長崎さるく~夕陽が美しいキリシタンの里~

きょう、長崎さるくの「夕陽が美しいキリシタンの里~遠藤周作が魅せられた町~」に参加して、外海の出津(しつ)文化村をさるいてきた。


実は参加しようと思ったのは昨日。所用で伺った「お告げのマリア修道会」で、会長から長崎のキリスト教や宣教師の話をお聞きしている中で、同会の発祥の地である外海のド・ロ神父の功績に話が及び、そういえば僕は今まで、外海でのイベントには何度となく関わってきたのに、参加者としてさるいたことがなかったなと思ったのが動機だった。

ちなみに関わったイベントとは、
5年前の出津教会での「ドロさまオルガン復活コンサート
2年前の黒崎教会での「イースターコンサート」「枯松神社祭」
昨年の黒崎教会での「市民セミナリヨ・イースターコンサート」
今年の出津教会での「旧出津救助院修復と江袋教会復元チャリティーコンサート」

2年前からは、主にアジェンダNOVAながさきで企画したものだ。


当日、朝早くからバスを乗り継いで、出津文化村の集合場所へ向かった。

先祖は外海から五島に移住したカクレキリシタンで、自分は舞い戻ってきたのだと語るガイドの山田さんの説明を聞きながら、沈黙の碑~外海歴史民俗資料館~旧出津救助院跡~ド・ロ神父記念館~出津教会とさるく。

実際にこの地をさるいて初めて、28歳でこの地に赴任し、74歳で亡くなるまでこの地のために献身的に生きたド・ロ神父の様々な偉業、彼を「ド・ロさま」と今でも敬い続けているこの地の人々、この地が「キリシタンのふるさと」と呼ばれている所以、聖ヨハネ・パウロⅡ世がこの地を「世界の驚異」だと言った訳、そしてこの地が世界遺産になろうとしている理由が、今更ながら少し分かってきたような気がした。


秋晴れの抜けるような空のもと、遠いむかしに思いを馳せながら、穏やかな透き通るほど碧い外海の海に癒された一日だった。

遠藤周作「沈黙」の碑の言葉
人間が こんなに 哀しいのに 主よ 海があまりに 碧いのです


■写真左:出津の小浜の浜。当時キリシタンは、子の間引き政策に耐えられず、この浜から五島へ旅立ったのだった。手前は大村藩、向こうは佐賀藩という国境。

■写真中:ド・ロ神父記念館で、シスター橋口ハセが弾くド・ロ神父愛用のオルガンで、さるく参加者は歌った。

■写真右:出津教会は、明治15年、ド・ロ神父の設計施工で建てられた。フランスの貴族であった神父は私財をすべてこの地に投じた。
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2年前の黒崎教会での「イースターコンサート」の前に、バスツァーでさるきました。
その時、シスター橋口のオルガンでみんなが歌った賛美歌は、中学校の卒業式で、在校生が卒業生を送り出すときのもの・・・
ド・ロ神父の生涯にも感動しました。
ところで、土地の人は、「しつ」と言わずに「しゅっつ」と言わない??

その節は、ありがとう!
ってことはさるきの先輩はクリさんってことやね?
確かに「しゅっつ」って言うらしいね。どんだけの人が言ってんのか、知らんけど・・・

今の記念館になる前に
訪れた事がありますが
綺麗な景色と実際合った事を
かんがえましたね。
学生の頃、合唱の時間「レクイエム」を歌ってる時
「沈黙」を思いだしてましたよ。
ラテン語だったからかな・・・

西洋音楽は、何と言ってもキリスト教音楽、聖歌からだもんね??
教会で歌うグレゴリオ聖歌はやっぱよかよね~~
僕は歌えんけど、keiちゃん歌えるの??
長崎はイエズス会に寄進されて全員キリシタンだった時代がある。ってことは、今生きてる者の先祖は、転んだか、転んだ振りをしたか、カクレ通せたか・・他は殉教した訳だから・・
僕の先祖は、きっと転んだんだと思うな・・・

西洋音楽は宗教音楽が元だからですね。
昔は4線譜だったようですよ。
歌えというなら歌うだろうけど。楽譜があれば。
でも4声だからね。
千々岩ミゲルのような人もいたから、世界が見えてた人と回りにあわせてた人と・・・。
昔から、外人はいたから市内の人々はそこまでせまられてなかったのでは?!浦上4番崩れはありましたが・・・
さかのぼり、乱にしても、本当はどうだったのだろう?!と
口之津から天草を望んだ時
思いました。

ネウマ譜のことね。ポリフォニーになる前は単旋律だったんじゃ?
長崎がイエズス会領だったのはもっともっと前。秀吉が天領にする前。2万人ぐらいいた町民はほとんど100%キリシタンだったそうだよ。
ほんとうの迫害・殉教は徳川時代だけどね・・
僕の先祖は島原の乱の後、小豆島から連れてこられたみたい。本当のとこは、よ~~分からんけどね(笑)

ネウマ譜の頃のが聞きたいの?
ポリフォリー(多声音楽)だからきれいなのに・・・。
拍子も決まってない四角い音符の羅列。オタッキーならいいかも。
大村宗麟もキリシタンだったし
あの時代に音楽、ラテン語など
神学校が存在してた事!
危なかったと言えば、危ないけどね。
迫害は秀吉が禁止令を出してから始まったでしょう?
島原の乱は宗教戦争のように
いわれてるけど
そうじゃないと思う。
強制的に入植させられたから、今も難しいみたいね。

初期のグレゴリオ聖歌さ、シンプルな単旋律もよかよ~~
秀吉の禁止令は見せしめだけよ。26聖人もね。
島原の乱は、よきキリシタン時代への懐古から始まったんじゃないの??あまりに松倉だっけ?の年貢の取立てが厳しかったのもあったんやろけど。
僕の知識は付け焼刃だよ。
keiちゃんは専門なの??詳しいね??

講義で聴いていたから知っていますが・・・
あの時代は男性だけの領域で(だからカストラートが必要だったのだけど)テノールの良い声が晴れるかもね。
見せしめに、雲仙の地獄にも漬けてたよね。禁止令があったから、それからも残酷極まりなかった。浦上4番崩れの以前になるだろうけど津和野に流された信者は・・・。
島原の乱?
松倉のやり方が大変ひどかったのもあったけど、小西行長の子分達が一肌揚げようとしてたのもあるし、クーデターに近かったのじゃないのかなと思う。
天草からも着てたし、参加しないと殺されたりもあったみたいね。
農民、女、子供だけで、幕府が大砲まで外国に頼らないといけないほどてこずるのも合点いかない。戦争を潜り抜けてきた武士の力は大きかったのじゃないかな~と。
宮崎康平もそこら辺は
持論を地元の人らしい見解で書いてたから興味深かったよ。
私の専門は音楽です。

僕の専門は、何も専門です。[:汗:]
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