媽租様と唐りゃんせ

通さるく「媽租様と唐りゃんせ~唐人屋敷の歴史~」をさるいた。

唐人屋敷とは、元禄時代、それまで市中に散在していた中国人を、密輸やキリスト教浸透のおそれから「囲い込んだ」まちで、出島の2倍以上の広さがあり、2000人~3000人が収容できる場所だった。

当時、中国船が入ってくると一旦、貨物は新地蔵(現在の新地中華街)に預けられ、唐人たちはこの唐人屋敷の入り口にあった番所で検査を受け、手回り品のみで帰帆まで館内で生活をしたという。

広馬場~館内市場~土神堂~天后堂~観音堂~福建会館などが主なコース。

写真左は、その唐人屋敷の一番奥の角に当たる所。現在もこの角を境に4つの町が分かれている。
真ん中は「陶々亭」という由緒ある中華料亭。土蔵造りで窓が立派。現在も開店中。
右は福建会館にあった孫文の像。言わずと知れた中国革命の父。

今度はどこをさるくかなぁ~~

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昨日はおつかれさま
唐人屋敷が昔、広馬場よりも山手にあったなんて
びっくりでした。。

お疲れでした。楽しかったね。またさるきましょう!

はーい、よろしくお願いしまーす

異なる文化の交流する接点には、いつの時代も避けられない軋轢の歴史がやはりあるわけですね。
刹那の安住の地も、諸行無常の風が吹く。
この美しい路地裏に佇んで、おばあちゃんとミカン食ってみたい。

さすがキタシン。分かってらっしゃる。
長崎は「和華蘭まち」とか「異文化融合のまち」とかいうけど、その裏には凄まじいほどの軋轢の歴史があった。
教会を焼き払い、また寺を焼き払い、棄教を迫り、できない者には死が待っていた・・
そうやってようやく融合したまちを原爆が一掃し、全くのゼロからのスタートを余儀なくされた。
仏教文化が何百年も続いてる京都や奈良と長崎が根本的に違うところだね。
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長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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