豊後の旅~府内編~

1549年、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、鹿児島→平戸→京都→山口→大分→インド・ゴアと布教の路をたどった。

大分では、「ザビエル」や、11/24に長崎で列福される「ペトロ岐部」の名前を知らない者はいないという。(お菓子の名前で?!)

長崎のキリシタン史を学んでいる者として、この大分(府内)でのキリスト教とそれに伴う南蛮文化の足跡を訪ねてみた。

各地に建てられた記念碑を中心に紹介しよう。

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 大友宗麟像(大分駅前) 1550年、21歳で家督を継いだ大友義鎮こと宗麟は1559年、北部九州6国の守護職を手に入れ、九州探題にも任じられた。1578年、キリスト教の洗礼を受ける。

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 府内城 府内(大分駅東の地区)には中国人が住む唐人町があった。大友宗麟の時代以前から、大友氏は中国や朝鮮半島との貿易を盛んに行っていた。1545年、中国船に同乗してポルトガル商人が府内を訪れ、1551年にはポルトガル船が直接来航した。
府内の中心は、大友氏の居館(復元計画あり)だったが、居館では守備に不安があるため、堅固な城郭を求めて大分川河口付近に府内城(別名、荷揚城)の築城を開始する。1599年、府内城完成。旧府内城を廃し現在の位置に移った。

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 聖フランシスコザビエル像(県庁前広場) 1551年、ザビエルは山口に滞在中、大友宗麟の招きを受けて府内に来訪、2か月滞在し布教した。府内は日本における布教の中心となり、西洋文化が開花した。

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 西洋医術発祥記念像(遊歩公園) 1556年、ポルトガルの青年医師ルイス・アルメイダ(67年、長崎に布教)は日本初の洋式病院を建てた。彼によって内科だけでなく、日本最初の洋式外科手術も盛んに行われた。病院には外来ほか入院の設備もあって1562年には入院患者が100人を超えていた。病院にこれない人のために巡回診療も行われていたし、医学校も併設されていた。はるばる京都や関東からも患者が訪れたといいう。像はアルメイダが外科手術を始めるところ。

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 育児院と牛乳の記念碑(遊歩公園) 1555年には、アルメイダは府内に来ていたが、当時日本は戦乱が続き、国民の中には貧窮の余り嬰児を殺す風習があった。これを知ったアルメイダは自費で育児院を建て、これらの嬰児を収容し、乳母と牝牛を置いて牛乳を育てた。これは近世に於ける福祉事業の先駆である。

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 西洋音楽発祥地(県庁前広場) 1557年、府内教会で復活祭の聖週のとき、二つの聖歌隊がオルガンの伴奏で賛美歌を歌った。これが日本人初の西洋音楽の演奏となった。

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 西洋劇発祥記念碑(遊歩公園) 1560年、クリスマスに府内のキリスト教会では信者の手によって西洋劇が演ぜられた。これが日本における洋劇の最初である。

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 伊東ドン・マンショ像(遊歩公園) 1582年、イエズス会巡察師ヴァリニャーノの主導で伊東マンショ・千々石ミゲル・原マルチノ・中浦ジュリアンの4人の少年が、キリシタン大名である大友氏・有馬氏・大村氏の名代としてローマに派遣された。伊東マンショは宗麟の姪の子、13歳であった。長崎から経った一行が帰国した1590年はすでに秀吉が伴天連追放令を出した後、3年前に宗麟も世を去っていた。マンショはその後、神父として隠れキリシタンに布教を行い、1612年43歳で長崎で病没した。
 この像は北村西望が、ローマ教皇に拝謁のためバチカン宮に参入する姿を彫った。

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 キリシタン殉教記念公園(葛木) 大友宗麟が保護しキリスト教は目覚しく繁栄したが、ひとたび禁教の嵐が吹き荒れると、その被害は甚大で尊い殉教の血が流された。わけてもこの葛木付近(通称”獄門原”)は、1661~1673年に14~84歳の老若男女200人の殉教者を出すに至った。

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 キリシタン殉教記念碑(同記念公園内) 殉教者には葬儀もなく、墓もなく史実や名前さえ定かでないものが多いため、大分県キリシタン史跡顕彰会が、殉教者の崇高な信仰の跡を偲び、霊を慰めるため、この碑を建てた。制作は北村西望。
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あにじゃ、大分までさるいたんだ、すごいね~!!
平成の伝道師「あにじゃ」って感じかな?
でも、大分にこんなにキリスト教の香りがするなんて思わなかったな~
まあ考えたら、大友宗麟の国なんだから当たり前か~
なんとなく、長崎の専売特許みたいな気がしていましたが・・・
あにじゃ、まさかザビエルの足跡をたどって、最後はインドまで行くんじゃないでしょうね。

そうなのよ。長崎発祥だと思ってたものが、実は大分が発祥だったり・・・。長崎さるくも大分のオンパク(別府八湯温泉泊覧会)を参考にさせてもらったらしいよ。
私は今、キリシタン史を辿っておりますが、そのうち平成の伝道の功績により、ローマ教皇から列聖される予定です。「劣勢」でもなく「列性」でもないのでお間違いなく。「St. Anija Lindenstein」です。
その後は私の家は曹洞宗ですので、仏教を辿り、最後はご指摘の通り、インドに辿りつく予定です。
阿仁邪骨が仏舎利塔に納骨されるまで、皆様、歴史の証人になってくださいね。[:ウィンク:]

そのときは、みんなで歌います。
サーラスポンダ、サーラスポンダ、サーラスポンダ、レッセッセ
オドーラオー、オドラポンダオー、オドラポンダレッセッセ、オセボセオー[:キャー:]

な、なんでその歌やねん??[:ビックリ:]

何故だか頭の中に浮かんだだけです。意味はありません。
列聖→レッセイ→レッセッセ
一行目だけのつもりでしたが、最後のところまで思い出してしまったので、勢いで書いてしまいました。

う~~ん・・・
そんなんやったら八十八夜歌わないかんやん。
レッセッセ! ♪夏も近づく 八十八夜~~

それは...せっせっせ!(^_^;)

え?せっせっせ・・・て手遊びの~???
宗教が絡んで、その名の下に
沢山の血が流れて無惨です。
ヨーロッパの十字軍も、アイルランドのキリスト教も・・・。
長崎は鎖国時代の窓口だったけれど、いろんなものが入ってきてて面白いと思います。
感動したのは、島原半島でコレジオからオルガンの音色が聞こえてたのかと思うと感慨深い物があります。
大友宗麟も大村の大名も少年使節もよかれと思ってたのだろうなと思うと複雑ですね。
千々岩ミゲルは、どういう思いだったのかな。
かなり、情勢をよく判ってただけに。
などと考えます・・・

このキリシタン史を辿ると、如何に現在が平和なのかを思い知らされます。
自分の身に置き換えて、自分が信じているもののために死ねるでしょうか??その前に自分は何を信じて生きているのでしょうか??
現在の日本人の中で何か信じていること、愛しているもののために死ねる人がどれだけいるでしょうか・・・
ま、必ずしもそうすべきだとは思いませんが、本当に考えさせられますね。

私はいの一番に踏み絵を踏んでいるでしょう・・・[:イイー:]
愛してる物の為には生きなくては!!

そう僕も。「踏むがいい。お前の足の痛さを私が一番知っている」って確か「沈黙」に書いてあったよなぁ~~とか思いながら踏むとさ。痛くも痒くもなかとにね[:イイー:]
愛してる者のために生きても、最後は「人、その友のために死す。これより大いなる愛はなし」って、できるだろうか??
自分が生きるためには、友であろうと裏切るのが、現代の常識だよね。悲しいかな・・・[:泣き:]

裏切りに行くとは思わなかったな。
例えば、自分の子供は自分が生きて守りたいしね~^^
踏み絵は自分との葛藤でしょ?
友を裏切るのとは
ちょっと違うのよね。

だって愛してる者に背を向けるっちゅう意味では同じじゃなかと??

そんなみそくそおおざっぱでは
一緒にできないように思いがします。

うん、言い方が悪かったね。同じ面もあるって言いたかったと。
僕みたいな、ざっぱでえ~加減な人間はいろいろ学ぶところが大きかよ。現実生活に置き換えたら、何度も踏み絵を踏んで、何度も友を裏切ってるような気がするよ。

あにじゃ、それは・・きっと踏み絵を踏んでるんじゃなくて
その時にそう選択しないといけない理由でそうしたのだと
思います。
あにじゃには守らないといけないものを優先しただけで。
裏切っても自分を守らなきゃいけないときもあるしね[:ウィンク:]
踏み絵を踏めない人は生きにくいのではないでしょうか・・・

「踏み絵」とか「裏切り」とか極端な例で象徴して言ってるだけで、身の回りに小さな例はあると思うっさね。
自分が今まで信じてきたやり方を曲げるとか、世話になった人に冷たい態度をとるとか、いろいろね。
僕は、踏み絵を踏まないといけん所で踏まないで、踏まなくていい所で踏んだりとかしてるような気がするとよ。[:ワーイ:]
その辺がね。きっと下手かとよ。人からもよく言われる。[:汗:] しょんなかとさね~~それが僕やけん[:ワーイ:]
メールじゃ上手く表現できんけどね。

しょんなかことなかと思いますよ^^
みな、不器用ながら前に進んでるだけで。
そりゃ、世の中には上手く踏んでる人もおるやろうけれど
何処かでつけのくるごとなっとるとよ。
今度、お会いしたときにでも
お聴きしますね。
遠藤周作は、「しょ~んなかさね」て言える人の方を向いて
優しく見ているのじゃないかな[:笑い:]

そだ!そだ![:笑い:]
またどっかでお会いましょうね!
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