いよいよ、い~よ!キリバン!

いよいよ、い~よのキリバンを踏まれたのは・・・・

141531 2008/05/30 21:18 SORIさん
141414 2008/05/30 12:59 外部アクセスの方
141298 2008/05/30 06:25 SORIさん

またまた外部アクセスの方でした。

ニアピン賞はSORIさん。

いつも海外の素敵な写真を送り続けてくださってるSORIさん
ありがとう。

こんな写真でI'm SORI![:ワーイ:]

いよぉ~~おっ!キリバン!

今回のキリバンは140,000!いよぉ~~おっ!!

めでたく踏んでいただいたのは・・・・

140003 2008/05/25 06:06 じゅんさん
140000 2008/05/25 05:53 外部アクセスの方
139963 2008/05/25 02:09 レアさん

ということで、またまた外部アクセスの方でした。

残念でした、レアさん、じゅんさん、
ニアピン賞として、久住のお花の写真を差し上げます。

OMURA室内合奏団 定期演奏会

5月25日(日)、通いなれた三浦の道路を通って大村へ行った。

今回は別荘に行く訳でない。シーハットおおむらさくらホールで行われるOMURA室内合奏団第6回定期演奏会を聴くためだ。

OMURA室内合奏団は、僕のチェロの先生が属する県下で唯一のプロの合奏団。

今回の定演には世界的チェロ奏者アントニオ・メネセスが出演するという。


実は、5月19日にはアルカスSASEBOミッシャ・マイスキーのチェロリサイタルがあったのだが、平日の佐世保開催だったので断念したし[:大泣き:]、5月24日はとぎつカナリーホールでメネセスのチェロ・リサイタルがあったのだが、大分へ行っていたので聴けなかったのだ。

世界的チェリストの生演奏を聴くのは、三度目の正直、最後のチャンス。Hyo Hyo-Maとしては何としても行かねばならない![:ワーイ:]


ホールには少し早く着き過ぎたのか(写真左)、先生に頼んでいたチケットが受付に届いておらず、館長自ら持ってきてもらう。恐縮至極[:汗:]


ロビーでゆっくりしていると、室内合奏団主要メンバーによるロビーコンサートが始まった。(写真中)


開場になり、入ると響きがよさそうな落ち着いたホールだ。キャパは500席。どんどん聴衆が入場してくる。(写真右)
開演時には満席。追加席も出たような盛況ぶりだった。


そして開演。曲目は
メンデルスゾーン/弦楽のための交響曲第10番ロ短調
      〔メンデルスゾーンチクルス Vol.3〕
ハイドン/チェロ協奏曲第2番ニ長調Hob.Ⅶb-2
ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調 作品92

もちろんお目当ては、メネセスがソロで弾くハイドンのチェロ協奏曲。

ぶ、ぶったまげた[:ビックリ:]。チェロをバイオリンのように軽々と弾くのだ。
そして、たった一台のチェロなのに、音がホール中に響き渡る。

あ~~うっとり[:ドキドキ:]。音楽を奏でるとは、こういうことなんだな。
僕みたいに、練習したものを必死に本番で出すことではない。

あっという間にコンチェルトは終わった。
鳴り止まない拍手にアンコールは、バッハの無伴奏チェロ組曲から一曲。

上手いなぁ・・・あれだけ弾ければ、さぞ楽しかろうな・・・
あまりにも技術力が違い過ぎて(そりゃそうだろ!)、圧倒され、頑張ろうという気が湧いてこないが[:汗:]、とにかく啓発された。


最後は室内合奏団のベト7。

これがまたよかった。ゲスト・コンサートマスターの松原勝也氏が指揮を兼ねながらコンマスを務めた。

のだめカンタービレで、一躍人気となったこの曲。何度聴いてもいいものはいいね。リズミカルで、合奏団と聴衆が一体となってこの曲を楽しんだ。


大村まで聴きに行ってよかった。コンサートはやっぱいいね~~[:ワーイ:]

豊後の旅~府内編~

1549年、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、鹿児島→平戸→京都→山口→大分→インド・ゴアと布教の路をたどった。

大分では、「ザビエル」や、11/24に長崎で列福される「ペトロ岐部」の名前を知らない者はいないという。(お菓子の名前で?!)

長崎のキリシタン史を学んでいる者として、この大分(府内)でのキリスト教とそれに伴う南蛮文化の足跡を訪ねてみた。

各地に建てられた記念碑を中心に紹介しよう。

05sourin.jpg
 大友宗麟像(大分駅前) 1550年、21歳で家督を継いだ大友義鎮こと宗麟は1559年、北部九州6国の守護職を手に入れ、九州探題にも任じられた。1578年、キリスト教の洗礼を受ける。

06funai.jpg
 府内城 府内(大分駅東の地区)には中国人が住む唐人町があった。大友宗麟の時代以前から、大友氏は中国や朝鮮半島との貿易を盛んに行っていた。1545年、中国船に同乗してポルトガル商人が府内を訪れ、1551年にはポルトガル船が直接来航した。
府内の中心は、大友氏の居館(復元計画あり)だったが、居館では守備に不安があるため、堅固な城郭を求めて大分川河口付近に府内城(別名、荷揚城)の築城を開始する。1599年、府内城完成。旧府内城を廃し現在の位置に移った。

01xavier.jpg
 聖フランシスコザビエル像(県庁前広場) 1551年、ザビエルは山口に滞在中、大友宗麟の招きを受けて府内に来訪、2か月滞在し布教した。府内は日本における布教の中心となり、西洋文化が開花した。

03seiyoijutsu.jpg
 西洋医術発祥記念像(遊歩公園) 1556年、ポルトガルの青年医師ルイス・アルメイダ(67年、長崎に布教)は日本初の洋式病院を建てた。彼によって内科だけでなく、日本最初の洋式外科手術も盛んに行われた。病院には外来ほか入院の設備もあって1562年には入院患者が100人を超えていた。病院にこれない人のために巡回診療も行われていたし、医学校も併設されていた。はるばる京都や関東からも患者が訪れたといいう。像はアルメイダが外科手術を始めるところ。

04ikuji.jpg
 育児院と牛乳の記念碑(遊歩公園) 1555年には、アルメイダは府内に来ていたが、当時日本は戦乱が続き、国民の中には貧窮の余り嬰児を殺す風習があった。これを知ったアルメイダは自費で育児院を建て、これらの嬰児を収容し、乳母と牝牛を置いて牛乳を育てた。これは近世に於ける福祉事業の先駆である。

02seiyoongaku.jpg
 西洋音楽発祥地(県庁前広場) 1557年、府内教会で復活祭の聖週のとき、二つの聖歌隊がオルガンの伴奏で賛美歌を歌った。これが日本人初の西洋音楽の演奏となった。

10seiyogeki.jpg
 西洋劇発祥記念碑(遊歩公園) 1560年、クリスマスに府内のキリスト教会では信者の手によって西洋劇が演ぜられた。これが日本における洋劇の最初である。

07donmansho.jpg
 伊東ドン・マンショ像(遊歩公園) 1582年、イエズス会巡察師ヴァリニャーノの主導で伊東マンショ・千々石ミゲル・原マルチノ・中浦ジュリアンの4人の少年が、キリシタン大名である大友氏・有馬氏・大村氏の名代としてローマに派遣された。伊東マンショは宗麟の姪の子、13歳であった。長崎から経った一行が帰国した1590年はすでに秀吉が伴天連追放令を出した後、3年前に宗麟も世を去っていた。マンショはその後、神父として隠れキリシタンに布教を行い、1612年43歳で長崎で病没した。
 この像は北村西望が、ローマ教皇に拝謁のためバチカン宮に参入する姿を彫った。

08MemPark.jpg
 キリシタン殉教記念公園(葛木) 大友宗麟が保護しキリスト教は目覚しく繁栄したが、ひとたび禁教の嵐が吹き荒れると、その被害は甚大で尊い殉教の血が流された。わけてもこの葛木付近(通称”獄門原”)は、1661~1673年に14~84歳の老若男女200人の殉教者を出すに至った。

09MemPark.jpg
 キリシタン殉教記念碑(同記念公園内) 殉教者には葬儀もなく、墓もなく史実や名前さえ定かでないものが多いため、大分県キリシタン史跡顕彰会が、殉教者の崇高な信仰の跡を偲び、霊を慰めるため、この碑を建てた。制作は北村西望。

豊後の旅~久住編~

大分出張があったので延泊して、大分在住の知人に案内していただいて久住を回った。


 久住連山


 ベニシジミ


 久重”夢”大吊橋 ※吊橋としては日本一の高さ(173m)と長さ(390m)を誇る


 久重”夢”大吊橋


 くじゅう花公園


 くじゅう花公園


 くじゅう花公園


 原尻の滝 ※東洋のナイヤガラと呼ばれている。


 水車と民家


 可愛い案山子


 緒方川とビール麦畑


 原尻橋 ※石の積み方はローマ橋と同じだ。


 滝見の吊り橋


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ローマ字の日

みなさんはローマ字で「しんいち」って書くとき、どう書きますか?

1.「 shin'ichi 」

2.「 sin'iti 」

3.「 sin'iti 」 (or 「 shin'ichi 」)


実はこれらは、ローマ字の表記法の、
1=標準(ヘボン)式、2=日本式、3=訓令式 で書いたものなのです。

歴史的には、1→2→3'→1→3と変遷してきました。(3’=旧訓令式

正式(国際的)には3で書かなきゃいけないんだけど、1はJRの駅名表示やパスポートでまだ使われているし、細かいところで混同があるってのが現状。特に問題があるわけでもないしね。

詳しくは、wikiのローマ字を参照してください。


いつも書いてる自分の名前はどの方式なのか、改めて見直してみてもいいかも。

5月20日の「ローマ字の日」に寄せて。

遠藤周作とフランス

長崎市遠藤周作文学館の第5回企画展「遠藤周作とフランス」の開会式と記念対談が18日10時からあると聞いて、バスを乗り継いで行ってきた。

長崎バスで「桜の里ターミナルま」で行き、そこから「大瀬戸・板の浦」行きのさいかい交通のバスに乗り換えて「道の駅(文学館入口)」で降りる。

道の駅で日宇さんの手作りパンを買って、そこから降りるとすぐ遠藤周作文学館だ。
文学館の前には吸い込まれそうな碧い角力灘が広がっている。

ここの海はいつ来ても美しい。おそらく一日眺めていても飽きないと思う。


文学館に入るともう、オープニングセレモニーが始まっていた。
田上市長や遠藤周作の順子夫人の姿も見えた。(写真左)

対談は広報ながさきのお知らせワイド版から。
◆遠藤周作文学館記念対談
日時=5月18日(日)午前10時~11時
場所=遠藤周作文学館
テーマ=遠藤周作とフランス
講師=慶応義塾大学名誉教授・高山鉄男氏、作家 三田文学編集長・加藤宗哉氏
参加費=無料。ただし、入館料として一般350円、小・中・高生200円が必要
その他=同日から企画展「遠藤周作とフランス」を開催します。
問い合わせ=遠藤周作文学館(〒851-2327 東出津町77 tel.0959-37-6011)


遠藤氏の後輩で同じくフランスへ留学した高山氏と、遠藤氏の唯一の弟子である加藤氏が、時折エスプリを交えながら、短い時間を気にされながらも、内容の濃い対談をされた。

・遠藤氏のフランス留学は多くの友人に囲まれ、華やかなものだった。
・通常日本人を受け入れないフランス人たちが遠藤氏を深く受け入れ、特に女性からは愛された。
・その中でもフランソワーズ・パストルとの出会いは、彼にとって重要な意味があった。(写真中)

以下、企画展の説明から抜粋
遠藤は、結核により帰国を余儀なくされた最後の数日間を、フランソワーズという女性との旅行に費やしている。遠藤は彼女との出会いに、絶望しかけていた人間への希望の光を見出す。遠藤は小説の中に生きるテレーズの影を追い闇に取り込まれ、また、どんなにフランスの息吹を胸の中に吸い込もうとしても、西洋という大きな壁にぶつかっていた。そんな中、現実に存在する生身のフランス女性の美しい心の光に、遠藤は人間への希望を取り戻す。彼女と遠藤は帰国後も、友情とも愛情(アガペー)ともいえる確かな絆に支えられ、心の友とも呼べる友好を築いていた。


彼の美しい小説の数々は、この長崎を第二のふるさととして世界中を旅しながら、自分の心の旅を書き綴ったもの。単なる夢物語ではない。

「美しきもの、善きこと」を求めて・・・。それに人間は絶望してはならない。
何よりもこの海が、それを確かなものとして示してくれている。(写真右)

(参考)
長崎新聞の動画ニュースに僕の姿が3回も・・・誰も気付かない程度だけどね。

長崎さるく~西坂殉教四列福者のゆかりの地を訪ねて~

5月17日、春の期間限定さるく「西坂殉教四列福者のゆかりの地を訪ねて」に参加した。(細川ガイド、桜田サポーター)

今年11月24日に長崎(ビッグNスタジアム)で行われる「ペトロ岐部と187殉教者の列福式」を記念した「通さるく」だ。

ちなみに福者とは、カトリック教会において、死後その徳と聖性を認められた信徒に与えられる称号。この称号を受けることを列福という。その後、さらに列聖調査がおこなわれて聖人に列せられることもある。聖人の称号を受けることは列聖という。よく知られているマザー・テレサは福者だそうだ。

列福式が日本で行われるのは初めて(これまではローマ)。この188人の中で西坂で殉教した4名の列福者に思いをはせながら、ゆかりの地を巡るさるくだ。

コースは、「長崎奉行所を訪ねて~時代を超えた長崎の中心地~」と「長崎はローマだった~西坂の丘から愛と祈りの小径へ~」を合わせたような以下のコース。

5/11にさるいた「世界遺産祈念さるくⅠ~小ローマ・キリシタン物語」ともダブるので、サン・フランシスコ教会以降は説明は省略し、こちらを参考にしてもらって、四列福者に特化して説明をしよう。


まずは、その4名とは以下の通り。

ローマを見た宣教師 ジュリアン中浦:1568年、現西海市の中浦で生まれた。あの天正遣欧少年使節(伊東マンショ・千々石ミゲル・①中浦ジュリアン・原マルティノ)の一人だ。

ミカエル薬屋:年齢不詳。ミゼルコルディアの組頭。

ニコラオ福永ケイアン:1570年?、近江生まれ。安土セミナリヨの生徒。

伝説の宣教師 トマス金鍔次兵衛:1600年ごろ、大村生まれ。神出鬼没の宣教師。


◆出島(集合・14:00スタート)
 ↓
◆南蛮船来航の波止場跡(現県庁下)
 1582年、天正遣欧少年使節はこの地からローマへ向け船出した。しかし1590年に帰国したとき、すでに秀吉によるバテレン追放令が出された(1587年)後、苦難の道を歩むこととなる。
 ↓
◆イエズス会本部跡(現県庁)(写真左)
 ①ジュリアン中浦、③ニコラオ福永ケイアン、④トマス金鍔次兵衛は、このイエズス会の宣教師となる。
 ↓
◆旧外浦町由来碑
 ↓
◆旧高島秋帆本邸(現長崎家庭裁判所・長崎簡易裁判所)
 ↓
◆大音寺坂(天満坂)
 ↓
◆ミゼリコルディア本部跡(現長崎地方法務局)
 MISERI-CORDIAとはラテン語で「憐れな者に心を」。日本名は「慈悲の兄弟会」。境出身の日本人キリシタン、ジュスティーノ夫妻が1583年開設した。「興善町の薬屋ミカエル」は1618年から組頭として善行を続けた。
 ↓
◆旧小倉藩蔵屋敷跡
 ↓
◆クルス牢(桜町牢/サン・フランシスコ教会跡)(現長崎市役所別館)
 1632年、小倉で捕らえられた①ジュリアンはここに入牢し、10カ月責め続けられた。1633年、③ニコラオも入牢した。
 ↓
◆長崎奉行所立山役所跡(現長崎歴史文化博物館)
 長崎奉行はキリシタンの取り締まりに追われた。例えば④トマスに対しては人相書きを作り、佐賀、平戸、島原、大村の四藩に命じ「金鍔狩り」に着手、血眼になって捕らえようとした。外海山中の「次兵衛岩」、長崎戸町の「金鍔谷」、次兵衛が潜んだ場所は今もその名残を留め、そっと祈る人がいる。1636年11月1日、ついに片淵で捕らえた④トマスを、積年の恨みを込め1年間獄舎で攻め続けた。 
 ↓
◆西勝寺
 ↓
◆中町教会
 ↓
◆本蓮寺
 ↓
◆日本二十六聖人殉教地(写真右)
 1633年7月28日、②ミカエルは西坂を上った。火あぶりの刑に処せられた彼は「もっとも尊いのは愛」を証しした。ミゼルコルディアの創立から50年目であった。

 ③ニコラオも②ミカエルと西坂を上り、ミカエルの火刑を見届けた後、穴吊りの刑に処された。「この期に及んで惜しいことはないのか」と挑発する役人に「一つあります。将軍様はじめすべての日本人をキリストへ導くことができなかったことです」と答えたという。7月31日の朝、帰天した。

 1633年10月18日、①ジュリアンは「わたしはローマへ行った中浦神父です」と名乗りを上げた。3日間穴吊りに処せられたジュリアンは10月21日、「この大きな苦しみを神の愛のため」と最後の祈りを残して帰天した。

 1637年8月21日、④トマスの最初の穴吊りは3日間に及び、11月6日、二度目の穴吊りで帰天した。彼が、散らされた羊を集めた6年で、導いた信徒は637人にも上ったという。

これら4人は江戸時代に西坂で処刑されたが、26聖人の殉教は、秀吉のころ1597年2月5日ですのでお間違いなく。

しかし穴吊りの刑とは、真ん中の写真にあるように逆さに吊るすわけだが、すぐに死なないように耳の後ろに穴を開け、少しずつ血が流れ出るようにしたという。

目的のためには手段を選ばない人間は、よくもここまで残酷になれるものだ。

切られる運命??

写真をご覧あれ。何か、変でしょ??

散歩がてら、ずっと前から気になっていました・・・


そうです。この若葉が出た枝は必ず切られる運命にあるのです。

伸びたら電線を邪魔するからです。


そしてその度に業者が切りに来ます。

先日も、バッサリやって行きました。その跡もあるでしょ??


伸びては切り、また伸びては切り・・・樹木の散髪か??

その散髪代って税金なんだよ!!


それより、そもそも何のために植えたんだっ!?

十字架山

子どものころ、確か登ったことがある「十字架山」。

ずっと気になっていたので行ってみようと思い立った。


しかし場所が分からない。迷った。もう民家に埋もれてしまっているのだ。

道を尋ねたら、その方が親切にも連れて行ってくれた。


むかし、なぜかその「じゅうじかやま」という響きが気に入っていた。

友だちと誓いを立てるときに行く山と勝手に解釈してたような気もする。


この近くの高尾小学校の校歌にこの山の名前が入っているという。

♪十字架山の 空晴れて 風さわやかに 呼ぶところ・・・


ちなみに、この小学校出身の友人KとOと誓いを立てた覚えはない。

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長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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