元祖長崎とシーボルト

土曜朝、あてもなく家を出た。

特に目的があったわけじゃない。
昼から長崎歴史文化博物館(歴博)で行われる講演会でも聴きに行くかなと思った程度だ。

とりあえずバスで山を下りた。
宝町で3番系統「蛍茶屋行き」の電車に乗り換える。

まだ時間がある。そうだシーボルト記念館に行こう。

先日感動して読み終えた吉村昭「ふぉん・しいほるとの娘」を思い出したのだ。
おイネに会いたい。


新中川町電停で降りて、まずは丸山公園にある「長崎開港先覚者之碑」にごあいさつ(写真左)。

長崎開港に尽力したキリシタン大名・大村純忠と長崎甚左衛門純景を顕彰した碑だ。

この公園は長崎さるく「元祖長崎」のスタート地点でもある。

この近くの桜馬場は長崎で最も古い町。長崎街道の起点でもある。
両親もここで新居を構え僕を産んだから「元祖あにじゃ」でもある地だ[:イイー:]


ここからシーボルト記念館に足を向けるとほどなく、その地「鳴滝」の由来となった滝の音がしてくる。

その鳴滝川へ下りてみる。ひんやりとした秋の風にこの滝の音がマッチして、心が安らぐ。
シーボルトもこの川で涼んだに違いない(写真中)

この川を少し上るとシーボルト宅跡シーボルト記念館はすぐだ。

オランダ商館医として文政6年(1823年)に来日したシーボルト(実はヴュルツブルグ生まれのドイツ人)は翌年、長崎奉行所の特別な許可を得て、この地に診療所を兼ねながら蘭学を教える鳴滝塾を開設した。

以後、全国からシーボルトに蘭学を学びたいと塾生たちがぞくぞくと集まってきた。その数は50名を超えたという。

彼らはこの塾で学び、その後、蘭医や学者となり日本近代化の先駆けとなった。
いわばこの地は日本の近代化の聖地だ。

シーボルト事件で国外追放となり、開国後再来日するシーボルトだが、彼の日本への貢献度は計り知れない。


現在、シーボルトの銅像と、往時を偲ばせるものは、井戸と倉庫跡ぐらいしか残っていない。

周囲を見渡すと、優しい稜線の彦山と、僕の実家の墓も視野に入った。シーボルトや塾生も仰ぎ見たのであろうか。185年前だが・・・(写真右)

シーボルト記念館で、シーボルトやその塾生たち、お滝、おイネ、タカの波乱万丈の人生に触れた。

ここでは語りきれないが、ぜひ一度、吉村昭「ふぉん・しいほるとの娘」を読んでみて欲しい。


その後、歴博で長崎学公開講座「朝鮮通信使と対馬藩」を聴講し、元祖長崎のまちから、山の上へ舞い戻った。
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長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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