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悪法の強行採決について

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ついに特定秘密保護法案という悪法が強行採決された。

この法は今後の日本の行く末に大きな暗い影を落として行く可能性を大いに秘めている。

しかし、このことだけで失望し、悲観し、あきらめてしまっては、それこそ現政権の思うつぼなので、改めて問題点を整理し、今後も予想される横暴を食い止めなければならない。


まずは過去の反省から

こうなる危険性は、先の選挙で自民が大勝しねじれ解消をしたときからあった。

安倍は以前から憲法改正を含む右寄りの政策を標榜していたからだ。

当面は経済政策を優先し、民意を味方にし、参院選で勝った後は、自分の信念である「憲法改正」に突き進むであろうという戦法までも見えていた。

論点① しかし現政権が選挙公約にも、所信表明演説にもなかったこの法案を提出し、問題点山積の中、強行採決するのは全くの数の横暴であり、ペテン的行為である。

 国民をだませないように選挙公約にない法案を提出するのは無効とする制度が必要ではないか。ましてやこの法は憲法違反である。


論点② 国民はこうなることも予測して、必ず選挙に行って、慎重な投票をしなければならない。全面的に信任したわけではないと、後から反対運動を起こしても中々難しい。


と言いながらも、あの選挙自体にも問題があった。

論点③ 野党や選挙区の対立候補に力がなく選択肢が余りにも乏しかった。

 やはり、選挙制度改革が必要ではないか。小選挙区制が果たしていいのか。立って欲しい人が立候補しやすい制度に。金がかからない選挙に。
 

論点④ 秘密を持てる権力をもった政権は引き続き、米軍と共に戦争ができる体制づくりとして集団的自衛権の行使や、憲法改正などを行うための法案などを年明けから提出するに違いない。

 まずは現政権を支持しない。政権が恐れているのは支持率低下。支持率を低下させ政権維持をさせない。


論点⑤ 与党の中にも真っ当な考えをもつ勢力がいるはずである。分裂を誘導し、対立軸を結集させる必要がある。そのため、引き続き反対運動や政策世論を高めていく必要がある。

 とにかく現政権の横暴を許さない!
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テーマ : 政治・経済・時事問題
ジャンル : 政治・経済

情報という命

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今ほど「情報」と「命」が直結している事態はない。

情報が届かなくて命を亡くした方、
命がけで情報を発信しているのに届かなくて命を亡くした方、
誤った情報で命を亡くした方、
愛する人の安否情報を死ぬほど求めている方・・・・

正確で迅速な真実の情報が命なのだ。


先日、総科大のB.バークガフニ教授が講話の中で興味深いことをおっしゃっていた。

日本は、「情報」という漢字のごとく「情」を「報」に乗せて伝達する。
英語でいう「information」にはそういう概念はない。素晴らしいと。

四季の移り変わりを見て、もののあはれを感じ、他人の身を思い遣ることに長ける日本人は、極端に和を乱すことを避け、言いたいことも言わない民族である。

素晴らしい民族だと僕も思うが、ことこういう非常事態にあっては、そういう「情」を乗せてはならないと思う。

「可能性は否定できない」という何とも便利な言葉遣いをしながら、結果的にはやはり被害は拡大し、避難の範囲は拡大していっているではないか。

「最悪の事態を想定して、避難してください」と正直に言った方が、結果的には正解だと思う。
そう言ったからといって、誰も非難しないだろう。

ひたすらパニックを避けようと慎重な言い回しばかりしていることの危険性を感じざるを得ない。
もうすでにパニックは起こっているのだ。

日本人よ、「情報」というものを、見つめ直し、考え直そう!

テーマ : 東北地方太平洋沖地震
ジャンル : ニュース

犬生の常道


▲犬生においてなすべきはただ、エサ、サンポ、ウンチのみである(ウインディ)

テーマ : これでいいのか日本
ジャンル : 政治・経済

12月8日は暴力と戦争を考える日

12月8日といえば、あなたは何を思い出すだろうか?

ジョン・レノンの命日(1980年)?
それとも・・・そう、真珠湾攻撃の日(1941年、日本時間)だ。忘れてはならない。

偶然だろうか、この愛と平和を歌い日本人と結婚したミュージシャンが一発の凶弾に倒れた日と、大日本帝国が米英に宣戦布告をした日が同じ日なのだ。

実は他にもある。第一次世界大戦でフォークランド沖海戦が起こった日(1914年)でもあり、あの力道山が赤坂のナイトクラブで暴力団員に刺された日(1963年)でもある。

なぜ人は暴力を振るうのか、なぜ国は戦争を始めるのか。
それぞれの言い分、ぞれぞれの都合、主張、考え方があって衝突するのは間違いないのだが。

「12月8日は暴力と戦争を考える日」としてはどうだろう。

長崎に住んでいると、当然のごとくあの原爆投下の日、8月9日の惨劇を二度と繰り返してはならないという被害者側の発想から平和を考える。
だが、ではなぜあの忌まわしい戦争が始まったのかについては、あまり語られることはない。

終わりを解くためには、始まりを考える必要がある。物事には因果がある。
確かに三菱長崎造船所は世界最大の戦艦武蔵を建造したし、私の母も茂里町の三菱兵器工場で魚雷の信管を作っていた。

様々な歴史の糸が複雑にからまったが、少なくとも「12月8日がなければ、8月9日はなかった」はずである。

長崎原爆資料館には修学旅行などで行ったことがあっても、長崎平和資料館を訪れた人は少ないだろう。

愛する人を凌辱されれば、報復を考えるのはどの国の人間でも同じではないのか。
それでも平和を考え、じっと耐えることが必要なのか。

しかし、愛する人を守るためには、愛していない人を殺してもいいのか。
一方的に暴力を受けたとき、人はどう行動すればいいのか。

原爆はあってはならない兵器だが、ではピストルなら許されるのか。
自衛のための戦争は許されるのか。
過去の侵略はすべて自衛のためといって行われたのではなかったか。

一度戦争が始まれば暴力が暴力を呼ぶ泥沼、地獄が待っている。何も生まれない。
20世紀の人類はそれを厭というほど経験した。
そして日本は武器を捨てた。  はずだった・・・

現在、東アジアがキナ臭い。
暴力と戦争をなくすために、何が本当に必要なのか・・・

考えよう、人間の英知を信じて。
議論しよう、人間の英知をかけて。
イメージしよう、すべての人類が平和に暮らす世界を・・・


▲戦争を始めたのはどこの国だ。


▲しかし、こういう見方をする者もいる。→この考え方に反対する者もいる。

(参考)ABCD包囲網 ハル・ノート(wikipediaから)


▲だが、ついに広島に原爆が落とされ・・・


▲そして長崎にも原爆は落とされた。このキノコ雲の下で私の母は宙に舞った・・・


▲彼のメッセージをかみしめたい

テーマ : 軍事・平和
ジャンル : 政治・経済

長崎原爆の日に

1945.8.9 11:02
一発のプルトニウム型原子爆弾が浦上の地、上空500mで炸裂した。

一瞬の地獄絵。7万4千人が死亡し、7万5千人が傷つき、63年経った今もなおその後遺症で苦しむ被爆者がいる。


爆心地から南へ1.2km離れた三菱兵器茂里町工場で魚雷の信管を作っていた母も一瞬のうちに吹き飛ばされた。当時14歳。

いつもの作業所にいたら死んでいた。たまたま用事があって外出し、建物の影にいたことから、辛くも命をつないだ。泣きながら原子野を彷徨い、桜馬場の実家に辿り着いたのは午後三時を過ぎていたという。

母は原爆について、それ以上のことを語らない。山里小で1300人の教え子を一瞬のうちに亡くし語り部をしていた伯父からも、原爆のことを直接聞いたことはない。


被爆から10年後、平和祈念像が建立された昭和30年に私は生まれた。奇跡的な命だったのかも知れない。

その後、日本は高度成長を続け、私も何の不自由なく育った。平和真っ只中で、平和の申し子ともいうべき生き方をしてきた。

平和の恩恵を享受するだけでいいのか。世界の紛争は絶えず、核保有国は広がるばかり。原爆あるいは戦争をどう捉え、どう考え、どう行動するべきなのか、それなりに意識はしてきた。

キリシタン殉教の地であり、被爆地である長崎。世界にも稀な歴史を抱えるこの町のことを知ることが、原爆のこと、戦争のこと、ひいては人間のことを知る手がかりになるのではないかと思ってきた。


きょうも、そんな漠然とした思いを抱きながら、式典会場に向かった。

式典会場周辺は、被爆者、死没者の家族、平和を祈る一般市民、ボランティア団体、政府の要人、ピースウォーク、プレス関係者などが全国から集まり、ごった返していた。

11:02に黙祷をしようと会場に入ろうとしたら、入口で式典参列から出てみえた本島元市長と偶然、お会いした。氏とは父の関係で以前からお世話になっている。中国人の慰霊碑に行くとおっしゃる。

お一人だけで、それも杖をつかれて足元が不安だったので、慰霊碑までお供した。

慰霊碑の前で氏は、1931年(昭和6年)9月18日の柳条湖事件による日本軍のだまし討ち、それから始まった日本軍の中国侵略と残虐な行為、それらがなければその結果としての原爆もなかったと述べ、改めて中国から強制連行され、浦上刑務所で被爆した中国人犠牲者に慰霊の黙祷を捧げた。

私もまさか今日の11:02に、本島氏が建立した中国人原爆犠牲者慰霊碑の前で黙祷するとは露も思わなかった。

それも正に中国でオリンピックが開催されているこの時にだ。

またここで「岡まさはる記念・長崎平和記念館」できょうまで働いていたというドイツの若者とも知り合った。

何かの縁を強く感じた。


本島元市長の日本の加害責任、天皇の戦争責任、その結果として日本の原爆被爆は仕方なかったという論。

それはそれで分かる。「赦し」も読んで共感した。

しかし、原爆を容認する論として捉えられてはならない。アメリカの核使用はやはり間違いである。


63年経っても被爆者の心は癒えないが、少しずつ何かが変わりつつある。

何も被爆者だけが戦争の犠牲者ではない。被爆者の不戦・非核の思いは、人類みな共通のはずだ。世界中の人たちも、戦争の虚しさ、核と人類は共存できないことを声高に叫ぶ必要がある。

ただ一方的に訴えるだけでは理解は得られない。

人種や宗教の違いを超え、相手の立場を理解し合い、平和の為に何をすべきかを自分自身に問うことから始め、一人ひとりが一歩ずつ行動していくしかない。

人は皆同じ。弱い人間なのだから。

終戦記念日に

62回目の終戦記念日に寄せて

命題ははっきりしている。
二度と悲惨な戦争を繰り返さないためには、国あるいは国民はどうすればいいのか??

しかし、これの答えが人それぞれ、考え方によって違う。
ある人は、自分の国を自分の責任で守るため、憲法を改正して防衛軍を持つべきだという。
またある人は、いや軍隊を持つことで戦争の危険性は逆に増すから、9条の平和主義を世界に広げるべきだという。

それぞれの言い分は、それなりに説得力がある。
結局、理念だけ言っててもだめなのだろうし、現実問題ばかり考えててもだめなのだろう。
少なくとも二者択一ではないはずだ。
つまるところ、高い理念を掲げつつも、それに近寄る現実的な策を打っていくしかないのではないか。

では、高い理念とは??
紛れもなく憲法9条だろう。世界に誇れる平和憲法だ。これが現実的に功を奏すれば誰も文句はいうまい。実際、戦後62年功を奏してきたのだが、日本人はあまり意識できていない。もっと誇っていいと思う。

では、現実的な策とは??
周囲の状況も複雑だから、ベストな策なんてのはない。しかし少なくとも理念に背を向けた施策を打っていても、理念に近づくことは永久に叶わないであろう。

理念(戦争放棄と戦力及び交戦権の否認)が世界平和に貢献することを信じて、それを現実化する施策(日本として世界に広げていく)を地道に行っていくしかないのではないか。
好戦的な同盟国をたしなめ、反日的な国の心を和らげ、ならず者国家と呼ばれている国には武器を構えるではなく、相手の立場に立って友好的な話し合いをする努力をしよう。
自衛権は国際法上認められている。自衛隊は認めよう。しかし、拡大解釈はもう限界だ。その代わり、もっと積極的に平和維持活動に振り向けよう。

一見、非現実的と思えることが、結局一番近道だったりする。
今までもやってきたのに、それが行き詰っているからでは、という反論があるかも知れない。
いや違う。日本は自信を持って他国に対して平和主義を主張したことは戦後一度もない。
常にアメリカの顔色を伺いながら、追随してきただけだ。
それは侵略戦争をしたという負い目と、平和憲法がありながら自衛隊という名の軍隊を持っているという負い目があったのかも知れない。
その前に日本はまだ、あの戦争を総括できていないのかも知れない。

独立国日本として他国、特に戦争をしかけたアジア諸国に対して、過去の侵略を認め、謝罪すべきは謝罪し、もう二度と繰り返さないという決意を伝えることから始め、交渉を重ねていけば、きっと立場の違いは乗り越えられると思う。

個人と個人の関係も、国と国の関係も同じ。最後は信頼関係なのだ。

世間で信じられないことばかり起こり、価値観が揺らぎ、不信感が漲り、人は苛立っている現在。国民が熱狂的な行動に走りたくなる気配も感じる。危ないと思う。戦争に突入していった昭和初期と似た世相だと指摘する識者もいる。

過去の戦争の大義は常に、自由のため、平和のため、自衛のためだったという歴史を忘れてはならない。

もう一度、問い直そう。
あの地獄のような戦争を繰り返してもいいのか??
あの地獄のような原爆を繰り返してもいいのか??

世界の平和活動の先頭に立つべきは、日本なのだ。
そして、叫ぼう。人類よ武器を捨てよ!

イジメ問題

昨年からずっとメディアが取り上げている「イジメ問題」。

この問題について、いろんな立場の人が、いろんな所で持論をぶっている。
でも何かしら心に響いてこない。
何故だろう?僕はその理由にはいくつかあると思う。

まず一つは、その人自身がイジメに手を染めたことはなかったか?について語らないからだ。
誰しも子どものころには、きっと大なり小なり経験があるのではないかと僕は思う。

僕だってある。友だちとあいつは最近生意気だと言って「○×を無視してイジめる会」なるものを作り、ある期間、彼を無視したことがある。
あまり罪悪感もなかったし、彼もどの程度傷ついたのか、そのうちこちらも耐えられなくなって、すぐに仲直りした。要は程度と修復力の問題なのだ。

そのイジメをしたときの自分の心境について思い起こすとき、この動機については根が深いと思うし、そう簡単ではないことに気付くはずだ。
その辺をなおざりにして、語らず、きれいごとばかり並び立てるから説得力がないのだ。

そんなに人間は美しい心ばかり持ってはいない。特に道徳や社会性を身に付けていない子どものころには尚更だ。
子どもは残酷だというのはよく聞かれる言葉。それは人間の本性に近い行動をするから、要するに教育されていないからだ。
嫌いな奴を攻撃し、厭な奴は仲間から外す。ひょっとしてこれは国単位でもやってることじゃない?

本来、人間はそういうものだと認識したうえで、じゃどうするかを語らないから説得力に欠けるのだ。勿論、だからこそ「教育」の問題が出てくるわけだ。

スマ・ステーションがイジメ問題を取り上げ、ヤンキー先生が出演し、いろいろ語った後、シンゴが番組の最後に彼に質問した。
「僕、いじめた経験あります。難しいですよね~?ヤンキー先生はないですか?」
彼は語らず逃げた。ヤンキーと名乗るからには当然あるはずだろうが、政府の教育再生会議のメンバーなんかしているものだから、とっさに言葉に詰まったのだろう。
僕は、彼こそやった側の立場になって、経験談を言うのが彼の役割ではなかったのかと思う。彼に比して、シンゴの勇気と感性は優れていると思った。

それからもう一つ。現在のイジメ問題は、被害者の脆さを語っていない。
当然加害者が悪いから加害者を責め立てていいのだが、もしかすると、簡単に自殺をしてしまっている被害者もいないだろうか?
僕は「イジメ問題」というより、「自殺問題」といった方がいいような場合もある気がしてならない。

あまりにも殺伐としてきた現在の日本。大人だって自殺者が増加しているこの時代。多感な子どもたちにそれが伝染しない訳がない。
イジメは直接的なきっかけかもしれないが、この社会に自殺を思いとどまらせるだけの魅力がないと思ってしまうのも事実だ。本当はそうじゃないのだが・・

「イジメ問題」には以下のような要素があり、非常に多元的でそれらが複雑に絡み合っていると思う。

1.それを芽生えさせ、また醸成させる社会状況と周囲の環境(心の喪失、教育の無力化)
2.加害者の動機とその罪の意識(道徳感の欠如、軽薄化)
3.そのイジメの手法(ゲーム感覚、陰湿化)
4.被害者の心情、捉え方、耐性(脆さ)
5.その重大な結果(自殺)

そして現在の日本は、これらのすべてが悪化し、悪循環を起こしていると思う。

特に、経済至上主義、競争原理をまだまだ煽る政府に、やはり最大の責任がある。
世の中すべて銭金よ。他人を押しのけてでも、自分が勝ち組にならなきゃ、生きてく価値はないよと責め立てる国のどこが”美しい国”なのだろう。

今、立ち止まり、後戻りすることも厭わない勇気を持てないだろうか?
「お金で幸せは買えない!」と書くと、きっと反論があるのだろう。
では「お金が少々なくても幸せに生活できる社会」は実現できるような気がするのだが?
そんなところから世直ししていかない限り、イジメなんてなくなる訳がない。

3031横浜アリーナ

横浜アリーナに小学生が燃えた!

小学生クラス対抗30人31脚全国大会2006に、長崎代表・島原市立三会小学校に付き添って参加してきた。
結果は、12月9日(土)19:00からの放送が終わらないと公表できないので、今は「感動した!」とだけ言っておこう。

しかし、単に足を結んで走るだけの競技が、なぜこんなにも人の心を感動させるのだろう。

試しにやってみれば分かるが、3人4脚でも3歩も歩けない。それだけ難しい。それが30人以上が一直線に並んで50mを9秒前半で走ってしまうのだから・・・圧巻だ。

心を一つにしなければ本当にできない競技だ。しかしその心が一つになったとき、素晴らしいパワーを発揮する。その姿が美しい。心の底に響くものがあるのだ。

児童を指導する担任の先生の熱意は勿論のこと、その保護者のサポートや学校長の理解、大会運営をするスタッフの努力もまた欠かせない。夫々が足並みをそろえなければ、なりたたない競技でもある。

小学生よ。この3031に集い、全員で走り抜け!そして泣け!叫べ!そしてイジメなんかに負けるな!!
私は、この30人31脚の力を信じている。

決断するとき

決断って難しい。

僕も人生の分水嶺で何度となく迷い、思い悩んできた。二者択一で迷ったとき、若いころは新しい世界に飛び込む方ばかりを選んできたが、年をとるにつれて、つらくとも現状に耐えることを選んでいるかも知れない。

でも、あ~あのとき、違う方を選んでいれば・・なんて、くよくよ後悔したことは一度もない。悩んだ時間だけ、自分に責任があるし、その後の自分の方が可愛いから。でもその最大の理由は、なんつったって「人生万事塞翁が馬」だと思うからかな。(笑)

他人が迷っているときは、ちょっと違う。自分の身に置き換えてみたとき、年はとっても新しい世界に飛び込んで欲しいという希望が入るから。実際の自分にはできないと、なおさらだ。

だから、他人からその選択について意見を求められたら、僕はいつもその人の背中を、新しい世界の方向に押してあげる。無責任に。

でもそれでいいんだと思う。所詮、客観的意見。他人が何と言おうと、最後に決断し、責任を負うのは、自分以外の誰でもない。

君、死にたもうことなかれ!!

新学期を迎えたばかりの昨日、市内で2件、中高生の自殺が続いた。

自分も・・・と考えてる若い人へ

確かに生きている中で、厭なこと、つらいこと、苦しいこと、泣きたいこと、全く無意味だと思うことばかりかも知れない。

でもそう思っている自分は、「仮の姿だ」と思って欲しい。時が経てば、必ず状況が変わる。何もしなくてもいい。つらくても、もう少しだけ我慢して欲しい。

きっと時の流れと共に周りが変わり、自分も変わってくる。そんなもんだよ。

そして、きっと嬉しいこと、楽しいことがやってきて、生きていく充実感で微笑むときが、きっと来ると思うよ。

努力しなくていい。でも、じっとこの世の中を観察してご覧。いろんな人がいるでしょ?なんであの人は、笑っているんだろう?何であの人は泣いているのだろう?って考えてご覧。

自分だけは特別だなんてことは絶対にない。みんな同じなんだよ。笑っている人も、悲しむときがある。泣いている人も、いつまでも泣いちゃいない。そんなもんだ。

でも死んでしまったら、何にもなくなるんだよ。
死ぬ気になったら何でもできるじゃん!

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リンデン

Author:リンデン
リンデンの長崎ケルンへようこそ!

長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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