63.巨大な製鉄所

そこは巨大な製鉄所だった。

新日本製鐵君津製鐵所。「鉄は国家なり」と豪語し、事実、日本の高度成長を支えた立役者。重厚長大産業の長。世界に冠たる新日鐵の主力工場だった。

僕が配属されたのは、その製鉄所内でコークス製造を受け持つ新日鐵化学君津製造所の中にサブセンターを持つ山九君津支社機工部化学整備課であった。
サブセンターと言えば聞こえはいいが、要するに現場の詰め所みたいな場所だ。

社章の形状からそれぞれ、新日鐵を「マルエス」、新日化を「マルカ」と呼んだ。
そこは僕の全く未知の世界であった。


製鉄所と言えば、国鉄で八幡を通るときに見える汚い煙を吐いている工場のイメージしかなく、まさか、その中で働くなんぞ考えたこともなく、見るものすべてが自分の常識の枠を超えていた。

まずは、そのマルエスの敷地の広大さ。
敷地面積1,172万平方メートル(東京ドーム約220個分)。構内は循環バスか車で移動する。構内を一周するのに車でも小一時間かかった。

そして、その設備の巨大さ。
製鉄所のシンボルとも言うべき「高炉」は4基(当時は3基が稼動中)。高さが100mにもおよぶ巨大設備だ。鉄鉱石をコークスで還元して鉄をつくるわけだが、内部が2000度にもなる溶鉱炉だ。

その高炉を中心に、原料の鉄鉱石を輸送船からヤード、そして高炉へと運ぶ原料部門、高炉で鉄をつくる製銑部門、できた鉄を加工する製鋼・圧延部門、それを製品化し輸送する輸送部門と大まかに分けられる。

それらの部門ごとに付帯設備、管理部門や関連会社のサブセンターなどが点在し、製鉄所は人工的な一大空間を作っていた。

高炉は一度火入れをしたら、何年も燃やし続ける。火を消せばレンガが傷むからだ。
よほど大幅な改修をしない限りは一日24時間、1年365日稼動させる。当然関連する設備も、そこに働く工員も三交代勤務だ。

製鉄所は眠ることがなかった。


マルカの化学工場も、その製鉄所の2割程度を占める敷地の広さがあった。
その中心となるコークス炉は、縦5,6階建て、横4~500mのビルみたいなものだと思えばいい。
(飛行機が羽田へ着陸する前に君津製鉄所の上空を通る。海側に長く並んでいる建物がコークス炉だ)

そのコークス炉は、縦に何百という炉室に区切られており、原料となる石炭を上部から「装入車」が装入し、内部で空気を遮断して、ほぼ一日燃焼させ(蒸し焼きにして)、コークスを生成する。

コークスが出来上がったときが圧巻だ。高さ20mほどの「押出機」が、炉の横からトコロテンを押し出すように、コークスを炉の反対側に押し出すのだ。
反対側には「ガイド車」が控えており、その下に待ち構えた「消火車」に真っ赤なコークスがガラガラと音を立ながら落とし込まれる。

消火車は電車に引かれ、消火塔へ行き、コークスに多量の水をかけられ、消火される。消火されたコークスは、ベルトコンベアで高炉へと運ばれていくのだ。

やってることは単純なのだが、その規模がとにかくバカでかい!!

ちなみに、石炭を燃やすと様々な副生成物ができるのは石油と同じだ。
最近の話題では、石炭からディスプレイもできるらしい。


山九の化学整備課は、このコークス炉を中心とした化学工場全体の点検・整備について、マルカと年契(年間契約)を結んでいた。

そして当時、炉から出たコークスを水で消火するのではなく、窒素ガスで消火する最新の設備(CDQ:コークス乾式消火設備)が建設中であり、その設備の点検整備を受け持つ技術員として、僕が派遣されたと知った。

全く未知の世界で、全く未知の仕事が始まった。

居留地シンポジウム

2007長崎居留地まつり」のオープニングを飾る「居留地シンポジウム」が活水女子大学(写真左)の大チャペルで開かれ、聞いてきた。

第一部は「九州・山口の近代化産業遺産群と長崎の再生」というテーマで、基調講演とパネルディスカッション。(写真中)

パネリストが多彩で面白かった。
萩市長、釜石市副市長、三菱長船資料館長、島津興業副会長、全国産業観光推進協副会長などの近代遺産の話を聞いていると、まるで幕末の薩摩、長州、水戸、長崎、幕府の話を聞いているようであった。

第二部は「温故知新」長崎・居留地からと題し、B・バークガフニ氏の「霧笛の長崎・居留地」の講演(写真右)と、田上市長、桐野氏、三藤教授を加えてのパネルディスカッション。コーディネータは居留地ネットワークの梅元氏。

田上市長以外の方は、昨年の市民セミナリヨを手伝っていただいたり、イノベーション塾でご一緒させていただいたので面識があったのだが、田上市長には初めてお目にかかり、「三日で田上市長ができるまで」の話とか、市民グループのネットワークのお話ができた。

「偉そうな奴」が一番嫌いな僕にとって、田上市長はいつも市民の目線があって、にこやかで、すごく好感が持てる方だった。大学の一つ後輩だけど・・(笑

市長が言う「市民力」、正にこれが街づくりのキーワードだろう。

62.第二の就職

○月○日○時に、本社人事部に来てくださいと連絡を受けた。
1981(S56)年12月1日付入社とのことだった。

よし、いよいよだ。両親に礼を言い、勇んで上京し三田国際ビルに行った。
軽いオリエンテーションを受けた後、人事課長が、

「きみ、君津って知ってるかね?」
「いえ・・」
「木更津は?」
「はぁ、聞いたことはあります」
「君津は木更津の南。きみの任地は君津だ。
 国鉄の内房線に乗って木更津駅で降りて、タクシーで山九君津寮へって言えば連れて行ってくれるから」
「はぁ・・・」(なんだ本社勤務じゃないんだ・・)

言われた通り、東京駅から内房線に乗った。
東京湾を右手に眺めながら、これからの期待と不安で一杯になった。

しかし千葉を過ぎて、乗っても乗っても木更津には着かない。
そしてどんどん街並みがコンビナートに変わり、景色が寂れていく。

やっと着いた木更津駅。辺りは既に暗くなっていた。
なんだ長崎駅よりちっぽけな駅だな・・
言われた通りタクシーに乗り、「山九君津寮へお願いします」と告げた。

走り出すタクシー。どんどん山の中へ入っていくではないか・・
えっ?・・・もう田舎はこりごりなのに・・・滋賀の甲賀の里が思い出された。

寮について寮監さんにごあいさつし、部屋へ案内された。
四畳半の何にもない部屋。
そして僕にも手持ちバック以外、何にもなかった。

さ、ここから再スタートだ。

しかし、翌日から僕の全く想像もしていなかった世界が待ち受けていた。

中秋の治療

本日21週目の定期検診で、大村の別荘へ行ってきた。

経過は順調[:!:]
ただ、長いなぁ~。あと3週打ってもやっと半分だ[:困った:]

でも、僕の大好きな秋を過ごして、厳しい冬を乗り切れば、来るべき春が来る。
頑張ろう[:プンプン:]


【左】昨日は中秋の名月。すっきりと晴れた夜空にくっきりとまん丸お月さん。

【右】今日は帰り道で真っ赤な彼岸花が・・のどかな村に似合ってた。ここにJRのシーサイドライナーでも通ればバッチシなんだけどなぁ~~

出島ワーフの近景

出島ワーフ周辺の近景を三つ

左:飛帆(フェイファン)停泊中

中:今秋オープンしたばかりのD-FLAG(ながさき出島インキュベーダー)、22日に4Fの同窓生のオフィスで同窓会役員会を実施した。

右:そのD-FLAGから見た長崎県美術館水辺の森公園女神大橋の夜景

ウインディは変

うちのウインディはちょっと変。

【写真左】
普通のミニチュアシュナウザーは、耳は垂れているのものだが、
ウサギみたいにピンと立っている。
これは品評会ではいいらしいのだが・・やっぱ変。

ひげも、もっと長くて垂らして、お爺さんの顎鬚みたいに伸ばすものだが、
散歩のときに汚いものを舐めてドロドロになるので、すきっとカットしたけど、ちょっと変。

【写真中央】
散歩のときには「犬が変わった」ように、ウーウーうなってリードを噛むのもやっぱ変。

【写真右】
変だけど、朝起きて階段下でしっぽを振って待ってる彼を見ると、よっしゃ、きょうも頑張って散歩しよっかねっ!って思うんだよな~~

61.甑岩の決断

求職活動の地道な努力が実ったのか、少し運が向いてきた。

まず三菱関連の中堅企業が話を聞いてくれた。
船内の内装工事をやっている会社で、陸に上がって喫茶店の内装工事にも業務拡張をしているところだった。
今では住宅建設でも成功して名立たる優良企業となっている。
その会社で、とんとん拍子で話が進み、役員に会って内定をもらった。

ほっと胸を撫で下ろしていた矢先、今度は母親が近所の僕の同級生の母親から、とある会社の話を持ってきた。
その方のお兄さん(同級生の叔父)が東京で役員をしている会社があって、一度面接を受けてみないかという話だ。

会社名は「山九」(サンキュウ)という物流関連の一部上場の大企業だった。

「中堅企業」には痛い目に遭っていたから、「一部上場の大企業」という言葉は、すごく魅力的に感じられた。
もう一度夢を託す思いで受けてみることにして、指定の日に上京した。

山九の本社は、港区の三田国際ビルの上層階にあった。
このビルは当時最新の設備を誇った地下3階、地上26階のオフィスビルだ。

そのビルに登ると、中途採用の試験とやらで数人の受験者が全国から集まっていた。

試験の合間、緊張をほぐすため、オフィスの窓から外を眺めると、真正面に東京タワーがあった。
そして都内のビル群が果てしなく広がり、遠く車や人がせわしくうごめいているのが見えた。

「世界は刻々と動いているんだ。この流れに乗り遅れてはいけない!」
「男は、やっぱり都会で働かんとダメだ。ここで思いっきり働きたい!」と思った。

長崎に合格の通知が来たのは、それからほどなくのことだった。


しかし、いざ決まってみると迷いが出てきた。
実家に厄介になっているとはいえ、自分は長男坊主、両親は地元で就職して欲しいのではないか・・
父は何も言わなかった。母は「あんたの好きなようにしなさい」とだけ言った。

迷いを吹っ切るため市内からちょっと離れた「甑岩(コシキイワ)」という山に登った。
ここは僕が一番気に入っている場所なのだ。
今でさえ展望台が出来て立派に整備されたが、当時そこには水道搭があり、その屋根に必死によじ登ったものだ。

そこからは長崎市内は勿論のこと、野母半島、橘湾、雲仙、そして遥か天草、九州本土までが一望に見渡せた。

その水道搭によじ登り、大の字になって空を見上げ、今までのことに思いをはせた。
この長崎を旅立った後の、博多での6年間、そして滋賀での1年1カ月・・

もう一度、長崎の街並みを眺めながら、果たしてここで働くのか・・
そして、本土の彼方へ眼をやりながら、あるいはもう一度旅立つのか・・

よしっ!と、後者を選んだ。

初秋の長崎クイズ

朝夕は涼しい風がほてった肌を冷やしてくれるが、まだまだ日中は暑くて汗ばむ。

いよいよあと2週間ちょっとで、秋の大祭・長崎くんち(10/7~9)が始まるが、
長崎では「くんち過ぎんと涼しゅうならん」とよく言われる。

市内中心部のとある場所に来たら、展望がよかったのでパチリ!

左=稲佐山をバックに、長崎駅方面を望む。右手に中町教会が見える。

中=烽火山をバックに、諏訪神社、歴史文化博物館方面を望む。

右=彦山をバックに、右手に市役所、その向こうに市民会館を望む。

さて、この写真を撮った場所はどこだ??正確にお答えください。

正解の方に、阿仁邪特撮ディスクトップ画像を進呈します!!

60.惨めな落伍者

ひよわな夢追い人は、世間の風にちょっと吹かれただけで、たちまち萎れ、挫折し、惨めな落伍者となった。

就職先も親には相談せず、教授の一言で一目散に滋賀へ行き、挙句の果てに早々と辞めて帰ってきたものだから、両親には全く顔向けできなかった。
留年のときの申し訳なさを、またもや繰り返してしまった。

しかし、それからがもっと惨めだった。

何も決めずに実家に帰ってきて、さてこれから、どうするのか??
自分には何にもなかった。とりあえず求職活動をしなければならない。

今でこそ、ハローワークには若者が溢れ、誰もが普通に職を探しているが、当時、小曽根にあった「長崎公共職業安定所」は、陰鬱な雰囲気だった。
来所者はお互い顔を合わさないように伏せ目がちであった。と少なくとも僕にはそう感じられた。

求人カードを繰っても、臨時雇いや、聞いたこともない零細企業の仕事ばかり。どうしよう・・・

こんなに失業がつらいものだとは思わなかった。
失業者は、世間では通用しない者とレッテルを貼られたような気がした。
仕事をしている人たちが、すごく輝いて、立派に見えた。

いろいろと偉そうなこといっても結局、何んにもできないで、親元で食わせてもらっている自分が本当に情けなかった。

公務員家庭で育った自分は、やっぱり公務員が向いているんだろうと、公務員試験を受けることにした。親が勤める長崎市役所と第二の故郷である福岡県庁の二つを「行政」で受けた。

福岡県庁は、一次試験は通り、迎えた二次の面接試験、
僕の前の受験者は、面接時間5分程度でニコニコして出てきたが、僕はたっぷりと時間をかけられ、ありとあらゆる厭な質問をされた。部屋を出た瞬間に落ちたと思ったが、事実その通りの通知が来た。

たった1年で自己都合で辞めた、どこの馬の骨か分からん奴を、簡単に雇うわけにはいかないわな・・
少なくとも、ちゃんとした人の紹介状なりが必要だったのだろう。

こんな自分を雇ってもらえるところがあればどこでもいいやと、長崎市内の主だった会社や団体の総務課に履歴書を持って、アポなしで飛び込んだ。
農協関連や、三菱関連、運輸関連などを次から次へと回った。こっちが選んでる余裕などなかった。

「こんな者ですが、雇ってもらえませんか?」
「いや~~結構です。履歴書、お預かりだけしておきましょう」

当たり前だ。世間はそんなに甘くない。天罰だと思った。
そんな惨めな生活が半年ほど続いた。

黄昏時の海

黄昏時の海もいい。


静かな波の音を聴いていると、心が落ち着く。


月も上がってる。


これは一句詠まんばやろう


 ・・・・・ 


あとで考えようかねっ!!(笑)
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リンデンの長崎ケルンへようこそ!

長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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