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カクレキリシタンの里(1)信徒発見

国宝・大浦天主堂。1865(慶応元)年に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物です。

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▲今年のGWは例年以上に賑わった。

正式名は「日本二十六聖殉教者天主堂」。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、彼らの殉教地である長崎市西坂に向けて建てられています。


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聖堂内(許可を得て撮影)▲建堂当時の主任司祭、プチジャン神父
            

この天主堂の献堂式は1965年2月19日、盛大に行われ、町民はこのゴシック式の天主堂を「フランス寺」と呼び、見物に多く訪れたといいます。

そして献堂式から間もない3月17日、この聖堂は「東洋の奇跡」と呼ばれた「信徒発見」の歴史的舞台となるのです。


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▲中庭にある信徒発見のレリーフ

この信徒発見の出来事を、プチジャン神父がパリ外国宣教会の日本教区長だった横浜のジラール神父に宛てた書簡で紹介しましょう。

 親愛なる教区長様、心からお喜び下さい。私達はすぐ近くに昔のキリシタンの子孫を沢山持っているのです。
 しかしまず私にこの感動すべき場面、私が自らあずかって、こうした判断を下すに至りましたその場面を簡単に物語らせてください。
 昨日十二時半頃、男女小児うち混ざった十二名から十五名程の一団が天主堂の前に立っていました。ただの好奇心から来たものとは何やら態度が違っている様子でした。天主堂の門は閉まっていましたから私は急いで門を開き聖所の方に進んで行きますと参観人も後からついて参りました。私は(献堂式のあった)一ヶ月前あなたが私達にお与え下さいました御主、私達が聖体の形式の下に愛の牢獄たる聖櫃(せいひつ)内に奉安している御主の祝福を彼等の上に心から祈りました。ほんの一瞬祈ったと思う頃年頃は四十才から五十才程の婦人が独り私のそばに近づき胸に手をあてて申しました。
「ここにおります私達はみな貴方様と同じ心でございます。」
「ほんとうですか?どこのお方です貴方がたは」
「私達は皆、浦上の者でございます。浦上では殆どみな私達と同じ心を持っております。」
こう答えてから、その同じ人がすぐ私に
「サンタ・マリアの御像はどこ?』
と訊ねました。
 サンタ・マリア! このめでたい御名を耳にしてもう私は少しも疑いません。今私の前にいる人達は昔のキリシタンの子孫に違いない。私はこの慰めと喜びをデウスに感謝しました。そして愛する人々に取り囲まれてサンタ・マリアの祭壇の前に彼等を案内しました。
 彼等は皆私にならってひざまずきました。祈りを唱えようとする風でしたが、しかし喜びに堪え切れず聖母の御像を仰ぎ見るや口を揃え
「本当にサンタ・マリア様だよ。ご覧よ、御腕に御子ゼスス(イエズス・イエス)様を抱いておいでです。」
と言うのでした。
 この善良な参観者達が聖母マリアの聖像を眺めて感動したりしている間に、他の日本人が天主堂に入って参りました。私の周囲にいた彼等はたちまちパッと八方に散り散りとなりましたが、直ぐまた帰って来て、
「今の人達も昔の者で私達と同じ心でございます。ご心配要りません。」
と申しました。私は天主堂内を巡覧する色々な人々が往ったり来たりするのに妨げられて、この参観者達と思う存分話をする事が出来ませんでしたので、また出直して会いに来るようにと浦上のキリシタン・・・・・今日から私は彼等をこの様に呼びたいのです・・・・・と取り決めをしました。彼等が何を保存しているのか少しづつ確かめましょう。彼等はクルス(十字架)を崇め、サンタ・マリアを大切にし、祈りを唱えています。しかしそれがどんな祈りであるか私にはまだ分かりません。その他の詳しいことは近日中にお知らせ申し上げます。』

   1865年3月18日  長崎にて

                           日本の宣教師
                           ベルナール・プチジャン


浦上の信徒(告白したのは杉本ゆり)たちは、7代250年の長きに渡って信仰を守り続けていたのでした。

しかしこの「東洋の奇跡」が皮肉にも「浦上四番崩れ」という最後のキリシタン迫害へとつながるのです。
未だ日本はキリシタン禁制下にあったのでした。


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▲「ここは日本の新しい教会の信仰と殉教と宣教の原点です」1981年にこの地を訪れたヨハネパウロ二世の言葉より

それにしてもなぜ、潜伏キリシタンたちは250年間激しい迫害に耐え抜くことができたのでしょうか。(続く)
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そうです。

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命をかけていのちを生きる!

なんだか気高さを感じますね。信じる心の純粋さと強さ。
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