スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

英字新聞さるく

27日朝9時半から、長崎さるくの学さるく「日本最初の英字新聞から読み解く幕末・維新当時の長崎」があった。

日本最初の英字新聞「The Nagasaki Shipping List and Advertiser」を使って、居留地といえばこの方、ブライアン・バークガフニ先生が読み解いてくださり、講話の後に実際にその地をさるくという画期的な学さるくだ。

101127_eijishinbunsaruku01.jpg
▲主催された長崎国際観光コンベンション協会の武田さんのごあいさつ。一緒に土佐や馬関に行った友人だ。

101127_eijishinbunsaruku02.jpg
▲講師は、地元では知らぬ者はいないブライアン・バークガフニ総合科学大学教授
改めて教授のユニークな経歴をご紹介。

<略歴>
1950年カナダ・ウィニペグ市出身。
72年ヨーロッパ・インド等を経て来日。
73年臨済宗入門得度、京都の妙心寺で9年間禅の修行後、 82年より長崎市在住。
現在、長崎総合科学大学 人間環境学部教授、長崎市国際アドバイザー、 長崎日英協会理事。
主な著書に『庵』(グラフ社)、『時の流れを越えて---長崎国際墓地に眠る人々』(長崎文献社)、『花と霜---グラバー家の人々』(同)、共著に『高校生が考えた「居住福祉」』(クリエイツかもがわ)、『高校生が考えた「地域と環境」』(同)ほか


eijishinbun02.jpg
▲教材の「The Nagasaki Shipping List and Advertiser」。直訳すれば「長崎の船舶情報と広告」
 居留地に住む外国人に対して週2回(土、水)に発行したお知らせや輸出入品、入出港情報、広告満載の新聞だ。様々な情報が掲載されているので当時の居留地の様子が手に取るように分かる。特にそこで活躍した外国人の顔が浮かび上がってきて面白い。
 1861年発行、ということはこの年が日本近代新聞発刊記念年ということだ。ちなみにこれは4号。1号と2号は発見されていない。

この広告の中にInternational Bowling Saloonの広告がある。広馬場とある。だから現在、四海楼の前に「ボウリング発祥の地」の碑があるが、これは間違いということになる。

ちなみにこの広告の日、6月22日を「ボウリングの日」としているらしいが、この記事の上のコマーシャルホテルの広告の中にボウリング施設があるとの告知がある。さて、どちらが最初なのだろう??面白いね!

eijishinbun04.jpg
▲当時の居留地の住居表示。大浦の海側の一等地をFrontage、山手の2等地をRearageと呼んだ。
 町名も、DECIMA(出島)、SHINCHI(新地)、MEGASAKI(梅香崎)、OURA(大浦)、SAGARIMATSU(下り松)、KOZONE(小曽根)、NAMINOHIRA(浪の平)と現在も残る。

eijishinbun06.jpg
▲居留地の借地者リスト(1860年10月)。Lotナンバーが上記住居表示の番地に当たる。例えば上から10番目のAlt(オルト)商会はFrontageの7番地にあったことが分かる。居留地には永代借地権が認められており、居留地が廃止になったとき借地料の問題が起こった。

101127_eijishinbunsaruku03.jpg
▲講演の後、実際に居留地をさるいてみる。ここは居留地時代「バンド」と呼ばれていた大浦海岸通り。居留地時代は長崎が最も栄えていた時代だ。

ちなみに大浦6番地は英国領事館(老朽化が進んでいる)、その右の7番地に貿易商社であるホーム・リンガー商会(現在はマンション)があった。

101127_eijishinbunsaruku04.jpg
▲ここは大浦11番1/2だ。1/2とは角地で敷地が三角なのだ。

101127_eijishinbunsaruku05.jpg
▲大浦31番、現在はプロテスタント教会が建つが、ここに長崎シッピングリストの発行人A.W.HANSARDが住んでいて印刷をしていた。だからここは言わば「近代日本ジャーナリズム発祥の地」だ。

101127_eijishinbunsaruku06.jpg
▲孔子廟は大浦32番地。その向こうの33番地、現在NTT病院が建っているところに立派なフランスホテルがあった。

25番地にはミセス・ウィークスがコマーシャルホテルという西洋式のホテルを営んだ。いわば「ホテル発祥の地」である。26番地(現在の梅香崎中)はウィリアム・オルトが大浦慶と組んで製茶業を営んでいた製茶所の跡だ。

101127_eijishinbunsaruku07.jpg
▲ここは居留地時代のメインストリート。現在は「龍馬の道」と呼んでいる。21番は、あのグラバー商会。

いや~~まだまだ埋もれた情報が山ほどある。せめて表示でも欲しいところだ。
現在、老朽化が進んでいる英国領事館を、居留地情報館に!私の提案だ。

長崎で最も賑わいがあった居留地時代。街には西洋人と中国人と日本人が溢れかえり、様々な言葉が行き交い、店の中からジャズの音やボウリングのピンが飛ぶ音が聞こえ、笑い声、叫び声、時には喧嘩もあったろう。

そんな活気あふれる長崎の街が甦らないかな・・・
関連記事

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
最新記事
プロフィール

リンデン

Author:リンデン
リンデンの長崎ケルンへようこそ!

長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

あなたもよかったら、ケルン(コメント)を積んでいってくださいね。

facebook
twitter
mixi
freeml
you-tube

カテゴリ
最新コメント
リンク
月別(表示数指定)
検索フォーム
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。