31.ある日突然に・・・

友人Yは中学時代からの親友。高校も同じだったので、中学時代よりもより親密になっていた。
ある日の放課後、彼が突然、野球をやろうと言い出した。他人の誘いを断ったことがない僕は、よしっと快く受けた。

校庭に出た。野球といっても二人。彼が投げて僕が打つという単純なものだ。彼は中学時代はサッカー部、高校では野球部で活躍していたスポーツマン。やる気満々のようだ。僕だって野球に関しては、その辺の奴らに引けをとらない自信はあった。しかし、硬球を打つのは初めてだったので、若干の緊張はあった。

彼と僕の距離は10m程度、通常のバッテリー間よりぐんと近い。「いくぞ~~!」彼は思いっきり振りかぶって、満身の力を込め第一球を放った。

その球は真っ直ぐに僕の顔面を襲ってきた。
うわっ!!思わずのけぞった。と同時にパシッという軽い音と共に左手に激痛が走った。
手を見た。左手の小指の先が外側に折れ曲がり、どす黒い血の中に白い骨が見えた・・・

「あ、ギターが弾けない・・」それしか思わなかった。

ゴメンと駆け寄った友人がすぐ病院に行こうと言う。僕は小さいときから野山を駆け巡り、危険な器械体操もしてきたが、外科にかかったことは一度もなく、思い当たる病院がなかった。

仕方なく彼が知る小さな診療所へ行った。出てきた医者は、脱臼している小指の第一関節を引っ張って戻そうとした。荒っぽくて厭になった。でも上手くはまらない。

「何とかしてくれ、ギターが弾けない・・」心の中で叫び続けた。

医者は今度は、針の先にたこ糸をつけ、たこ糸を小指の先に通し、端を結んで輪を作った。そして、その輪に手をかけて思いっ切り引っ張った。体ごと引っ張られた。それでもハマらない。

仕方ない、切るよと医者が言った。
「えっ?」切るよの意味が分からなかった。関節を動かす「腱」を切るという意味だと分かったのは、ハサミが入った後だった。

30.ギター三昧な日々

通信教育はあっという間に修了した。そして一人で弾いていてもつまらないと思い始めたころ、そこにギター部があった。体操部とは違い、何の躊躇もなくその門を叩いた。

そこには個性的なメンバーがいた。音は汚いが、指回りがいいI君、端正な音を出すT君、背が高く音楽の才能豊かなO君、彼は指揮をし、合奏曲の編曲をこなした。今でも付き合いがある。4人の女性陣も、上級生も下級生も、みんな明るく楽しく、音楽が好きだった。当然のごとくクラブ活動にハマっていった。

朝起きてポロン、登校し部室(階段の下の倉庫だった)に直行してジャラン、昼休みにポロロン、放課後はクラブでガンガン、帰宅して夕食までにジャララン、寝る前にポロポロ(弱音器を付けて深夜まで)・・
ギターを手放すことがなかった。一日中弾いていた。楽しくてしょうがなかった。いくら弾いても飽きなかった。勉強なんて二の次、三の次だった。

高校にギター部があったのは、県下で唯一西高だけだったので、長崎西高ギター部は有名だった。NBCラジオに出演したり、県下の音楽祭で、日本ギターコンクールで2位となったギタリスト山口修氏(長崎東高の1級上)と一緒に出演した。

自由闊達な西高の校風を受け、僕のギター音楽人生は順調な船出をした・・かに見えた。あの事故が起こるまでは・・・

28.か細いギター人生の始まり

楽器を奏でる、この楽しみに目覚めたのは高校1年のとき。楽器はギター、いわゆるクラシックギター、当時はガットギターと言われていた。軟派な道とはこのことだ。

複線はあった。
まずは小学生のころからハマっていたベンチャーズ。街のレコード店(弦洋会、アトムレコード、フヂタ楽器店など)に行っては、曲も知らずに買い漁ったEPやLP。POPなサウンドを生み出すドラムとエレキギターに虜になっていた。

中学生のときは間貸しで同居していた長大生が持っていたウクレレやギターに影響された。
ときどきドキドキしながら触らせてもらっていたが、自分のが欲しいと思い、ウクレレを買ってもらった。1弦と2弦を親指と人差し指で交互に弾く「禁じられた遊び」をあっという間にマスターした。

そして決定打となったのは、近所の同級生がギターを持っていて、1週間貸してもらったこと。
翌週には親にねだり、弦洋会楽器店でとうとうギターを買ってもらった。YAMAHAの当時7000円のギターだった。
(親は高校入学のプレゼントのつもりだったのだろう)

しかし買ったその夜、立てかけていたギターが転倒し、糸巻き部分が割れてしまった。母親は買ったばかりなのよ!と、楽器店に筋違いのクレームを入れ、無償で修理してもらうことに成功した。

今思えば、これからの前途多難な息子の将来を象徴したかのような出来事だった。
僕のか細いくも長いギター人生がここに始まった。

29.東京音楽アカデミー

ギターを手に入れた喜び。でもそれを教えてくれる人がいなかった。どうしたものか・・・。そんなとき、雑誌の広告が眼に止まった。「東京音楽アカデミー」。これだ!クラシックギターの通信教育だ。早速申し込んだ。

ほどなく小包が送られてきた。ワクワクして開封すると、プレゼントのLP2枚と、1回目の教本とEP2枚が入っていた。EPをかけるとギターを弾くポイントや教本にある曲の模範演奏が入っていた。それを聞きながら練習するのだ。画期的だった。

講師は主に小原安正が担当。模範演奏として、当時世界的に有名だったナルシソ・イエペスやルイゼ・ワルカー、日本の荘村清志や小原聖子などプロたちの素晴らしい演奏が入っていた。

教材は毎月1回送られてきて1年12回で修了だったと思うが、1回分を1~2週間で終わってしまい、次回が待ち遠しくてたまらなかった。

弾きたくて、弾きたくてしょうがなかった「アルハンブラの想い出」は、上級レベル(プロでもなかなか名演奏には出会わない)だが、もう最初の月から手をつけ始め、半年経ったころには暗譜してポロポロ弾いていた。

ルネサンス音楽から古典派、ロマン派、民族音楽、現代曲、映画音楽にポピュラー音楽、日本や世界の民謡・・・
ギター作曲家のカルリ、カルカッシ、タレガ、ソル、アグアド、パガニーニ、レニアーニたちの練習曲から、あらゆる作曲家の曲まで・・
クラシック音楽を、ギター音楽を通して、学び、親しんで行った。

そして奇遇というべきか、長崎西高には県下で唯一のクラシックギター部があった。その門を2年のときに叩くことになる。

冬の日比谷公園

どんよりとした冬空に、吹き上がる噴水。
寒々しいね。

そう言えば、この公園を両親と弟と僕と四人家族で通ったことがある。それは、遠い昔・・・

夜だったから、公園のあちこちでアベックがいちゃついていて、両親がわき目も振らず速足で歩いたことを思い出す。

大阪で万国博覧会が開催された年だった。万博を見て、箱根、日光を回った家族旅行だった。

遠い日々・・・

両親に親孝行しないとな・・

27.叩けない体操部の門

西高に入ったが、クラブ活動は何をしよう・・・

中学のとき、あれだけやった体操部に入ろうと、体育館に行っては、体操部が練習している姿を遠めに見ていたが、なかなか入部する勇気がない。

なぜかというと、中学では床運動、跳馬、鉄棒の三種目だったが、高校になるとそれに平行棒と吊り輪とあん馬が入る。実は鉄棒が不得意だったので、平行棒と吊り輪には全く自信がなかったのだ。
中学三年の中体連で、僕が鉄棒で失敗して優勝を逃したことがトラウマになっていたのだろう。

どうしよう。あれだけやった器械体操をここで止めるのか?カツ先生に申し訳ない。悩んだ。よしと意を決して体育館に行くが、ダメだ。やっぱり入る勇気がない。そうこうしているうちに時間が過ぎていった。

そして、その後ずっと続けることになる軟派な道を歩み始めてしまったのだった。

お別れの会

先日亡くなった中学の同窓生のお別れの会に行って来た。
ホテルの部屋に祭壇を作ってあって、そこに花を一輪供えるシンプルな形式。

若くでご主人を亡くされた奥さんがにこやかに迎えてくれた。
同窓生もたくさん集まっていて、つい同窓会的なノリで盛り上がってしまった。

楽しいのが好きだった故人もその方が喜んでいると思う。
中学卒業以来初めて会う友人もいて、彼が引き合わせてくれたようなもんだった。

あの祭壇の写真を自分の顔を入れ替えたシーンを想像してみた。そんな年ごろ。

空からのパノラマ

きのう出たばっかりの我が別荘や大村の町並みを、きょうは空から見下ろすことになるとは・・
東京出張があって長崎空港から飛び立った途端に眼下に見えるじゃあ~りませんか!(左)

あの別荘から、いろんなこと考えながら何度も見上げていたあの空に今、浮かんでいる・・・不思議なもんです。出張予定は入っていたんだけど、こういうシーンは予想だにしなかった。
自分の考えの及ぶ範囲ってこの程度なのなもね・・・自分では悟りきったように思えてても、所詮釈迦の手のひらってこともあるし。

それにしても空から観る日本列島は美しい。何度観ても感激する。ぐずぐず考えていたことがバカらしくなる。

空からのパノラマは大村湾から長崎港(中央、我が家も確認!)、博多の街、瀬戸内海の島々、淡路島、関空、伊勢湾、そして雲間から頭を出す富士山(右)と続いた。

別荘からただいま!

大村の別荘から本日、元気に戻りました。

快適な3泊4日の保養でした。大村の小高い丘の上にある別荘の7階から見渡す景色は、最高でした。
手前には大村城公園、その右手に長崎空港、大村の町並みが広がり、それらを包み込むように大村湾が180度に横たわっています。
湾の対岸には西彼杵半島の山々が、湾と空の境を美しく形取っています。この大村湾は、聖書の故郷、ガリレア湖に似てると言った人がいましたが、残念ながらガリレア湖を見たことがないから分かりません・・・

12月からドクターヘリを運用します。離島の医療のため、僕の別荘のヘリポートを県に貸し出します。(笑)

きょうから別荘へ

月から木まで3泊4日で大村の別荘に保養に行きます。
別荘の名は長崎医療センター

飯付き、風呂付き、快適なベッド付きでゆっくり休めるとあって、大勢の癒しを求める方が集まるオアシスです。

心のリフレッシュを兼ねて行ってまいります。しばしこのケルンもお休みです。
ほんじゃ、またお会いしましょう!
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リンデン

Author:リンデン
リンデンの長崎ケルンへようこそ!

長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

あなたもよかったら、ケルン(コメント)を積んでいってくださいね。

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