大村さるく(2)旧楠本正隆屋敷~五教館御成門

いよいよ武家屋敷の中へと入っていく。そこには文人・武人が目白押しであった。

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 ▲旧楠本正隆屋敷(県指定有形文化財・大村市指定史跡)。明治3年築。現在まで残る貴重な武家屋敷の遺構。「大村のひなまつり」開催中でお雛様の展示やお茶会などが催されていた。

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 ▲大村家に代々伝わるお雛様。左の冠はわざと外して展示してある。お雛様の御髪を最近何百万もかけて修復したからだとか。このお雛様は大村憲子のために作られた。

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 ▲その大村憲子。最期の(12代)藩主・大村純熈(すみひろ)の四女。現代でも通用する上品な美人だ。

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 ▲庭園も立派だ。

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 ▲座敷では、「雛の茶会」が行われていた。抹茶代300円を払えば誰でも参加できる。

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 ▲楠本正隆。楠本正隆は、天保9年(1838年)岩船に生まれ、幕末の倒幕運動にも加わり、三十七士の一人として活躍した。明治時代には新潟県令、東京府知事となり、また衆議院長も務め近代都市計画に大きな功績を残した。

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▲上小路(うわこうじ)武家屋敷通り。

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 ▲石井筆子。知る人ぞ知る大村の偉人の一人。前半生は女性教育向上の先駆者。後半生は知的障がい者の福祉と教育の草分けとして偉大な業績を残した。NHK「その時歴史が動いた」、映画「筆子・その愛~天使のピアノ」、映画「無名の人~石井筆子の生涯~」などでも紹介され、彼女の壮絶な人生が感動を呼んだ。

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 ▲五教館御成門。大村藩は、藩の未来を考え、藩士の子弟育成に力を注ぐため教育改革を行った。まず、学問を教える藩校「五教館」を設立。この学校では「君臣に義、父子に親、夫婦に別、長幼に序、朋友に信」という五輪の道を指導した。

>>続く
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