ベイサイドマラソン&ウオーク

気持ちのいい秋晴れのきょう、「長崎ベイサイドマラソン&ウオーク」(写真左)に参加してきた。
まだ病み上がりの身ゆえ、マラソンではなく16kmウオークを選んだ。

コースは、水辺の森公園をスタート(写真中)し、旧香港上海銀行~湊公園~復元中の出島~県庁坂~中島川沿い~市民会館~市役所~11/3オープン予定の長崎歴史文化博物館(写真右)~聖福寺前通り~西坂の26聖人殉教地(第1CP)~浦上街道を北上~浦上天主堂~如己堂~ビッグNスタジアムで折り返し~松山市営陸上競技場(第2CP)~梁川橋~浦上川を南下~稲佐橋~夢彩都~出島ワーフ~水辺の森公園にゴールする16km。

市内の平坦地をぐるッと回るコースだからきつくはない。かかった時間は3時間弱。
長崎は足で「さるく」(ぶらぶら歩く)のが一番というのを実感できた。

来年の「長崎さるく博'06」が待ち遠しい。

6.幼稚園で

さすがにほとんど覚えていない。

覚えているのは、よく絵を描いていたこと(国際文化会館の噴水を描いて賞を取ったなぁ~)。みんなが三輪車や補助輪付き二輪車に乗ってたころ、僕は早くから補助輪なし二輪車に乗っていたこと。クリスマス劇で東方の三賢人をやったことぐらいだ。

後は、近所のケイボくんや、アキラくんといつも一緒に通園してたこと。あのころ彼らと何を話しながら歩いてたんだろう・・・

あっそうそう、年長さんのとき、長崎大学の中部講堂で「因幡の白兎」の劇をした。最後にうさぎを助ける一番いい役だ。
今思えば、あれが生まれて初めてスポットライトを浴びた瞬間だった。その後、何度もステージに立つことはあったが、とうとう人生のスポットライトは浴びずじまいのようだ・・(笑)

でも何と言っても幼稚園といえば、憧れの鶴田先生の思い出。今でも年賀状だけは欠かさない。

しかしその後36年経って、先生が園長先生になられとき、自分の息子を入園させて、再会することになろうとは・・・

人生は長いようで短い。

忙しい・・・

このエコログもなかなか書くひまがない。
と言いながら、他人のエコログには、ちょこちょことコメントを入れてたりするのだが・・・(^^ゞ

実はこのところ何をするにしても中途半端。いつも完璧とは言わないが、それなりの目標をもって近づく努力は惜しまなかったつもりだが、ここに来てスランプ・・・

かと言って悩むのにもパワーがいるから、ただ惰性に流されている・・・
何かきっかけをつかんで、元気な自分に戻りたい。

あ~あの小鳥たちは何を考えているのだろう、しかして何も考えていないのだろう・・

決断するとき

決断って難しい。

僕も人生の分水嶺で何度となく迷い、思い悩んできた。二者択一で迷ったとき、若いころは新しい世界に飛び込む方ばかりを選んできたが、年をとるにつれて、つらくとも現状に耐えることを選んでいるかも知れない。

でも、あ~あのとき、違う方を選んでいれば・・なんて、くよくよ後悔したことは一度もない。悩んだ時間だけ、自分に責任があるし、その後の自分の方が可愛いから。でもその最大の理由は、なんつったって「人生万事塞翁が馬」だと思うからかな。(笑)

他人が迷っているときは、ちょっと違う。自分の身に置き換えてみたとき、年はとっても新しい世界に飛び込んで欲しいという希望が入るから。実際の自分にはできないと、なおさらだ。

だから、他人からその選択について意見を求められたら、僕はいつもその人の背中を、新しい世界の方向に押してあげる。無責任に。

でもそれでいいんだと思う。所詮、客観的意見。他人が何と言おうと、最後に決断し、責任を負うのは、自分以外の誰でもない。

橘湾

きょうは島原半島ぶらり旅をした。

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ここは、島原へ行くとき必ず車を止めてしまうお決まりのスポット、愛野の展望台だ。きょうも橘湾(千々石湾)が美しい。

きのうから冷えてきた。いよいよ秋が来たことを実感する。

小学生よ、先生よ、30人31脚に集え!

小学生クラス対抗30人31脚長崎大会(於:かきどまり陸上競技場)を手伝ってきた。この大会は今年10回目を迎える。

思い起こせば第1回は、神の島グリーンフィールドで細々と行われた。参加チームは確か3チーム。スターターをしたのが懐かしい。

あれからいろんなこと、様々なドラマがあった。
五島の福江小は、船賃を全員神社のバイトをして稼ぎ、出場、見事長崎代表になった。先生と児童が本当に仲良しだった。
喜々津東小は、走るたびに速くなるチーム。あれよあれよと勝ち進み、見事全国大会を制して日本一になった。その決勝戦で相手チームが転倒したとき、小躍りせず全員で駆け寄って健闘を讃え合った行為に、ユネスコのフェアプレー賞が贈られた。
愛宕小も忘れられない。全国大会で惜しくも破れ、帰ってきた長崎空港。先生がひとり一人の健闘を讃え、感謝の気持ちを伝えた涙と感動の解散式・・・

子どもたちの健気なプレー、先生の熱き指導を見ているとこちらも熱くなる。
ケガが絶えなかった当初、テレ朝に最後尾の通過タイムを計測するルール変更を申し入れたり、大村小のテレビでの取り扱いにクレームを入れたり、出場許可の印鑑を押さないと言ってきた校長先生と議論したり・・・

この競技は、出場するまでが最大の難関。
クラス全員の意思、その保護者全員の意思、そして何よりも担任の先生の熱き思いがないと出場できない。たった一人の保護者が反対して出場できなかったクラスもいた。そういう意味では、出場してきた時点で、彼らはもう勝者なのだ。

ぜひ、この競技をもっと広めて欲しい。
「ゆとり教育」だ、次はなんだと、ころころ変わる教育方針を打ち出す頭デッカチの文部科学省の役人さん、この競技を積極的に取り入れたら?
将来の国づくりには「知識教育」より「こころの教育」が先決です。

子どもは、泣いたり笑ったり悔しい思いをしなければ育たない!

テーマ : TV番組
ジャンル : テレビ・ラジオ

第2西海橋

きょうは大村湾を一周した。
時津町を起点に、諫早市~大村市~東彼杵町~川棚町~波佐見町~西海市と大村湾を左回りに一周した。

写真は現在建設中の第2西海橋。当時、東洋一のアーチ橋と呼ばれた西海橋が建設から40年経ち、寿命を迎えようとしているのだ。

先日、観に行った「釣りバカ日誌16」の最初のシーンはこの第2西海橋。本物の金子知事が出演し、この橋の連結式を行うというシーンだ。知事は写りが悪いなぁ・・同じ金子でも金子昇はかっこよかったが・・(笑)

ダイアモンド・プリンセス長崎里帰り

大分で梨園を営んでいる友人が久しぶりに来崎したので、たまには海を見たいだろうと、港へ連れ出した。

タイミングよくダイヤモンド・プリンセス(火事に遭ったのは、現在のサファイヤ・プリンセス。その後名前を入れ替えた)が里帰りクルーズで入港していた。近くで見ると、さすがにでかい!こんなでかい船を造るなんて、やっぱ長船(三菱重工・長崎造船所)の技術は大したもんだ。

長崎造船所は、1857(安政4)年、わが国最初の艦船修理工場「徳川幕府 長崎鎔鉄所」として設立され、以来数多くの船舶を建造してきた。その船舶の中で有名なのは、何と言っても戦艦「武蔵」だろう。当時軍事機密として、ドッグ全面が白い布で覆われていたという。

当時軍港としての長崎港は、市民が見てはならない「裏」として街並みができていた。

この数年で大波止ターミナルが新装、総合商業施設「夢彩都」や「出島ワーフ」、「水辺の森公園」や「長崎県美術館」が次々とオープン。

やっと「港が表」に戻った。かつての居留地時代。長崎港は「長崎バンド」と呼ばれ、外国船が行き交い、世界で最も賑わいある港であった。

夢を再び、NOVA(新しい)長崎バンド・・・

長崎くんち・後日(あとび)

今から丁度50年前のくんち前に今博多町で生まれた僕は、今年のくんちに行かずにはいられなかった。今博多町は踊り町なのだ。

13:00過ぎ、お旅所から出発した三体の御神輿を県庁坂で捉えた後、先日さるいた中通り界隈に庭先回りを観に行く。

寺町から回ってきた籠町の龍踊に出会う。偶然にも同僚の仁くんが九番衆を担っていた。「お疲れ!」と声をかける

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今博多町の出し物は、本踊り。庭先回りで「長崎ぶらぶら節」を踊るお姐さんと目が合う(笑)

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久しぶりにお上りを見てみたくなり諏訪神社に向かう。15:20、一気に長坂を駆け上がる勇壮なお上りに感動。

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こうして鎮西大社諏訪神社鎮座380年記念、あにじゃ生誕50年記念の今年のおくんちは終わったのであった。(笑)

このまちに生まれてよかった・・・

5.入園

1959年4月1日、愼一郎は純心大学付属純心幼稚園に入園した。

昭和町から園がある文教町まで、子どもの足で20分ぐらい。年少さんのころは、近所に住んでいた梶原のおばちゃんに幼稚園までよく送ってもらっていた。

当時母は、家計の足しにするためアルバイトをしていたので、おばちゃんに兄弟の面倒を見てもらってたのだ。おばちゃんは僕たち二人の兄貴分として良く遊んでくれた「コウチャン」のお母さんだったので、「コウチャンのオバチャン」と僕たちは呼んでいた。おばちゃんは優しくて、よく遊んでくれた。「ざじずぜぞ」を「だぢづでど」としか発音できなかったので、兄弟でよく「コウチャンのオバチャン、象さんってゆうてみて!」とからかった。おばちゃんはニコニコしながら何回も「どーさん」と言ってくれた。

朝、幼稚園の門をくぐるとかならずマリア様の像の前でごあいさつ。「父と子と聖霊との御名によりて、アーメン!」。その意味は全く分からなかったが、神聖な神さまの前で言わなければならないものだということは子どもながらに分かっていた。

担任の鶴田先生は、シスターに成り立ての若くてきれいで優しい先生だった。大好きだった。初恋だったかも知れない。

キリスト教に対する親しみ、神に対する敬虔な気持ち、純粋なものに対する憧れが、小さな子どもの心に、気付かないうちに、でもしっかりと根付いた。

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リンデン

Author:リンデン
リンデンの長崎ケルンへようこそ!

長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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