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長崎クイズ(7)

(問題)これらは同じ日に同じ場所で撮ったものです。これを組み合わせてストーリーをつくってください。

(参考)→貴重映像!26聖人記念館

(解答)
120526_01.jpg
▲日本二十六聖人記念館の東側の壁面。アントニオ・ガウディ風の陶片モザイク(設計した今井兼次氏は陶片に命を与えるという意味で”フェニックスモザイク”と呼んだ)が散りばめられている。ガウディ遺愛の陶片や、今井兼次氏を支えるも先に亡くなられた奥様が愛した陶片も埋め込まれている。

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▲50年前にこの記念館の建設をした大成建設で型枠工をされてた佐藤氏。当時建設に関わった数少ない証言者。まずこの聖フィリッポ教会の尖塔の模型を作り、15cmごとに輪切りにした型枠を作り、積み重ねて行ったと証言された。

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▲列聖された1962年を刻んだ記念オブジェの原型。これも記念館の東側に配置された。

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▲当時の設計図で、一番難しかったところを指し示す佐藤氏。

120526_05.jpg
▲記念館の中庭にあるトマス金鍔次兵衛の像。潜伏しながら神出鬼没の布教活動をした。彼が隠れ住んだ外海の山奥の岩は「次兵衛岩」と呼ばれ巡礼地になっている。人相書きまで書かれ、とうとう片渕で捕えられ、穴吊りの刑を受けこの西坂で殉教した。

 トマス次兵衛は帰国以来、幾度も難を逃れたが、1636年11月1日、ついに片淵で捕らえられ、クルス町の牢に押し込められた。奉行は、彼を援助したポルトガル人の名前を自白させるため、また探索に長い時間を費やした恨みを晴らすため、さまざまな恐ろしい拷問を試みたが、すべては徒労に終わった。恩人を一人も裏切ることなく、トマス次兵衛はすべての苦しみに耐えぬいた。1637年8月21日に穴吊りにされたが、23日になって、入港したポルトガル船の乗組員に関する取り調べのため牢に戻された。この時にも誰の名前も言わなかったので、11月6日、数人の信者とともに、西坂で再び穴吊りにされた。すでに衰弱しきっていたトマス金鍔次兵衛は、その日のうちに壮絶な殉教を遂げた。37歳であった。(伝説の宣教師 トマス金鍔次兵衛


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ジャンル : 地域情報

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> おこめさん

この方はこの26聖人記念館を50年前に建設した大成建設の型枠工だった方よ。

どなたですかい?この方は。

天草四郎さん?

原城の見取り図?

わっかりましぇ~ん┓( ̄∇ ̄;)┏
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