月曜日の憂鬱

朝は、重苦しかった。

昼は昼で、何だこの空は。


暑い夏を予感してしまう。

それはそれでたまらない。


いずれにしろ、月曜日はなんだか心が塞ぐ。

つい、口ずさむ・・・この歌

長い梅雨

長い梅雨が続いている。

朝雲が、暗い色をして低く垂れ込めている。

まちが、何かの映画で観たような、雨が降り続くダークシティと化している。

まちかどに咲くカラフルな花に、ほっと癒される。

キリバン151515!

忘れてました。

先日キリバンを踏んでいただきました。

151641 2008/06/25 16:13 レアさん
151515 2008/06/25 05:34 外部アクセスの方
151478 2008/06/25 01:09 坂下康弘さん

 1 5 1 5 1 5
「いーこ、いーこ、いーこ」と頭を撫でてさしあげます。

でも、またしても外部アクセスの方でした。どなたか分からない。

しょうがないよな。97%外部の方だから・・・

レアさんと坂下さんに残念賞を考えないとね。

何にしようかな~~

いーこ、いご、一期一会、いちご、いいちこ・・

⇒ (いいちこ)今は、このまま

⇒ いちご白書をもう一度

ちょっと、古いけど、どちらでも・・・

しかし、この二つの曲、共通点あるよね??何か分かる??

県内の旅2008~一支国

きのうの対馬から、きょうは壱岐への旅だ。



<6/25>
比田勝 6:35発→ 芦辺 8:45着 九州郵船JF
 (壱岐市教委で仕事を済ませ)
芦辺 9:52発→ 郷ノ浦 11:05着 壱岐交通バス
 (壱岐市役所で仕事を済ませ、昼食)
郷ノ浦 12:20発→壱岐交通の定期観光バスで観光し
              15:05 印通寺で下車 
印通寺  16:08発→ 壱岐空港 16:15着 壱岐交通バス
壱岐空港 16:45発→ 長崎空港 17:15着 ORC138便

翌朝早く、比田勝から博多行きのジェットフォイルに乗る。途中、壱岐の芦辺で降りる計画だ。

 ▲九州郵船のジェットフォイル(比田勝→厳原→芦辺→博多)

雲は重苦しく垂れ込め、海は荒れていた。厳原港に寄港し、壱岐の芦辺港に向かう。

「・・また南に一海を渡る千余里、名づけて瀚海(かんかい)という。一大国に至る」(魏志倭人伝)

そうか・・この海がそのむかし、瀚海(かんかい)と呼ばれていたのか・・・

ちなみに「一大国」とは「一支国」の誤記だといわれているが(原の辻展示館でもそう書いてあった)、実は「一大」は「天」という意味らしく(諸橋大漢和辞典)、「一大国」は「天国」という意味。つまり倭国の始まり、中心はここにあったということだ。


 ▲芦辺港

芦辺港で下船。着岸した対岸にある市教委で仕事を済まして、早々と壱岐交通バスに乗って郷ノ浦へ向かう。

時間の都合で勝本経由を使ったので、1時間余りかかって郷ノ浦に着く。

壱岐の島は、南北17km、東西15kmの小さな島。一番高い山が郷ノ浦町の「岳ノ辻」の213mだ。「山」といわず「辻」と呼ぶところが謙虚だ。

ちなみに対馬は山国、荒々しい男性の島。壱岐は平野、優しい女性の島だ。
地下水がふんだんに湧き上がり、耕地に恵まれ、豊かな漁業資源もあり、自給自足できる島らしい。

郷ノ浦で仕事を済まし、昼食タイム。さて何を食べようと選んだのが、


 ▲壱州牛定食(松阪牛・神戸牛となる種牛は壱岐の牛なのだ!美味い!!)

帰りの飛行機は16:45。まだ時間がある。かといって空港へ行く足がない。空港直行バスは、一日2便。さもありなん。空港から出る飛行機は長崎行きの2便しかないのだ。

昔は博多行きがあったらしいが、年寄りが博多空港で歩かされるのを嫌ったらしく、利用客が減り、運行を中止らしいと地元の人から聞いた。確かにジェットフォイルが便利だ。

ちょうど定期観光バスが12:20に出るという。それに乗って観光し、空港に一番近い印通寺で降ろしてもらえば、一挙両得!よっしゃそれで行こう。

発車まで時間があったので、「ちょっと変わった神社」を紹介され、行ってみた。


 ▲塞神社

由来にはこうあった。

生まれ、生き、そして土への回帰。永劫の輪廻の中で人間はなお、生への執着から性に祈る

神代の昔、天の石屋戸の裸踊りで知られる女神天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、後に異形の男神猿田毘古神(さるたひこ)と結ばれ、猿女君(さるめのきみ)として以来一対の神となった。元来猿田彦が庚神様となり、防塞の神(疫神の防障、道路主護)として信仰されたが、この地の神はいつ頃より祀られたか定かではない。(中略)女神であることから良縁、安産、夫婦和合、性の病、子供の守護、に霊験あらたかと言われているが、本来道の神であるため交通安全を祈る人も多く、明治末期までは壱岐島に上陸した男達は男根を女神に見せないと怪我をするといってこの塞神社に一物の御照覧を願ったもので、近年は島以外の間でもとみに知られ、何を祈るか丑満に女性の詣りが多い


この男根の頭を撫でればご利益があり、男性も撫でると「ずっと元気」でいられるらしい。勿論、・・・撫でた[:イイー:] 僕のと変わらないぐらい立派だった[:ベー:]

観光バスはまず、岳ノ辻展望台へ向かったが、あいにくの雨。視界ゼロ。


 ▲岳ノ辻の狼煙台
白村江の敗戦の翌年(664)に、新羅(しらぎ)の来襲に備えて壱岐にも防人(さきもり)と烽(とぶひ)を設けた。烽とは狼煙(のろし)のことで、信号用の火煙である。対馬と壱岐と九州本土を結ぶ緊急連絡用として利用された。


 ▲東洋一の黒崎砲台跡(詳しくは→こちら)。
一度も発砲されることはなかった。
上の狼煙台と同じに見えるのは僕だけだろうか。時代と役割は違えども・・・


 ▲猿岩(別の角度から見ると単なる岩、先の地震でひびが入り、崩れたら大切な観光資源がなくなると、密かに修復をしたという)


 ▲鬼の岩屋古墳(直径45mと県内最大級の円墳。壱岐には約260もの古墳があり、九州全土の半数以上を占める)


 ▲左京鼻(玄界灘に面して切り立った総延長約1kmにも及ぶダイナミックな海蝕崖)


 ▲はらほげ地蔵(六地蔵とは六道、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天において衆生を苦しみから救うとされている六種の地蔵)


 ▲祭儀場の復元模型(原の辻遺跡の最高所の台地上で発見された高床建物群は、火をともなう祭事の施設と考えられている)


 ▲その高床建物群を復元中


 ▲印通寺最大の百貨店(観光バスから降ろされ、空港バスまで1時間待った)


 ▲その百貨店に住みつく「対馬山猫」ならぬ「壱岐家猫」


 ▲帰りのオリエンタルエアブリッジ。長崎までたったの30分


何とか対馬と壱岐を回って長崎に辿り着いた。梅雨の中の強行スケジュールだった。帰り着くと足腰ガタガタ。

しかし仕事はしっかり終えたし、旅も満喫できた。

特に今回の旅では、対馬と壱岐の個性の違いを見せつけられた。

対馬は、韓国から眺めると二頭の馬の背に見えることから、対の馬、対馬と呼ばれるようになったとか。現代の韓国人がどんどん訪れているが、悠久のむかし、古代人も南の倭国に惹かれて船を出したに違いない。

壱岐は、行政圏は長崎だが、文化圏は福岡、地理的に近いのは佐賀だ。

行政圏が長崎になかったら、僕も何度も行くことはなかったわけだが、文化圏が福岡というのは頷ける。壱岐には福岡と同じと地名が多いのだ。
黒崎、若松、八幡、一本松・・・枚挙に暇がない。

魏志倭人伝でいう一支国の王都というだけではなく、中韓国と倭国の国際交流の重要都市であったのだろう。

原ノ辻遺跡から船着場が発掘されたが、豊富な交易品が、遠く海を越えてこの船着場に辿り着いたと考えられる。

発掘はまだ全体の5%しか進んでいないという。新たな発見が待たれる。

長崎が1570年以後、異文化を取り入れ融合させてきたが、その遥か昔、弥生の時代からそれをやっていたのが、一支国なのかも知れない。

原の辻遺跡のキャッチコピーは「時間(とき)と海風(かぜ)の交差点

県内の旅2008~国境の島

いよいよ長崎県内の旅もラスト。
梅雨の最中だが仕方ない。6/24,25の両日を使って対馬と壱岐に行ってきた。

たった二箇所と思いきやこれが大変。対馬も壱岐も、市役所と教育委員会が置かれている支所が別の町にある(特に対馬は離れている!)上に、島内の交通手段が限られているのだ。

通常、島内はレンタカーを借りるのが一番便利がいいのだが、先日書いたように僕は運転免許証を紛失していて免許不携帯なのだ。最悪。。



いつもの「ながさきのしま」や各交通会社のHPを頼りに旅程を組んでみた。今回も手強かったが、結局以下の旅程となった。
郷ノ浦から壱岐空港へのルートで定期観光バスを使う手は現地で情報を得た。
<6/24>
長崎空港 8:15発→対馬空港 8:50着 ORC671便
対馬空港 9:00発→厳原 9:25着 対馬バス
 (対馬市役所で仕事を済ませ、昼食)
厳原 13:45発→ 比田勝 16:17着 対馬バス
 (対馬市教委で仕事を済ませ、宿泊)

<6/25>
比田勝 6:35発→ 芦辺 8:45着 九州郵船JF
 (壱岐市教委で仕事を済ませ)
芦辺 9:52発→ 郷ノ浦 11:05着 壱岐交通バス
 (壱岐市役所で仕事を済ませ、昼食)
郷ノ浦 12:20発→壱岐交通の定期観光バスで観光し
              15:05 印通寺で下車 
印通寺  16:08発→ 壱岐空港 16:15着 壱岐交通バス
壱岐空港 16:45発→ 長崎空港 17:15着 ORC138便



 ▲対馬空港へ着陸。天候小雨。


 ▲万松院(対馬藩主・宗家の墓所)日本三大墓所の一つ


 ▲三具足(花立・香炉・燭台で一組となる仏具)朝鮮国王から供献された。


 ▲諫鼓(かんこ、領主に対し諫言しようとする人民に打ち鳴らさせるために設けた鼓)「諫鼓苔むす」とは、諫鼓を鳴らす必要がないほど、為政者が善政を行い、諫鼓に苔が生えること。その上で遊ぶ鳥を「諫鼓鳥」という。


 ▲墓所への階段


 ▲御霊屋(おたまや、宗家歴代の御霊屋が数多く並んでいる)


 ▲金石城の櫓門


 ▲韓国料理店のメニュー。韓国人がツアーで訪れてきた。


 ▲僕が食べたキムチチゲ定食。1000円。辛いのは苦手だが、美味かった。


 ▲厳原港のイカ釣り漁船。バスの時間まで港を散策。


 ▲厳原から比田勝へのバスの旅は何と2時間半!景色でも楽しもうと思っていたが、景色は山ばかり。ちらと覗いた港をパチリ。


 ▲比田勝町内のメーン道路。7/6に行われる「国境マラソンIN対馬」ののぼりが連なって立っていた。


 ▲風情のある民家と幟。


 ▲比田勝港にあった地図。町のあちこちにハングル文字が多いのは、それだけ韓国からのツアー客が多いことの証明だ。

この日は、厳原へ帰る船もなかったし、翌朝が早かったので、港のそばのホテルへ宿泊した。夕食は隣の鮨屋で舌鼓。

壱岐への旅は、この次へ

久しぶりの空

突然、晴れた。

鬱陶しかった梅雨くんも、ちょっと一休みしたかったのか。

久しぶりに明るい空の下でウィンディと外に出た。

やっぱ気持ちよかなぁ~ウィンディ、どや??

返事はしないが、足取りは軽い。

長崎の市花、オタクサ(紫陽花)におしっこをかける彼。

その花はシーボルトに関係がある由緒ある花だ。

チンチン腫れるぞ!

ミミズじゃないんやから、と彼。

98.幸福から奈落へ

仕事がようやく軌道に乗った。

新社屋の内部もすべてが整い、社内の規定や手続きも順調に運用され、社員も日々の仕事に追われていた。総務として充実感があった。

1990(平成2)年10月には、35年続いた独身時代に別れを告げ、親戚や友人や会社の人を大勢招いて、盛大な披露宴を開かせていただいた。

翌春には大借金を敢行し、山腹のわずかばかりの土地に家を建てた。ちっぽけな家だったが嬉しかった。

その秋には待望の息子も生まれた。病院の新生児室で小さい手足を動かしているわが子を見て、心の底から湧き上がるような感動を味わった。こんな感動は生まれて初めてだった。

三回り下の未年。飛べなかった自分の代わりに、「羽」をつけた名前を付けた。

平成元年に長崎にUターンして、全くゼロからのスタートだったが、わずか2年の間に、新しい仕事を始め、結婚をし、家を建て、子を持ち、わが人生にとって言わば「平成維新」のような大転換を果たした。

すべてが順風満帆。そして幸福の絶頂だった。


しかし、人生はそんなに甘くはない。突然の悲劇がわが身を襲った。

再下血。

1993(平成5)年10月のことであった。折りしも、その日は息子の2歳の誕生日だった。

市民病院に緊急入院。

30歳を過ぎて、千葉の君津で下血し入院したときから数えて三度目であった。


それまで原因が分からなかったが、三度目の正直。終に病名がついた。それも恐ろしい病名が・・・

その名はクローン病。主として口腔から肛門までの消化管全域に、非連続性の炎症および潰瘍を起こす原因不明の疾患だという。

そして何と、この病気は厚生労働省指定の特定疾患(難病)であった!

難病?!?この僕が??信じられなかった。晴天の霹靂とはこのことだ。

その関連の本をむさぼり読んだ。読めば読むほど暗くなった。

症状は個人差が大きく、腹痛、下痢、体重減少、さまざまな症状がでるという。ひどい人は食事を一切取れない。寝ている間に鼻から管で高栄養剤を注入するらしい。

さすがに落ち込んだ。食事が一切摂れない??これからずっと??一生??ウソだろ??信じたくなかった。

その年の年末まで65日間の入院を強いられた。一切食事は摂れない。IVH(高カロリー輸液)を肩から入れた。後半には鼻からチューブを入れる苦しい訓練も始めた。

どんなときでも前向きに生きてきたさすがの僕も、初めて人生に悲観した。

わが子が見舞いに来て、点滴台に乗って楽しく遊んでいる姿が、何ともつらく、愛おしかった。

97.鉄から電波へ

開局後もずっと忙しい日々が続いた。

やることなすこと全てが新しく、緊張の中で仕事をしていく楽しみがあったが、その一方で、今までの考え方を根底から変えなければならない場面も多かった。

何せ、それまでは重厚長大の代表である製鉄所の現場でヘルメットをかぶって3Kな仕事をしていたわけだが、突然、軽薄短小の代表のようなテレビ局のデスクワークに変わったわけだから。

体を張って鉄を作る仕事から、空気を売るような仕事へ。ハードからソフトへ。180度の転換だった。


まず、時間に値段をつけることに馴染めない。30秒でン万円?なぜ?原価は?

お金をいただいて放送するかと思うと、こちらから取材に行けばタダ。値段の付け方も納得がいかない。そんなんアリ??

営業も代理店もいい加減に見えた。そんな仕事を製鉄所でしていたら、確実に人が死ぬ。

地元業者の生温さにも唖然とした。見積を頼んでも期日までに持ってこない。電話すると忘れてましたという。あきれた。

そんな業者とは以後一切取引すまいと思っても、他に頼む所がなかった。
それどころか、取引相手がスポンサーだと逆に気を遣った。

狭い長崎。人と人がもたれあって生活していた。当時は許せなかった。

とにかく、カルチャーショックだった。


一方で、事件が続いた。

開局の年、1990(平成2)年11月には雲仙・普賢岳が噴火し、翌年6月3日の大火砕流につながる。系列局の記者やカメラマンが殉職した。

事故の翌日、亡くなられた記者の奥様を事故現場近くの水無川にご案内した。
土石流で埋まった荒涼とした現場を前にして、放心状態の奥様。新婚だった。

親しい方と会った途端に、わっと泣き崩れられた・・・

全国から報道陣が続々と押し寄せ、取材態勢がしかれた。記者やカメラマンらが一刻を争い、取材本部は騒然となった。

そこには製鉄所とは違う厳しさがあった。

何なんだろう。この仕事は・・・

キリバン150000ヒット!

ついに、このブログも15万のアクセスを記録しました。

改めて、すごいなぁ~~延べ15万人の方が読んでくれたんだよ。

嬉しかねぇ~みなさんに感謝!感謝です![:ワーイ:]


では、記念すべき、150000を踏んだ方を紹介します。

ドロロ・・・・[:=3:][:=3:][:=3:][:=3:](スネアドラムの音)

パンパカパ~~ン!!今週のハイライト!!(古っ)


150155 2008/06/21 22:25 レアさん
150000 2008/06/21 14:41 外部アクセスの方
149817 2008/06/21 06:46 SORIさん

外部アクセスの方でした。謹んで御礼申し上げます。

レアさん、SORIさん、いつもケルンを読んでくれて、ありがとう。

ニアピン賞(と言っても相当遠いけど)として、この前、島原で食べたそばか、佐世保バーガーを差し上げます。味も匂いもありませぬが・・・

どっちを取るかは早いもん勝ちです。どうでもいいでしょうが・・[:キャー:]

県内の旅2008~雨の五島列島

梅雨の真っ只中、6/19,20と出張で五島列島を巡った。入梅前に回りたかったなぁ。

目指すは五島市新上五島町小値賀町の各役場と教育委員会。

さて、どう回ろうか。航路マップを眺めながら悩む。



五島列島の情報はこのサイトが詳しい。

昨年の例を参考にしながら、いろいろと調べてみたが中々効率的なルートが見つからない。日帰りはまずできない。じゃ、どこで宿をとるか・・・

とりあえず、行ってみるか!ここがオプティミストのいいところ。


福江港(五島市)へ

長崎港ターミナルから、朝7:40発の九州商船のジェットフォイル「ぺがさす」で、福江港に向かう。曇り空。海も少々荒れていたが、さすが「海の上を飛ぶ船」、揺れない。1時間25分もあっという間だ。

福江港に着くと、最初に迎えてくれたのが至る所に掲げられた「アイアンマン・ジャパン・トライアスロン」ののぼり。そうか、22日(日)が本番なのだ。


五島市役所と福江小学校で用事を済ませ、また港へ戻る。


 ▲石田城跡(歴代五島藩主の銘版とアイアンマン・ジャパンののぼり)


笛吹港(小値賀町)へ

10:40発の野母商船のフェリー「太古」に乗る。上五島、小値賀を通って、博多へ向かう大型フェリーだ。

上五島(青方港)で降りる手もあったが、そのまま小値賀まで乗船することにした。

この太古のルートで見逃せないのは、中通島と若松島にかかった若松大橋の下をくぐるとき。若松瀬戸にひっそりと佇む白亜の若松大橋に思わず見とれてしまう。


 ▲若松大橋をくぐった後に


福江から北上していく太古は3時間後、13:40に小値賀の笛吹港に着いた。

懐かしい。ここを訪れるのは一昨年から3度目。市町村合併の流れに巻き込まれない自立性の高い、僕の大好きな島だ。


 ▲笛吹港でこの看板が迎えてくれる。


この島は、旧石器時代から人が住んでいた歴史、おぢか国際音楽祭にみられる文化、自然を大切にしながら町おこしをするアイランドツーリズムにみられる郷土愛は、他の島から抜きん出ている。

米国の国際親善団体「ピープル・トゥ・ピープル」(PTP)が企画した世界の“修学旅行”先ランキングで、平戸市や小値賀町を訪問する「長崎コース」が世界一に選ばれたぐらいだ。

用事はすぐに済んだ。しかし、上五島まで戻る便が夕方までない。天気が良ければ島内を散策するのだが、ターミナルで時間が来るのをひたすら待った。


有川港(新上五島町)へ

18:22発の五島産業汽船の高速船「えれがんと」で、中通島の有川港へ向かう。



 ▲右手は中通島。雨が強くなった。波が荒い。


30分ほどで、有川港に着いた。当日予約した和風ペンションに向かう。

観光協会から、民宿とこのペンションを紹介されたのだが、1階が居酒屋だと聞いて何となくこっちを選んだ。

しかし部屋に入ると何か湿っていてカビ臭くて、後悔・・・だが夕食を食べた途端、心変わり。やたら刺身が美味いのだ!何と現金な。

長崎に住んでいると、刺身が美味いのは当たり前だが、ここの刺身はまた格別だった。今、イサキが旬だ。

おかげで生ビールも進み、腹一杯になって部屋で寝っころがっていたら、今度は、足がツリ始めて大往生。あ、あ、あぁ~~~!!

泣いたり笑ったり・・・


 ▲旧有川町。ペンションまでの道すがら。静かな漁村だ。


翌日、新上五島町を回らなければならない。教育委員会は新魚目、町役場は青方にある。長崎に帰る港は鯛の浦だ。

う~~ん、どうやって回ろう。バスは本数がなくて不便だし、レンタカー借りるにも現在、紛失のため無免許。

仕方なしにタクシーで移動した。でも車中、地元の運ちゃんといい話ができた。彼はクリスチャン。先祖たちが外海から迫害を逃れ、元々仏教の地だったこの地に移住したきたときの、後ろめたく、つらい思いを彼が代弁してくれた。


鯛ノ浦港から長崎港へ

雨がどんどん降ってくるので、当初、鯛ノ浦教会にでも行こうと思っていたが断念し、11:00発の五島産業汽船の高速船「えれがんと」で長崎に早々と戻ることにして鯛ノ浦港へ向かう。


 ▲鯛ノ浦港ターミナルで

鯛ノ浦港から長崎港までの1時間40分が、今回の船旅で一番つらかった。揺れたのだ。長崎に着いてドッと疲れが出た。


昨年は比較的余裕で回れた心癒される旅だった。
 県内の旅4・五島列島
 県内の旅5・優しき島小値賀
 県内の旅6・上五島教会めぐり


今年、献堂100周年を迎えた堂崎教会の資料によると、

五島へ五島へと みな行きたがる 五島やさしや 土地までも」の民謡は、
五島極楽 来てみて地獄 二度と行くまい 五島が島」に歌い変えられたという。

今回の旅は、その意味が少しだけ理解できたような旅であった。
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長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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