のんちゃんのり弁の緒方監督

現在、長崎セントラル劇場で公開中の”のんちゃんのり弁”の緒方明監督が、NCCの土曜朝の情報番組”トコトン☆サタデー”に生出演。その後、セントラル劇場でのトークショーに出演された。

監督は、”独立少年合唱団””いつか読書する日”で数々の映画賞を受賞されたが、報道、テレビ、CMなどの映像の世界もすべてご存じ。現在、日本映画学校の講師もされている。

”のんちゃんのり弁”は、小西真奈美が31歳バツ一女を体当たりで演じ、何か先が見えない今の時代に、さわやかな感動と生きる力を与えてくれる応援歌だ。

ogata00.jpg
 ▲トコサタの”秋の映画特集”では、いつもながら豊富なご経験をバックに、楽しいトークを展開していただいた。

ogata03.jpg
 監督は、附小・附中時代に、このセントラル劇場によく通われたという。僕も同じだ。
 シネコン全盛で、当時の単館は次々と閉館に追い込まれ、今やここが最後の砦だ。

 「映画はその時代を切り取り、残していくもの」
 「映画は、過ぎゆく時代への追悼だ」

 「いろんな映画がなくてはダメだ。こういう小屋のためにもいろんな映画を作っていきたい。セントラルさん、頑張って欲しい。」と熱く語られた。

ogata04.jpg









監督の次回作はあの「死刑台のエレベーター」の日本版リメイクだ。

主演は、吉瀬美智子

角川映画配給で来秋公開予定。楽しみだ。

テーマ : 映画
ジャンル : 映画

佛教文化講演会「長崎の佛教にまつわるおはなし」

29日夜、NBCビデオホールで佛教文化講演会「長崎の佛教にまつわるおはなし part2」があった。主催は、長崎市佛教連合会。講師は長崎歴史文化研究所の原田博二所長。

budda03.jpg
 ▲「寛永長崎港図」の白い部分は、土地税を免除された内町、赤い部分は土地税を取られた外町。1630年代の長崎の町並みだ。特に中国寺が大きく描かれているという。

原田氏にはアジェンダが企画した市民セミナリヨで「長崎開港とオランダ・ポルトガル」について講演していただいたばかりだが、きょうは佛教のお話。

昨年、第一回をして大好評だったため、今回part2を企画したという。会場は超満員であった。

原田所長のお話で、僕が興味を引いたのは、以下の通り。

・長崎がポルトガルの貿易港として開港(1570)し、キリシタンのまちとなった(1580イエズス会に寄進)後、衰退した佛教を再興しようと努力したのが、1604開創の正覚寺の道智、1608開創の洪泰寺(後の皓台寺)の泰雲、1614開創の大音寺の傳譽、光永寺の慶西、大光寺の慶了ら、いわゆる長崎五僧と呼ばれる僧たちだった。

・オランダのライデン博物館にある日本の資料はシーボルトが持ち帰ったものだが、その中に彼のお抱え絵付け師・川原慶賀が描いた長崎の寺の絵がある。おそらく1820年代に描かれたもの。

・その絵の中に、国宝となった崇福寺の山門が、現在と違ったものとして描かれている。1829年のいわゆる「シーボルト台風」で倒壊してしまったのだ。

・また長崎奉行所(現在の歴博)の近くにある永昌寺の一角に遠見番所が描かれてあり、そこに「眼鏡」という書き込みがある。おそらくシーボルトが書いたのだろう。野母の樺島の遠見番の外国船を発見したという狼煙をここで見て、すぐに奉行所に知らせに走ったと思われる。

・興福寺の二代目・如定禅師(眼鏡橋を架けた)、三代目・逸然禅師が中国から招へいした日本黄檗宗の開祖である隠元禅師(後に黄檗宗万福寺を開創)の話は、ここに詳しいので割愛する。

・中国との貿易が盛んだった1600年代、長崎の人口は6万人ほどで、江戸、京都、大阪に次ぐ大都市だったが、その内1万人は中国人だった。

・長崎のボーナス「箇所(かしょ)銀・竈(かまど)銀」。長崎貿易の利益が150億程度だったが、40億が幕府に、110億(最低でも70億)が町民に渡り、長崎の町は大いに潤った。7月、12月に長崎会所から配分されていた。

清水寺の瑞光石の話。同寺から千代姫(家光の長女)の安全を願う葵の御紋が入った器が出てきた話。

・皓台寺にある書「殿徳萬」に林道栄がケチをつけた話。東皐心越と水戸光圀の話。

その他いろいろ興味深いお話が盛りだくさんであった。

budda02.jpg
 ▲最初にルンビニコーラスによる歌があった。

会場の皆さんで、歌いましょうと歌った唄がこれ
sankie.jpg

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

アナログな風景に

福岡国際センターで行われたNTTコレクションを見に行った帰りのバスの中で

最新のデジタル通信の未来を見た反動か、何もない霞んだ風景が妙に美しく感じて・・・

saga01.jpg

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

54の夢

目下練習中。

このように弾けるようになりたい。

あぁ・・・このギャップ・・・

でも、夢を叶えるためには、何かを一つ捨てなきゃね・・・





テーマ : 日記
ジャンル : 日記

18の夢に

君はきょう、18歳の誕生日を迎える。おめでとう!

18年前、お母さんが一生懸命お腹の痛みに耐えながら、君を産んだ記念日でもある。
お父さんも初めて君の姿を見たとき、心の底から湧き上がる感動に、自分でもビックリしたのを覚えているよ。

あれから18年。いろんなことがあったね。

君が2歳を迎えた誕生日にお父さんは病に倒れ、君がお見舞いに来て、点滴台に乗って無邪気に遊んでいたなぁ。申し訳なかった。

君はお父さんと同じ幼稚園に通い、お父さんが習った園長先生からも可愛いがってもらった。
そして君は両方のおじいちゃん、おばあちゃんはじめ、周りの人から十二分に愛されてきた。

でも君も大手術を経験したね。
あのときの君の決意と忍耐には頭が下がったよ。


そして今。18歳の立派な大人になった。

でも大学への進路を前にして君は迷っている。
進学校に行ったものの、余り君には馴染めなかったようだね。

さあ、どうする??

現実は厳しいよ。大学全入時代とはいうけど、大学を出ても就職がない時代だ。
また、なかなか夢を持てない時代だ。

お父さんはアドバイスはするが、君の夢を壊すわけにもいかない。
君が夢に向かって進むなら、一生懸命後押しするしかない。何でもするよ。

でも、甘えられてもだめだ。
一番ベターだと思う選択をしたら、後はもう君自身がその道を切り拓いていくしかないのだから。

今の君に十分に力を与えてあげられないお父さんも悩ましいよ・・・

龍馬のこの言葉を送ろう。
「世の中の人は なんとも言わば言え、我が為すことは 我のみぞ知る」

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

居留地の中の活水

東山手にある活水学院の第125回螢雪祭が23日、24日に行われた。
活水学院はエリザベス・ラッセル氏によって創立され、今年130周年を迎える由緒ある女学校だ。

僕の目的は2つ。活水高校の林正康先生からご案内があった写真展「居留地の中の活水」を観るためと、居留地ネットワークのU氏とこの4号館で、この12月にアジェンダNOVAながさきで企画している「長崎クリスマス」について打ち合わせるためだった。

決して「ミス活水」を観にきたのではありません!!

kwassui01.jpg
 ▲本館野外ステージ

kwassui00.png
 ▲林正康先生の写真展から

kwassui02.jpg
 ▲活水学院はこの16番館から始まった。この後に建てられた”外国人宣教師館”で僕の友人のピアニスト松枝淳一君は、ピアノを習っていた。彼によれば当時、この門をくぐると、パンを焼く匂いがプーンと漂ってきて、そこはまるで外国そのものだったという。

kwassui03.jpg
 ▲日本の食や農業の問題点を丁寧に説明してくれた可愛い学生

kwassui04.jpg
 ▲いよいよお目当ての・・・もとい!たまたま開かれていたミス活水コンテスト。みなさん、どの娘がお好みかな~~??(笑)

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

浦上天主堂から世界に届け、平和の祈り

18日は"世界宣教の日"として、浦上天主堂でのミサの模様が、フランス国営テレビ・チャンネル2(ドゥ)によってフランスに生中継された。

この中継の目的は本来、フランスのテレビ視聴者が日本のカトリック信者と出会うためであるが、同時に、原爆でおびただしい犠牲者が出たこの場所で、平和のために祈るという目的もあるという。

urakami01.jpgurakami10.jpg
 ▲原爆で吹き飛ばされた鐘楼ドームだけがひっそりと残されているが、この浦上天主堂全体が被爆遺構として残されていたならば、オバマ大統領のプラハ演説での「世界で唯一核兵器を使用したことのある核保有国として、米国は行動を起こす責任がある」との言葉を待つまでもなく、アメリカはもっと早くにその責任感に目覚めていたかも知れない。彼らが信じる神の聖なる施設を自らの手でたたき壊したのだから。当時の田川前長崎市長は訪米した後、なぜか、この被爆遺構を残さず、建て替える方針に転換してしまった。

urakami06.jpgurakami11.jpg
 ▲被爆マリア像(右):かつて東洋一とうたわれた浦上天主堂の正面祭壇の最上段に安置されていた無原罪の聖母像は、木彫りの寄せ木細工で、高さが2mに及び、その美しさと優しさに満ちた姿のために人々に愛されてきた。そのマリア像は、原爆で崩壊した天主堂と共に破壊、消失したものと思われていたが、被爆しながらも数奇な運命をたどり、高さ26cmの顔の部分だけを残す変わり果てた姿で発見された。右ほほは原爆の火で黒く焼け、彩色は取れ、清く澄んだ優しい輝きに包まれていた目は、空洞のまま憂いを漂わせている。かくも痛ましく傷つきながらも、人類の平和と救いの仲介者であろうとする被爆マリアの姿が見る人の心を打つ。(同説明書きより)

urakami02.jpg
 ▲堂内で中継の準備が進んでいる。※写真は教会の許可を得て撮影しています。

urakami04.jpg
 ▲リハーサル中の長崎カトリック合唱団。指揮は野下千年カトリック中町教会主任司祭。

urakami03.jpg
 ▲パイプオルガン演奏は、長崎純心大学の松本俊穂教授。

urakami09.jpg
 ▲司祭団入場のリハーサル

urakami08.jpg
 ▲中継は17:55から1時間程度行われた。ミサは冒頭、見三明カトリック長崎大司教の流暢なフランス語のあいさつから始まった。

urakami05.jpgurakami07.jpg
 ▲独唱はメゾソプラノの松本裕子氏。世界に届け、長崎の平和の祈り。

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

興福寺「月の奉行」観月宴

10月14日夜、東明山 興福寺「月の奉行」観月宴があった。

koufukuji01.jpg
 ▲興福寺

港を見下ろす風頭山の山麓に寺院が並列する寺町通り。そのなかほどに、広いゆったりとした南方風の境内をもつ興福寺は、かつて日本のなかの中国だったのです。
雄大な朱色の山門により「あか寺」として市民に親しまれ、長崎を訪れる多くの人々が立ち寄る興福寺は、我が国最初の黄檗禅宗の唐寺で、開祖隠元(いんげん)禅師が、中国より初めて日本に渡海され住持した宝地であり、眼鏡橋を架けた黙子如定(もくすにょじょう)禅師、近世漢画の祖逸然(いつねん)禅師など、そうそうたる中国高僧が住持したことでも知られます。このように、日本黄檗宗発祥の地、隠元禅師初登の聖地というユニークな歴史を記した全境内は、現在、県の史跡として保護されています。
興福寺ホームページから)


 
今年の観月宴は、黄檗宗の宗祖隠元禅師が東渡して355周年を記念したもので、100席の事前申し込みで早々と完売の人気。チケット代は3千円 (拝観料、お茶席、点心、ライブ含む)だ。

koufukuji02.jpg
 ▲松尾法道ご住職と若い女性がにこやかに迎えてくださった。

koufukuji03.jpg
 ▲点心は、隠元禅師が興福寺に伝えられた普茶料理のお弁当。インゲン豆や胡麻豆腐、胡麻和え、ケンチン汁、もやし、茄子、寒天など。手造りの普茶の心を味わった。

koufukuji04.jpg
 ▲花滴庵早稲田佳子社中によるお茶席。

koufukuji05.jpg
 ▲お茶菓子がまた美味しかった。

koufukuji06.jpg
 ▲お楽しみの讃仏ライブは「廖明智 月に歌う」。湖南省出身の廖明智(リョウメイチ)嬢の瓢箪笛と素敵な歌を楽しんだ。僕は廖明智さんの演奏を聴くのは四川大地震のチャリティコンサート以来。益々その笛と歌声に磨きがかかっていた。特に日本語と中国語で歌われた「夜来香(イエライシャン)」には拍手が止まなかった。
 

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

龍馬への旅(おしまい)

3日めの朝、安芸市に向かった。龍馬はもちろん、長崎と関係が深い岩崎弥太郎を訪ねるためだ。

fromRyoma01.jpg
 ▲高知から車で40分ぐらいで弥太郎の生家に着いた。そこは広々とした田んぼの中にあった。昔ながらの田舎だ。気持ちがいい。

fromRyoma02.jpg
 ▲ここが岩崎弥太郎の生家だ。現在も岩崎家の所有。入場無料。「岩崎彌太郎生誕之地」という碑が庭の真ん中にあるだけ。来年の龍馬伝で、おそらく観光客がどっと訪れるのだろうが、いろんな案内板を立てたり、入場料を取ったり、商業化しないで欲しい。

fromRyoma03.jpg
 ▲彼が後年建てた土蔵の壁には「三菱」のマークが。壁の瓦にも注目。台風が多い土佐ならではの台風対策だとか。

fromRyoma04.jpg
 ▲その三菱マークの原型となった岩崎家の家紋「三階菱」が鬼瓦に使われている。

fromRyoma05.jpg
 ▲庭には奇妙な石組みが。少年時代の弥太郎が天下飛雄の夢を託し、日本列島を模して作ったと伝えられている。確かにそうみえる。但し、縁側から見ると南が上だ。これはきっと土佐から太平洋を見ていた視線なのだろう。また四国がやたらでかい。飛石は、おそらく左から朝鮮半島、佐渡島だ。

fromRyoma06.jpg
 ▲近くにある「野良時計」。明治20年頃、この地の地主だった畠中源馬氏が、10歳の頃に父に買ってもらったアメリカ製の八角時計を分解しては組み立て、構造を理解し、すべての部品から手作りで作りあげたという。

fromRyoma07.jpg
 ▲安芸城跡。安芸氏代々の居城だったが、1569年、長宗我部氏に敗れ、以後1602年に山内氏が土佐が入国するまでの約30年間、長宗我部氏が支配した。山内一豊は五藤氏にこの城を預けた。
 
fromRyoma08.jpg
 ▲安芸川の水はどこまでも清らかで、ゆっくりと土佐湾に注ぎ込んでいた。

fromRyoma09.jpg
 ▲安芸漁港には日本一の防波堤がある。何と16mもある。土佐の台風はこの防波堤を越えてくるほど激しいらしい。

fromRyoma10.jpg
fromRyoma11.jpg
 ▲土佐の海。龍馬を生んだのはこの海だ。

今回は土佐を満喫した。南国土佐とはよく言ったものだ。狭い長崎とは全く違う。龍馬のようなスケールのでかい人間は長崎では生まれなかったであろう。


さ、その狭い長崎へ帰ろう。

fromRyoma12.jpg
 ▲瀬戸大橋。昼間見るとこんなに素晴らしかったんだぁ~

fromRyoma13.jpg
 ▲関門大橋

fromRyoma14.jpg
 ▲壇ノ浦PAで

fromRyoma15.jpg
 ▲帰路・・・長崎は遠い・・・


Tさん、今回の土佐の旅、最初はどうなることかと思ったけど、楽しかったよ。ありがとう!いっぺんに土佐ファンになりました。

それにしても、レンタカー代より、ガソリン代が高くついたね。少なくとも、もっと燃費がいい車を借りるべきだった・・・(^_-)-☆


貴方が何度も何度も口ずさんでいた「よさこい節」を最後に記して、この旅を終えます。

1.土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た よさこい よさこい

2.御畳瀬(みませ)見せましょ 浦戸を開けて 月の名所は桂浜 よさこい よさこい

3.言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎより よさこい よさこい

4.土佐は良い国 南をうけて 薩摩おろしがそよそよと よさこい よさこい

5.わしの情人(といち)は 浦戸の沖で 雨にしょんぼり 濡れて鰹釣る よさこい よさこい

6.よさこい晩にこいと いわんすけれど 来てみりゃ真実こいじゃない よさこい よさこい

7.西に竜串 東に室戸  中の名所が 桂浜 よさこい よさこい

8.思うて叶わにゃ 願かけなされ  はやる安田の 神の峰 よさこい よさこい 

9.来るか来るかと 待つ夜にゃこずに 月の種崎 まつばかり よさこい よさこい

10.土佐の名物 珊瑚に鯨   紙に生糸 鰹節 よさこい よさこい

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

龍馬への旅(その3)

ついに龍馬と会った。

onRyoma11.jpg
 ▲これが土佐の龍馬だ。あの上野彦馬の写真を彷彿させる。銅像の高さは5.25m、台座を入れると約13.5m。昭和63年5月28日、司馬遼太郎氏が還暦を迎えた銅像龍馬にメッセージを寄せている。「銅像の龍馬さん、おめでとう。あなたは、この場所を気に入っておられるようですね。私もここが大好きです。世界じゅうで、あなたが立つ場所はここしかないのではないかと、私はここに来るたびに思うのです。・・・(中略)・・・ 最後にささやかなことを祈ります。この場所のことです。あなたをとりまく桂浜の松も、松をわたる松籟の音も、あるいは岸打つ波の音も、人類とともに永遠でありますことを。 司馬 遼太郎」

onRyoma12.jpg
 ▲龍馬が見つめている桂浜と太平洋。突き出した岬は龍頭岬と呼ばれる。

onRyoma13.jpg
 ▲その龍頭岬で。平成の龍馬たち。

世の中の人は なんとも言わば言え、我が為すことは 我のみぞ知る。

桂浜はゆっくりと時が流れていた。

onRyoma14.jpg
 ▲MY遊バスを「はりまや橋」で降り、電車で高知城に向かった。はりまや橋といえば、「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい 」が口をついて出てくるが、この歌は、竹林寺の僧・純信といかけ屋・お馬の悲恋物語のことだとは初めて知った。ちなみに「よさこい」とは「夜さ来い」「夜這いにおいで」という意味の古語だとかいう説もある(*^^)v

onRyoma15.jpg
 ▲まちのどこかで、よさこい踊りが演じられているようだ。

onRyoma16.jpg
 ▲高知城の本丸から市内を眺める。この城は、関ヶ原の戦いで東軍についた山内一豊が20万石を与えられ造った城。これにより改易された旧長宗我部氏の家臣を「郷士」、山内家家臣を「上士」と呼ぶ差別社会が生まれた。土佐郷士の多くは尊王攘夷に身を投じた。龍馬の家系は、郷士の株を買った豪商(才谷屋は質屋の屋号)。龍馬が商才に長けていたのは、そういう家柄だったからだ。

onRyoma18.jpg
 ▲その山内一豊の像。

onRyoma17.jpg
 ▲城内には自由民権運動で有名な板垣退助の像がある。板垣家は上士で恵まれていた。

onRyoma19.jpg
 ▲この日は夕陽がとても綺麗で、まるで高知城が燃え上がっているようだった。

onRyoma20.jpg
 ▲Tさんと「ひろめ市場」で待ち合わせして食べた本場の「鰹のたたき」。山内一豊が食中毒防止に傷みやすい鰹の生食を禁じたのに対して、表面のみを焼いて焼き魚と称して食べられたのが起源とする説もあるらしい。

土佐を満喫した一日だった。翌日は岩崎弥太郎が生まれた安芸市に行こうと別れた。 続く>>

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

カレンダー
09 | 2009/10 | 11
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新記事
プロフィール

リンデン

Author:リンデン
リンデンの長崎ケルンへようこそ!

長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

あなたもよかったら、ケルン(コメント)を積んでいってくださいね。

facebook
twitter
mixi
freeml
you-tube

カテゴリ
最新コメント
リンク
月別(表示数指定)
検索フォーム
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
フリーエリア