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大村さるく(おまけ)朧月夜

大村さるくの帰りに、いつものあの道を通ったら・・・

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大村さるく(4)殿様気分!!

本丸跡に着いた。

本丸には天守閣はなく、平屋の館があり、東半分が藩主居住地、西半分が政所(まつりどころ)だったそうだ。

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 ▲明治17年(1884年)、本丸跡に歴代の藩主を祭る大村神社が建てられた。

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 ▲弁当を食べている所は雁木(がんぎ)と呼ばれる。船着場の階段状の構造物をいう。

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 ▲大村純熈(すみひろ)公。肥前大村藩の第12代(最後の)藩主。文武、学問を奨励し、倒幕側として活躍し、岩倉使節団にも参加した。

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 ▲ようやく梅ヶ枝荘で昼食にありつける。腹減ったぁ~~

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 ▲どうだ!これぞ殿様御膳。大村寿司に刺身、後からてんぷらもついてきた。参加費3000円に込み。

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 ▲この座敷からの眺めは正に殿様気分!!

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 ▲大村湾側を望む。

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 ▲国指定天然記念物のオオムラザクラ。ソメイヨシノは終わりかけだったが、オオムラザクラはこれから。まだ間に合います。ぜひ、ご参加ください。→こちら

(終わり)

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大村さるく(3)玖島城跡(大村公園)

いよいよ玖島城跡(大村公園)に辿りついた。

この城は、慶長4年(1599年)、初代藩主大村喜前(よしあき)が築城してから12代藩主純熈(すみひろ)の代(幕末)まで、270余年間大村氏の居城だった。

喜前(よしあき)は、秀吉の死後、天下の乱れを恐れて防備を固くするため、朝鮮の役での教訓を生かし、三方を海に囲まれた要害の地玖島(くしま)を選んで本城を築き、三城(さんじょう)城よりここに移った。

詳しくはこちら

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 ▲この季節のお馴染みの風景

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 ▲大手入口門跡。位の高い武士たちはここから登城した。

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 ▲緑の桜「御衣黄(ギョイコウ)」。長崎では如己堂のが有名だ。お近くの御衣黄を見たい方はこちら

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 ▲板敷櫓台(いたじきやぐら)跡。桜がよく似合う。

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 ▲斉藤歓之助の碑。幕末江戸三剣客の一人。彼の道場の門下生に長州藩の桂小五郎、大村藩の渡辺昇がいる。

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 ▲浜田謹吾少年の墓。戊辰戦争で戦死した15歳の彼の衣の襟には母の歌が縫い付けてあった。
二葉より手くれ水くれ待つ花は君がためにそ咲けよこのとき
現地の人がこの歌にいたく感動し、この縁で大村と秋田県仙北市角館町と姉妹都市となったという。

>>続く

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大村さるく(2)旧楠本正隆屋敷~五教館御成門

いよいよ武家屋敷の中へと入っていく。そこには文人・武人が目白押しであった。

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 ▲旧楠本正隆屋敷(県指定有形文化財・大村市指定史跡)。明治3年築。現在まで残る貴重な武家屋敷の遺構。「大村のひなまつり」開催中でお雛様の展示やお茶会などが催されていた。

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 ▲大村家に代々伝わるお雛様。左の冠はわざと外して展示してある。お雛様の御髪を最近何百万もかけて修復したからだとか。このお雛様は大村憲子のために作られた。

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 ▲その大村憲子。最期の(12代)藩主・大村純熈(すみひろ)の四女。現代でも通用する上品な美人だ。

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 ▲庭園も立派だ。

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 ▲座敷では、「雛の茶会」が行われていた。抹茶代300円を払えば誰でも参加できる。

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 ▲楠本正隆。楠本正隆は、天保9年(1838年)岩船に生まれ、幕末の倒幕運動にも加わり、三十七士の一人として活躍した。明治時代には新潟県令、東京府知事となり、また衆議院長も務め近代都市計画に大きな功績を残した。

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▲上小路(うわこうじ)武家屋敷通り。

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 ▲石井筆子。知る人ぞ知る大村の偉人の一人。前半生は女性教育向上の先駆者。後半生は知的障がい者の福祉と教育の草分けとして偉大な業績を残した。NHK「その時歴史が動いた」、映画「筆子・その愛~天使のピアノ」、映画「無名の人~石井筆子の生涯~」などでも紹介され、彼女の壮絶な人生が感動を呼んだ。

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 ▲五教館御成門。大村藩は、藩の未来を考え、藩士の子弟育成に力を注ぐため教育改革を行った。まず、学問を教える藩校「五教館」を設立。この学校では「君臣に義、父子に親、夫婦に別、長幼に序、朋友に信」という五輪の道を指導した。

>>続く

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大村さるく(1)長崎街道~旧円融寺庭園

大村市観光コンベンション協会長崎国際観光コンベンション協会が共同で企画した「さるく交流」は、両市の幕末から維新に至る龍馬ゆかりの地を探訪するという企画だ。3/27~4/11まで開催されている。

この大村さるく「さくら名所百選の地・大村公園と大村武家屋敷を巡る」に3日、参加した。江戸城の無血開城に立ち会った渡辺清など幕末から明治維新へと活躍した人物を巡るさるくだ。
ちなみに参加費は、豪華な食事付きで3000円。歴史ある大村藩の春を、十二分に楽しめたさるくだった。
コースは、

JR大村駅9:40集合・・・長崎街道(中央商店街ひなまつり・・高札場跡・・本陣跡・・鶴亀橋・・使者宿・・五色塀・・草場小路・・円融寺三十七士の碑・・庭園・・上小路(浅田邸・・斉藤道場跡・・針尾邸跡・・旧楠本正隆屋敷・・五教館・・玖島城桜見学・・城内で殿様気分で昼食「殿様御膳」13時解散


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 ▲集合場所のJR大村駅。ガイドは向野(ムコノ)さん。この日の参加者は10名。この駅は1898年(明治31年)に九州鉄道長崎線の駅として開業した歴史ある駅だ。まだ現在の浦上駅が長崎駅だったころだ。

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 ▲中央商店街では、折りしも「長崎街道大村宿ひなまつり」が開催中。各店内に様々な種類のお雛様が飾られていた。

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 ▲長崎街道(小倉~長崎の57里(約223.8km)。25の宿場があった)の大村宿本陣跡。現在の浜屋百貨店(右手)がある付近。旧街道がアーケードになっているのは日本広しと言えどもここだけかも。

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 ▲鶴亀橋。ここから先が武家屋敷。長崎街道はこの橋の手前で左折し長崎へ向かう。武家屋敷へは誰でも入れるわけではなかった。

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 ▲草場小路の五色塀。手前のゴミ箱が懐かしい。1599年初代藩主・大村喜前(よしあき)が玖島城を築いたときに形成された武家屋敷通りには、草場小路、上小路、本小路、小姓小路、外浦小路の5つがある。

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 ▲旧円融寺の桜。少し満開を過ぎていたが、ここの桜が地元おすすめ一番の桜だそうだ。

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 ▲三十七士の碑。松林飯山渡辺清渡辺昇など幕末に勤皇の志士として活躍した37人の碑が境内に並んでいる。彼らが佐幕か勤皇か迷っていた大村藩を勤皇へ導いたという。

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 ▲旧円融寺庭園は国指定名勝。400以上の石を組み合わせて造られた江戸初期の枯山水である。藪に埋もれていたこの石庭を発見したのは地元の学生だったとか。右側は戊辰の役戦没者23人の墓碑だ。

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 ▲春日神社の石段から長崎街道を望む。左手に通ってきた本陣跡(浜屋)が見える。

>>続く

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彌太郎と龍馬、そしてまた龍馬

長崎さるく幕末編も11月で終了。来年からは長崎さるく英雄(ヒーロー)編が始まるそうだ。

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 ▲21日、14時から市公会堂で第7回長崎さるく幕末編講演会・シンポジウム「楽さるく」があった。

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 ▲今回のテーマは「彌太郎と龍馬の長崎」。講演は成田誠一氏(三菱史アナリスト)による「岩崎彌太郎と長崎」。土佐の安芸で産まれた岩崎彌太郎が、地下浪人から這い上がり、いかにして三菱グループを作り上げたか。三井・住友とは違う、国家のためには「かくあらねばならぬ」という三菱ならではの社風。彌太郎にとっての長崎は「国際的なビジネスセンスを磨いた」土地。金使いが荒かった後藤象二郎にブレーキをかけるのは彌太郎しかいなかった。彌太郎と龍馬は長崎でしか接点がない。来年の”龍馬伝”は、桜のように散った龍馬と、着々と夢を実現していった彌太郎という視点か。いわば龍馬の夢を彌太郎が実現したという話になるのではないか。

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 ▲シンポジウムは「彌太郎と龍馬が目指した未来像~長崎市のこれからを考える~」。写真左からコーディネーター脇田安大氏(ながさき地域政策研究所理事長)、坂本登氏(坂本家子孫)、伊藤根光氏(赤間関伊藤家の子孫)、成田誠一氏(三菱史アナリスト)、松藤悟氏(長崎商工会議所会頭)、原田庸一郎氏(三菱重工長崎造船所総務部長)、田上富久氏(長崎市長)

長崎人は奥ゆかしい??もっと龍馬みたいに大胆な発想で・・・という意見が出たが、う~~んちょっと違う。長崎人はなかなかまとまらないし、結構他人の足を引っ張るということを感じるのだが・・・

この楽さるくを聴いた後、いい機会だから、最近除幕されたばかりの丸山公園の坂本龍馬之像を友人と見に行った。

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 ▲龍馬の生誕・死没の日である11月15日に除幕式を終えたばかりの丸山公園の坂本龍馬之像。小崎侃(こざきかん)氏製作。これで風頭公園、若宮稲荷神社に続き、龍馬像が三体となった。

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 ▲台座のハートに注目!!

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 ▲龍馬の三種の神器は、懐中時計とピストルとブーツだそうだ。

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龍馬の亀山社中

前日とは打って変わった秋晴れの土曜日、その陽気に居ても立ってもおられず、長崎のまちへ下りた。この日は新地中華街ではお月見の中秋節、長崎くんちの踊り町では庭見せだ。

どちらも夕方からなので、その前に、最近リニューアルオープンした坂本龍馬の亀山社中に行ってみようと思いバスに乗った。

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 ▲バス停近くのブーゲンビリアも秋の日差しが心地良さそうだ。

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 ▲若宮神社の参道入口でお迎えしてくれた二匹の狛犬??場所が場所だけにキツネかと思った!

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 ▲この一帯は伊良林(いらばやし)と呼ばれる町。由緒ある古刹が並ぶ寺町の山手に亀山社中はある。山を登ると龍馬像や司馬遼太郎の「竜馬が行く」の文学碑がある風頭公園。北側には若宮稲荷神社がある。龍馬ら社中のメンバーがこの辺りをうろついていたわけだ。

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 ▲記念館は今年8月1日にリニューアルオープンしたばかり。→長崎新聞から
カッコいいホームページはこれだ。→長崎市亀山社中記念館

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 ▲お龍も弾いた月琴、龍馬愛用のピストル、陸奥守吉行などの展示品。すべて複製だけど。

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 ▲ご存じ龍馬の代名詞、ブーツとピストル

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 ▲この亀山からの眺め。様々な龍馬所縁の地が見える。左手は長崎港方面。明治以降大きく埋め立てられたが、当時は港や内町である岬が目と鼻の先に見え、外国船の出入りなど世の動きが手に取るように分かったはずだ。龍馬はきっとこちらの方ばかりを眺めていただろう。

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 ▲正面は立山。長崎奉行所が真正面、その右手には長崎の氏神様である諏訪神社。立山の左手すそ野に、勝海舟が海軍伝習所時代に寝泊りしていた本蓮寺や、その海舟と龍馬が最初に長崎に来たときに逗留した福済寺、わが国初の海難事故・いろは丸事件の舞台・聖福寺などが見える・・・はずなのだが・・

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 ▲右手は、西山、金比羅山が見える。その右手は長崎街道につながる。改めて龍馬はこの眺めを楽しみながら、明治憲法につながる船中八策を練っていたのではなかろうか。

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 ▲観光客に人気の龍馬のブーツ像。ここに足を突っ込んで舵を握れば貴方も平成の龍馬に。

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 ▲亀山社中資料展示場。以前は亀山社中記念館の地にあった。亀山社中ば活かす会が平成元年から一般公開していた。

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 ▲「竹ん芸」で有名な若宮稲荷神社。社中の隊士たちも参拝に訪れたという伝説があり、別名「勤皇志士神社」と呼ばれている。7月に「坂本龍馬之像」が移設された。

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 ▲この周辺は昔ながらの日本の情緒を感じさせる。

次回は、新地中華街の中秋節。

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長崎さるく幕末編講演会「幕末期の長崎の偉人」

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21日、歴博(長崎歴史文化博物館)で、第2回長崎さるく幕末編講演会「楽さるく」があった。
前回同様、さるくガイドをしている友人Kと聴講した。ちなみに前回はこちら

今回のテーマは「幕末期の長崎の偉人」。

第一部は「大浦 慶、オールトと岩崎弥太郎、楠本イネ」を県参与の本馬貞夫氏が講演。(写真)

油屋町の油問屋大浦屋にうまれた大浦慶。グラバーと肩を並べる外国商人ウイリアム・オルト。来年の龍馬伝の中心となるであろう三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎。そしてシーボルトの娘で我が国最初の女性産科医である楠本イネ


第二部は「上野彦馬と本木昌造」をこの歴博の研究所所長の原田博二氏が講演した。

わが国初のプロカメラマン・上野彦馬。そしてわが国の活字印刷の祖・本木昌造

時代を動かす人にはスケールとパワーを感じる。それと集中と継続性。

この「集中と継続」は本馬氏によれば、長崎の今後の課題だという。この長崎さるくを例にとり、短期で終わるのではなく、長く継続していかなければいけないと。

また長崎の歴史をひも解くと、日本全国のまちとつながっている。その一つひとつのつながりを大事にして欲しいと。

僕も、近代日本の礎をつくった長崎の誇りをもって、外国文化を積極的に取り入れ融合してきた文化を、発信していかねばと思う。それが平和につながることでもあるのだから。

次回の楽さるくは、7月11日(土)14時から16時、長崎ブリックホール国際会議場で行われる。
テーマはいよいよ「龍馬伝を語る」。
ゲストに、龍馬伝の制作統括を行うNHKチーフプロデューサー鈴木圭氏と、脚本家・福田靖氏を招くという。
入場無料。ただし整理券が必要。申し込み先は長崎市さるく観光課(tel:095-829-1314)

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長崎さるく幕末篇「幕末の長崎を知る」講演会

来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」を前に長崎は今、長崎さるく幕末篇で盛り上がっている。

その関連講演会~楽さるく~「幕末の長崎を知る」が長崎歴史博物館であり、聴講した。

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長崎歴史文化博物館。こちらサイドは昔の長崎奉行所を復元している。

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◆主催者を代表して、長崎市さるく観光課の馬見塚課長のごあいさつ

会場は超満員。さるくガイドされている方、市民活動で活躍されてる方、県や市の観光関係者、知った顔ばかりだ。

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◆この日の講習会の司会は、2009年度ロマン長崎の増田ひかりさん。う~ん、かぁ~わいい

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◆第1部「幕末の長崎について~外国人居留地の開設と発展~」
 講師は、ブライアン・バークガフニ教授。いつものジョークで会場を和やかにしながら、長崎のまちが一番活気づいていた居留地時代のお話をされた。

・1842、南京条約で香港が英国の植民地となり、日本は英国の動きに警戒感を強めた。
・1848、日本初の英語教師、ラナルド・マクドナルド(ハンバーガーとは関係ない)を長崎に呼んでオランダ通詞に英語を習わせた。
日本初の英語の辞書には、good=よか、bad=わるか、large=ふとか と長崎弁で書かれていた。
・1853、下田にアメリカのペリーが入港したと聞いたロシアは、シーボルトのアドバイスで長崎にプチャーチンを送った。
・1858、アメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの五カ国と通商条約(いわゆる不平等条約)
 悪い面だけではない。いい面にも光を当てていきたい。
・1859、安政の開国(鎖国廃止)。これから今年150年。居留地が造成される。(~1899廃止)
・日本初の英国領事館が、南山手の妙行寺におかれ、ユニオンジャックがはためいていた。
・1862、日本初のプロテスタント教会・英国教会堂がつくられ、10/27礼拝が行われた。
・そのころのオルト邸の写真が見つかった。リンガー邸(リンガーハットとは関係ない)はまだない。
オルト邸に日本初の芝生、日本初の噴水が造成されたことが分かる。(諏訪神社の噴水じゃない!)

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◆第2部 長崎歴史文化博物館 研究所長 原田博二による「幕末の長崎を知る」講演

さすが原田所長。幕末から明治まで、長崎がいかに日本の近代化に役割を果たしたかを、関係年表と写真を示しながら詳しく説明された。

それら一つひとつをここに詳しく書く気力はないが、この年だけは覚えておきたい。
1864(元治元年)、大浦天主堂の献堂式が行われた年。龍馬が勝海舟に同行して長崎に初めて来た年だ。

そのときから龍馬は、長崎を維新回天の足場として、八面六臂の活躍をする。

時代が動くとき、長崎はその先端で動いてきた。
過去の話に終わらせてはいけない。

平成の龍馬になれる奴は誰だ??

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長崎さるく幕末篇

5月2日、3日と、4/23から始まった長崎さるく幕末篇の新しい3つのコースに参加してみた。

長崎幕末・維新の道を往く ~幕末の志士­と長崎奉行所~
 5/2(土)10:00~12:00

 長崎歴史文化博物館(長崎奉行所立山役所跡­) →西園寺公望仮寓跡 →迎陽亭跡 →聖福寺(いろは丸事件談判) →福済寺(▼写真) →本蓮寺(勝海舟寓居の地、沢村惣之丞墓)
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日本近代化の鼓動は長崎から ~勝海舟と­海軍伝習所、そして海援隊~
 5/2(土)13:00~15:00
 出島 →海軍伝習所跡 →医学伝習所跡 →本木昌造宅跡 →町年寄高島家宅跡 →小曽根家宅跡 →眼鏡橋 →晧台寺(▼写真) →近藤長次郎墓・小曽根家墓地
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その他の写真はスライドショーで、こちら  

 
日本回天の舞台・長崎を訪ねて ~龍馬、­象二郎、弥太郎が駆け抜けたまち~
 5/3(日)10:00~12:00
 出島 →薩摩藩蔵屋敷跡 →楠本イネ宅跡 →丸山(▼写真) →史跡料亭・花月 →大浦慶宅跡 →清風亭跡 →土佐商会跡 →鉄橋
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その他の写真はスライドショーで、こちら

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長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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