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12月8日は暴力と戦争を考える日

12月8日といえば、あなたは何を思い出すだろうか?

ジョン・レノンの命日(1980年)?
それとも・・・そう、真珠湾攻撃の日(1941年、日本時間)だ。忘れてはならない。

偶然だろうか、この愛と平和を歌い日本人と結婚したミュージシャンが一発の凶弾に倒れた日と、大日本帝国が米英に宣戦布告をした日が同じ日なのだ。

実は他にもある。第一次世界大戦でフォークランド沖海戦が起こった日(1914年)でもあり、あの力道山が赤坂のナイトクラブで暴力団員に刺された日(1963年)でもある。

なぜ人は暴力を振るうのか、なぜ国は戦争を始めるのか。
それぞれの言い分、ぞれぞれの都合、主張、考え方があって衝突するのは間違いないのだが。

「12月8日は暴力と戦争を考える日」としてはどうだろう。

長崎に住んでいると、当然のごとくあの原爆投下の日、8月9日の惨劇を二度と繰り返してはならないという被害者側の発想から平和を考える。
だが、ではなぜあの忌まわしい戦争が始まったのかについては、あまり語られることはない。

終わりを解くためには、始まりを考える必要がある。物事には因果がある。
確かに三菱長崎造船所は世界最大の戦艦武蔵を建造したし、私の母も茂里町の三菱兵器工場で魚雷の信管を作っていた。

様々な歴史の糸が複雑にからまったが、少なくとも「12月8日がなければ、8月9日はなかった」はずである。

長崎原爆資料館には修学旅行などで行ったことがあっても、長崎平和資料館を訪れた人は少ないだろう。

愛する人を凌辱されれば、報復を考えるのはどの国の人間でも同じではないのか。
それでも平和を考え、じっと耐えることが必要なのか。

しかし、愛する人を守るためには、愛していない人を殺してもいいのか。
一方的に暴力を受けたとき、人はどう行動すればいいのか。

原爆はあってはならない兵器だが、ではピストルなら許されるのか。
自衛のための戦争は許されるのか。
過去の侵略はすべて自衛のためといって行われたのではなかったか。

一度戦争が始まれば暴力が暴力を呼ぶ泥沼、地獄が待っている。何も生まれない。
20世紀の人類はそれを厭というほど経験した。
そして日本は武器を捨てた。  はずだった・・・

現在、東アジアがキナ臭い。
暴力と戦争をなくすために、何が本当に必要なのか・・・

考えよう、人間の英知を信じて。
議論しよう、人間の英知をかけて。
イメージしよう、すべての人類が平和に暮らす世界を・・・


▲戦争を始めたのはどこの国だ。


▲しかし、こういう見方をする者もいる。→この考え方に反対する者もいる。

(参考)ABCD包囲網 ハル・ノート(wikipediaから)


▲だが、ついに広島に原爆が落とされ・・・


▲そして長崎にも原爆は落とされた。このキノコ雲の下で私の母は宙に舞った・・・


▲彼のメッセージをかみしめたい
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ジャンル : 政治・経済

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リンデンの長崎ケルンへようこそ!

長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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