原城跡でオラショを聞いた!

少し原爆から離れよう。

8月26日の出来事だった。
南島原市との懇親会に出席するため、夕方4時過ぎに長崎を出た。

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▲小浜まで車で1時間。千々石湾(橘湾)が美しく輝く。

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▲口之津まで2時間。少し時間があったので、からゆきさんを調べに来たときのお礼でもと、口之津民俗資料館の原田館長を訪ねたが、5時で閉まっていた。

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▲天草方面に綺麗な虹がかかっていた。誘われるように原城跡に寄ってみた。

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▲天草四郎の像と墓碑

 小西行長の家臣、益田甚兵衛好次の子で、本名、益田四郎時貞といい洗礼名はジェロニモとかフランシスコなどといわれています。比較的恵まれた幼少時代を送り、教養も高かったといわれ、また長崎へ行って勉強したとありますが、詳細は不明です。
 島原の乱に際し、若干15歳という若さで一揆軍の総大将として幕府軍と対立しました。一揆軍は88日間この原城に籠城したが、圧倒的な幕府軍の総攻撃により終結しました。四郎はこの本丸で首を切られ、長崎でもさらし首にされました。
 この墓碑は、西有家町にある民家の石垣の中にあったものを此の場所に移したものです。
                      南有馬町教育委員会


出来事とは、この原城でのことだ。18時過ぎであったから人影は少ない。しかしそんなひっそりとした本丸跡で、天草に向かってワイワイと語らっている5~6人の男女がいた。

何をみんなで話しているのだろうと、何気なく近づいてそれを聞いて驚いた。オラショだ!
グラシア○×▲・・・マリア○×▲・・・
実際に枯松神社祭やレコードで何度も聞いたことがあるので、間違いない。

あまりに熱心に唱えてらして、他を排除するような厳粛さがあったので、とても話しかけられなかった。
しかし、なぜここでオラショを唱えているのだろう?帰って調べようとその場は立ち去った。

島原の乱は、寛永14年10月25日(1637年12月11日)勃発、寛永15年2月28日(1638年4月12日)終結とある。
6月26日とは関係ない。

野下神父からいただいたカトリック教会祝日表を繰ってみても、この日は特別ではない。
たまたま外海か生月のカクレキリシタンの人が訪れて、唱えてらっしゃるだけなのか。

いや、何かの記念日のような予感がする。謎だ。
どなたか分かる方いらしたら教えて欲しい。

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テーマ : 長崎:島原半島
ジャンル : 地域情報

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> おこめさん

10月に全国かくれキリシタン研究会が天草で行われるけど、これに参加して聞いてくるよ。(^O^)/

うむ。気になる(-_-)
どなたか教えて!
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