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96.感動の開局プレゼント

1989年後半は、とにかく開局準備に奔走した。

開局準備事務所は、役員、総務、業務、営業、報道制作、技術が1フロアにひしめき合い、騒然とした中で各人が仕事に追われていた。

新社屋に移ると3フロアに分かれ、少しずつお互いの顔が見えなくなっていっただけに、あの1フロア時代が懐かしい。

役員は外に出ては、監督官庁である郵政省、キー局や系列局、行政や有力企業、地元有力者、広告主や広告代理店、ありとあらゆる関係先にあいさつ回りをし、社に戻っては、取締役会や株主総会、社内会議に採用試験の面接と坐る暇もない。

業務は、放送のためのデータ作り。放送用語を一から覚えることから始め、あとはEDPS(放送運行システム)というコンピューター端末に向って、番組の編成データ、運行データ、スポンサーや代理店や売り上げなどの業務データをひたすら入力する作業に追われた。一日の放送はすべてこのEDPSが自動運行して放送されていくから、1つでも入力ミスがあると放送事故につながるのだ。

営業は、とにかく会社名と自分の顔を覚えてもらうために、ありとあらゆる所へあいさつ回りをし、広告を売って回った。支社ごとの料金発表会はおおきなイベントだった。

放送収入は、大まかにいえばネット収入とローカル収入で成り立っている。この収入がなければ民放はやっていけない。ネット番組を放送することでキー局からネット収入があるのだが、それ以外はすべて自分たちでスポンサーを見つけなければならない。

ローカルで売るのは、主にタイム(番組提供)とスポット(15秒や30秒のCM)だ。行政から補助金をもらっていると思われることがあるが、とんでもない。

報道制作は、早速カメラマンと取材開始。映像がないことには放送しようがない。とにかくまずはニュースを出すことが最優先だ。アナウンサーは大声で発声練習をする。同じフロアーでやるわけだから、否が応でも聞こえる。読み間違いやイントネーションが違うと、デスクの罵倒が飛ぶ。お前、今まで何勉強してきたんだっ!!

年明けの1月18日には、本島等市長が地元右翼団体の幹部に拳銃で撃たれるという事件が、事務所から目と鼻の先の市役所前で起きた。早速の実地取材となった。

技術は、稲佐山や烏帽子岳の送信所や県内各所の中継局の建設と郵政への認可申請、放送設備の仕様・見積・発注・設置・検査と、県内外を飛び回った。


そんな各局が専門にやる仕事以外、会社づくりで必要なものすべてを総務が受け持った。社員採用から電話の問い合わせ応対、就業規則や賃金規定の制定、福利厚生の手続き、社外案内文書の発送、社内文書作成などなど、列記するのが面倒くさいぐらいだ。
株券を発行することから、ゴミ箱を買うことまで、とにかく何から何までだ。

社屋内の備品の購入・レイアウトも当然総務。新社屋は1・2Fは吹き抜けの多目的ホール、2Fに喫茶兼社員レストラン、3Fが報道制作で、4Fに営業・業務・技術、5Fに総務と役員と配置計画し、その部署ごとに必要となる机や椅子や備品類・OA機器などすべてリストアップさせ、競争入札をして業者を選定した。

開局日は決まっていたが、新社屋建設が押していたため、フロアごとに引渡しを受け、業務→報道制作→営業→技術→総務・役員の順に新社屋に引っ越した。その計画を取り持つのも総務だ。製鉄所時代の工事管理がもろに役立った。

社屋はまだ建設中だったので、社員にはヘルメットをかぶらせて通勤させた。データ入力作業で徹夜して、何もないフロアーにそのまま死んだように寝た女子社員もいた。放送は初心者ではできない。当然キー局や系列局から指導や応援にきていただいた。

社員の経歴はまちまち。給料は当然低く抑えたため、ほとんどの社員が前職から激減、中には3分の1になった者もいた。

しかし僕は、本当に給料をもらっていいのだろうかと思うほど充実した毎日を過ごした。放送局の開局に立ち会えるなんて、誰もが経験できることではないからだ。

長崎は第2局が1969年に開局して以降、2局時代が20年以上も続いていたから、県民の期待も否が応でも大きく、開局が近まるにつれ、どんどん高まりを見せていった。電話がひっきりなしに鳴った。


そしてついに、1990年4月1日早朝、マスターでお祓いをした後、創業の社長が開局のボタンを押した。

軽快なBGMとともに、会社のロゴマークがTV画面に映し出され「JOXI-TV、こちらはNC○長崎文○放送です」と女子アナの声が県内に流れた。

感動の一瞬。この瞬間は一生忘れることはないだろう。


実は僕にとって、感動はそれだけではなかった。

その開局の前日、僕の家に大きな包みが届いた。開けてみると、何とそれは8箇月前にグラナダで発注したギターだったのだ。

ラベルに、Luis Santiago Hernandez と書かれてあり、彼を思い出して目頭が熱くなった。彼が「開局おめでとう!」とスペイン語で言ってくれているようだった。

こんなこともあるのだろうか・・・あまりのタイミングに言葉がなかった。
僕への開局プレゼントとして、これ以上のものはなかった。

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あにじゃさんどうも。
今日は、バンドの練習があったので、帰宅が午前様になってしまい、今、読ませてもらいました。
しかし、病気して長崎へ帰って来て、タイミング良くこの会社に就職できたのですね。
事前に就職活動はしていたのかな?
それとも、誰かの紹介でもあったのかな?
何はともあれ、新規に会社ができるのだから、皆さんが途中入社みたいなものだよね。
だから、途中入社のハンデは、なかったのでしょうね。
そう思います。
また、新しい会社に勤務するのだから、これから歴史を作るぞって、皆さん張り切ったことでしょう。
そう言う意味では、ラッキーな長崎での勤務開始となったよね。

確かにタイミングがよかったですね。一般公募して採用した既卒、新卒組より前に、縁あって入ったわけですからね。
今思えば、いろんな「縁」を感じます。長崎に戻るべくして戻ったのかも知れないとも思える。
このとき、お世話になった方々には本当に感謝しています。
古き良き時代もいつまでもは続きませんがね。

何もないところに一から作るのって、大変だけどやりがいがあるよね。
私も過去に、会社でアウトバウンド型のコールセンタを作ったんだけど、あの時は本当に楽しかったです。
勿論、コンサルが入って一緒に話し合いながら進めましたけど、全てが初の経験でした。
会社の中の一組織でもそうですから、アニジャのように新しい会社を立ち上げるって言うのは本当にやりがいがあるでしょうね。
ある意味、羨ましいです。

新しい仕事の魅力を知ると病み付きになるのも確か。
定型業務じゃ飽き足らなくなって、常に新しいものを求めて改善改善の日々だった。
そうやって一から作りあげても、後から来た何も知らない者が、さも自分がやってきたようにイイトコ取りしていくんだけどね[:泣き:]
ま、それもよしとせねばね。創業者は去るのみ!

>新しい仕事の魅力を知ると病み付きになるのも確か
そうでしたか[:ウィンク:] あにじゃが次々と新しい企画するのは、これが元になっているのかもしれないですね[:ワーイ:]
次々に繰り出されるユニークな発想と実行力。それに周りの人たちを引っ張って乗せていく力[:花マル:] 以前から凄いと思ってました[:ドキドキ:] ある意味、あにじゃにピッタリのお仕事だったのではないでしょうか~[:↑:]?

なんかベタ誉めやね??何も出らんよ[:イイー:]
だから、このところストレス溜まってます!![:困った:]
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長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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