日本二十六聖人の殉教を通して

9月9日重陽の節句、市民セミナリヨ2011~日本二十六聖人の殉教と信徒発見~の打ち合わせで、デ・ルカ・レンゾ日本二十六聖人記念館長を訪ねた。

110909_26seijin01.jpg
▲日本二十六聖人殉教碑(舟越保武氏作)。26人は1597年2月5日に殉教。1862年6月8日に列聖された。来年2012年に列聖150年の記念の年を迎える。改めて26人を紹介しよう。右から。

1.聖フランシスコ吉。京都、大工。逮捕されてはいないが、殉教者と行動を共にしたいと願い、長崎への途中で捕らえられ、殉教者に加えられる。年齢不詳。

2.聖コスメ竹屋。尾張、刀剣師。受洗後、伝道士と して大阪のマルティン神父を助ける。愛をもって病人の世話をし、神父の支えとなった。38歳。

3.聖ベトロ助四郎。京都。殉教者の世話をするよう にと、京都のオルガンティノ神父から派遣されたが、途中、自分も縄を受け、受刑者の一人に。年齢不詳。

4.聖ミカエル小崎。伊勢、弓矢師。ある日、宣教師 の説教を聞き、信仰の道ヘ。フランシスコ会第三会に入会。息子トマスと共に殉教。46歳。

5.聖ディエゴ喜斉。備前、イルマン(イエズス会修道者)。体をヤリで貫かれる時、小声でイエズスとマリアの名を唱えた。64歳。

6.聖パウロ三木。摂津、イルマン(イエズス会修道者)。「わたしは何の罪も犯したわけではござらぬ。キリシタンの教えを広めただけで処刑されまする」と群衆に。33歳。

7.聖パウロ茨木。尾張。弟レオン鳥丸と共に貧者、 病人の世話をし、宣教に力を尽くす。死を前に「神よ、あなたに命をささげます」と祈る。54歳。

8.聖ヨハネ五島。五島、イルマン(死ぬ前にイエズス会の入会が認められた)。「父上も神の教えのまことを信じ、怠りなく神にお仕えくださるよう」と言って自分のロザリオを父に渡す。19歳。

9.聖ルドビコ茨木。尾張。京都のフランシスコ会修道院で待者として仕える。司祭が逮捕の時、彼は除外されたが、捕らえるよう願い出た。「自分の十字架はどこ」と刑場で尋ねた話は今も語り継がれる。最年少者。12歳。

10.聖アントニオ。長崎。父親は中国人、母は日本人。マルチノ神父に京郡に連れて来られ、他の少年たちと共に教育を受ける。刑場に来て嘆く両親に、慰めと励ましの言葉をかける。13歳。

11.聖ペトロ・バプチスタ。スペイン。司祭。キリストにならって両手を釘付けにされることを願った。イエズスとマリアの名を呼び息絶える。48歳。

12.聖マルチノ・デ・ラ・アセンシオン。スペイン、司祭。ヤリで体を突かれる時、大声で「主よ、わが魂を御手に委ねます」と叫んだ。30歳。

13.聖フィリッポ・デ・ヘスス。メキシコ、修道士。喜びの涙を流し賛歌を歌って息を引き取る。24歳。

14.聖ゴンザロ・ガルシア。インド、修道士。ヤリで突かれる前、刑吏に悔悛と改宗をすすめたという。40歳。

15.聖フランシスコ・ブランコ。スペイン、司祭。十字架にはりつけられた時の顔は、微笑が死後も消えなかったという。28歳。

16.聖フランシスコ・デ・サン・ミゲル。スペイン、修道士。若くしてフランシスコ会に入会。貧しい人や病人の友となり、愛徳の実践者。53歳。

17.聖マチアス。京郡。家がフランシスコ会修道院のすぐ近くにあった。洗礼後、間もなく迫害が始まり捕らえられた。年齢不詳。

18.聖レオン烏丸。尾張。パウロ茨木の弟。フランシスコ会土のもとで伝道士。京都市中の人たちに尽力し、「神の聖役者」と呼ばれる。 48歳。

19.聖ボナベントウラ。京都。出生後受洗。両親の死で仏教徒として育ち、子供のとき僧侶になるため寺に入った。ある日、洗礼を受けたことがわかり、フランシスコ会の同宿として教理の勉強に励み、宣教に尽力。年齢不詳。

20.聖トマス小崎。伊勢。ミカエル小崎の息子。マルチノ神父を手伝う。信仰深い少年で、司祭になる希望を持ち、母親にあてた手紙は感動的。14歳。

21.聖ヨアキム榊原。大阪。最初は医学を学んだ。ある日、宣教師の説教にひかれ受洗。貧しい病人たちのために働く。40歳。

22.聖フランシスコ医師。京都。豊後の大名、大友宗麟の待医を務める。京都で洗礼を受け、聖ヨゼフ病院で活躍。46歳。

23.聖トマス談義者。伊勢。キリシタンの教えを聞き改宗。その後、フランシスコ会の伝道士として働く。強い正義感の持ち主。 36歳。

24.聖ヨハネ絹屋。京都、織物師。修道院近くに住み、外国人宣教師と接触の機会が多く、その教えを聞いて洗礼を受ける。28歳。

25.聖ガブリエル。伊勢。京都奉行に仕えていたが、改宗してフランシスコ会に入り司祭、修道士の仕事を手伝う。両親も信徒に。19歳。

26.聖パウロ鈴木。尾張。若くして洗礼を受け、フランシスコ会の伝道士。通訳として外国人司祭の宣教を助け、自らも説教師として活躍した。 49歳

        (日本二十六聖人記念館公式HPから)



110909_26seijin02.jpg
▲ルイス・フロイスが「日本とポルトガル その出会いの歴史を ここ長崎の地で書いた」ということで顕彰されている。
 彼は1532年リスボンに生まれ、イエズス会士としてインド・ゴアから日本(長崎の横瀬浦)に入り、豊後や長崎を中心に活動、信長や秀吉とも謁見した。著名な「日本史」に「少年遣欧使節」や「26聖人の殉教」のことを書き残した。1597年、26聖人が殉教した年に長崎のコレジヨにて帰天。

こうやって26聖人殉教のことを書き記しながら、改めてその信仰の深さに感銘を受けた。
僕はクリスチャンではないが、人の生き方を自分なりに考えてきた者として、敬意を表したい。

2008年の列福式のときの標語 命をかけて「いのち」を生きる

現代人が最も忘れかけている生き方ではないだろうか。
あなたは命をかけて守るものがあるだろうか。

もう一度、この日本二十六聖人殉教を通して、己自身の生き方と向き合ってみるのもいいだろう。
関連記事

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

> おこめさん

いつもコメントありがとう。

このたった12歳だったルドビコちゃん(ちゃん付け!)のことを思うと胸が痛むよね。

彼の胸を刺した役人もまた眠れない日々が続いたと思う。

僕らは一体何のために生きているのだろうね・・・

一体命をかけるものがあるだろうか・・・

殉教者一人一人のことを改めて、というより初めて知りました。
子供もいたんですね~
それにしても、彼らの信念を貫く生き方は真似できないです。

でも、こうしてそういう人達がいたことを『知る』ことはとても大事だと思います。

今の自分の生き方をふと考えますもん。
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
プロフィール

リンデン

Author:リンデン
リンデンの長崎ケルンへようこそ!

長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

あなたもよかったら、ケルン(コメント)を積んでいってくださいね。

facebook
twitter
mixi
freeml
you-tube

カテゴリ
最新コメント
リンク
月別(表示数指定)
検索フォーム
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
フリーエリア