中浦ジュリアンの出自・小佐々水軍を辿る学さるく(2)

いよいよ西彼杵半島から五島列島まで席巻していた小佐々(こざさ)水軍の本拠地を訪ねる。

小佐々水軍は、中浦港から七釜港あたりを縄張りにして、五島灘を通る船から「関銭」「警固(けご)料」を取って、制海権を支配していた。飢饉になると倭寇として海賊化したらしい。
水軍は戦いの神である八幡神社大菩薩を祭っていた。⇒中国語で八幡を「バハン」という。

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▲近江源氏小佐々会の西暦2000年事業として、小佐々水軍の根拠地であった西海町の七釜港に顕彰碑が建立された。

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▲小佐々水軍は、西彼杵半島西岸から、五島列島近くの島々まで、支配していたこと、この七釜港が半島最大の良港で、当時ヨーロッパにまで知られていたことなどが記されている。また中浦ジュリアンは小佐々甚吾のことだとも。

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▲七釜港。山田さんが指し示す方向から入港した積荷は、小型の船に移され、この多比良川の下流から満潮の潮に乗り、櫓漕ぎや川岸からの馬での曳き船で2キロ上流の道目木地区や小峰地区まで至り、城と館まで運ばれたといわれている。近くに寺屋敷という地名があり、教会があったと思われる。

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▲多比良川を遡った小峰地区。山田さんが指し示す山に小佐々城があった。1467築城。次の次の写真にある案内板の裏手から見ている。ここまで積荷を載せた小舟を曳いてきて、館まで引っ張り上げたという。小舟が訛って小峰になったらしい。

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▲たまたま通りがかった地元の方から、むかしあったという小峰の館などの言い伝えを伺った。
近くに外道坊墓(げどうぼうぼ・キリシタンの墓?)というところもある。

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▲小佐々城があった「城ノ辻」辺りの位置関係がよく分かる。この案内板の上は寺山と呼ばれ、当時南蛮寺(教会)があったことが偲ばれる。小佐々氏がキリシタンになる前に信仰していた祖神である権現岩(地元では「へそ岩」と呼ばれる)もある。

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▲住吉神社。小佐々氏のキリシタン墓。日本の墓碑としては極めて珍しい。

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▲小佐々氏は「葛の峠の合戦」で大村氏と一緒に、松浦・後藤連合軍と戦った。純忠はその小佐々氏に恩義を感じ、10歳になるジュリアンを大村に呼んで学ばせ、その後有馬に創設されたセミナリヨに第一期生として入学させ、ついには大村氏の名代としてローマに派遣したのである。

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▲小佐々水軍顕彰之碑を建てたグループが、同じく小佐々氏顕彰之碑も建てた。ちょっと紛らわしいけど・・・

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▲その案内板。小佐々氏のそうまとめ。今回は、墓、碑、案内板ばっかりで、ごめんなさい。
 
最後に、小佐々氏の歴史を発掘されている長崎楽会の小佐々学さんの活動に敬意を表します。

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> おこめさん

そだね。案内板、立って読むの、疲れるもんね~

って問題じゃなかろがっ!!^ ^

No title

いえいえ、じっと立って読むのは、ちと疲れますので
こうしてポチして案内板が読めるのは助かります。
(そういう問題じゃないか・・・)
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