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第6回日本レコード大賞(1964年)

第6回日本レコード大賞は、1964年(昭和39年)12月26日に日比谷公会堂で行われました。


▲日本レコード大賞/青山和子「愛と死をみつめて」

「愛と死をみつめて」は、大学生河野 実(マコ)と、軟骨肉腫に冒され21年の生涯を閉じた大島みち子(ミコ)との、3年間に及ぶ文通を書籍化したものである。1963年(昭和38年)に出版され、160万部を売り上げる大ヒットを記録した。

1964年1月にラジオドラマ化され、マコを山本学、ミコを北沢典子が演じた。続いて4月テレビでも、前・後編に分けてTBS系「東芝日曜劇場」枠で放送された。マコは山本学、ミコは大空真弓。

続いて映画「愛と死をみつめて」は9月に上映、日活でマコを浜田光夫、ミコを吉永小百合が演じた。(上記動画)

また2006年にもテレビ朝日がドラマ化し、前・後編に分け、マコを草彅剛、ミコを広末涼子が演じたのが記憶に新しい。

レコードは、酒井政利による初のレコード・プロデュース作品。酒井はベストセラー本を歌にしようとひらめき、書店で出版直後の原作本と出会うが、若い素人の往復書簡という体裁に新鮮な魅力を感じ、著名のベテラン作詞作曲家でなく、あえて若手作家が作ることで素直に表現できると考え、大矢弘子(当時レコード会社に詩を投稿していた明治大学4年生)に作詞、土田啓四郎(大阪在住の新進作曲家)に作曲を依頼する。歌手は、12歳でコロムビア全国コンクール第1位となった青山和子(当時18歳)。

この曲は、1964年のテレビドラマ版の主題歌であると誤解されやすいが、ドラマで使用されたのはシンプルなインストルメンタルBGM曲のみで、青山和子が歌うこのレコード企画とは全く別のプロジェクトである。(wikiを参考)


僕は中学になって「ある愛の詩」を観たとき、この映画を思い出しました。「世界の中心で愛を叫ぶ」などもそうですが、愛する女性が難病で死んでいく物語は本当につらく涙を誘いますね。


▲歌唱賞/岸洋子「夜明けのうた」(第20回紅白歌合戦より)
▲作詩賞/岩谷時子「夜明けのうた」(歌・岸洋子)

岸 洋子は、日本のシャンソン歌手、カンツォーネ歌手。オペラ歌手を目指していたが膠原病のため、断念。病床で聴いたエディット・ピアフのアルバムに感動しシャンソンを志しました。
越路吹雪が“魅せる歌手”と呼ばれることに対して、“聴かせる歌手”と呼ばれました。


▲新人賞/西郷輝彦「君だけを」


▲新人賞/西郷輝彦「17才のこの胸に」

西郷輝彦は、橋幸夫・舟木一夫と共に、「御三家」と呼ばれました。その後も年代ごとに御三家が出ましたが、元祖御三家は彼らです。西郷は鹿児島出身なので芸名は西郷隆盛にちなんでつけました。「君だけを」がデビュー曲。「17才のこの胸に」もヒットし、この年の新人賞を受賞しました。


▲新人賞/都はるみ「アンコ椿は恋の花」

京都出身であることにちなんで当初は「京はるみ」という芸名でのデビュー予定だったが、既に他社で同名の歌手がいると分かり「都はるみ」に変更されました。


▲作曲賞/宮川泰「ウナ・セラ・ディ東京」(歌・ザ・ピーナッツ)
▲作詩賞/岩谷時子「ウナ・セラ・ディ東京」(歌・ザ・ピーナッツ)

1963年にザ・ピーナッツが「東京たそがれ」として歌ったのが「ウナ・セラ・ディ東京」の始まりである。しかし当時はあまりヒットしなかったが、翌1964年に「カンツォーネの女王」として有名なイタリアの歌手ミルバが来日した際、本曲を歌った事を契機に一気にブームとなった。

その後、ザ・ピーナッツの「東京たそがれ」も曲調を一部変更して、タイトルも「ウナ・セラ・ディ東京」に変更した。
「ウナ・セラ・ディ東京」とはイタリア語で「東京のある一夜」(Una Sera di Tokio)と言う意味である。(wikiより)




▲編曲賞/寺岡真三「お座敷小唄」(歌・和田弘とマヒナスターズ)

「お座敷小唄」は1964年、マヒナスターズが広島に巡業した折、和田弘がキャバレーのホステスが口ずさんだこの曲を採譜、早速、松尾和子を加えてビクターでレコーディング、8月に発表した。元々、このメロディは戦争中の1943年頃から、海軍の兵隊さんが歌い名古屋、大阪、広島、関東地区の1946年、公娼制度が廃止されたのちも、特に売春が黙認された地域で歌い継がれていたものだった。マヒナに続いてテイチクで久美悦子が「裏町小唄」、コロムビアでこまどり姉妹が「祇園エレジー」、東芝で紫ふじみが「しらゆき小唄」として発売し競作となったが、古臭い日本語をドドンパのリズムに乗せてモダン化したマヒナ盤が驚異的な300万枚の売上をマークし独走、夜の巷で大受けした。




▲特別賞/曲名:「東京五輪音頭」 歌手:三波春夫

オリンピックデーの1963年6月23日に楽曲が発表された。

今では元々三波春夫の持ち歌だったと思っている人も多いが、楽曲発表の際に歌唱したのは三橋美智也であり、作曲者の古賀自身も三橋が歌うことを想定して作曲したという。


▲企画賞/キングレコード(株) 「なつかしの浅草オペラ」

▲童謡賞/曲名:「ワンツースリーゴー」 歌手:音羽ゆりかご会



1964年(昭和39年)は、何といっても東京オリンピック(第18回オリンピック東京大会)の年。首都高速が開通し、東京モノレール、東海道新幹線が開業します。ホンダがS600を、東洋工業がファミリアを発売し、週刊「平凡パンチ」が創刊されます。正に高度成長の真っ只中。しかし6月に新潟地震で死者26人を出した年でもありました。

テレビでは「赤穂浪士」「ひょっこりひょうたん島」「忍者部隊月光」「木島則夫モーニングショー」「題名のない音楽会」「ミュージックフェア」が始まります。

僕は小学校3年生。担任は藤井先生。この頃は学校の成績もよく、3学期に休みをいただいて、父の東京出張に付いて行き、初めて都会をこの目で見ました。開業したばかりの新幹線の速さに驚き、東京タワーの高さに驚き、人の多さに圧倒されました。

そんな年のリンデンピックアップはこの曲、


▲坂本九「明日があるさ」

1963年12月に発売。作詞は青島幸男、作曲は中村八大。自分に自信が持てず、意中の女性に恋心を打ち明けられないにもかかわらず、前向きに日々を過ごす男子学生をコミカルに表現しています。当時80万枚以上のセールスを樹立しました。

坂本九は、「上を向いて歩こう」が1964年に米国内でのレコード累計販売枚数が100万枚を超えたため、日本人初の「ゴールドディスク」を受賞しました。

この海外でのヒットにより世界的に名前が知られたことで、国際的な活動も多く、東京オリンピックのウェルカムパーティーにゲスト出演し、「サヨナラ東京」「君が好き」を歌いました。

坂本九だけでなく日本人誰もが好景気に湧き、正に「明日」を信じていた時代でした。
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テーマ : 懐かしい歌謡曲
ジャンル : 音楽

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> おこめさん

そだね

オギャー\(>O<)/

からまだ1週間しか経っとらんもんね??(^_-)-☆

ほんとにねぇ(-_-)

あんな時代はもう来ないだろうなぁ。

なんちゃって。知ったかぶりでした。
1964年は、まだ毛布の隅をちゅぱちゅぱしながらネンネしてる頃だった。
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