長崎開港に至る歴史を遡る学さるく(2)神浦城

福田から北上し黒崎、出津を通って神浦(こうのうら)に向かう。
ここには、大村氏に叛旗を翻し、福田港の前の貿易港である横瀬浦を、後藤貴明(大村純忠の義弟)と共に焼き討ちにした神浦(大串)正俊の居城と墓所がある。
また宣教師たちのための日本語学校があったという。

 神浦城は、標高43.4メートルの地の山城で、本丸、二の丸のほか、石垣が遺構として残存している。城は、大串小次郎俊長が永和年間(1375~79)に築城したという。
 永禄9年(1566)7月大串正俊が大村純忠に背き、後藤貴明に従ったため、純忠に討たれ、神浦城は破却された。
 大串正俊(神浦正俊、年代未詳)の子正信(神浦氏8代)は、大村氏の家臣となり、神浦の地頭となった。
 文禄元年(1592)神浦正房(神浦氏9代)は、朝鮮出兵に従わなかったため、領地を没収され平戸に蟄居した。
 弟正高(神浦氏10代)は、朝鮮出兵に従軍し、音琴村にて采地200石を受けた。
 元和元年(1615)神浦正通(神浦氏11代)は、再び神浦村を領した。
 平成16年3月、外海町教育委員会は、神浦城公園整備のため、発掘調査を実施した。
  (新長崎史史跡探訪塾より引用)


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神浦城公園。神浦氏の居城跡。池島などの島々が浮かぶ角力灘が眼下に広がる。

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▲右手に見えるのは日蓮宗・久本寺。西彼杵半島は大村藩の領地。その大村喜前(純忠の長男)が早々とキリスト教を棄て日蓮宗に改宗したおかげで、内海から外海へ日蓮宗の寺が広がった。

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▲神浦には三つの寺があるが、この光照寺だけは浄土真宗である。領主の墓守として移転してきたらしい。ご住職自ら話をしてくださったが、ここにもカクレキリシタンが多くいたらしい。

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▲この光照寺に神浦氏の墓地がある。

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▲右から神浦氏11代の正通、その三男の長通(12代)、その子の高茂(13代)の3基が立っている。右の2基は自然石で江戸前期の形式を残している。

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▲そろそろ腹が減った。伊佐ノ浦公園内にあるバイキングレストラン”菜彩”でお昼をとる。1000円。美味しいよ。

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▲バルコニーからの素敵な眺め。

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▲山田さんが焼いてきてくださった石窯フランスパンを食べながら記念撮影。これは別腹!

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