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第9回日本レコード大賞(1967年)

第9回日本レコード大賞は、1967年(昭和42年)12月16日に渋谷公会堂で行われました。


▲日本レコード大賞/ジャッキー吉川とブルーコメッツ「ブルー・シャトウ」

ジャッキー吉川とブルーコメッツは、1966年にコロムビアから発売されたデビュー曲「青い瞳(英語盤)」で10万枚、「青い瞳(日本語盤)」で50万枚のヒットを飛ばします。このヒットの頃にザ・ドリフターズや内田裕也らとともにビートルズの日本公演に前座として出演します。その際彼らはビートルズとは別のステージでメンバーの井上忠夫作曲のビートルズ讃歌「ウェルカム・ビートルズ」を歌いました。その後も「青い渚」「何処へ」など順調にヒットを連ねていき、1967年に発売された「ブルー・シャトウ」は自身最大の150万枚の大ヒットを記録し、この年の第9回日本レコード大賞で大賞を受賞しました。


▲歌唱賞/水原弘「君こそわが命」

水原弘は、デビュー曲「黒い花びら」で第1回日本レコード大賞を受賞した後、借金や病気などを抱え低迷していましたが、この曲がヒットしたことで「奇跡のカムバック」とまで言われました。しかし、このカムバックも酒に頼った生活からは抜け切れず、長続きはしませんでした。


▲歌唱賞/伊東ゆかり「小指の想い出」

伊東ゆかりは、幼少期から進駐軍キャンプで唄い始め、11歳のとき「クワイ河マーチ」(映画「戦場に架ける橋」テーマソング)でキングレコード(後に移籍)より本格デビューします。これは美空ひばりのデビュー(12歳)よりも早い年齢でした。その後、一時芸能活動を休止しますが、渡辺プロダクションに移籍し活動を再開。ポップスを得意とした中尾ミエ、園まりと三人で「スパーク3人娘」を結成。「シャボン玉ホリデー」や「歌え!一億」に出演し知名度を全国区にします。1967年にリリースした「小指の想い出」は爆発的なヒットを記録しました。

nagaiHidekazu.jpg(動画検索できず)
▲新人賞/永井秀和「恋人と呼んでみたい」

永井秀和(長井秀和はお笑い芸人)は、1967年「夕陽のチャペル」でビクターレコードより歌手デビュー。同年に発売された「恋人と呼んでみたい」が大ヒットとなり、第9回日本レコード大賞の新人賞を受賞します。しかし、学業に専念するために歌手業を引退。大学卒業後は芸能界に復帰し、俳優としてテレビドラマ(水戸黄門など)、舞台等で活躍しました。


▲新人賞/佐良直美「世界は二人のために」

佐良直美は、1945年東京生まれ。吉永小百合とは遠縁に当たります。日本大学藝術学部卒業後、1967年に「世界は二人のために」で歌手デビューし、120万枚のレコード売り上げを記録、第9回日本レコード大賞の新人賞を受賞します。さらに同年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たします。


▲作曲賞/平尾昌晃「霧の摩周湖」(歌・布施明)


▲作曲賞/平尾昌晃「渚のセニョリーナ」(歌・梓みちよ)

作曲した平尾昌晃は、ミッキー・カーチス、山下敬二郎らと共に「日劇ウエスタンカーニバル」で爆発的な大人気を博した「ロカビリー三人男」の一人。「霧の摩周湖」は、平尾が結核により歌手の道を断念して療養中、訪れたことのない摩周湖をイメージしてこの曲を作り上げたといいます。


▲編曲賞/寺内タケシ「レッツゴー運命」他(歌・寺内タケシとブルージーンズ)

寺内タケシは高校時代、入学直後にマンドリン・クラブを創設し、その技術も群を抜き、1年から出場したNHK全国楽器コンテストで3連覇を成し遂げます。その快挙により明治大学マンドリン部創設者の古賀政男から勧誘を受け、明治大学へ進学。しかしマンドリンよりも家業を継がせたい父親によって1週間で退学させられてしまい、関東学院大学工学部電気科へ入学し直しました。

1964年から翌年にかけてザ・ベンチャーズやアニマルズ、アストロノウツ、スプートニクスといった海外のバンドがこぞって来日、世界のエレキの凄さを見せつけようと意気込んで乗り込んできましたが、ベンチャーズはともかく他のバンドはことごとくブルージーンズの演奏の凄さに完全に屈し、白旗をあげて帰って行ったという伝説を作り上げました。

更に1965年には日劇ウエスタンカーニバルの音響監督に就任してイベントをエレキ一色に変えました。このことなどから世界的にも寺内の演奏は知られるようになり、この年多忙により実現しなかったが「エド・サリヴァン・ショー」の出演依頼が舞い込み、さらにアメリカの音楽雑誌「ミュージック・ブレーカー」にチェット・アトキンス、レス・ポールと並んで「世界三大ギタリスト」に選ばれました。


▲作詩賞/なかにし礼「霧のかなたに」(歌・黛ジュン)


▲作詞賞/なかにし礼「恋のフーガ」(歌・ザ・ピーナッツ)

なかにし礼は、シャンソンの訳詞を手がけていた頃、最初の夫人との新婚旅行中に静岡県下田市のホテルのバーで「太平洋ひとりぼっち」を撮影中の石原裕次郎と偶然出会い知遇を得ます。石原に「シャンソンの訳なんてやっていないで、日本語の歌詞を書きなさいよ」と勧められ、約1年後に作詞作曲した作品(後の「涙と雨にぬれて」)を自ら石原プロに持ち込みます。それから数ヶ月後、石原プロがプロデュースした「涙と雨にぬれて」がヒットします。


▲特別賞/石原裕次郎

石原裕次郎は、1956年/狂った果実(73万枚)、57年/俺は待ってるぜ(195万枚)、錆びたナイフ(184万枚)、58年/嵐を呼ぶ男(63万枚)、61年/銀座の恋の物語(335万枚)、62年/赤いハンカチ(275万枚)、63年/夕陽の丘(143万枚)、64年/俺はお前に弱いんだ(175万枚)、65年/二人の世界(285万枚)、66年/夜霧の慕情(163万枚)などで10年連続ヒットの功績によりレコード大賞特別賞を受賞します。

KICS-8156.jpg←試聴できます
▲企画賞/キングレコード(株) 「歌と音でつづる明治」

▲童謡賞/曲名:「うたう足の歌」 歌手:杉並児童合唱団


1967年は、東京都に美濃部革新知事の誕生、小笠原諸島の返還、10月にミニの妖精・ツイギーが来日します。

この年、テレビで僕がよく観ていたものでは「トッポ・ジージョ」「パーマン」「スパイ大作戦」「白い巨塔」「タイム・トンネル」「コメットさん」「インベーダー」が始まり、「逃亡者」が最終回を迎えます。
山本直純の「大きいことはいいことだ」のCMが正に時代を映し出していました。

僕はいよいよ6年生。一日中ソフトボールを追っかけた運動場、飛び回った裏山や浦上川から別れを告げ、近所の千代松ちゃんが貸してくれたモデルガン、悪友とヒミツの隠れ家(ヒミカと呼んでいた)で開いたエロ本、父親のタンスで見つけたヌード写真などに刺激を受けながら、新たな世界へ旅立とうとしてました。

そんなころのリンデンピックアップは、


▲モナリザの微笑/ザ・タイガース

グループサウンズは、確実に僕のハートをとらえていました。
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テーマ : 懐かしい歌謡曲
ジャンル : 音楽

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> おこめさん

>眠るンペン♪

同じ~~(^^)v

エロ本、戻しちゃったかぁ~~

その辺に転がしときゃよかったのに~~

うろたえる姿をコソットと見ておく(笑)

>リンデンさん

眠るンペン♪
死語に近いね~


エロ本の表紙でショック!!コソッと戻したとです。

> おこめさん

その後は~?

静かニンジン 眠ル○○??

そのエロ本どうした??

森トンカツ泉ニンニクかぁコンニャクまれテンプラ♪


お父上、やるぅ~♪~( ̄ε ̄)
こめは兄貴の椅子と座布団の間に挟んであるのを見つけました。エロ本。
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長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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