19.団塊の世代

僕が中学生のころ、両親は家計の足しにと長大生に間貸しをしていた。

実家は、長崎大学のキャンパスに近い閑静な住宅街にあったから、長大生にとっては便利な場所だった。
また世話好きの母が、「間貸し」なのに、よく夕飯を食べさせたり、風呂に入れてあげたりしたから、大学生にとっては「下宿」同然で、居心地がよかったはずだ。

家の2階に四畳半の部屋が3つあったが、2つを間貸しして、1つが僕の勉強部屋であった。だから、自然と家族同然の付き合いになった。

好奇心旺盛な中学生にとって、この二人の大学生から様々な事を学んだ。
当時はいわゆる70年安保の真っ只中。彼らから、学生運動、三島由紀夫の文学、フォーク、ミュージカル、ギター、麻雀、タバコ、酒、エロ本まで・・・いわゆる大人の入り口を教えてもらった。

今でも彼らの名前を覚えている。みんな珍しい名前ばかりだったせいもある。上利(あがり)さん、稲荷(いなり)さん、白垣(しらがき)さん・・・

正に彼らこそ「団塊の世代」と呼ばれる世代。彼らの世代には、あのとき抱いた親近感とある種の羨望と少しだけの距離感が交じり合った感情を、今でも持っている。

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すると、何かネ
 その人たちが、長大から我らが中学のグラウンドを横切っていったヘルメット部隊の一派だったのかねぇ
 その後、自分たちが大学生になってしまうと、運動に熱を入れるのがごく少数になってしまっていて、ますます遠い存在になってしまったこと、それにもかかわらずそうして熱を入れている先輩がごく近くにいたこと、そんなことを思い出します

そうそう。ヘルメットとゲバ棒。機動隊とバリケード封鎖。あのころ近くで見過ぎていたから、逆に距離を置いてしまってこともあるね。
確かに大学のころの彼らは、燃えカスっぽかった・・。
「いちご白書をもう一度」なんてね?

本原(小峰町)から中1の秋に滑石に引っ越し、半年バスで山里中通い。
毎日行きも帰りも長大の中を抜けてたが、小学校のときよく自転車で遊びに行ってた食堂もバリケードで入れなくなってた。ある日友人と変な煙の中を通って行ったら、涙がボロボロおかしいくらい止まらず・・、催涙弾の匂いは今も忘れない。よっぽど印象に深かったのか、たまにそれらしいシーンを今だ夢に見る。そして帰省の度に長大を抜けて山中から三原の方まで歩く様になった。何か忘れ物がある気がしてならない時代なのかも。

催涙弾の匂い??嗅いでみたいなぁ・・・(笑)
> 何か忘れ物がある気がしてならない時代なのかも。
確かに!
大事なものをあの時代に残してきたような・・・
せかされて、焦りまくって、死に急いでいるような現在。
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