あの寺を探して(その4)

僕が産湯を使ったあの寺は、長与町に移転した地福院だった。>>その3

前回あの寺を見つけた時に、当時世話になったおばさんに今度は両親を連れてきますと約束したが、しとしとと雨が降る父の日のきょう、その約束を果たしてきた。

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▲僕がとりもった再会。おばさんも両親も懐かしい話に花が咲いた。父も父の日のいい記念になったと喜んでくれた。

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▲地福院の庭。

この寺は、この土地を7年かけて造成して引越してきたそうだ。平成6年のころか。敷地が2000坪はあるという立派なお寺だ。

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▲その土地の造成中、堂内の仏像はすべて京都に出して修復し、寺にあったお地蔵さんもすべてこの地に持ってきたそうだ。

この地福院は当時、伊勢町(その後、新大工町に町名変更)の玉屋デパートのすぐ隣にあったのだが、あの辺りは長崎で一番古い町であり、長崎街道の起点である。

堂内にある大日如来像は秀吉にゆかりがあり、長崎市史に記載されているという。
ひょっとして、この地蔵さんたちは、長崎奉行やシーボルトらの江戸参府を、見守っていたのではないか・・

この寺の昔を訪ねる楽しみができた。
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> おこめさん

はい、次のよかこと探して、また行動しま~す!

昔話は何かのきっかけで芋づる式に出てきますよ。

No title

よかことしんしゃったね~^^
そういえば昔話に花を咲かせるって、なかなかないなぁ。
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長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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