口之津が口を開くとき

「夢は甲子園」の口加高校取材のために、長崎県南島原市口之津を訪れた。

美しい有明の海(津)が広がる入口に良港がある。だから「口」の「津」なのだ。

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▲口之津港。美しく静かな入江が拡がっていた。

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口之津歴史民俗資料館・海の資料館。その土地の歴史を知るにはやはりここを訪れるのが一番いい。

訪れたらぜひ、原田館長に一声かけて欲しい。館長が楽しく分かりやすく説明してくださる。

口之津が賑わった時代は大きく2つ挙げられる。

1.南蛮船が訪れた時代
2.三池炭鉱の積出港として発展した時代

 1563年にポルトガル人のアルメイダ修道士が口之津で布教活動を始めてから、キリスト教は島原半島全体に広がり、領主の有馬義直がキリシタンに改宗すると領民も皆これにならいました。また、前年の1562年には口之津を貿易港として開港、1567年にはポルトガル船も入港しています。

 その後キリシタン文化は様々な面でこの地に根付き、1580年には西洋教育の原点といえる中等教育機関のセミナリヨや高等教育機関のコレジヨの設置によりイエズス会の日本教育の中心地となり、さらに、病院、慈善院の開設、キリシタン版の活字本印刷などがもたらされたほか、口之津港での朱印船貿易、天正遣欧少年使節団の派遣なども行われました。

 ヨーロッパの最先端の文化と触れ合ったこの地域は、当時の日本における国際交流の最先進地を形成していました。
南島原市HPより)


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▲南蛮船来航の図

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▲アルメイダ、フロイス、トルレス、ヴァリニャーノなどの宣教師たちがこのような南蛮船に乗ってきた。

 しかし、幕府のキリシタン弾圧が進むにつれ、有馬氏の後に新領主となった松倉氏による領民弾圧や過酷な課税が一段と強まり、さらに一帯の大飢饉が拍車をかけ、1637年10月、島原・天草地方の農民が蜂起し、天草四郎時貞を総大将として「島原の乱」が起こりました。

 「島原の乱」においては、総勢3万7千の一揆軍が原城に篭城して約3ヶ月にわたって幕府軍を相手に壮絶な戦いを繰り広げ、1638年2月、12万余にも上る幕府軍の総攻撃によって領民らはほぼ全滅し終焉を迎えました。

 その後領民を失ったこの地域には、幕府による移民政策によって九州各地や小豆島などから農民が移住し、手延べそうめんの技術もこのときに伝わったともいわれています。


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▲伝 口之津教会跡。キリスト教は徹底的に弾圧され、その痕跡は全く残っていない。

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▲マリア観音と口之津連判状。1613年3月22日口之津に居た武士42名が殉教を覚悟して誓い合った連判状(コピー)がこの観音像の中から見つかった。名前と洗礼名が連なっている。

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▲明治期の三井三池石炭積出港コーナー。明治時代は、三井の船や外国船で大変賑わった。多くの外国人が、港に降りて村民と交流を結んだ。大正・昭和時代には、口之津は全国一船員の多い町だった。

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▲明治期の口之津の賑わった街並み。全国から様々な店が集まって来て商売をした。

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▲苧扱川(おこんごう)遊郭。余りに遊郭が賑わい過ぎて風紀が乱れ、別の地区に移設されたという。

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▲日系カナダ移民第一号・永野萬蔵夫妻

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▲与論長屋。明治32年に災害対策として鹿児島県与論島から集団移住された人々の住まいである。

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▲口之津灯台のレンズ。ライトハウス社製。このろうそくの灯りが遠い有明の海を照らし出していた。

口之津は現在、過去の賑わいを静かに閉じ込めて多くを語らない。

それを掘り起こし活かすのか、そのまま眠らせるのか、すべて後世の人間に委ねられている。
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テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

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