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映画がつくった長崎~まちなか映画館巡り~

新現役の会長崎中央主催のながさき新現役コミュニティカレッジ講座「発見!映画教室~映画がつくった長崎~」で16日、「まちなか映画館巡り」があった。

講師は安元哲男さん。「ハマスカ実行委員」、「浜んまち映画祭」立ち上げメンバーの一人だ。

日本で最初に映画が上映されたのは神戸だったそうだが、長崎はそれに続いて上映された街。
最盛期の昭和30年代には26の映画館があったという。

元々映画館は芝居小屋が前身。電気で芝居を見せるという意味で「電気館」と名付けられた。「電気館」と名が付く映画館は由緒がある。
長崎で最初の活動写真常設館として電気館が開業したのは明治43年(1910)、現在のS-東美の場所だった。

などなど面白い話がどんどん出てくる。資料も興味深い。
映画館さるくコース
長崎市の映画館 
主な長崎ロケ作品
長崎市における劇場・映画館の変遷概要

さて、では長崎映画館今昔物語の始まり始まり~~(^^)/

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▲眼鏡橋は数々の映画のシーンに出てくる。81年「獣たちの熱い眠り」(東映・徳間書店・村上透監督)、87年「TOMORROW/明日」(ライトビジョン他・黒木和雄監督)、95年「ファーザー・ファッカー」(フィルム・メーカーズ・荒戸源次郎監督)など

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▲ご存知「長崎セントラル劇場」。

2000年にオープンしたユナイテッド・シネマ長崎(8スクリーン)、2008年にオープンしたTOHOシネマズ長崎(9スクリーン)などのシネコンに押され、次々と従来の映画館が閉館に追い込まれ、現在、この「セントラル劇場」と「長崎千日劇場」しか残っていない。

館数でいえば26から4と激減。スクリーン数で言えば、最盛期の26から19と大して減ってないようであるが、映画館が一つ閉じるということは、そこの人の流れが変わり、街並みが変わるってことだ。

僕は中学時代(1968-70)、よくこのセントラル劇場の3本立てを観に来た。戦争もの、恋愛もの、スパイもの、マカロニウエスタン・・・内容云々よりも友人と観た本数を競っていた(笑)

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▲セントラル劇場の隣、現在藤木博英社があるところに「榎津東映」があった。
 この向かいに『栄之喜座→中座』という芝居小屋があったという。

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▲崇福寺通りで。向こうに見える崇福寺の山門は、1956年日仏合作の長崎を舞台にした「忘れえぬ慕情」でも出てくるという。同映画は、この映画教室については、で11/23(水)13:30~アマランス会議室で語り合うテーマとなっている。(参加費500円)

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▲明治30年(1897)5月21日、長崎で最初(日本で2番目)の映画(シ子マトグラフ興業)が上映された八坂神社。パリのカフェで世界最初の映画が上映されたのが1895年12月28日だそうだから、わずか1年半後だ。
この写真の左手の境内で、夜暗くなってから上映されたという。鎮西日報にその上映告知が掲載された。→クリック

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▲思案橋通りを入った左にあった「長崎会館」跡。昭和34年(1959)70mm劇場として開業。

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▲長崎会館の右隣にあった「長崎宝塚劇場」跡。前身は寄席『満知多座』(1408人)→『三七三座』→『南座』→昭和25年(1950)に「長崎宝塚劇場」として開館。その後昭和45年(1970)700席、70mm劇場としてオープン。2005年閉館→そのときのニュース。現在はリッチモンドホテル。

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▲知る人ぞ知る「東館」。新東宝の封切館であった。この隣に「東洋ショー劇場」もあったそうだ。僕が最初に「社会勉強」に行った劇場は、博多の東洋ショー劇場だった・・・(^^ゞ

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▲電車通りに出た旧山一証券(現雇用促進事業会)の場所に「中央映劇」があり、ここは昭和30年代の日活映画封切館であった。昭和11年(1936)設立。

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▲現まるみつの所に「長崎大映」があった。昭和31年(1956)設立。大映直営だった。「眠狂四郎」「座頭市」などを上映。

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▲現野村証券の所には「第一映画」があった。洋画封切館として「十戒」などが上映された。

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▲現ユーコーラッキーの奥、ホテル・ビクトリア・イン長崎の場所に伝説のキャバレー「銀馬車」があった。尚、この銀馬車は「忘れえぬ慕情」にも登場する。専属歌手があのクールファイブだ。映画とは直接関係ないけど。

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▲このすっかり空き地になってしまった所は、あの「ステラ座」だ。前身は「東宝富士館」。昭和13年(1938)設立。この年は戦艦武蔵が起工した年。ここは由緒ある場所だ。

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▲電車通り反対側には地元で知らぬ者はいないS-東美。長崎最初の常設映画館である電気館があった場所だ。このビルの名前は壁に書いてある通り「松竹会館」。「松竹国際映画」があった。ご存知「寅さんシリーズ」「釣りバカシリーズ」はここで上映された。

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▲そのS東美の横を通って浜んまちアーケードに入ると、そこにあったのは「長崎東宝」。「サウンド・オブ・ミュージック」の封切りがあった。「アトムレコード」も入っていた。現セガミ薬局。

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▲アーケードの入口を抜けた鉄橋のたもとに、梅屋庄吉が育った梅屋商店跡の看板がある。これは先日ここに書いた。梅屋庄吉はMパテー商会を起こし、フィリピンで映画で大儲けし、その資金をすべて孫文に捧げた。このMパテー商会が「日活」の前身の一つだ。日活は日本で一番古いメジャー映画会社。ってことは日本映画産業の創始者は長崎生まれの梅屋庄吉ってことになる。

新大工にあった『舞鶴座』は九州最大だった。日本で最初にトーキー映画が公開されたのは『南座』、後の宝塚劇場。現在はリッチモンドホテル。

しかし、その映画の栄華(シャレ?)の歴史と現実が余りにもかけ離れていた。
日本初、日本最大の舞台小屋、映画館が、今や駐車場、ホテル、ドラッグストア、パチンコ店、そして空き地・・・

さるくが終わって、何か無性に寂しくなった。

来年は梅屋が「日活」を興して100年。日活創立100年を記念して、日活ロマンポルノ100本上映でもやって、まちおこしだ!(^^)/

なお、この長崎の映画史は正史として確定していない為、いろんな説があるそうだ。それだけに調査をすると面白い発見がありそうだ。
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テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

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パパいや~ん他の皆さんへ

訂正です。

大映は大映直営だそうです。

ごめんなさい。その他いろいろ安元さんに修正していただきました。

> パパいや~ん

聞いた話では、ある人がそこに出てた踊子さんに花束ばあげたげなよ(笑)

パパいや~んもしたっちゃなかと??(笑)

長崎千日劇場は

予備校か大学生時代に一度行ったような覚えが有るばってん…、その頃はスト○ップと一緒にやってたような…(~_~;)
もしかしたら、他所の劇場とごちゃ混ぜになってるかも…<(_ _;)>

> パパいや~ん

wikiに出とるね。

角川に買収されて現在は消滅。

小屋も場所を変えたり、名称を変えたり、配給元が変わったり、歴史を追うと複雑よ。

長崎千日劇場って行ったことある??
何か独特の匂いがするらしいけど・・・(笑)

大映は

日活の制作部として作られた会社んごたるばい。日活から配給受けてたんだね(^-^ゞ

大映と日活って

違う会社て思うてたけん(^_^;)

> パパいや~ん

そう聴いたけど、何で??

大映は

日活の直営だったの!?
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