長崎クイズ(7)

(問題)これらは同じ日に同じ場所で撮ったものです。これを組み合わせてストーリーをつくってください。

(参考)→貴重映像!26聖人記念館

(解答)
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▲日本二十六聖人記念館の東側の壁面。アントニオ・ガウディ風の陶片モザイク(設計した今井兼次氏は陶片に命を与えるという意味で”フェニックスモザイク”と呼んだ)が散りばめられている。ガウディ遺愛の陶片や、今井兼次氏を支えるも先に亡くなられた奥様が愛した陶片も埋め込まれている。

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▲50年前にこの記念館の建設をした大成建設で型枠工をされてた佐藤氏。当時建設に関わった数少ない証言者。まずこの聖フィリッポ教会の尖塔の模型を作り、15cmごとに輪切りにした型枠を作り、積み重ねて行ったと証言された。

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▲列聖された1962年を刻んだ記念オブジェの原型。これも記念館の東側に配置された。

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▲当時の設計図で、一番難しかったところを指し示す佐藤氏。

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▲記念館の中庭にあるトマス金鍔次兵衛の像。潜伏しながら神出鬼没の布教活動をした。彼が隠れ住んだ外海の山奥の岩は「次兵衛岩」と呼ばれ巡礼地になっている。人相書きまで書かれ、とうとう片渕で捕えられ、穴吊りの刑を受けこの西坂で殉教した。

 トマス次兵衛は帰国以来、幾度も難を逃れたが、1636年11月1日、ついに片淵で捕らえられ、クルス町の牢に押し込められた。奉行は、彼を援助したポルトガル人の名前を自白させるため、また探索に長い時間を費やした恨みを晴らすため、さまざまな恐ろしい拷問を試みたが、すべては徒労に終わった。恩人を一人も裏切ることなく、トマス次兵衛はすべての苦しみに耐えぬいた。1637年8月21日に穴吊りにされたが、23日になって、入港したポルトガル船の乗組員に関する取り調べのため牢に戻された。この時にも誰の名前も言わなかったので、11月6日、数人の信者とともに、西坂で再び穴吊りにされた。すでに衰弱しきっていたトマス金鍔次兵衛は、その日のうちに壮絶な殉教を遂げた。37歳であった。(伝説の宣教師 トマス金鍔次兵衛


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恍惚のブルース


あっ いい~ うっ えぇ おお~(^^)v

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NAGASAKI という曲

長崎人が知らないアメリカ人がつくった「ナガサキ」、という興味ある記事を載せているのは長崎歴史文化協会の会報誌「ながさきの空 349号」。

その曲はこれです。曲名はそのまんま「NAGASAKI」。


▲The Mills Brothers

Hot ginger and dynamite,
That's all there is each night,
Back in Nagasaki where the fellows chew tobaccky
And the women wicky-wacky-woo!
They got a way that they entertain,
They would hurry a hurricane
Back in Nagasaki where the fellows chew tobaccky
And the women wicky-wacky-woo!

Fujiama, got a mama,
Then your troubles increase, boy!
In some pagoda, you order soda,
earth shakes milk shakes, ten cents apeice-ee
They hug and kiss each night,
By jingo, boys, it's worth that price!
Back in Nagasaki where the fellows chew tobaccky
And the women wicky-wacky-woo!


他にもたくさんの演奏家が「NAGASAKI」を演奏しています。知らぬは長崎ばかりなり。

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カクレキリシタンの里(1)信徒発見

国宝・大浦天主堂。1865(慶応元)年に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物です。

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▲今年のGWは例年以上に賑わった。

正式名は「日本二十六聖殉教者天主堂」。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、彼らの殉教地である長崎市西坂に向けて建てられています。


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聖堂内(許可を得て撮影)▲建堂当時の主任司祭、プチジャン神父
            

この天主堂の献堂式は1965年2月19日、盛大に行われ、町民はこのゴシック式の天主堂を「フランス寺」と呼び、見物に多く訪れたといいます。

そして献堂式から間もない3月17日、この聖堂は「東洋の奇跡」と呼ばれた「信徒発見」の歴史的舞台となるのです。


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▲中庭にある信徒発見のレリーフ

この信徒発見の出来事を、プチジャン神父がパリ外国宣教会の日本教区長だった横浜のジラール神父に宛てた書簡で紹介しましょう。

 親愛なる教区長様、心からお喜び下さい。私達はすぐ近くに昔のキリシタンの子孫を沢山持っているのです。
 しかしまず私にこの感動すべき場面、私が自らあずかって、こうした判断を下すに至りましたその場面を簡単に物語らせてください。
 昨日十二時半頃、男女小児うち混ざった十二名から十五名程の一団が天主堂の前に立っていました。ただの好奇心から来たものとは何やら態度が違っている様子でした。天主堂の門は閉まっていましたから私は急いで門を開き聖所の方に進んで行きますと参観人も後からついて参りました。私は(献堂式のあった)一ヶ月前あなたが私達にお与え下さいました御主、私達が聖体の形式の下に愛の牢獄たる聖櫃(せいひつ)内に奉安している御主の祝福を彼等の上に心から祈りました。ほんの一瞬祈ったと思う頃年頃は四十才から五十才程の婦人が独り私のそばに近づき胸に手をあてて申しました。
「ここにおります私達はみな貴方様と同じ心でございます。」
「ほんとうですか?どこのお方です貴方がたは」
「私達は皆、浦上の者でございます。浦上では殆どみな私達と同じ心を持っております。」
こう答えてから、その同じ人がすぐ私に
「サンタ・マリアの御像はどこ?』
と訊ねました。
 サンタ・マリア! このめでたい御名を耳にしてもう私は少しも疑いません。今私の前にいる人達は昔のキリシタンの子孫に違いない。私はこの慰めと喜びをデウスに感謝しました。そして愛する人々に取り囲まれてサンタ・マリアの祭壇の前に彼等を案内しました。
 彼等は皆私にならってひざまずきました。祈りを唱えようとする風でしたが、しかし喜びに堪え切れず聖母の御像を仰ぎ見るや口を揃え
「本当にサンタ・マリア様だよ。ご覧よ、御腕に御子ゼスス(イエズス・イエス)様を抱いておいでです。」
と言うのでした。
 この善良な参観者達が聖母マリアの聖像を眺めて感動したりしている間に、他の日本人が天主堂に入って参りました。私の周囲にいた彼等はたちまちパッと八方に散り散りとなりましたが、直ぐまた帰って来て、
「今の人達も昔の者で私達と同じ心でございます。ご心配要りません。」
と申しました。私は天主堂内を巡覧する色々な人々が往ったり来たりするのに妨げられて、この参観者達と思う存分話をする事が出来ませんでしたので、また出直して会いに来るようにと浦上のキリシタン・・・・・今日から私は彼等をこの様に呼びたいのです・・・・・と取り決めをしました。彼等が何を保存しているのか少しづつ確かめましょう。彼等はクルス(十字架)を崇め、サンタ・マリアを大切にし、祈りを唱えています。しかしそれがどんな祈りであるか私にはまだ分かりません。その他の詳しいことは近日中にお知らせ申し上げます。』

   1865年3月18日  長崎にて

                           日本の宣教師
                           ベルナール・プチジャン


浦上の信徒(告白したのは杉本ゆり)たちは、7代250年の長きに渡って信仰を守り続けていたのでした。

しかしこの「東洋の奇跡」が皮肉にも「浦上四番崩れ」という最後のキリシタン迫害へとつながるのです。
未だ日本はキリシタン禁制下にあったのでした。


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▲「ここは日本の新しい教会の信仰と殉教と宣教の原点です」1981年にこの地を訪れたヨハネパウロ二世の言葉より

それにしてもなぜ、潜伏キリシタンたちは250年間激しい迫害に耐え抜くことができたのでしょうか。(続く)

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長崎県宗教者懇話会40周年

そういえば、長崎クイズ(5)の答えを出しておりませんでしたね・・(^^ゞ

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▲ここは諏訪神社。遠く彦山の上に見える建物は、ソフトバンクテレコムの無線中継所です。

実はこの中継所ができる時、建設反対運動が起こりました(当時は日本テレコム)。それもそのはず、この彦山は月の名所としても知られ、幕臣でありながら、狂歌や洒落本などを手掛けた文人の大田南畝(蜀山人)は、長崎奉行所の勘定役として長崎に赴任した際、彦山について次のような歌を残しているほどなのです。

「彦山の上から出ずる月はよか こげん月はえっとなかばい」


さて、この諏訪神社からの絶景を堪能したところで振り返ってみましょう。

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▲ん?何の記念撮影?

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▲長崎県宗教者懇話会(=宗懇)が毎年8月8日に爆心地公園で行なっている「平和への祈り」のポスター製作のための写真を撮影しているところです。

神道、仏教、キリスト教、そして諸宗教の宗教者が一堂に会して平和を祈るのです。

そして今年、宗懇は40周年を迎え、その記念誌を発行します。

昨年、39年にして初めて8.8にテレビカメラを入れた縁で、僕は記念誌の実行委員会の広報委員として協力することとなりました。

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貴重映像!26聖人記念館

長崎市、西坂の日本二十六聖人記念館は、世界のキリスト教徒の聖地であるばかりではなく、長崎の貴重な文化遺産です。

1597年2月5日、日本人宣教師3人、外国人宣教師3人、そして幼子3人を含むイエズス会、フランシスコ会の信徒26人は、豊臣秀吉の命によりこの西坂の地で十字架にかけられ処刑されました。

1862年6月8日、この「二十六殉教者」はローマ教皇ピウス9世により列聖され、「日本二十六聖人」と呼ばれるようになりました。

1962年6月10日、その列聖100周年を機に建設されたのがこの日本二十六聖人記念館です。

今年、列聖150年そして献堂50周年を迎え、その記念事業(後日紹介)が予定されています。

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▲1962年6月10日、列聖100周年・記念館献堂式の写真です。

世界各国から要人が訪れ、当時の長崎市長・田川務氏がこの記念碑の除幕を行いました。

この建設を施工した大成建設さんが当時の模様を伝える貴重な記録映像を製作されていました。

その記録映像を、きょう(5/22)「スーパーJチャンネルながさき」(月-金18:15-18:55OA)で放送します。テレビ初公開です。

当時の長崎のまちの様子が映っていて感動ものです。ぜひご覧ください。

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おぉ~っ!素晴らしき金環日食!


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長崎クイズ(6)

ここ、ど~こだ?

そして、あの山は何山?

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長崎んもん解禁は24時間後!

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長崎クイズ(5)


ここ、ど~こだ?

長崎んもんは土曜朝10時解禁!

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ハウステンボス、100万本のバラ祭

はなきん(毎週金あさ9:55放送)で、ハウステンボスで行われている「100万本のバラ祭」を取材しました。

あいにくの雨の中でしたが、何とか無事収録。園内には何と1000種類のバラが咲き乱れています。

今週末が見ごろです。天気もよさそうだし、ぜひハウステンボスへ!

さて、ここで問題です。

次のバラの中で「ダイアナ妃」「大地真央」という名前が付いているバラがあります。

どれとどれでしょう?

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▲1

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リンデンの長崎ケルンへようこそ!

長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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