大晦日の七高山巡り(七面山・烽火山)

江戸時代、長崎では無病息災を祈るため、正月の2日から15日頃までの間にまちを囲む七つの山をわらじ履きで1日かけて巡拝するならわしがあった。七高山巡りという。

七高山とは金比羅山、七面山、烽火山、秋葉山、豊前坊、彦山、愛宕山だ。愛宕山の代わりに岩屋山でもいいらしい。

正月休みも短いので大晦日から急に思い立って、七面山と烽火山に登った。烽火山はこの七つの中で一番高い山(426m)だ。

七面山からの急な山道を、息をぜいぜい切らせながら足早に登る。夕方から登り始めたから、日が落ちる前に下らないとやばい。

やっと着いた山頂。夕陽がきれいだ。この山は昔、外国船が侵攻した時の合図を防備に当たる藩や、近国に伝えるためののろし場がつくられた場所だ。

しばしの休息をとって下山。帰りは、片淵の仏舎利塔方面に下りた。

諏訪神社前まで下りてきたら、人恋しくなり、中通り、浜んまちアーケードを通って帰った。正月を迎える準備も万端だ。

長崎の教会群を世界遺産にする会の活動報告展

12/22~27まで、浜屋百貨店5Fイベントホールで「長崎の教会群を世界遺産にする会」の活動報告展と、同百貨店の1Fアーケード前特設ステージでクリスマスコンサートが開催された。

この会の活動の下地があって、先月長崎県は、長崎の教会群とキリスト教関連遺産を世界遺産にするために文化庁に申請した。

特にこの会の事務局長の柿森和年氏の貢献度は計り知れない。ボランティアベースでずっとこの遺産の価値を広報するために様々な活動をされてきた。

大きな仕事をするためには、既存の組織ベースでやっていても限界があることを、この方から教えていただいた。

中町教会のクリスマスイブ

12月24日はクリスマスイブ。

教会では例年クリスマスミサが行われるが、それに先立って、アジェンダNOVAながさきが主催する市内の7つの教会の馬小屋を巡る「クリスマスミニ巡礼」が行われた。

昨年初めてこのツアーを企画したところ大変好評で、今年も開催。40人を超える参加者があった。

最終地点のカトリック中町教会では、カノーネ弦楽四重奏団によるバロック音楽の演奏も行われた。西洋音楽の発祥は教会音楽。弦楽器も教会でよく響くように作られている。

写真の馬小屋は中町教会のもの。ここのクリスマスイルミネーションもシンプルで好きだ。

長崎居留地キャンドルロード

12/24、同じくクリスマスイブ。

国宝大浦天主堂前の石畳を手作りのキャンドルで飾る「キャンドルロード」を手伝いに行った。

南山手観光推進協議会や居留地ネットワークが企画したものだが、アジェンダNOVAながさきも手伝ってと言われ、馬小屋巡りを終わったばかりの臼井さんと、一緒に駆けつけた。着いたときには綺麗なキャンドルロードが出来上がっていた。

実はこのキャンドル。廃油をグラスに入れただけの簡単なもの。市民セミナリヨのときから話はあったんだが、実現しなかった。あのとき天主堂正面の階段に並べて欲しかったなぁ・・・暗くてお年寄りが大変だった。

このキャンドルをどんどん広げていって、長崎のまちのクリスマスナイトが演出できれば最高!

長崎県美術館クリスマスコンサート

12月17日、友人の勧めで、長崎県美術館のロビーで行われた「吉川友理クリスマスコンサート」を聴きに行った。

イタリア・ローマから帰国したソプラノ歌手吉川さんが、アメージンググレース、White Christmas、きよしこの夜、星に願いをなどのクリスマスソングを中心に、美しい歌を披露した。

彼女の心に響く澄んだ歌声は、天井が高い美術館のロビーに響き渡り、観客はうっとり。彼女も気分よさそうで、何度もアンコールに応えていた。

彼女は僕と同じ中学の卒業生だそうな・・だからどうした!?!?

「7月24日通りのクリスマス」ロケ地さるくモニターツアー

12月17日、ながさき観光地映像化支援センター(いわゆるフィルムコミッション)が企画した「7月24日通りのクリスマス」のロケ地さるくモニターツアーを見学した。

来年の「さるく」のコースに「ロケ地さるく」を入れようという企画で、モニター募集をしたところ、定員25名に3倍もの応募があったという。

参加者は、センターの関根さんの説明に頷きながら、映画を二度楽しんでいたようだった。

写真は、聡史(大沢たかお)とサユリ(中谷美紀)がケンケンをした石畳(左)。サユリの実家の喫茶店となった東山手の洋風住宅(中央)。サユリが、コケた活水に上るところの石畳(右)。

長崎の文化力とまちづくり

12月16日、カトリック中町教会で行われた県主催の
歴史発見!旅する長崎学~長崎の文化力とまちづくり」に行って来た。

第一部では、西海南小の6年生が、天正遣欧少年使節の衣装を着て、当時演奏されたであろうルネサンス音楽を当時の古楽器で演奏した。なかなかなものだった。

第二部の対談、第三部のパネルディスカッションも、面白かったが、若干、市民セミナリヨ2006の焼き直しのようだった・・

33.悩み(1)読書

物心ついてから、それなりに悩んだこともあったが、高校時代の悩みは質と程度が違い、いわば人生最大の悩みとなった。いわゆる「自分は何者で、何のために存在し、そしてどこへ向かうのか」という哲学的な命題にぶち当たったのだ。程度の差こそあれ、誰もが一度は経験する通過儀礼だろう。

それは正直、今でも解決できていない。一見それを解決し、心の平静を保っているように見えるかもしれないが、そうじゃない。単に生きる手立てを身に付けてるだけ。その命題には直視しないで、避けているようなもんだ。

当時は違った。直視した。まともに考えて、悩みに悩んだ。軽いノイローゼ状態に陥ったこともあった。訳が分からなくなって、死のうかと考えたこともあった。

そうなっていったきっかけは、いくつかあったのだろうが、一つひとつ覚えていない。簡単に言ってしまえば、そういう年頃だったのだろう。
そして、読む本が変わっていった。

幼児期に読んだ本で覚えているのは小学館の「幼年幼女世界文学全集」。読みやすい本で、次号が楽しみだった。「マザーグース物語」だけは面白くなかったが・・。
小学校で覚えているのは推理小説。ドイルのシャーロックホームズ、クリスティのポアロの推理に心躍らせた。
中学校時代はほとんど読まなかった。前述のように蝶取りとクラブと深夜放送で明け暮れたからだ。学校が薦める夏目漱石・ヘッセなどの純文学を義務的に読んだようなもんだった。
それが高校になって違っていった。いわゆる大人が読むような本を片っ端から読んでいった。世の話題の本や社会小説、坂口安吾・遠藤周作・五木寛之・大江健三郎の小説や思想本、対談集、ソクラテス・プラトン・アリストテレスからニーチェ・カフカ・サルトルの哲学本まで、意味が分からなくても、貪り読んだ。

とにかく「真実」が欲しかった。「絶対的なもの」が欲しかった。「人生の諸問題の解答」が欲しかった。
この世は何なんだ??自分は何者なんだ??自分は何のためにこの世に存在してるのだ??自分はこれから一体どこへ向かおうとしてるんだ??

武士と硫黄島

金曜の夜に「武士の一分」を、土曜の昼に「硫黄島からの手紙」を連チャンで観た。前評判どおりのいい映画だった。

しかし両作品とも観終わった後まで、ずっと重たい余韻を引き摺るような映画だった。特に、硫黄島の方は戦争という極限状態を疑似体験して緊張してたせいか、館を出た後も、何か疲れている自分に気付いた。

この両作品で、難しい宿題をもらったような気がする。

それは「あなたは、自分ではどうしようもない極限状態に追い込まれたとき、本当に守りたいものがありますか?それは何ですか?そのために死ぬことができますか?あるいはどう行動しますか?」ってこと。

戦後の最も平和な時代に生まれ育ち、この歳まで何の苦労もなしに、プラプラ過ごして来た自分にとって、これは重い!

それと実際に戦争を経験した人たちの感想をぜひ聞いてみたくなった。

32.痛々しい日々

痛かった。その事故があった日は眠れなかった。折れた小指がうずいて、うずいて、布団の中で一晩中、顔をしかめて呻いた。

この小指がどうなるのか心配だった。果たしてちゃんと治ってまた動き出すのだろうか?あの医者が切った腱はまたつながるのだろうか?切ったらつながらないのでは?いや、人間の体は神秘的。きっとまたつながって動きだすさ・・・と祈るような気持ちで痛みに耐えた。実は誰かに聞けば分かることだろうに、事実を知りたくないという心理が働いていた。

包帯を取り替えるときに見る小指。縦方向に2cm強裂けた所を4~5針縫ってあり、皮膚がいびつにくっ付いていて醜くかった。
包帯はだんだんと薄くなっていった。そして少し痛みが取れたころ、その包帯の先をむいて小指の先を出して、ギターを恐る恐る弾いてみた。当然まだ痛い。でも一日も早く弾きたかった。折角今まで練習してきたのに、こんなことで弾けなくなりたくなかった。

指先は死んだように黒くなっていった。死んだ皮がぼろぼろ剥がれ落ちた。そして怪我から1箇月を経過したころ、びっくりするようなことが起こった。病院に行くと医者が「そろそろいいかな・・」と言ったと思ったら、指の皮を根元から一気に剥いだのだ。音こそしなかったがバリバリと剥がされたような感じだった。剥いだ皮は指サックのようになっていた。そして皮を剥いだ後に薄いピンク色の新しい指が出てきた。

徐々にギターを弾く程度を強めてみた。でもダメだった。小指の第一関節はブラブラして力が入らなかった。やっぱり・・
これじゃ弾けない。左手の小指がこんなにぐらぐらしてたら弾けるわけがない。悲しかった。涙が出てきた。泣いてる自分が可哀相で、また泣けて嗚咽が出てきた。ギターを弾き始めて一番楽しい時期を突然奪われたのだ。

よし、ポールマッカートニーみたいに左弾きになろうと思い、ギターを持ち替えて練習してみた。弦を爪弾く方の小指はあまり使わないからだ。でも、諦めた。もう遅かった。

しかし最後は、小指が利かなくて、上手く弾けなくても、今までのようにギターを弾くことを選んだ。ギターを捨てたくなかったのだ。下手でもいいじゃないかと開き直った。

小指の第一関節は動かなくても、だんだんと硬く、太くなっていった。

カレンダー
11 | 2006/12 | 01
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
最新記事
プロフィール

リンデン

Author:リンデン
リンデンの長崎ケルンへようこそ!

長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

あなたもよかったら、ケルン(コメント)を積んでいってくださいね。

facebook
twitter
mixi
freeml
you-tube

カテゴリ
最新コメント
リンク
月別(表示数指定)
検索フォーム
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
フリーエリア