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第12回日本レコード大賞(1970年)

第12回日本レコード大賞は、1970年(昭和45年)12月31日に帝国劇場で行われました。司会は、高橋圭三、佐良直美(前年の大賞受賞者)、堺正章、加藤茶(司会補佐)でした。

前年に設定された最優秀歌唱賞は、この年に限り発表はありませんでした。


▲日本レコード大賞/菅原洋一「今日でお別れ」

第10回に「誰もいない」で歌唱賞を受賞した菅原洋一は、この曲の大ヒットにより大賞を受賞します。


▲最優秀新人賞/にしきのあきら「もう恋なのか」

にしきのあきら(1948/12/14-)は、別府のナイトクラブから、鹿児島市天文館のキャバレーを経て上京。浜口庫之助の元で修業を積み、この曲でデビュー。その精悍なマスクと抜群の歌唱力で特に女性に人気を博しました。


▲歌唱賞/内山田洋とクール・ファイブ 「噂の女」

第11回で新人賞を受賞したクール・ファイブはこの曲でもその実力を遺憾なく発揮、歌唱賞を受賞します。


▲歌唱賞/岸洋子「希望」

第6回で歌唱賞を受賞した岸洋子は、70年膠原病で倒れるも再起。この曲で再び歌唱賞を受賞します。


▲歌唱賞/森進一「波止場女のブルース」

第11回に続き、歌唱賞を受賞します。


▲歌唱賞/由紀さおり「手紙」

第11回で作詞賞を受賞した「夜明けのスキャット」を歌った由紀さおりは今回、歌唱賞を受賞します。


▲大衆賞/藤圭子「命預けます」

藤圭子(1951/7/5-)は1969年「新宿の女」でデビュー。女性ハスキーヴォイスの先駆者・青江三奈をもしのぐドスの効いた声は衝撃的でした。作詞家の石坂まさをと組んで、ヒット曲を連発。ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、続くセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位。計37週連続1位という空前絶後の記録を作ります。1970年 「圭子の夢は夜ひらく」が10週連続1位を獲得、77万枚売上げる大ヒットとなります。


▲大衆賞/ザ・ドリフターズ「ドリフのズンドコ節」

リーダーはいかりや長介ですが、実は彼がリーダーに就任した1964年までは音楽バンドでした。結成は1955-57とはっきりしないとか。1966年のビートルズ日本公演の前座を務めたのは有名。この「ズンドコ節」は、1969年11月発売、オリコン最高位2位、売り上げ枚数115万枚以上という大ヒットを記録しました。


▲新人賞/辺見マリ「経験」

辺見マリ(1950/10/5-)は、アメリカ人の父を持つハーフ。幼少のころはバレリーナを夢見ていて、中2の時カンツォーネとジャズに出会い、中3でナベプロからスカウトされ上京します。この時初めて母から混血であることを告げられます。浜口庫之助の下でレッスンを積み、1969年「ダニエル・モナムール」でデビューします。翌年この「経験」のため息混じりの歌い方が話題となり大ヒットします。


▲新人賞/野村真樹「一度だけなら」

野村将希(真樹は旧芸名、1952/11/13-)は北九州市出身。1970年この曲でデビュー。俳優や抜群の運動神経を活かして芸能人スポーツ大会などでも活躍しました。


▲新人賞/安倍律子「愛のきずな」

安倍里葎子(律子は旧芸名、1948/10/7-)は、札幌市出身。高校卒業後、地元の音楽喫茶で歌っていた所を平尾昌晃にスカウトされ、1970年、キングレコードから「愛のきずな」でデビュー。いきなり50万枚を超える大ヒットとなります。


▲新人賞/ソルティー・シュガー「走れコウタロー」

1969年12月に幼なじみ大学生4人組グループとして「ああ大学生」でデビューしたが、売れたのはわずか3000枚。1970年に発表した「走れコウタロー」がミリオンセラーの大ヒット。この曲の発表直後にメンバーの池田が急死し、高橋が加入、新人賞を獲得しました。


▲作曲賞/川口真「真夏のあらし」(歌・西郷輝彦)

川口真(1937/11/5-) は、兵庫県出身の作曲家、編曲家。


▲編曲賞/馬飼野俊一「笑って許して」(歌・和田アキ子)

馬飼野俊一(1946/10/16-)は、愛知県出身の作曲家、編曲家。


▲作詩賞/なかにし礼「昭和おんなブルース」(歌・青江三奈)

なかにし礼は、第9回に「恋のフーガ」で作詞賞、第10回に「天使の誘惑」でレコード大賞、今回は「今日でお別れ」「昭和おんなブルース」でそれぞれレコード大賞と作詞賞を受賞と、その後も数々の賞を受賞します。

▲特別賞/日本コロムビア(株)のスタッフ 「日本流行歌の歩み」


▲企画賞/東芝音楽工業(株) 〈京都の恋〉ほか 作曲:ザ・ベンチャーズ

ベンチャーズの初来日は1962年、ドン・ウィルソン(リズムギター、リーダー)とボブ・ボーグル(リードギター、後ベースギター)の2人だけ。1965年、ノーキー・エドワーズ(リードギター)、メル・テーラー(ドラム)を加えた4人で2回目の来日をしたときに、大エレキブームを巻き起こします。本国で人気があったのは60年代。60年代後半から70年代前半にかけては日本を意識した曲を作ります。「二人の銀座」(和泉雅子&山内賢)、「北国の青い空」(奥村チヨ)、「京都の恋」「京都慕情」(渚ゆう子)、「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)などの歌謡曲を送り出し、それらはベンチャーズ歌謡と呼ばれました。

僕はビートルズよりもベンチャーズ一辺倒でした。


▲童謡賞/曲名:「ムーミンのテーマ」 歌手:玉川さきこ

玉川砂記子(1962/1/20-)は、東京都生まれ、劇団こまどり出身の声優、女優、歌手、ナレーター。



いよいよ70年代に入ります。

3/31には「よど号ハイジャック事件」発生。そして4/10、ポールがついにビートルズからの脱退を宣言してしまいます。夏には家族でその大阪万博を観に行ってアメリカ館で3~4時間ほど並んだ覚えがあります。勿論お目当ては前年NASAが人類史上初の月面着陸を果たして持ち帰った月の石。でも、あれは偽物だったというウワサも流れました(笑)

とここまで読んで、あれ?この文章、どこかで読んだとある!と思われた方は、歴としたこのブログのファンですよ。そう、「懐かしの70'sポップス」の70's Pops(1)1970年1-3月で書きました。

70年は僕は中学3年生。折しも10月からNBC長崎放送でオールナイトニッポンが始まり、深夜1時から朝5時までどっぷり深夜放送に浸かりながら、徐々にポップスファンになっていきました。

でも、歌謡曲から離れたわけではありません。ポップスもクラシックも並行して聴いていました。音楽はジャンル分けして聴くもんじゃないからね。

では、そんな年のリンデンピックアップ、まずは70年代のTOPに相応しいこの曲、


▲赤い鳥/竹田の子守唄

1969年、「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に関西・四国地区代表として出場。「竹田の子守唄」、「COME AND GO WITH ME」を歌い、フォーク・ミュージック部門の第1位を獲得、他部門の優勝グループを抑え、グランプリを獲得しました。


▲北原ミレイ/ざんげの値打ちもない

北原ミレイがナイトクラブで唄う姿を水原弘が注目、歌声を作詞家の阿久悠に見出されました。
強烈な印象が残るこの曲、上村一夫の劇画がまた懐かしいですね。


▲瀬川瑛子/長崎の夜はむらさき

この年ヒットした長崎ものを挙げないわけにはいきません!(^^)/

この頃は歌謡曲も洋楽も、ジャンルを超えた様々な名曲を次から次へと浴びるように聴いていました。
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長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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