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第20回日本レコード大賞(1978年)

一週間のご無沙汰でした。玉置宏です・・・どころではなかったですね。
久しぶりに続けてみます「日本レコード大賞」。20周年記念となった1978年からです。

この年、本来なら大学を卒業し社会へ出る年だったのですが、勉学が余程好きだった私はようやく3年生。
キャンディーズが解散コンサートをし、サザン・オールスターズが「勝手にシンドバット」で華々しくデビューした年でした。

===
第20回日本レコード大賞は、1978年(昭和53年)12月31日に帝国劇場で行われました。


▲日本レコード大賞/ピンク・レディー「UFO」


▲最優秀歌唱賞/沢田研二「LOVE (抱きしめたい)」


▲最優秀新人賞/渡辺真知子「かもめが翔んだ日」


▲金賞/研ナオコ「かもめはかもめ」


▲金賞/野口五郎「グッド・ラック」


▲金賞/桜田淳子「しあわせ芝居」


▲金賞/岩崎宏美「シンデレラ・ハネムーン」


▲金賞/大橋純子「たそがれマイ・ラブ」 


▲金賞/八代亜紀「故郷へ…」


▲金賞/西城秀樹「ブルースカイブルー」


▲金賞/山口百恵「プレイバックPart2」


▲新人賞/石野真子「失恋記念日」


▲新人賞/さとう宗幸「青葉城恋唄」

▲新人賞/渋谷哲平「Deep」


▲新人賞/中原理恵「東京ららばい」


▲新人賞【受賞辞退】/世良公則&ツイスト「銃爪 (ひきがね)」


▲中山晋平賞(後の作曲賞)/筒美京平「飛んでイスタンブール」(歌・庄野真代)/「東京ららばい」(歌・中原理恵)


▲編曲賞/前田憲男「Mr.サマータイム」(歌・サーカス)


▲西条八十賞(後の作詩賞)/中島みゆき「この空を飛べたら」(歌・加藤登紀子)


▲西条八十賞/中島みゆき「しあわせ芝居」(歌・桜田淳子)

▲特別賞/淡谷のり子/藤田まさと/テイチク(株)

▲企画賞/ビクター音楽産業(株) 「海外シリーズ旅情四部作」 平尾昌晃・畑中葉子/キングレコード(株) 「寺内タケシ日本民謡大百科」/日本コロムビア(株) 「宇宙戦艦ヤマト三部作」

▲古賀政男記念賞/森進一/五木ひろし/【受賞辞退】美空ひばり

▲日本レコード大賞20周年記念顕彰/アイ・ジョージ/菅原洋一/伊東ゆかり/松尾和子/村田英雄/ボニー・ジャックス/三橋美智也/吉田正/石本美由起/吉川静夫/菊池章子/田端義夫/栗原進(ドラムス)/岩田喜代造(ピアノ)/高珠恵(ヴァイオリン)/角田孝(ギター)/上野政雄(アルトサックス)

===
みんな懐かしい曲ばかりですね。

もうこれだけ並べれば十分でしょう。今回のリンデンピックアップは休みます。(^^)v
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テーマ : 懐かしい歌謡曲
ジャンル : 音楽

第19回日本レコード大賞(1977年)

第19回日本レコード大賞は、1977年(昭和52年)12月31日に帝国劇場で行われました。


▲日本レコード大賞/沢田研二「勝手にしやがれ」
▲編曲賞/船山基紀「勝手にしやがれ」(歌・沢田研二)


▲最優秀歌唱賞/八代亜紀「愛の終着駅」


▲最優秀新人賞/清水健太郎「帰らない」他


▲歌唱賞/山口百恵「秋桜」
▲西条八十賞(後の作詩賞)/さだまさし「秋桜」(歌・山口百恵)


▲歌唱賞/岩崎宏美「思秋期」
▲中山晋平賞(後の作曲賞)/三木たかし「思秋期」(歌・岩崎宏美)


▲歌唱賞/石川さゆり「津軽海峡・冬景色」
▲中山晋平賞/三木たかし「津軽海峡・冬景色」(歌・石川さゆり)


▲大衆賞/ピンク・レディー「ウォンテッド (指名手配)」他


▲新人賞/狩人「あずさ2号」


▲新人賞/榊原郁恵「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」


▲新人賞/高田みづえ「硝子坂」


▲新人賞/太川陽介「Lui-Lui」

▲編曲賞/「旅愁〜斑鳩にて〜」(歌・布施明)


▲西条八十賞/さだまさし「雨やどり」(歌・さだまさし)

▲特別賞/小畑実/小林旭/フランク永井/春日八郎

▲企画賞/ビクター音楽産業(株) 「日本のジャズ・ポピュラー史」-戦前・戦後編- 

▲企画賞/東芝EMI(株) 「演歌の源流を探る(李成愛)」

▲企画賞/RVC(株) ビューティ・ペア

▲審査委員会顕彰/古賀政男/服部良一



1977年、8月に有珠山爆発、9月に王貞治がホームラン世界新記録の756号を達成、そして日航機ハイジャック事件、10月には長崎でバスジャック事件が起こりました。映画「幸福の黄色いハンカチ」がヒットしたのもこの年でした。

僕は、6月のマンドリンクラブの定期演奏会で念願のギターアンサンブルステージを終えて、秋にはきわどく放校を免れ、何とか本学へ進み、心を入れ替えて勉学に励みました。というより、教養部の必修科目がなかったら、とっくに学部の研究は進んでやってたでしょう。

この年のリンデンピックアップは、この曲


▲アリス「冬の稲妻」

ニューミュージックも、70年代前半活躍した拓郎、陽水、小椋桂、ユーミン、かぐや姫らから、70年代後半に入ると、このアリスを始め、中島みゆき、千春、八神純子、久保田早紀などが活躍します。


▲世良公則&ツイスト「あんたのバラード」

ご存じ、ロックでも売れることを証明した初のバンドです。
77年10月のポプコンでグランプリ、11月の世界歌謡祭でもグランプリを受賞。すぐにこの曲を発売し大ヒットしました。

ちなみに世良公則は僕と同じ年。81年のツイスト解散後はソロとして活動、俳優業としての活躍は周知のとおりです。

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ジャンル : 音楽

第18回日本レコード大賞(1976年)

第18回日本レコード大賞は、1976年(昭和51年)12月31日に帝国劇場で行われました。


▲日本レコード大賞/都はるみ「北の宿から」

 1964年、「困るのことヨ」で、デビュー。同年「アンコ椿は恋の花」が大ヒット、第6回日本レコード大賞・新人賞を獲得します。うなり声のような力強いこぶし回しや、声を震わせるような深いビブラートが独特で、昭和40年代〜50年代にかけて数多くのヒット曲を生み、日本を代表する演歌歌手の一人となりました。
 1973年、「サンミュージックプロダクション」に移籍。1976年、「北の宿から」で第18回日本レコード大賞・FNS歌謡祭最優秀グランプリなど数々の音楽大賞を受賞します。


▲最優秀歌唱賞/八代亜紀「もう一度逢いたい」

 1971年、テイチクより「愛は死んでも」でデビュー。オーディション番組YTV『全日本歌謡選手権』に出場、10週連続勝ち抜きでグランドチャンピオンに輝きます。1973年の「なみだ恋」が120万枚の大ヒット。その後も「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」など女心を歌った歌で次々とヒット曲を連発、この「もう一度逢いたい」でついに最優秀歌唱賞を受賞します。


▲最優秀新人賞/内藤やす子「想い出ぼろぼろ」

 1975年に「弟よ」でデビュー。翌1976年のこの「想い出ぼろぼろ」が大ヒットし、この年の新人賞を総なめにします。ブルースと演歌をミックスしたような、独特な歌唱法で知られ、宇崎竜童と阿木燿子夫妻が、内藤に対して多くの楽曲を提供していました。


▲歌唱賞/研ナオコ「あばよ」


▲歌唱賞/野口五郎「針葉樹」

▲歌唱賞/西城秀樹「若き獅子たち」


▲大衆賞/郷ひろみ「あなたがいたから僕がいた」他


▲新人賞/芦川よしみ「雪ごもり」


▲新人賞/角川博「嘘でもいいの」


▲新人賞/新沼謙治「嫁に来ないか」


▲新人賞/ピンク・レディー「ペッパー警部」


▲作曲賞/宇崎竜童「想い出ぼろぼろ」(歌・内藤やす子)


▲編曲賞/萩田光雄「メランコリー」(歌・梓みちよ)


▲作詩賞/阿木燿子「横須賀ストーリー」(歌・山口百恵)

▲特別賞/美空ひばり/ダーク・ダックス

▲企画賞/日本フォノグラム(株) 「山田五十鈴を聴く」/ビクター音楽産業(株) 「我等のテナー:藤原義江全集」

▲審査委員会選奨/二葉百合子/加山雄三

▲中山晋平賞・西条八十賞/小林亜星/阿久悠



 1976年。ロッキード事件、田中角栄前首相逮捕、ミグ25亡命事件など暗い事件が多く、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」が芥川賞を取り、五木寛之の「青春の門」も堕落編に入ったこの年。僕もバイトと麻雀に明け暮れる堕落した生活から抜け切れず、ついに2留してしまう羽目に。。。読む本も安吾や太宰。いつも暗いことばかり考えていました。体重もついに46kgまで落ち込み、ギターを抱えていると、他人から風が吹けば倒れそうだとよく言われていました。

 そんな年のリンデンピックアップは、


 ▲青春時代/森田公一とトップギャラン

 この曲は、妙に明るく聞こえ歌っていたわけではありません。実際によく歌っていたのは、上記歌唱賞を受賞した研ナオコの「あばよ」や、次の2曲、


 ▲翳りゆく部屋/荒井由美

 荒井由美時代のラストシングルです。


 ▲中島みゆき/時代

 今でもカラオケでは必ずこの曲を歌います。この「時代」が一番懐かしいのでしょうか・・・

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第17回日本レコード大賞(1975年)

第17回日本レコード大賞は、1975年(昭和50年)12月31日に帝国劇場で行われました。


▲日本レコード大賞/布施明「シクラメンのかほり」
 作詞・作曲は小椋佳。謎のベールに包まれていた小椋佳は翌76年、ついに「NHKコンサート小椋佳の世界」に出演します。


▲最優秀歌唱賞/五木ひろし「千曲川」
 作詞は山口洋子、作曲は猪俣公章。「長良川艶歌」「よこはま・たそがれ」に次ぐ「千曲川」の情景を歌ったご当地ソングです。


▲最優秀新人賞/細川たかし「心のこり」
 作詞はなかにし礼、作曲は中村泰士。この賞を「ロマンス」岩崎宏美と激しく競った。当初は「私バカよね」という曲名だったが、新人のデビュー曲ということであいさつ回りに不都合が生じるため、「心のこり」に改題された。


▲歌唱賞/野口五郎「私鉄沿線」


▲歌唱賞/南沙織「人恋しくて」


▲歌唱賞/小柳ルミ子「花車」


▲大衆賞/桜田淳子「十七の夏」他、一連のヒット曲


▲新人賞/岩崎宏美「ロマンス」


▲新人賞/小川順子「夜の訪問者」


▲新人賞/片平なぎさ「美しい契り」


▲新人賞/太田裕美「雨だれ」


▲作曲賞/森田公一「下宿屋」(歌・森田公一とトップギャラン)


▲編曲賞/萩田光雄「空飛ぶ鯨」(歌・ちゃんちゃこ)


▲作詩賞/阿久悠「乳母車」(歌・菅原洋一)

▲特別賞/島倉千代子/フランク永井/田端義夫/石原裕次郎


▲企画賞/東芝EMI(株) 「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」


▲企画賞/冨田勲とRVC(株)「ムソルグスキー/展覧会の絵」

▲中山晋平賞 西条八十賞/小椋佳



1975年、ベトナム戦争が終結し、田部井淳子さんが女性初のエベレスト登頂を果たし、三億円事件が時効となった年。僕は自由気ままに大学生活を謳歌していた。一般教養科目は余裕で単位を取っていたが、必須科目である数学、ドイツ語などの単位が足りず、留年することに。

そんな年の、リンデンピックアップは、


▲帰れない二人/井上陽水with忌野清志郎 アルバム「氷の世界」は75年8月に日本レコード史上初のLP販売100万枚突破の金字塔を打ち立てた。この曲は、アルバムの3番目に入っている。今は亡き忌野清志郎との合作で、僕の大好きな曲だ。

 ちなみにこの頃、僕は友人Tと共に陽水の曲ばかりを歌っていた。大学の学園祭で二人で丹前を羽織り「タンゼンズ」と名乗り、流しをしたのも懐かしい。一応、客からリクエストを取るのだが、それは知らないから陽水はいかがでしょうと、陽水ばかりを歌っていた。(^^)v

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第16回日本レコード大賞(1974年)

第16回日本レコード大賞は、1974年(昭和49年)12月31日に帝国劇場で行われました。


▲日本レコード大賞/森進一「襟裳岬」
 作詞は岡本おさみ、作曲は吉田拓郎というフォーク黄金コンビによる曲。日本ビクターの創立50周年で企画され、当初フォークソングのイメージは森とは合わないと評されましたが、結果的にはそれが功を奏し、大ヒットしました。


▲最優秀歌唱賞/五木ひろし「みれん」
 作詞は山口洋子、作曲は平尾昌晃、発売されて間もなくオリコンのBEST10に初登場し、4週後には6位まで上昇するなど、前作「浜昼顔」に続いて40万枚近いセールスを記録しました。


▲最優秀新人賞/麻生よう子「逃避行」
 大阪成蹊女子高等学校1年生の秋、歌手になる事を目指し自ら退学届を提出し上京。74年にデビュー曲「逃避行」が大ヒットし、この賞を受賞します。


▲歌唱賞/西城秀樹「傷だらけのローラ」


▲歌唱賞/沢田研二「追憶」


▲歌唱賞/布施明「積木の部屋」


▲歌唱賞/八代亜紀「愛の執念」


▲大衆賞/梓みちよ「二人でお酒を」


▲大衆賞/殿さまキングス「なみだの操」


▲大衆賞/中条きよし「うそ」


▲大衆賞/山口百恵「ひと夏の経験」


▲新人賞/浅野ゆう子「恋はダンダン」


▲新人賞/荒川務「太陽の日曜日」


▲新人賞/城みちる「イルカにのった少年」


▲新人賞/テレサ・テン「空港」


▲新人賞/西川峰子「あなたにあげる」


▲作曲賞/筒美京平「甘い生活」(歌・野口五郎)


▲編曲賞/星勝「夕立」(歌・井上陽水)


▲作詩賞/さだまさし「精霊流し」(歌・グレープ)

▲特別賞/藤山一郎/田谷力三


▲企画賞/井上陽水とポリドール(株) 「氷の世界」


▲企画賞/海援隊とエレック・レコード(株) 「母に捧げるバラード」


▲ヤングアイドル賞/フィンガー5「恋のアメリカン・フットボール」

▲中山晋平賞 西条八十賞/吉田正/遠藤実/横井弘/千家和也



1974年。僕は大学に入学。やっと数学、物理化学から解放されたと思いきや、必須科目として単位修得の必要性があることに愕然。。。。学生紛争は下火。音楽はフォークから、ユーミン、陽水などがニューミュージックともてはやされ始めたころ。まずはこれから。


▲1974年。(マイ・ペース「東京」)

このころのリンデンピックアップはこれ。


▲かぐや姫「赤ちょうちん」

もちろん、この赤ちょうちんは、博多の赤ちょうちんです。懐かしかぁ~~~(^^)v

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ジャンル : 音楽

第15回日本レコード大賞(1973年)

第15回日本レコード大賞は、1973年(昭和48年)12月31日に帝国劇場で行われました。


▲日本レコード大賞/五木ひろし「夜空」

作詞は山口洋子、作曲は平尾昌晃。この年のNHK紅白歌合戦では、「ふるさと」の方がヒットしていたのでそちらを選曲され、「夜空」は披露されませんでした。日本レコード大賞受賞曲が紅白で歌唱されなかったのはこの時が初めてでした。


Yuki-saori_koibumi 投稿者 jrapaka2
▲最優秀歌唱賞/由紀さおり「恋文」

少女時代から姉の安田祥子と共に、本名の「安田章子」名義で童謡歌手として活躍。1965年にキングレコードから「ヒッチハイク娘」(安田章子名義)で歌手デビューを果たすも、ヒットに恵まれませんでした。
1969年、再デビュー作となった「夜明けのスキャット」が大ヒット。その後も「手紙」「生きがい」「故郷」「ルーム・ライト」「挽歌」「ふらりふられて」「トーキョー・バビロン」などの歌謡曲を世に送り出し、ついに「恋文」でこの最優秀歌唱賞を受賞しました。


▲最優秀新人賞/桜田淳子「わたしの青い鳥」

「クッククック」の歌詞は当初「ランラランラン」でしたが、作曲の中村泰士が「青い鳥の鳴き方は、クッククックだ」として、阿久悠に断り無く勝手に書き換えたと語り、一方作詞の阿久悠は「メロディが先に出来た作品で、その時点で既にこの部分だけ「クッククック」が入っていてどうにも変えようがなかった。前後ラララのハミングで、その1小節だけ『クッククック』だったというのも運命的だった」と語ったそうです。


▲歌唱賞/西城秀樹「ちぎれた愛」


▲歌唱賞/八代亜紀「なみだ恋」


▲歌唱賞/チェリッシュ「白いギター」


▲大衆賞/麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」

この曲だけはコメントを入れましょう。実は高校の文化祭での現在も続く名物出し物「もしも教師でなかったなら(もし教)」でこの曲と「危険なふたり」を担任I教師と一緒に踊りました・・(^^ゞ


▲大衆賞/ガロ「ロマンス」


▲大衆賞/沢田研二「危険なふたり」


▲新人賞/浅田美代子「赤い風船」

▲新人賞/安西マリア「涙の太陽」


▲新人賞/あべ静江「コーヒーショップで」


▲新人賞/アグネス・チャン「草原の輝き」


▲作曲賞/浜圭介「そして、神戸」(歌・内山田洋とクール・ファイブ)


▲作曲賞/浜圭介「街の灯り」(歌・堺正章)


▲編曲賞/竜崎孝路「若葉のささやき」(歌・天地真理)


▲作詞賞/阿久悠「ジョニィへの伝言」(歌・ペドロ&カプリシャス)


▲作詞賞/阿久悠「じんじんさせて」(歌・山本リンダ)

▲特別賞/丸山鉄雄と日本コロムビア(株)/キングレコード(株)/日本コロムビア(株)/藤田まさと/渡辺はま子

▲企画賞/(株)CBS・ソニー 「他人の関係」 歌手:金井克子/春日八郎とキングレコード(株) 「春日八郎演歌100選」

▲童謡賞/曲名:「ママと僕の四季」 歌手:大慶太

▲日本レコード大賞制定15周年記念賞/青江三奈/北島三郎/ザ・ピーナッツ/西郷輝彦/佐良直美/水前寺清子/橋幸夫/フランク永井/美空ひばり/水原弘/都はるみ/森進一/



1973年は、ガロの「ロマンス」にあるように、ニクソン大統領がベトナム戦争の終結を宣言するも、ウォーターゲート事件で追及されます。10月に第4次中東戦争が勃発、石油危機が到来、トイレットペーパーの買い占め騒動が起こります。

僕は高校3年生。夏休み明けから「大学入学したら手工ギターを買ってやる」というエサを与えられ、ようやく受験勉強に着手しました。

そのころのリンデンピックアップは、これ
受験勉強のかたわら、いつも聴いていた深夜放送でよく流れてましたね~(^◇^)


▲赤とんぼ/あのねのね

 ⇒第16回日本レコード大賞(1974年)

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第14回日本レコード大賞(1972年)

第14回日本レコード大賞は、1972年(昭和47年)12月31日に帝国劇場で行われました。


▲日本レコード大賞/ちあきなおみ「喝采」

ちあきなおみは、10代で下積み時代を経験し、1969年21歳の時「雨に濡れた慕情」で念願の歌手デビュー。70年の「四つのお願い」のヒットを経て、ついにこの「喝采」で日本レコード大賞を獲得します。


▲最優秀歌唱賞/和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」

当時のホリプロの社長の堀威夫が日本レコード大賞の歌唱賞を取るのにふさわしい曲をということで作詞家の阿久悠に作詞を依頼します。堀は「ケ・サラ」(ホセ・フェリシアーノ版が日本でヒット)のようなイメージの曲をと頼みますが、阿久は「人生」という語り口はどうかと思い、時代と孤独をテーマに作詞します。そして、見事和田はこの賞を受賞。現在も多くの世代から支持される、自他共に認める彼女の代表曲となりました。


▲最優秀新人賞/麻丘めぐみ「芽ばえ」

麻丘めぐみ(1955/10/11-)は、日本の女優、歌手、演出家。大分県出身の大阪育ち。3歳で子役として芸能界デビューする。中学時代には、当時創刊間もない少女雑誌『週刊セブンティーン』等でモデルとして活動。1972年、「芽ばえ」で歌手デビューし、大ヒットします。


▲歌唱賞/小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」


五木ひろし / 夜汽車の女 投稿者 jrapaka4
▲歌唱賞/五木ひろし「夜汽車の女」


▲歌唱賞/沢田研二「許されない愛」


▲大衆賞/橋幸夫「子連れ狼」


▲大衆賞/天地真理「ひとりじゃないの」


▲新人賞/青い三角定規「太陽がくれた季節」


▲新人賞/郷ひろみ「男の子女の子」


▲新人賞/三善英史「雨」


▲新人賞/森昌子「せんせい」


▲作曲賞/都倉俊一「どうにもとまらない」(歌・山本リンダ)


▲作曲賞/都倉俊一「涙」(歌・井上順)


▲編曲賞/土持城夫「ハチのムサシは死んだのさ」(歌・平田隆夫とセルスターズ)


▲作詩賞/千家和也「終着駅」(歌・奥村チヨ)

▲特別賞/越路吹雪

▲特別賞/石本美由起

▲企画賞/キングレコード(株) 「日本歌唱大百科」 歌手:ダークダックス

▲童謡賞/曲名:「ピンポンパン体操」 歌手:杉並児童合唱団・金森勢



1972年は、僕は高校2年生。年明けにグアムで横井庄一さんが発見され、札幌オリンピックが開かれ、あさま山荘事件が起こり、夏にはミュンヘンオリンピックで日本体操が大活躍、またバレーボールではその活躍を追ったテレビ番組「ミュンヘンへの道」にくぎ付けでした。テレビといえば「木枯らし紋次郎」も人気でしたね。

僕は県下で1校しかなかったクラシックギター部に入部。もう完全にギターの虜となり、その後のギター人生に大きな影響を与えました。

そんな年のリンデンピックアップは、この曲


▲ガロ「学生街の喫茶店」

その他、森山良子「この広い野原いっぱい」、吉田拓郎「結婚しようよ」「旅の宿」などフォークが歌謡界に徐々に進出してきたのもこの頃だったですね。

 ⇒第15回日本レコード大賞

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第13回日本レコード大賞(1971年)

第13回日本レコード大賞は、1971年(昭和46年)12月31日に帝国劇場で行われました。司会は、高橋圭三、山本陽子、沢田雅美(司会補佐)、リポーターに小川哲哉(当時TBSアナウンサー)、林家木久蔵、毒蝮三太夫という顔ぶれでした。


▲日本レコード大賞/尾崎紀世彦「また逢う日まで」

尾崎紀世彦(1943/1/1-2012/5/30)は神奈川県茅ヶ崎市出身。父がイギリス人と日本人のハーフ、母が日本人というクォーターです。そのダイナミックな歌い方で、「和製トム・ジョーンズ」と呼ばれました。先々月、肝臓ガンで死去。享年69でした。

この曲の作詞は阿久悠、作曲は筒美京平。リリースされて2ヵ月後にオリコンシングルチャートで4位に初登場し、3週後には1位、そして9週間にわたり1位を守り抜きました。第13回日本レコード大賞と第2回日本歌謡大賞を受賞しました。


▲最優秀歌唱賞/森進一「おふくろさん」

ご存知、森進一の代表曲。作詞:川内康範、作曲・編曲:猪俣公章。2007年に起こったこの曲の改変を巡っての「おふくろさん騒動」は記憶に新しいですね。


▲最優秀新人賞/小柳ルミ子「わたしの城下町」

小柳ルミ子(1952/7/2-)はこの曲で1971年にデビュー。130万枚を売り、この年の年間第1位となりました。作詞:安井かずみ、作曲:平尾昌晃、編曲:森岡賢一郎。


▲歌唱賞/五木ひろし「よこはま・たそがれ」

五木ひろし(1948/3/14-)は、65年にコロンビア・松山まさる、67年ポリドール・一条英一、69年ミノルフォン・三谷謙と移籍を繰り返しますが、売れない時期が続きます。最後に賭けた70年の「全日本歌謡選手権」に10週連続勝ち残り、71年ミノルフォンから再デビューを果たします。「よこはま・たそがれ」はオリコン1位、登場週数46週、65万枚に迫る売上げを記録します。以後の活躍はご承知の通り。


▲歌唱賞/加藤登紀子「知床旅情」

加藤登紀子は「赤い風船」で第8回の新人賞、「ひとり寝の子守唄」で第11回の歌唱賞、今回の「知床旅情」で2度目の歌唱賞を受賞します。作詞・作曲: 森繁久彌。ミリオンセラーとなりました。


▲歌唱賞/渚ゆう子「さいはて慕情」

渚ゆう子(1945/11/8-)は、大阪市出身。ハワイアン歌手としてレコードデビューの後、ベンチャーズ作曲・演奏の「京都の恋」「京都慕情」を日本語の歌詞で唄って、大ブレイクし一躍人気歌手となりました。この曲は筒美京平の作曲です。ベンチャーズファンであった僕は当然のごとく、彼女のファンとなりました。(^^)v


▲大衆賞/鶴田浩二「傷だらけの人生」

俳優として活躍していた鶴田浩二が1970年12月にリリースしたシングルです。マイクにハンカチを沿え、耳に手を当てて歌うその姿は印象的でしたが、これは「手が脂性であったことと、従軍時に耳を傷めて演奏のリズムが取りにくかったことが理由である」と本人が明言しています。


▲大衆賞/堺正章「さらば恋人」

作詞:北山修、作曲・編曲:筒美京平。グレン・キャンベルの「恋はフェニックス」に似ているという説がありますが、どうでしょう?いずれにしろ名曲ですね。


▲新人賞/南沙織「17才」

アイドル歌手・南沙織(1954/7/2–)のデビュー曲です。デビューへ向けたプロジェクトの中で南と作曲者の筒美京平が初めて顔を合わせた際、筒美から「何が歌えるの?」と聞かれた南が、リン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」だけ歌えると答え、これが元になって筒美は「17才」を書いたといいます。確かに似ていますね。

この71年にデビューした小柳ルミ子、南沙織、天地真理が「新・三人娘」と呼ばれました。


▲新人賞/本郷直樹「燃える恋人」

本郷直樹(1950/12/20-)は、陸上自衛官を経てこの曲でデビューします。俳優としても活躍しましたが、2000年脳内出血で倒れ、様々な病魔に襲われ、現在人工透析を受けながら歌手活動を続けているそうです。


▲新人賞/欧陽菲菲「雨の御堂筋」

欧陽菲菲(1949/9/10-)は、台湾出身。67年に台北でデビュー。71年に観光ビザで来日し、この曲で日本デビューし大ヒットを飛ばしました。作詞は林春生、作曲はベンチャーズ。


▲新人賞/シモンズ「恋人もいないのに」

シモンズは田中ユミ、玉井タエの女性デュオ。ともに大阪府出身。シモンズの名前は二人がファンであった「サイモン&ガーファンクル」のサイモン(Simon)をローマ字読みしたものだそうです。高校卒業後に上京しこの曲でデビュー。60万枚を超える大ヒットとなりました。人気絶頂の74年、玉井タエの後藤次利との結婚を期に解散しました。


▲作曲賞/筒美京平「雨がやんだら」(歌・朝丘雪路)


▲作曲賞/筒美京平「真夏の出来事」(歌・平山三紀)

筒美京平はこの13回レコード大賞で、何と「また逢う日まで」でレコード大賞、「さいはて慕情」で歌唱賞、「さらば恋人」で大衆賞、「17才」で新人賞、そしてこの「雨がやんだら」「真夏の出来事」で作曲賞とレコード大賞を総なめしました。


▲編曲賞/服部克久「花のメルヘン」(歌・ダークダックス)


▲新人賞/ジローズ「戦争を知らない子供たち」
▲作詩賞/北山修「戦争を知らない子供たち」(歌・ジローズ)

日本における代表的な反戦歌。大阪万博でのコンサートで初めて歌われました。作曲はジローズの杉田二郎。歌詞が先に出来ており、北山は真っ先に盟友加藤和彦に作曲してもらおうと思ったら、鼻で吹いて突っ返されてしまい、やむなく杉田の元に持って行ったといいます。


▲作詞賞/北山修「冒険」(歌・牧葉ユミ)

北山修(1946/6/19-)は、兵庫県生まれの精神科医、精神分析家、臨床心理学者、作詞家、ミュージシャン。91年から九大の助教授、教授を経て2010年定年退職し、「さよならコンサート」「ファイナルレクチャー」が行なわれました。

▲特別賞/淡谷のり子

淡谷のり子(1907/8/12-1999/9/22)はブルースの女王。


▲企画賞/日本ビクター(株)及び小沢昭一 ドキュメント「日本の放浪芸

▲童謡賞/曲名:「じんじん」 歌手:ひばり児童合唱団



懐かしの70'sPopsの1971年は、(5)(6)(7)(8)を参照していください。

1971年はタイガーズが解散し、沢田研二がソロデビューします。僕は高校1年生。中学3年間やった体操を高校でも続けるか迷いながら、中3の最後に始めたクラシックギターの独学にハマっていきます。

そんな年のリンデンピックアップは、こんな曲もありましたよね


▲天地真里/水色の恋

天地真里のアマチュア時代の貴重な録音です。天地真里のその後の人気はもう語る必要はないでしょう。ただし、現在の姿は見ない方がいいです。これで「新・三人娘」がそろいましたね。

もう1曲紹介させてください。


▲ペドロ&カプリシャス(前野曜子)/別れの朝

ペドロ梅村をリーダーに、71年に初代ボーカル・前野曜子をむかえてメジャーデビューしました。73年に二代目ボーカル・高橋まり(現:高橋真梨子)をむかえリリースした「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」などもヒットしました。ちなみに前野曜子は40歳で没しました。 

この70年代は、歌謡曲の黄金時代ではなかったでしょうか。

テーマ : 懐かしい歌謡曲
ジャンル : 音楽

第12回日本レコード大賞(1970年)

第12回日本レコード大賞は、1970年(昭和45年)12月31日に帝国劇場で行われました。司会は、高橋圭三、佐良直美(前年の大賞受賞者)、堺正章、加藤茶(司会補佐)でした。

前年に設定された最優秀歌唱賞は、この年に限り発表はありませんでした。


▲日本レコード大賞/菅原洋一「今日でお別れ」

第10回に「誰もいない」で歌唱賞を受賞した菅原洋一は、この曲の大ヒットにより大賞を受賞します。


▲最優秀新人賞/にしきのあきら「もう恋なのか」

にしきのあきら(1948/12/14-)は、別府のナイトクラブから、鹿児島市天文館のキャバレーを経て上京。浜口庫之助の元で修業を積み、この曲でデビュー。その精悍なマスクと抜群の歌唱力で特に女性に人気を博しました。


▲歌唱賞/内山田洋とクール・ファイブ 「噂の女」

第11回で新人賞を受賞したクール・ファイブはこの曲でもその実力を遺憾なく発揮、歌唱賞を受賞します。


▲歌唱賞/岸洋子「希望」

第6回で歌唱賞を受賞した岸洋子は、70年膠原病で倒れるも再起。この曲で再び歌唱賞を受賞します。


▲歌唱賞/森進一「波止場女のブルース」

第11回に続き、歌唱賞を受賞します。


▲歌唱賞/由紀さおり「手紙」

第11回で作詞賞を受賞した「夜明けのスキャット」を歌った由紀さおりは今回、歌唱賞を受賞します。


▲大衆賞/藤圭子「命預けます」

藤圭子(1951/7/5-)は1969年「新宿の女」でデビュー。女性ハスキーヴォイスの先駆者・青江三奈をもしのぐドスの効いた声は衝撃的でした。作詞家の石坂まさをと組んで、ヒット曲を連発。ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、続くセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位。計37週連続1位という空前絶後の記録を作ります。1970年 「圭子の夢は夜ひらく」が10週連続1位を獲得、77万枚売上げる大ヒットとなります。


▲大衆賞/ザ・ドリフターズ「ドリフのズンドコ節」

リーダーはいかりや長介ですが、実は彼がリーダーに就任した1964年までは音楽バンドでした。結成は1955-57とはっきりしないとか。1966年のビートルズ日本公演の前座を務めたのは有名。この「ズンドコ節」は、1969年11月発売、オリコン最高位2位、売り上げ枚数115万枚以上という大ヒットを記録しました。


▲新人賞/辺見マリ「経験」

辺見マリ(1950/10/5-)は、アメリカ人の父を持つハーフ。幼少のころはバレリーナを夢見ていて、中2の時カンツォーネとジャズに出会い、中3でナベプロからスカウトされ上京します。この時初めて母から混血であることを告げられます。浜口庫之助の下でレッスンを積み、1969年「ダニエル・モナムール」でデビューします。翌年この「経験」のため息混じりの歌い方が話題となり大ヒットします。


▲新人賞/野村真樹「一度だけなら」

野村将希(真樹は旧芸名、1952/11/13-)は北九州市出身。1970年この曲でデビュー。俳優や抜群の運動神経を活かして芸能人スポーツ大会などでも活躍しました。


▲新人賞/安倍律子「愛のきずな」

安倍里葎子(律子は旧芸名、1948/10/7-)は、札幌市出身。高校卒業後、地元の音楽喫茶で歌っていた所を平尾昌晃にスカウトされ、1970年、キングレコードから「愛のきずな」でデビュー。いきなり50万枚を超える大ヒットとなります。


▲新人賞/ソルティー・シュガー「走れコウタロー」

1969年12月に幼なじみ大学生4人組グループとして「ああ大学生」でデビューしたが、売れたのはわずか3000枚。1970年に発表した「走れコウタロー」がミリオンセラーの大ヒット。この曲の発表直後にメンバーの池田が急死し、高橋が加入、新人賞を獲得しました。


▲作曲賞/川口真「真夏のあらし」(歌・西郷輝彦)

川口真(1937/11/5-) は、兵庫県出身の作曲家、編曲家。


▲編曲賞/馬飼野俊一「笑って許して」(歌・和田アキ子)

馬飼野俊一(1946/10/16-)は、愛知県出身の作曲家、編曲家。


▲作詩賞/なかにし礼「昭和おんなブルース」(歌・青江三奈)

なかにし礼は、第9回に「恋のフーガ」で作詞賞、第10回に「天使の誘惑」でレコード大賞、今回は「今日でお別れ」「昭和おんなブルース」でそれぞれレコード大賞と作詞賞を受賞と、その後も数々の賞を受賞します。

▲特別賞/日本コロムビア(株)のスタッフ 「日本流行歌の歩み」


▲企画賞/東芝音楽工業(株) 〈京都の恋〉ほか 作曲:ザ・ベンチャーズ

ベンチャーズの初来日は1962年、ドン・ウィルソン(リズムギター、リーダー)とボブ・ボーグル(リードギター、後ベースギター)の2人だけ。1965年、ノーキー・エドワーズ(リードギター)、メル・テーラー(ドラム)を加えた4人で2回目の来日をしたときに、大エレキブームを巻き起こします。本国で人気があったのは60年代。60年代後半から70年代前半にかけては日本を意識した曲を作ります。「二人の銀座」(和泉雅子&山内賢)、「北国の青い空」(奥村チヨ)、「京都の恋」「京都慕情」(渚ゆう子)、「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)などの歌謡曲を送り出し、それらはベンチャーズ歌謡と呼ばれました。

僕はビートルズよりもベンチャーズ一辺倒でした。


▲童謡賞/曲名:「ムーミンのテーマ」 歌手:玉川さきこ

玉川砂記子(1962/1/20-)は、東京都生まれ、劇団こまどり出身の声優、女優、歌手、ナレーター。



いよいよ70年代に入ります。

3/31には「よど号ハイジャック事件」発生。そして4/10、ポールがついにビートルズからの脱退を宣言してしまいます。夏には家族でその大阪万博を観に行ってアメリカ館で3~4時間ほど並んだ覚えがあります。勿論お目当ては前年NASAが人類史上初の月面着陸を果たして持ち帰った月の石。でも、あれは偽物だったというウワサも流れました(笑)

とここまで読んで、あれ?この文章、どこかで読んだとある!と思われた方は、歴としたこのブログのファンですよ。そう、「懐かしの70'sポップス」の70's Pops(1)1970年1-3月で書きました。

70年は僕は中学3年生。折しも10月からNBC長崎放送でオールナイトニッポンが始まり、深夜1時から朝5時までどっぷり深夜放送に浸かりながら、徐々にポップスファンになっていきました。

でも、歌謡曲から離れたわけではありません。ポップスもクラシックも並行して聴いていました。音楽はジャンル分けして聴くもんじゃないからね。

では、そんな年のリンデンピックアップ、まずは70年代のTOPに相応しいこの曲、


▲赤い鳥/竹田の子守唄

1969年、「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に関西・四国地区代表として出場。「竹田の子守唄」、「COME AND GO WITH ME」を歌い、フォーク・ミュージック部門の第1位を獲得、他部門の優勝グループを抑え、グランプリを獲得しました。


▲北原ミレイ/ざんげの値打ちもない

北原ミレイがナイトクラブで唄う姿を水原弘が注目、歌声を作詞家の阿久悠に見出されました。
強烈な印象が残るこの曲、上村一夫の劇画がまた懐かしいですね。


▲瀬川瑛子/長崎の夜はむらさき

この年ヒットした長崎ものを挙げないわけにはいきません!(^^)/

この頃は歌謡曲も洋楽も、ジャンルを超えた様々な名曲を次から次へと浴びるように聴いていました。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

第11回日本レコード大賞(1969年)

第11回日本レコード大賞は、1969年(昭和44年)12月31日に帝国劇場で行われ、特別ゲストとして浅丘ルリ子が出演しました。

この回から司会が三木鮎郎から高橋圭三に代わり、以降第25回(1983年)まで司会を務め、レコ大の顔となります。最優秀歌唱賞が新たに設けられ、歌唱賞がその候補としての位置付けとなります。

またこの年からテレビ生中継による全国放送が始まり、第47回(2005年)まで12月31日開催で固定されます。全て鮮明なカラー映像の完全版VTRが現存されているそうですが、残念ながらYou-TubeにはUPされていません。
ちなみに第11回の視聴率は前年の10.3%から20.6P大幅に上昇し30.9%を記録しました。


▲日本レコード大賞/佐良直美「いいじゃないの幸せならば」

「世界は二人のために」で第9回日本レコード大賞新人賞をとった佐良直美は、今回大賞を受賞し、新人賞と大賞を両方受賞するのは橋幸夫に続いて2番目の快挙でした。

退廃的な詞は岩谷時子ですが、いずみたくの素敵なメロディーが暗さを感じさせない素晴らしい歌ですね。


▲最優秀歌唱賞/森進一「港町ブルース」

この曲は120万枚の大ヒットを記録します。森進一は日活映画「年上の女」に出演。10月には「花と涙」発売。そしてこの「港町ブルース」でレコード大賞最優秀歌唱賞ほか数々の賞に輝きます。紅白歌合戦では早くもトリを務めます。


▲最優秀新人賞/ピーター「夜と朝のあいだに」

本名は池畑慎之介(1952/8/8-)。上方舞吉村流四世家元で、人間国宝にもなった吉村雄輝の長男として産まれます。3歳で初舞台を踏み、お家芸の跡継ぎとして父から厳しく仕込まれますが、5歳の時に両親が離婚、好きな方を選べと言われ、父は舞の稽古で鬼のように怖かったので母・池畑清子と暮らすことを選択し、鹿児島市で少年時代を過ごします。その後上京と家出を繰り返し、1969年映画「薔薇の葬列」の主役の美少年としてスカウトされます。同年この曲でデビューし、一躍アイドルスターとなります。


▲歌唱賞/青江三奈「池袋の夜」

青江美奈は、前年の「伊勢佐木町ブルース」に続いての歌唱賞受賞です。


▲歌唱賞/弘田三枝子「人形の家」

弘田三枝子(1947/2/5-)は歌唱力とパンチの効いた歌声で、「ポップスの女王」ともいわれ、その歌唱力は当時「日本女性歌手史上最高の歌唱力」とも評されていました。小学生時代から立川市などの進駐軍のキャンプでジャズやポピュラーなどを歌っていました。伊東ゆかりも同じです。1965年には日本人として初めてニューポートジャズフェスティバルに出場しました。


▲歌唱賞/加藤登紀子「ひとり寝の子守唄」

加藤は第8回の新人賞に続いて歌唱賞を受賞します。


▲大衆賞/水前寺清子「三百六十五歩のマーチ」

「365歩のマーチ」は1968年、「真実一路のマーチ」は1969年に発売され大ヒットします。


▲大衆賞/森山良子「禁じられた恋」

森山良子(1948/1/18-)は、日本ジャズ界のパイオニア森山久の長女として東京に生まれ、1967年「この広い野原いっぱい」でデビュー。「禁じられた恋」はミリオンセラーを記録し大衆賞を受賞します。


▲新人賞/はしだのりひことシューベルツ「風」

端田宣彦(1945/1/7-)はフォーク・クルセイダースの解散時、このグループを立ち上げます。元ジローズの杉田次郎と元ザ・ヴァニティーの越智友嗣と井上博が参加します。彼は「イルカ」ではありません(笑)


▲新人賞/内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」

1967年9月 長崎市内のグランドキャバレー「銀馬車」の専属バンドとして結成。競合店「十二番館」の専属バンドだった中井昭・高橋勝とコロラティーノは「思案橋ブルース」で1年早く世に出ました。「ロッテ歌のアルバム」の公開収録で長崎を訪れた東京パンチョスのチャーリー石黒が、長崎放送の接待で「銀馬車」に立ち寄り、クール・ファイブの生歌に触れ、その場で日本ビクターへの紹介を約束し、1969年2月 「長崎は今日も雨だった」でメジャーデビューしました。


▲新人賞/千賀かほる「真夜中のギター」

千賀かほる(1948/9月/25-)は、鹿児島出身。神戸市の高校を中退後、日本歌劇学校を経てOSK日本歌劇団に入団しました。この曲は後に高田みづえ、島谷ひとみがカバーしました。


▲新人賞/高田恭子「みんな夢の中」

高田恭子(1946/10/24-)は、1967年、マイク真木が在籍するGSバンド「ザ・マイクス」に加入。1969年にこの「みんな夢の中」でソロデビューし新人賞を受賞します。


▲作詞賞/山上路夫「夜明けのスキャット」(歌:由紀さおり)

由紀さおり(1948/11/13-)はこの曲でデビュー、オリコンの年間ヒットチャート第1位に輝きました。
※ちなみにwikipediaでは作詞賞「禁じられた恋」(歌:森山良子)となっていたので、wikipediaの方を訂正しました。


▲作曲賞/筒美京平「ブルー・ライト・ヨコハマ」(歌・いしだあゆみ)

作曲家・筒美京平(1940/5/8-)は60年代後半のGS以降、数々のアイドル歌手のヒット曲を世に送り出してきました。ちなみに日本の作曲家別シングル総売上枚数は7,600万枚を超え、歴代1位です。

「匿名性をどこまで維持しながら、音楽活動を行なえるか」をコンセプトに活動しているため、露出が極端に少なく、曲を発表するペースがあまりにも早かったため、一時期「実在しないのでは?」「ゴーストライター集団による擬人ペンネームでは?」といった噂がよく流れました。

今年5月にNHK BSプレミアムの「希代のヒットメーカー 作曲家 筒美京平」に出演したのは記憶に新しいところです。

いかに彼がヒット曲やスターを産み出してきたか、これで垣間見れます⇒ヒットメーカー筒美京平


▲編曲賞/寺岡真三「悲しみは駈け足でやってくる」(歌・アン真理子)

寺岡真三(1925/12/4‐2007/8/26)はビクターレコード専属の作曲家・編曲家。第2回の「君恋し」、第6回の「お座敷小唄」に続いての受賞です。

▲特別賞/佐伯孝夫
▲特別賞/東芝音楽工業(株)と制作グループ

▲企画賞/東芝音楽工業(株)

現EMIミュージックジャパン。フォークソング・ブームの契機を作り、新音楽人口を開拓した功績で企画賞を受賞しました。

▲童謡賞/曲名:「うまれたきょうだい11にん」 歌手:スリー・バブルス

スリー・バブルスは「♪スカッとさわやかコカコーラ」で有名。この曲は検索できませんでした。



中学2年の僕にとって、1969年といえば何と言っても「人類初の月面着陸」。僕の中でアメリカが“神”となりました。また村上龍が「69 sixteen nine」で描いたように、国内は学生運動が華やかで、政治や社会への関心が否が応でも高まりました。

そんなころのリンデン・ピックアップは以下の3曲を選びました。


▲白いブランコ/ビリー・バンバン


▲時には母のない子のように/カルメン・マキ


▲フランシーヌの場合は/新谷のり子

日本の歌謡曲が、戦後生まれの若者の感性によって様々な変化を見せていた時代でした。

テーマ : 懐かしい歌謡曲
ジャンル : 音楽

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長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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