善長谷教会

5月6日、友人Kが帰崎したので、彼の故郷・深堀の城山の中腹にある善長谷(ぜんちょうだに)教会に行ってみようということになった。

長崎新地ターミナルから「深堀」か「香焼」行きのバスに乗って「深堀」で下車。

深堀は長崎市唯一の城下町の風情が残っている町だ。昨年の6月に通さるく「深堀城下町探訪」でさるいたので、今回は真っ直ぐ教会へ向かった。

深堀小学校から右手に折れ、道路沿いにずっと歩く。この道路は平日に一日数本のコミュニティバスが通る。道路の分かれ道には「←善長谷教会」の看板があるから迷うことはない。青葉が眩しい。海沿いの道も気持ちがいい。歩き出して40分程度で教会が見えてくる。(写真左)

善長谷はむかし、外海の隠れキリシタンが迫害を避けるために移り住んだ里だ。
ここからの眺めは素晴らしい。右手は長崎港と香焼島。正面に角力灘に浮かぶ高島や軍艦島。左手は野母半島が遠望できる。(写真中)

長崎は心の故郷だという遠藤周作もお気に入りの場所だった。
事実、「女の一生<一部>キクの場合」のキクが眠る場所としてこの場所を選んでいる。

特に夕陽が美しい所だが、今回は昼に登ったから、次回を楽しみにしよう。

教会にあるその説明書きにはこうあった。

 
 この地の歴史は文化年間(1804年)、隠れキリシタンであった西彼杵郡三重郷樫山出身の甚介の子、佐八ら6家族が、旅芸人を装いながら脇岬の木場ゆりさき(鯨浜付近)を経て、この地を信仰の隠れ家としたことに由来する。

 居住の条件として、八幡神社の毎月の祭礼及びお水方として藩主用の水汲み役を果たすことと、菩提寺の檀家に所属することが義務付けられた。しかし、彼らにとってこれらの勤めを果たすことは表向きのことであって、信仰の形態は先祖から受け継いでいる隠れキリシタンの信仰を堅持していくことにあった。

 「善長谷」という地名の由来は、菩提寺6代当主、賢外普間和尚が厳しい座禅の修行によって悟りの境地に至ったことで知られる場所で、「禅定谷」と呼ばれるようになり、それがいつしか訛って「善長谷」となったと言われている。

 また「善長谷部落名起源考」によると、異教徒のことをラテン語で「ゼンチレス」、スペイン語で「ゼンチョ」を発音することから「善長あるいは善丁」の語源が生まれたのではないかと考えられ、最初は仏教徒に対しての呼び名であったものが長い間に変遷して、自分たちの住む地名になったのではないかと思われる。

 明治維新以降、信仰の自由が公認されると、それまで密かに信仰を守っていた当地の隠れキリシタンたちは、宣教師のカトリック信仰への呼びかけに従い、大部分が集団でカトリックに改宗したが、改宗を拒んだ一部のキリシタンは西彼杵・三和村蚊焼郷岳路に移住した。

 無原罪の聖マリアに奉献されている現在の聖堂は中町教会の主任司祭であった古川重吉師の指導によって、昭和27年5月3日に建堂された。

 当時の信徒数約250名。


教会の裏手には「ルルドの泉」がある。(写真右)

友人Kが子どもの頃、最初にここに登ってきたときは、衝撃を受けたという。
さもありなん。信仰の対象となっている所は、それなりに神聖な佇まいがあり、訪れる者に聖なるおそれを抱かせる。それは神仏キ、宗教を問わない。


ちなみにここは映画「精霊流し」のロケに使われた。

旅する長崎学の「深堀の城下町と善長谷教会」を参考に、ぜひ一度、訪れて欲しい所だ。
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