き込みご飯のような料理。ケージャンとは、北米のフランス系移民がルイジアナ州に移住した人たちの子孫のことだそうです。
そういえば歌詞の中にフランス語っぽい単語が出てきますね。

この曲は5週連続TOPを取りますが、次の曲に一旦TOPを譲りその翌週、またTOPに返り咲きました。


▲マインド・ゲームス/ジョン・レノン(1974年2月第4週-3月第1,3-5週TOP)

この曲は、ジョンがソロになって第3弾のアルバムのタイトルナンバー。「イマジン」につづく反戦歌です。

♪障壁を取り払って愛の種を蒔こう 愛とは花、それを手に入れ、育てよう
  そのためには一緒にマインド・ゲームをやり続けよう

と歌います。このマインド・ゲームとか、マインドゲリラとかが意味するものがこの歌のミソですね。



今回のリンデンピックアップは、以下の3曲


▲荒野のならず者/スリー・ディグリーズ


▲アメリカの歌/ポール・サイモン


▲ひとりぼっちのメリー/アート・ガーファンクル

そんな時代でした。ではまた(^O^)/~ (18)1974年4-6月

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70's Pops(16)1973年10-12月

前月から10月第3週まで「007死ぬのは奴らだ/ウイングス」がTOPを続けた後、この期に紹介する曲は、何とたったの2曲。

まずは3月に「カリフォルニアの青い空」でヒットを飛ばしたロンドン生まれの彼が、この曲を引っ提げて登場します。


▲落葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド (1973年10月第4週TOP)

この曲、メロディーだけ聴いていると秋に相応しい「落ち葉のコンチェルト」なんですが、歌詞を改めて読むとぶったまげます。

♪平和のため 平和のため 全人類の平和のため
  君なんかいなくなって欲しい いなくなって欲しい ボクの心から消えてくれないか
   出て行って その寝室のドアを閉めてくれないか
    すべてを以前のように戻して欲しい

すごい歌詞でしょう。それだけその女性に惚れたってことなんでしょうが・・・(^^ゞ

さて、そして次の曲がずっとTOP街道をひた走るのです。


▲愛の伝説/ミッシェル・ポルナレフ (1973年11月第1-4週、12月第1-4週、1974年1月第1-2週TOP)

何と何と、11月から年を越して1月まで、10週連続TOPを取るのです。

日本人には ♪I love you、because~しか分からなかったはずなのに・・・そのシンプルさが良かったのでしょうか?

実は、僕はこの曲がヒットしたことすら覚えていません。この時期、受験勉強に必死だったのかな・・・いや、少なくとも深夜放送だけは聴いていたはずだから・・・謎です。



今回のリンデンピックアップ、ヒットチャートが少なかった分、多めに紹介しましょう。多過ぎ??


▲さよならを教えて/フランソワーズ・アルデイ


▲レイン・レイン/サイモン・バタフライ


▲天国への扉/ボブ・ディラン


▲悲しみのアンジー/ローリング・ストーンズ

そんな時代でした。ではまた(^O^)/~(17)1974年1-3月

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リンデンの長崎ケルンへようこそ!

長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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