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第12回枯松神社祭~曹洞宗・天福寺~

長崎市東樫山にある曹洞宗・淵龍山 天福寺(てんぷくじ)。

江戸幕府がキリスト教を禁じた時代から、潜伏したキリシタンをかばってあげた心の広いお寺だ。

キリシタンは寺請制度により、表向きはこの寺の檀家となったが、秘かに「サンジワン」という自分たちを指導した外国人宣教師を祀ったサンジワン枯松神社で、祈りのオラショを唱え、「祈りの岩」の陰でそのオラショを代々、口伝していた。

この寺は、潜伏したキリシタンたちの存在を知りながらも、奉行所の役人の取り調べに対し「うちの寺にはキリシタンはいない」と言い放ったという。

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▲以前、天福寺とキリシタン神社で書いたこともある。

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▲ご本堂。扁額には「天福禅寺」と書かれてある。

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▲折しもこの日、新装となった信徒会館の落成式が行われた。

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▲千手観音像の魂入れの儀式。千載一遇のチャンスに遭遇。

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▲天福寺・信徒会館の展示コーナーにあるオラショ。

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▲イナッショさまの像。水授けの儀式(洗礼)に使われた。金属製。抱えた容器に聖水を入れたらしい。

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▲野中騒動が起こるきっかけとなった「大天使ミカエルの絵」。この騒動でカトリックに戻った者と戻らなかった者との対立が生まれた。その対立は禁教令が解かれた後も残り、三派に分かれた理由の一つにもなった。

野中騒動のことは、遠藤周作学会・全国大会でも研究発表された。

禁教令の高札が明治6年に撤廃され、信教の自由が保証されても、潜伏キリシタンは「全員教会に復帰したら、天福寺さんが存続できなくなるのではないか。天福寺さんがあったからこそ自分たちは生き残れた。天福寺さんに残るしかない」とお世話になった天福寺の檀徒となった。潜伏キリシタンが仏教徒になったわけである。

(参考)第10回枯松神社祭(「沈黙」の原点)

 その4へ続く
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ジャンル : 地域情報

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> おこめさん

それぞれの人たちの気持ちが、そのまま、それぞれの宗教に同化していった。

人の心と宗教って表裏一体なんですね・・・

僕があの時代にあの場にいたら・・・・

どれにも属さない風来坊かな・・・

天福寺さんに残った気持ちもよ~~わかります。
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