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93.憧れの欧州旅行(13)~ウィーンとモーツァルト~

1989/8/11、ザルツブルグ中央駅から、オーストリア連邦鉄道(ÖBB)に乗ってウィーン西駅(Westbahnhof)へ向かった。
いよいよ今回の欧州旅行のラスト、音楽の都ウィーンだ。

ウィーンに住んだ作曲家、特にモーツァルトの足跡を辿りながら、街を紹介したい。
このサイト「モーツァルトを知るためのウィーンお散歩ガイド」が参考になる。

  
 ▲ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
  (Wolfgang Amadeus Mozart)1756~91
  (c)ANTO/Gesellschaft der Musikfreunde



1756年1月27日にザルツブルクに生まれたモーツァルトは旅の果て、雇われていたザルツブルグ大司教と決別し、25歳から亡くなる35歳までこのウィーンで過ごし、数々の名曲を作曲した。

30歳で作曲した『フィガロの結婚』もその一つ。この曲を作曲したフィガロハウス(現モーツァルトハウス)へ行った。『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』もここで作曲された。ウィーンのシンボルであるシュテファン寺院のすぐそばだ。

以下、この地図のお散歩コースの逆を辿った。

figarohaus.jpg
 ▲フィガロハウス(現モーツァルトハウス)


ここからケルントナー通りを南下して行くと、左側にシュテッフルという大きなデパートが見える。ここがモーツァルトの最後の家で、今は裏口に銘板だけが残っている。ここで彼は数多くのヒット曲を生み出した。『魔笛』『クラリネット協奏曲KV622』、『レクイエム KV626』、『アヴェ・ヴェルム・コルプス』など。

『レクイエム』の作曲の途中でリューマチ熱にかかり、とうとう「♪ラクリモサ」の一部を歌いながら自分が完成できないことを知り、弟子(ジュースマイヤー)に残りの指示を与え、天才はこの世を去った。そして人知れず共同墓地に埋葬されたという。1791年(35歳)12月のことであった。

映画「アマデウス」を思い出すなぁ~[:大泣き:]

steffl.jpg
 ▲シュテッフル(モーツァルトはここで息を引き取った)


シュテッフルからもう少し南下すると右手にウィーン国立オペラ座がみえてくる。
ミラノ、パリと共にヨーロッパ三大オペラ劇場に名を連ねる歌劇場だ。
1869年5月、モーツァルトの作曲した『ドン・ジョヴァンニ』でこけら落としが行われた。

staatsoper.jpg
 ▲ウィーン国立オペラ座(staatsoper)


オペラ座前のリンク(環状道路)を東に歩くと、きれいな花が咲き乱れるブルグ庭園がある。そこにあるモーツァルト像は観光スポットだ。

morzart_st.jpg
 ▲ブルグ庭園のモーツァルト像


この庭園の東側に王宮(ホーフブルク)がある。ハプスブルグ家の皇室だ。ここは見どころ満載。この王宮礼拝堂では、日曜日のミサでウィーン少年合唱団が美しい歌声を披露する。モーツァルト生誕250周年祭では、シュテファン寺院でウィーン少年合唱団による『戴冠ミサ』が歌われて生中継された記憶も新しい。


この日はリングを逆に戻り、オペラ座を通り過ぎた右手にあるコンツェルトハウスでのコンサートを聴いた。モーツァルト当時の服装で演奏され、楽しいコンサートだった。

Konzerthaus.jpg
▲コンツェルトハウスでのコンサート (↑クリックで拡大)



モーツァルトはこのウィーンでその音楽の才能を一気に花咲かせ、そして散っていった。250年も経って後世の人々に感動を伝え続けていけるものが、この音楽以外に何かあるだろうか・・・音楽、music、musik、musica・・・

いよいよ、旅の終わりが近づいた。

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あにじゃさん今晩は。
毎回毎回、丁寧にスナップ入りで紹介してくれてありがとう。
ビジュアルされていると、「百聞は一見に如かず」で当時の様子が良く理解できます。
あなたの若い頃の姿も今回も拝見できたし・・・。
ヨーロッパって日本や中国もそれなりに歴史があるけど、それとは又、違った歴史があって、雰囲気があるよね?
行った事ないけど、アメリカがいくら頑張っても、街並みに、この落ち着いた雰囲気はだせないだろうね。
モーツアルトのことは、音楽の授業で習う程度しか、知らなかったけど、35歳で亡くなっていたのですね。
そのわずかな期間しか生存してないのに、こうして後世まで影響を残すなんて、彼はやはり天才だったのでしょうね。
もうすぐ還暦を迎えようとしてる私ですが、何か残さないとな~。

aibikiさん、いつもケルンありがとうございます。
僕もちょっと行っただけですから、偉そうなこと言えないけど、欧州の歴史は厚みがありますよ。何百年も前の伝統が息づいてます。
モーツァルトは単に天才だけで片付けたくないほどですね。
楽譜を起こす前にもう彼の頭の中には曲が出来上がっていたんですよ。その証拠に自筆譜に修正箇所がまるでない。
ベートーベンとはえらい違い。書きなぐった汚い譜。ショパンなんか、修正用に一段空けて書いていたり。
aibikiさんには、My Soundがあっじゃなかですか!!
すごいですよ。

>楽譜を起こす前にもう彼の頭の中には曲が出来上がっていたんですよ。その証拠に自筆譜に修正箇所がまるでない。
すごいですね。音楽のことはよく分らないですが、絵画だと普通は、自分の感じたことを表現するために「書く技術」を磨いていくのが普通なんです。音楽家が楽譜を書くことは自分の音を楽譜に表すのは同じようなことかなとおもうのですが。
あの天才ピカソは、その技術の呪縛から逃れるために、自分の思いを自由に表現できるようになるために生涯をかけています。
モーツァルトはそれを若くしてできていたんですね。あの「1/fのゆらぎ」も、だからできたのかもしれませんね。

音楽の場合、楽譜を書く技術は重要じゃないよ。
その調やテンポや音の高さや長さや演奏上の注意書きを書き込んで、いかに演奏者に伝えるかだけ。書くルールはある程度統一されてるし。
でも演奏者が演奏して、初めて作曲家の芸術が世に出る訳だから、作曲家はいかにそれを演奏者に伝えるかに労を割く。
一方、演奏家も作曲家が何をどう表現したかったかを楽譜から必死に読み取ろうとする。楽譜だけ見てたってだめ。その作曲家が生きた時代、その作曲家がおかれていた状況やその人の性格やもろもろを知って分かってくるものがある。
・・って偉そうやね~ドシロートのくせに。誰か専門家が見てたら笑ってるばいね[:キャー:]
「1/fのゆらぎ」ってよく分からんけど、モーツァルトの後にできた理論でしょ?? 彼は理論なんかとは全く違う世界にいたと思う。きっと彼が聞こえていた「天使の声」に従っただけだよ。

>きっと彼が聞こえていた「天使の声」に従っただけだよ。
うん、その通りだと思う。技術や理論を超えたところで、彼の音楽があったんだと思う。
250年もの間、人々に愛される音楽なんて普通の才能では作れないもの。

芸術家の力はすごいよ。彼がもう10年長生きしてくれてたら、どんな名曲が生まれていただろうと思うと、惜しいな。たった35歳だよ。
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