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第10回日本レコード大賞(1968年)

第10回日本レコード大賞は、1968年(昭和43年)12月21日に渋谷公会堂で行われました。第7回から司会をしていた三木鮎郎は今回までです。その放送そのものがYou-TubeにUPされていましたので、その動画でお楽しみください。


▲日本レコード大賞/黛ジュン「天使の誘惑」

黛ジュン(1948/5/26-)は、1964年に「渡辺順子」の名でデビューするもヒットせず、1967年に石原プロモーションへ移籍。作曲家の黛敏郎のファンだったこととパンチのある意味合いで黛ジュンと改名し、東芝音楽工業から「恋のハレルヤ」で再デビュー。ミニスカートと共にパンチの効いた歌声で一気に注目を集めます。
1968年にリリースされたこの「天使の誘惑」が大ヒットとなり、その年の第10回日本レコード大賞に輝きました。


▲歌唱賞/菅原洋一「誰もいない」

菅原洋一(1933/8/21-)は、国立音楽大学卒業後、1958年にタンゴバンド「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」に参加し、歌手デビューをします。しばらくの間はヒット作に恵まれない不遇を味わいましたが、1965年に発売した「知りたくないの」(元々は「恋心」のB面曲だった)が2年後の1967年に入ってからヒット、80万枚を超える売上を記録し、人気歌手の仲間入りを果たします。


▲歌唱賞/青江三奈「伊勢佐木町ブルース」

青江三奈(1941/5/7-2000/7/2)は、高校在学時から東京・銀座の「銀巴里」でステージに立ちます。高校卒業後、西武百貨店勤務の後、クラブ歌手となり、1966年「恍惚のブルース」でメジャーデビューします。


▲歌唱賞/鶴岡雅義と東京ロマンチカ「旅路のひとよ」

東京ロマンチカは1965年、作曲家の鶴岡雅義が中心となり結成。当初はボーカル不在のため、ゲストボーカルを迎えて活動していました。1967年、「小樽のひとよ」の大ヒットによりメインボーカルとして三條正人が正式に加入します。


▲新人賞/矢吹健「あなたのブルース」

矢吹健(1945/11/1-)は、甲府商業高校卒業後に上京し、作曲家藤本卓也に師事。1968年に藤本作曲のこの曲でレコードデビューします。「ミスティーボイス」と名づけられたハスキーでため息混じりの絶唱スタイルで大ヒットします。


▲新人賞/久美かおり「くちづけが怖い」

久美かおり(1949-)は、高校2年の時、ジャズシンガーを志し、マーサ三宅に師事します。ホテルニューオータニなどでジャズを歌っていたところ平尾昌晃に認められ、渡辺プロに所属します。1968年、映画「ザ・タイガース 世界はボクらを待っている」のヒロイン・シルビイ役に抜擢され注目されます。同年日本コロムビアからこの曲でレコードデビューします。


▲新人賞/ピンキーとキラーズ「恋の季節」
▲作曲賞/いずみたく「恋の季節」(歌・ピンキーとキラーズ)

ピンキーとキラーズは、1967年に15歳で「甘ったれたいの」でビクターレコードからソロ歌手としてデビューした今陽子(ピンキー、1951/11/1-)がキングレコードに移籍し、男性ボーカル4人と1968年に結成したボサノバ・グループ。デビュー盤「恋の季節」のライナーノーツには「セルジオ・メンデスを目指す新進気鋭のグループ」と書かれていたとか。この曲は発売直後から爆発的ヒットを記録し、オリコンで17週間1位(歴代最高記録)となるミリオンセラーを記録し、270万枚を売り上げ、数々の賞を総なめにしました。


▲編曲賞/森岡賢一郎「恋のしずく」(歌・伊東ゆかり)


▲編曲賞/森岡賢一郎「花と蝶」(歌・森進一)

森岡賢一郎(1934/3/4-)は作曲家、アレンジャー。 指揮を平井哲三郎、高階正光、ピアノをポール・ヴィノグラドフ、作曲を團伊玖磨にそれぞれ師事しました。「君といつまでも」「恋のしずく」「ブルーシャトウ」「今日でお別れ」で日本レコード大賞編曲賞を受賞。作・編曲の傍ら、映画やテレビ番組の音楽監督やプロデューサーとして活躍。主な作品に、映画音楽「若大将シリーズ」「宇宙からのメッセージ」「山下少年物語」などがあります。


▲作詩賞/星野哲郎「艶歌」(歌・水前寺清子)

星野哲郎(1925/9/30-2010/11/15)は作詞家。1955年、同人誌「新歌謡界」に発表した「むすめ巡礼」、1957年、横浜開港100周年の歌募集で「浜っ子マドロス」「みなと踊り」が1、2位当選。作詞家への道を開いた。1958年、日本コロンビアと専属契約、1964年には日本クラウンの創設に参加し専属契約、その後1983年にフリーとなり、現在までに創作した作品は4,000を超え、数々のヒット作を世に送り出してきました。


▲特別賞/吉田正

吉田正(1921/1/20-1998/6/10)は、茨城県出身の国民歌謡作曲家。都会的で哀愁漂うメロディーは都会調歌謡と称され、ムード歌謡から青春歌謡、リズム歌謡まで幅広く手掛けました。また、鶴田浩二、三浦洸一、フランク永井、橋幸夫、和田弘とマヒナスターズなど多くの歌手を育て上げ、日本歌謡史の黎明期を支えたひとりとして特別賞を受賞します。生涯作曲数は2400曲を越え、死後の1998年7月に国民栄誉賞受賞します。


▲特別賞/春日八郎「たそがれの砂丘」

1960年代には北島三郎、都はるみ等が台頭し、演歌の全盛期を迎えます。音楽ジャンルとして演歌が定着すると、長年にわたり演歌界をリードしたということで、春日八郎(1924/10/9-1991/10/22)が特別賞を受賞します。


▲特別賞/島倉千代子「愛のさざなみ」

「泣き節」を売り物としていた島倉千代子(1938/3/30-)にとり異色の作品である「愛のさざなみ」が幅広い世代の間でヒットし、特別賞を受賞します。



▲特別賞/ザ・フォーク・クルセイダーズ「帰ってきたヨッパライ」

フォーク・クルセイダーズの解散を記念した作られたこの曲は、ラジオの深夜放送から火がつき、いっきに日本列島を駆け巡り、オリコンで史上初のミリオンヒットになります。このアングラレコードのアイディアと制作に対して特別賞が授与されました。


▲企画賞/日本ビクター(株)LP「影を慕いて」 歌手:森進一

森進一(1947/11/18-)は、「影を慕いて」で古賀メロディーを切々と唄い上げ、またたく間に60万枚の驚異的な売り上げを記録しました。


▲童謡賞/曲名:「ペケの歌」 歌手:長谷川よしみ

▲日本レコード大賞制定10周年記念賞/古賀政男

古賀政男(1904/11/18-1978/7/25)は、昭和期の代表的作曲家であり、ギタリスト。国民栄誉賞受賞者。少年時代に弦楽器に目覚め、青年期はマンドリン・ギターのクラシック音楽を研鑽。大正琴を愛しました。プレクトラム音楽家・「古賀正男」から流行歌王・「古賀政男」になり、国民的な作曲家としての地位を確立。多くの流行歌をヒットさせました。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽部)首席卒業のクラシックの正統派藤山一郎から、演歌の女王・美空ひばりまで、その作品は5000曲とも言われています。

▲日本レコード大賞制定10周年記念賞/服部良一

服部良一(1907/10/1-1993/1/30)は、日本の作曲家、編曲家。また作詞家として村雨まさをの名があります。ジャズで音楽感性を磨いた、和製ポップス史における重要な音楽家の一人です。

日本レコード大賞を創設した3人の作曲家(古賀政男、吉田正、服部良一)に10周年を記念した賞を贈られました。吉田は特別賞を受賞。



1968年は、大きい事件が起こります。国内では東大紛争、原子力空母「エンタープライズ」寄港反対運動、川端康成にノーベル賞、三億円事件、十勝沖地震、海外では、プラハの春、ソンミ村の虐殺、北爆停止、キング牧師暗殺、ケネディー議員暗殺など。

テレビは、「キャプテン・スカーレット」「ゲゲゲの鬼太郎」「巨人の星」「サイボーグ009」「お笑い頭の体操」「キイハンター」などが始まります。

僕はこの年、「受けてみるね?」の母親の一言に乗せられて附属中学を受験。合格したものの、市内の各小学校の優等生が集まってきており、自分は井の中の蛙だったことを思い知らされます(笑)。また隣のグラウンドが西浦上中だったので、僕は西浦上小から進学した昔の仲間を何か裏切ったような後ろめたさに苛まれ、そのグラウンドや校舎をずっと気にすることとなります。

そんな年のリンデンピックアップは、


▲エメラルドの伝説/テンプターズ

スパイダース、タイガースとくれば、次はテンプターズでしょう。当時ジュリーとショーケンは若い女性の人気を二分していました。

テーマ : 懐かしい歌謡曲
ジャンル : 音楽

第9回日本レコード大賞(1967年)

第9回日本レコード大賞は、1967年(昭和42年)12月16日に渋谷公会堂で行われました。


▲日本レコード大賞/ジャッキー吉川とブルーコメッツ「ブルー・シャトウ」

ジャッキー吉川とブルーコメッツは、1966年にコロムビアから発売されたデビュー曲「青い瞳(英語盤)」で10万枚、「青い瞳(日本語盤)」で50万枚のヒットを飛ばします。このヒットの頃にザ・ドリフターズや内田裕也らとともにビートルズの日本公演に前座として出演します。その際彼らはビートルズとは別のステージでメンバーの井上忠夫作曲のビートルズ讃歌「ウェルカム・ビートルズ」を歌いました。その後も「青い渚」「何処へ」など順調にヒットを連ねていき、1967年に発売された「ブルー・シャトウ」は自身最大の150万枚の大ヒットを記録し、この年の第9回日本レコード大賞で大賞を受賞しました。


▲歌唱賞/水原弘「君こそわが命」

水原弘は、デビュー曲「黒い花びら」で第1回日本レコード大賞を受賞した後、借金や病気などを抱え低迷していましたが、この曲がヒットしたことで「奇跡のカムバック」とまで言われました。しかし、このカムバックも酒に頼った生活からは抜け切れず、長続きはしませんでした。


▲歌唱賞/伊東ゆかり「小指の想い出」

伊東ゆかりは、幼少期から進駐軍キャンプで唄い始め、11歳のとき「クワイ河マーチ」(映画「戦場に架ける橋」テーマソング)でキングレコード(後に移籍)より本格デビューします。これは美空ひばりのデビュー(12歳)よりも早い年齢でした。その後、一時芸能活動を休止しますが、渡辺プロダクションに移籍し活動を再開。ポップスを得意とした中尾ミエ、園まりと三人で「スパーク3人娘」を結成。「シャボン玉ホリデー」や「歌え!一億」に出演し知名度を全国区にします。1967年にリリースした「小指の想い出」は爆発的なヒットを記録しました。

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▲新人賞/永井秀和「恋人と呼んでみたい」

永井秀和(長井秀和はお笑い芸人)は、1967年「夕陽のチャペル」でビクターレコードより歌手デビュー。同年に発売された「恋人と呼んでみたい」が大ヒットとなり、第9回日本レコード大賞の新人賞を受賞します。しかし、学業に専念するために歌手業を引退。大学卒業後は芸能界に復帰し、俳優としてテレビドラマ(水戸黄門など)、舞台等で活躍しました。


▲新人賞/佐良直美「世界は二人のために」

佐良直美は、1945年東京生まれ。吉永小百合とは遠縁に当たります。日本大学藝術学部卒業後、1967年に「世界は二人のために」で歌手デビューし、120万枚のレコード売り上げを記録、第9回日本レコード大賞の新人賞を受賞します。さらに同年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たします。


▲作曲賞/平尾昌晃「霧の摩周湖」(歌・布施明)


▲作曲賞/平尾昌晃「渚のセニョリーナ」(歌・梓みちよ)

作曲した平尾昌晃は、ミッキー・カーチス、山下敬二郎らと共に「日劇ウエスタンカーニバル」で爆発的な大人気を博した「ロカビリー三人男」の一人。「霧の摩周湖」は、平尾が結核により歌手の道を断念して療養中、訪れたことのない摩周湖をイメージしてこの曲を作り上げたといいます。


▲編曲賞/寺内タケシ「レッツゴー運命」他(歌・寺内タケシとブルージーンズ)

寺内タケシは高校時代、入学直後にマンドリン・クラブを創設し、その技術も群を抜き、1年から出場したNHK全国楽器コンテストで3連覇を成し遂げます。その快挙により明治大学マンドリン部創設者の古賀政男から勧誘を受け、明治大学へ進学。しかしマンドリンよりも家業を継がせたい父親によって1週間で退学させられてしまい、関東学院大学工学部電気科へ入学し直しました。

1964年から翌年にかけてザ・ベンチャーズやアニマルズ、アストロノウツ、スプートニクスといった海外のバンドがこぞって来日、世界のエレキの凄さを見せつけようと意気込んで乗り込んできましたが、ベンチャーズはともかく他のバンドはことごとくブルージーンズの演奏の凄さに完全に屈し、白旗をあげて帰って行ったという伝説を作り上げました。

更に1965年には日劇ウエスタンカーニバルの音響監督に就任してイベントをエレキ一色に変えました。このことなどから世界的にも寺内の演奏は知られるようになり、この年多忙により実現しなかったが「エド・サリヴァン・ショー」の出演依頼が舞い込み、さらにアメリカの音楽雑誌「ミュージック・ブレーカー」にチェット・アトキンス、レス・ポールと並んで「世界三大ギタリスト」に選ばれました。


▲作詩賞/なかにし礼「霧のかなたに」(歌・黛ジュン)


▲作詞賞/なかにし礼「恋のフーガ」(歌・ザ・ピーナッツ)

なかにし礼は、シャンソンの訳詞を手がけていた頃、最初の夫人との新婚旅行中に静岡県下田市のホテルのバーで「太平洋ひとりぼっち」を撮影中の石原裕次郎と偶然出会い知遇を得ます。石原に「シャンソンの訳なんてやっていないで、日本語の歌詞を書きなさいよ」と勧められ、約1年後に作詞作曲した作品(後の「涙と雨にぬれて」)を自ら石原プロに持ち込みます。それから数ヶ月後、石原プロがプロデュースした「涙と雨にぬれて」がヒットします。


▲特別賞/石原裕次郎

石原裕次郎は、1956年/狂った果実(73万枚)、57年/俺は待ってるぜ(195万枚)、錆びたナイフ(184万枚)、58年/嵐を呼ぶ男(63万枚)、61年/銀座の恋の物語(335万枚)、62年/赤いハンカチ(275万枚)、63年/夕陽の丘(143万枚)、64年/俺はお前に弱いんだ(175万枚)、65年/二人の世界(285万枚)、66年/夜霧の慕情(163万枚)などで10年連続ヒットの功績によりレコード大賞特別賞を受賞します。

KICS-8156.jpg←試聴できます
▲企画賞/キングレコード(株) 「歌と音でつづる明治」

▲童謡賞/曲名:「うたう足の歌」 歌手:杉並児童合唱団


1967年は、東京都に美濃部革新知事の誕生、小笠原諸島の返還、10月にミニの妖精・ツイギーが来日します。

この年、テレビで僕がよく観ていたものでは「トッポ・ジージョ」「パーマン」「スパイ大作戦」「白い巨塔」「タイム・トンネル」「コメットさん」「インベーダー」が始まり、「逃亡者」が最終回を迎えます。
山本直純の「大きいことはいいことだ」のCMが正に時代を映し出していました。

僕はいよいよ6年生。一日中ソフトボールを追っかけた運動場、飛び回った裏山や浦上川から別れを告げ、近所の千代松ちゃんが貸してくれたモデルガン、悪友とヒミツの隠れ家(ヒミカと呼んでいた)で開いたエロ本、父親のタンスで見つけたヌード写真などに刺激を受けながら、新たな世界へ旅立とうとしてました。

そんなころのリンデンピックアップは、


▲モナリザの微笑/ザ・タイガース

グループサウンズは、確実に僕のハートをとらえていました。

テーマ : 懐かしい歌謡曲
ジャンル : 音楽

第8回日本レコード大賞(1966年)

第8回日本レコード大賞は、1966年(昭和41年)12月24日に日比谷公会堂で行われました。


▲日本レコード大賞/橋幸夫「霧氷」

第2回は「潮来笠」で新人賞、第4回は「いつでも夢を」でレコード大賞、そしてこの第8回でまたレコード大賞と、人気、実力ともにナンバーワン歌手と目されました。


▲歌唱賞/舟木一夫「絶唱」

第5回は「高校三年生」で新人賞、今回は歌唱賞。詩歌、文学をモチーフにした叙情歌謡と呼ばれるジャンルでは持ち前の歌唱を活かして第一人者的存在となり、「絶唱」「夕笛」「初恋」などをヒットさせました。しかしまた、松原智恵子!!


▲新人賞/荒木一郎「空に星があるように」

9歳にして文学座アトリエ公演の初舞台を踏み、青山学院高等部在学中よりモダンジャズに傾倒しバンド活動、作詞・作曲を始めます。卒業後、文学座入団。「バス通り裏」でドラマデビュー。DJ番組「星に唄おう」(東海ラジオ・ニッポン放送制作)が空前の人気を呼び、テーマ曲「空に星があるように」(作詞・作曲・歌唱)でこの新人賞を受賞します。


▲新人賞/加藤登紀子「赤い風船」

1943年ハルビン生まれ。東京大学在学中に、第2回日本アマチュアシャンソンコンクール優勝。1966年 「誰も誰も知らない」でデビューします。一方学生運動に参加し、「反帝学連」委員長の藤本敏夫と知り合い、恋に落ち、獄中結婚したのは有名な話。


▲作曲賞/浜口庫之助「星のフラメンコ」(歌・西郷輝彦)


▲作曲賞/浜口庫之助「バラが咲いた」(歌・マイク真木)

1957年、新宿コマ劇場で公演を行った海外の舞踊団が「郷土の芸術をお見せできるのは光栄なこと」と挨拶したのを見た浜口は、外国の音楽を演奏するのではなく日本の曲を創作することこそが重要だと認識するようになり、バンドを解散、歌手活動を停止し、作詞家・作曲家へ転向。
1960年代には数々のヒット曲を出し、ヒットメーカーと呼ばれるようになります。
1965年、「愛して愛して愛しちゃったのよ」を歌った和田弘とマヒナスターズ、ビリーバンバン、西郷輝彦、にしきのあきらなど自らの弟子をスターに育て上げるなど人材育成にも才能を発揮します。


▲編曲賞/森岡賢一郎「君といつまでも」(歌・加山雄三)
▲作詞賞/岩谷時子「君といつまでも」(歌・加山雄三)
▲特別賞/加山雄三

星由里子さん、なんで初めて聴いた曲を歌えるんですかっ??


▲編曲賞/森岡賢一郎「逢いたくて逢いたくて」(歌・園まり)
▲作詩賞/岩谷時子「逢いたくて逢いたくて」(歌・園まり)

園まりは、元々はクラシックの歌手を目指していたが、1960年NET「あなたをスターに」で優勝。1961年渡辺プロダクションに入社。1962年「鍛冶屋のルンバ」でレコードデビュー。フジテレビ「レッツゴー三人娘」で中尾ミエ、伊東ゆかりと「スパーク3人娘」を結成。シャボン玉ホリデーなどに出演します。
たて続けに大ヒットを飛ばし、甘く囁くように歌う独特の歌唱法で一世を風靡し(園まり節と呼ばれる)、園まりの世界を確立しました。


▲企画賞/東芝音楽工業(株) 曲名:「にほんのうた」 歌手:デューク・エイセス

作詞永六輔、作曲いずみたくによる1966年 - 1969年にかけて4集にわたり東芝音楽工業より発表されたアルバム。日本各地を二人が旅をして、風情を織り込んだオリジナルのご当地ソング集で、日本レコード大賞の企画賞(1966年)および特別賞(1969年)を受賞しました。
女ひとり(京都)以外に、いい湯だな(群馬)、フェニックス・ハネムーン(宮崎)、筑波山麓合唱団(茨城)などが含まれています。


▲童謡賞/曲名:「オバケのQ太郎」 歌手:石川進

当時この曲を知らない子どもはいなかったでしょう。



1966年は、大型旅客機による事故が相次ぎます。また6月にはビートルズが来日します。

テレビでは「ウルトラQ」「アンディー・ウイリアムズ・ショー」「奥様は魔女」「おそ松くん」「四つの目」「サンダーバード」「バットマン」「笑点」「宇宙家族ロビンソン」「ウルトラマン」「マグマ大使」「かわいい魔女ジニー」「魔法使いサリー」と次から次に好きな番組が始まります。

僕は小学校5年。担任は石本先生。若い熱血先生。普段は冗談が多く優しいけど、一度怒り出すと怖くて、1時間も2時間も説教する先生でした。僕らの担任の後、恵まれない子供たちのために自ら望んで特殊学級の先生になりました。

そんなころのリンデンピックアップは、この曲。


▲夕陽が泣いている/スパイダース

このジャケットが懐かしいです。ビートルズの来日から、グループサウンズが徐々に出てきます。僕はベンチャーズにすっかりハマりました。

テーマ : 懐かしい歌謡曲
ジャンル : 音楽

第7回日本レコード大賞(1965年)

第7回日本レコード大賞は、1965年(昭和40年)12月25日に神田共立講堂で行われました。司会が芥川隆行から三木鮎郎に替わります。


▲日本レコード大賞/美空ひばり「柔」

この曲は1964年に日本テレビ系列で放送されたドラマ「」の主題歌で、その名の通り柔道をテーマとした曲です。東京オリンピックともあいまって、翌1965年にかけて爆発的に売れました。発売から半年足らずで180万枚を超える大ヒットとなり、これは美空ひばりのシングル最高売り上げ記録となりました。


▲歌唱賞/越路吹雪「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」(この曲は検索できなかったので、代わりに「サン・トワ・マミー」を貼り付けました。ご了承ください)

越路吹雪は日本のシャンソンの女王。戦中から戦後にかけて宝塚歌劇団の男役スターとして活躍。 1951年の宝塚退団後は、女優として主にミュージカルで活躍したほか、歌手としてシャンソンや映画音楽を多くカヴァーし、特にシャンソンにおいては岩谷時子とともに数多くの曲を日本に紹介しました。1958年にテアトロン賞、1965年に第7回日本レコード大賞、1968年に文化庁芸術祭奨励賞など、多くの賞を受賞しました。


▲新人賞/バーブ佐竹「女心の唄」

北海道出身のバーブ佐竹。22歳の時、歌手を志して上京。流しのギター弾き・ナイトクラブの専属歌手など長い下積み生活を経て1964年、この曲でレコードデビュー。250万枚を超える大ヒットとなりました。独特の低音の歌声は「バーブ節」と呼ばれ、その後も「ネオン川」「カクテル小唄」などがヒット。また「顔じゃないよ、心だよ」のキャッチフレーズは流行語となりました。


▲新人賞/田代美代子「愛して愛して愛しちゃったのよ」

田代美代子は、シャンソン歌手の石井好子に師事し、シャンソンを学びます。またジャズシンガー鈴木敏夫からジャズを学び、銀巴里などで歌っていました。1965年「赤い砂漠」でデビュー。同年、和田弘とマヒナスターズとデュエットしたこの曲が大ヒットし、一躍その名を全国区にしました。


▲作曲賞/小川寛興「さよならはダンスの後に」(歌・倍賞千恵子)

作曲家の小川寛興(ひろおき)は、服部良一の内弟子。1950年独立。帝国劇場のミュージカルの作曲および専任指揮者を経て、1960年~1961年コロムビアレコード、1962年~1973年キングレコードの専属作曲家となります。

テレビ番組のテーマ曲を多く作曲しました。「月光仮面」「七色仮面」「鉄腕アトム」「ジャガーの眼」「快傑ハリマオ」「隠密剣士」「おはなはん」などは彼の作曲です。

(動画検索できず)
▲編曲賞/山屋清「ノーチェ デ・東京」(歌・金井克子)


▲作詩賞/安井かずみ「おしゃべりな真珠」(歌・伊東ゆかり)

安井かずみは、横浜市出身の作詞家、訳詞家、エッセイスト。フランス語の訳詞ができる数少ない語学力と独特の発想による歌詞世界で知られます。小柳ルミ子の「わたしの城下町」など数々のヒット曲を送り出し、多くの賞を受賞しました。作詞した作品の総数は約4000曲にものぼります。

また海外旅行がめずらしかった当時、世界中を旅をして、貴族や有名人と優雅な生活を送ったことで知られています。8歳年下でミュージシャンの加藤和彦と再婚。憧れの夫婦として支持されましたが、1994年、肺癌のため55歳の若さで逝去しました。


▲特別賞/東海林太郎

東海林太郎はロイド眼鏡・燕尾服を着用し直立不動の姿勢で歌う、戦前を代表する歌手。明治31年生秋田県まれ。
早稲田大学卒業後、南満州鉄道に入社し、調査論文「満州に於ける産業組合」を発表。
論文が左翼思想だとして満州・鉄嶺の図書館長に左遷されるが、音楽への思いを断ち切れずに昭和5年に帰朝し翌6年にレコードデビューします。
初期はキングレコード等で活躍し、その後ポリドールレコードを中心に「日本調歌謡」を得意とし、「赤城の子守唄」「旅笠道中」「むらさき小唄」「野崎小唄」等でヒットを続発しポリドールのドル箱的存在となります。その他戦時歌謡の「麦と兵隊」等で一時代を築きます。


▲企画賞 /日本ビクター(株) 橋幸夫が歌った一連のリズム歌謡

リズム歌謡とは歌謡曲の中の1ジャンルを示す名称。
歌謡曲の中でもリズムを強調したもの、またはリズムが印象的に聞こえるもの(効果的に使われているもの)を指します。「リズム」に特に決まりはなく、マンボ、ブギ、ルンバ、チャチャチャ、ボサノヴァ、サンバ、ジャズ、ツイスト、ロック、ワルツなどのリズムが用いられています。

▲童謡賞/曲名:「マーチング・マーチ」 歌手:天地総子/音羽ゆりかご会



1965年は、2月にアメリカがベトナム戦争に直接介入、北爆を開始します。日本は韓国政府を「朝鮮における唯一の合法政府」と認め、韓国と国交を正常化し、日韓基本条約を成立させました。

僕は小学4年生。担任は栄田先生。厳しい女の先生で産まれて初めてビンタをはられました・・・(T_T)
テレビでは僕が好きだった番組が始まります。「ザ・ガードマン」「0011ナポレオン・ソロ」「オバケのQ太郎」「ジャングル大帝」「11PM」・・・

この当時のリンデンピックアップは、先日亡くなられた伊藤エミさんに捧げます。


すてきな昭和の時代をありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

テーマ : 懐かしい歌謡曲
ジャンル : 音楽

第6回日本レコード大賞(1964年)

第6回日本レコード大賞は、1964年(昭和39年)12月26日に日比谷公会堂で行われました。


▲日本レコード大賞/青山和子「愛と死をみつめて」

「愛と死をみつめて」は、大学生河野 実(マコ)と、軟骨肉腫に冒され21年の生涯を閉じた大島みち子(ミコ)との、3年間に及ぶ文通を書籍化したものである。1963年(昭和38年)に出版され、160万部を売り上げる大ヒットを記録した。

1964年1月にラジオドラマ化され、マコを山本学、ミコを北沢典子が演じた。続いて4月テレビでも、前・後編に分けてTBS系「東芝日曜劇場」枠で放送された。マコは山本学、ミコは大空真弓。

続いて映画「愛と死をみつめて」は9月に上映、日活でマコを浜田光夫、ミコを吉永小百合が演じた。(上記動画)

また2006年にもテレビ朝日がドラマ化し、前・後編に分け、マコを草彅剛、ミコを広末涼子が演じたのが記憶に新しい。

レコードは、酒井政利による初のレコード・プロデュース作品。酒井はベストセラー本を歌にしようとひらめき、書店で出版直後の原作本と出会うが、若い素人の往復書簡という体裁に新鮮な魅力を感じ、著名のベテラン作詞作曲家でなく、あえて若手作家が作ることで素直に表現できると考え、大矢弘子(当時レコード会社に詩を投稿していた明治大学4年生)に作詞、土田啓四郎(大阪在住の新進作曲家)に作曲を依頼する。歌手は、12歳でコロムビア全国コンクール第1位となった青山和子(当時18歳)。

この曲は、1964年のテレビドラマ版の主題歌であると誤解されやすいが、ドラマで使用されたのはシンプルなインストルメンタルBGM曲のみで、青山和子が歌うこのレコード企画とは全く別のプロジェクトである。(wikiを参考)


僕は中学になって「ある愛の詩」を観たとき、この映画を思い出しました。「世界の中心で愛を叫ぶ」などもそうですが、愛する女性が難病で死んでいく物語は本当につらく涙を誘いますね。


▲歌唱賞/岸洋子「夜明けのうた」(第20回紅白歌合戦より)
▲作詩賞/岩谷時子「夜明けのうた」(歌・岸洋子)

岸 洋子は、日本のシャンソン歌手、カンツォーネ歌手。オペラ歌手を目指していたが膠原病のため、断念。病床で聴いたエディット・ピアフのアルバムに感動しシャンソンを志しました。
越路吹雪が“魅せる歌手”と呼ばれることに対して、“聴かせる歌手”と呼ばれました。


▲新人賞/西郷輝彦「君だけを」


▲新人賞/西郷輝彦「17才のこの胸に」

西郷輝彦は、橋幸夫・舟木一夫と共に、「御三家」と呼ばれました。その後も年代ごとに御三家が出ましたが、元祖御三家は彼らです。西郷は鹿児島出身なので芸名は西郷隆盛にちなんでつけました。「君だけを」がデビュー曲。「17才のこの胸に」もヒットし、この年の新人賞を受賞しました。


▲新人賞/都はるみ「アンコ椿は恋の花」

京都出身であることにちなんで当初は「京はるみ」という芸名でのデビュー予定だったが、既に他社で同名の歌手がいると分かり「都はるみ」に変更されました。


▲作曲賞/宮川泰「ウナ・セラ・ディ東京」(歌・ザ・ピーナッツ)
▲作詩賞/岩谷時子「ウナ・セラ・ディ東京」(歌・ザ・ピーナッツ)

1963年にザ・ピーナッツが「東京たそがれ」として歌ったのが「ウナ・セラ・ディ東京」の始まりである。しかし当時はあまりヒットしなかったが、翌1964年に「カンツォーネの女王」として有名なイタリアの歌手ミルバが来日した際、本曲を歌った事を契機に一気にブームとなった。

その後、ザ・ピーナッツの「東京たそがれ」も曲調を一部変更して、タイトルも「ウナ・セラ・ディ東京」に変更した。
「ウナ・セラ・ディ東京」とはイタリア語で「東京のある一夜」(Una Sera di Tokio)と言う意味である。(wikiより)




▲編曲賞/寺岡真三「お座敷小唄」(歌・和田弘とマヒナスターズ)

「お座敷小唄」は1964年、マヒナスターズが広島に巡業した折、和田弘がキャバレーのホステスが口ずさんだこの曲を採譜、早速、松尾和子を加えてビクターでレコーディング、8月に発表した。元々、このメロディは戦争中の1943年頃から、海軍の兵隊さんが歌い名古屋、大阪、広島、関東地区の1946年、公娼制度が廃止されたのちも、特に売春が黙認された地域で歌い継がれていたものだった。マヒナに続いてテイチクで久美悦子が「裏町小唄」、コロムビアでこまどり姉妹が「祇園エレジー」、東芝で紫ふじみが「しらゆき小唄」として発売し競作となったが、古臭い日本語をドドンパのリズムに乗せてモダン化したマヒナ盤が驚異的な300万枚の売上をマークし独走、夜の巷で大受けした。




▲特別賞/曲名:「東京五輪音頭」 歌手:三波春夫

オリンピックデーの1963年6月23日に楽曲が発表された。

今では元々三波春夫の持ち歌だったと思っている人も多いが、楽曲発表の際に歌唱したのは三橋美智也であり、作曲者の古賀自身も三橋が歌うことを想定して作曲したという。


▲企画賞/キングレコード(株) 「なつかしの浅草オペラ」

▲童謡賞/曲名:「ワンツースリーゴー」 歌手:音羽ゆりかご会



1964年(昭和39年)は、何といっても東京オリンピック(第18回オリンピック東京大会)の年。首都高速が開通し、東京モノレール、東海道新幹線が開業します。ホンダがS600を、東洋工業がファミリアを発売し、週刊「平凡パンチ」が創刊されます。正に高度成長の真っ只中。しかし6月に新潟地震で死者26人を出した年でもありました。

テレビでは「赤穂浪士」「ひょっこりひょうたん島」「忍者部隊月光」「木島則夫モーニングショー」「題名のない音楽会」「ミュージックフェア」が始まります。

僕は小学校3年生。担任は藤井先生。この頃は学校の成績もよく、3学期に休みをいただいて、父の東京出張に付いて行き、初めて都会をこの目で見ました。開業したばかりの新幹線の速さに驚き、東京タワーの高さに驚き、人の多さに圧倒されました。

そんな年のリンデンピックアップはこの曲、


▲坂本九「明日があるさ」

1963年12月に発売。作詞は青島幸男、作曲は中村八大。自分に自信が持てず、意中の女性に恋心を打ち明けられないにもかかわらず、前向きに日々を過ごす男子学生をコミカルに表現しています。当時80万枚以上のセールスを樹立しました。

坂本九は、「上を向いて歩こう」が1964年に米国内でのレコード累計販売枚数が100万枚を超えたため、日本人初の「ゴールドディスク」を受賞しました。

この海外でのヒットにより世界的に名前が知られたことで、国際的な活動も多く、東京オリンピックのウェルカムパーティーにゲスト出演し、「サヨナラ東京」「君が好き」を歌いました。

坂本九だけでなく日本人誰もが好景気に湧き、正に「明日」を信じていた時代でした。

テーマ : 懐かしい歌謡曲
ジャンル : 音楽

第5回日本レコード大賞(1963年)

第5回日本レコード大賞は、1963年(昭和38年)12月27日に日比谷公会堂で行われました。


▲日本レコード大賞/梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」(第14回NHK紅白歌合戦より)

この紅白歌合戦の映像は、モノクロ放送の最後。視聴率はビデオリサーチ史上第1位の81.4%を記録しました。この曲は、作詞:永六輔、作曲:中村八大のいわゆる六八コンビが作り、NHK「夢であいましょう」63年7月の今月の歌コーナーで紹介されると同時に大反響となり、11月にレコードが発売されると100万枚の空前のヒットとなりました。⇒夢であいましょうの今月の歌

(動画検索できず)
▲歌唱賞/フランク永井「赤ちゃんは王様だ」


▲新人賞/舟木一夫「高校三年生」 ⇒同名映画
▲作詩賞/丘灯至夫「高校三年生」(歌・舟木一夫)

僕はこの舟木一夫が学生服で歌う姿を強烈に覚えています。


▲新人賞/舟木一夫「学園広場」 ⇒同名映画

この映画「学園広場」の中に、あの懐かしのトニー谷の「アベック歌合戦」で、舟木一夫と松原智恵子が「学園広場」「高校三年生」を歌うシーンがあります(同名映画の04:51~)。それにしても松原智恵子がプクッとして可愛いこと。(^^♪

1963年6月5日、デビュー曲は恩師遠藤実作曲、日本コロムビア専属だった丘灯至夫作詞の「高校三年生」と決定した。4月で高校を卒業していた舟木だったが、「学生服で行け」という遠藤実の指示で、歌謡界異例の学生服デビューとなった。 「高校三年生」は、発売1年で100万枚の大ヒットを飛ばし、舟木は第5回日本レコード大賞新人賞を、丘は作詞賞を受賞した。デビューから2ヵ月後、本人が主演した同名映画も大ヒットし、舟木は一躍スター歌手になった。それに続き、学園三部作と言われた「修学旅行」「学園広場」もヒットした。(Wikiより)




▲新人賞/三沢あけみ「島のブルース」

三沢あけみは1959年の東映のニューフェイス。60年に笛吹童子でデビューします。63年にビクターレコードから「ふられ上手にほれ上手」で歌手デビューしますが、色気がありすぎるとして放送中止という憂き目にあってしまいます。続けて発売したのがこの曲。ここでいう島とは奄美大島。作曲は「上海帰りのリル」や「お富さん」などを代表曲を持つ渡久地政信。彼は沖縄出身です。


▲新人賞/三沢あけみ「私も流れの渡り鳥」

これも渡久地政信の作曲です。


▲作曲賞/いずみたく「見上げてごらん夜の星を」(歌・坂本九)

前半は、第14回紅白歌合戦より、後半は第54回(2003年)の紅白から、平井堅が坂本九との感動的なヴァーチャル・デュエットを果たしました。


▲編曲賞/宮川泰「恋のバカンス」(歌・ザ・ピーナッツ)

前年1962年の「ふりむかないで」に続くザ・ピーナッツのオリジナルソングによるヒット曲。ジャズの4ビートを生かした、歌謡曲としてはかつて無かった程のスウィング感に満ち溢れた楽曲で、シングル発売直後より話題となり、大ヒットしました。この曲のヒットにより「休暇」を意味する「バカンス」(vacances)というフランス語が日本で流行語になりました。

こうやって振り返るとザ・ピーナッツっていいですね。彼女たちのメドレーを聴きたい方はこちら⇒

▲企画賞/日本コロムビア(株) 「日本の民謡」

▲童謡賞/曲名:「おもちゃのチャチャチャ」 歌手:眞理ヨシコ


1963年は、3月に吉展ちゃん誘拐殺人事件が起こりました。テレビ界はアニメの年。1月「鉄腕アトム」、4月「銀河少年隊」、9月「仙人部落」、10月「鉄人28号」、11月「エイトマン」、11月「狼少年ケン」が次々に放映されます。そして11月23日、NHK他が日米間テレビ宇宙中継実験に成功。そこに飛び込んできたのはケネディ大統領暗殺のニュースでした。

この年、僕は小学2年生。学校にも慣れ、近所で遊びまわり、テレビにどっぷりつかり、どんどん外への夢を膨らませていった時代だったといえるでしょう。

そんな頃のリンデンピックアップは、長崎に生まれ育ったもんとして、この曲ば挙げとかんばいかんやろね。


▲春日八郎「長崎の女」

ここに出てくる映像は1990年ころのものです。何でかちゅうと90年に行われた長崎「旅」博覧会で設置されたスカイタワーが映っているから(笑)

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ジャンル : 音楽

第4回日本レコード大賞(1962年)

第4回日本レコード大賞は、1962年(昭和37年)12月27日に日比谷公会堂に会場を変えて行われました。司会は第6回まで芥川隆行。

第10回(1968年)まで開催日は固定されておらず、主に年末の昼間にモノクロで放送されました。放送当初は本選と発表会とに分かれていて、発表の模様はテレビ(TBS系 (JNN) 地上波全国28局ネット)とラジオ(JRN全国17局ネット)で生中継されました。第4回の視聴率は10.8%だったそうです。


▲日本レコード大賞/橋幸夫・吉永小百合「いつでも夢を」


▲歌唱賞/三橋美智也「星屑の町」


▲新人賞/北島三郎「なみだ船」


▲新人賞/倍賞千恵子「下町の太陽」


▲作曲賞/中村八大「遠くへ行きたい」(歌・ジェリー藤尾)

▲編曲賞/佐伯亮「恋の曼珠沙華」(歌・美空ひばり)


▲作詩賞/谷川俊太郎「月火水木金土の歌」(歌・フランク永井/真理ヨシコ/松島みのり)


▲企画賞/東芝音楽工業(株)/曲名:「スーダラ節」 歌手:植木等 作詩:青島幸男 作曲:萩原哲晶 編曲:萩原哲晶


▲企画賞/曲名:「ハイそれまでョ」 歌手:植木等 作詩:青島幸男 作曲:萩原哲晶 編曲:萩原哲晶


▲童謡賞/曲名:「ちいさい秋みつけた」 歌手:ボニージャックス


▲特別賞/曲名:「王将」 歌手:村田英雄


▲特別賞/曲名:「アカシアの雨がやむとき」 歌手:西田佐知子


▲新人作曲賞/山下毅雄「TBS『七人の刑事』主題歌」

(動画検索できず)
▲新人作詩賞/若谷和子「おべんとつけてどこいくの」(歌・楠トシエ)



この年、堀江謙一がヨットで世界初の単独太平洋横断(5月)。8月にはマリリン・モンローがハリウッドの自宅で睡眠薬を飲みすぎて死亡します。「隠密剣士」が始まるのはこの年から。テレビ受信契約数は、1,000万件を突破します。

僕は近くの西浦上小学校に入学。当時児童2000人のマンモス校。新入生代表として朝礼台に上がってあいさつをして緊張したのを覚えています。担任は平賀先生。やさしい先生でした。

この年のリンデンピックアップはこの曲。大らかで進取的な母がよく口ずさんでいました。


▲ダニー飯田とパラダイスキング・佐野修「電話でキッス」

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第3回日本レコード大賞(1961年)

第3回は、1961年(昭和36年)12月28日に神田共立講堂で行われました。司会は芥川隆行でした。


▲日本レコード大賞/フランク永井「君恋し」


▲歌唱賞/アイ・ジョージ「硝子のジョニー」


▲新人奨励賞/仲宗根美樹「川は流れる」

(動画検索できず)
▲新人奨励賞/山中みゆき「団地のお嬢さん」


▲新人奨励賞/平野こうじ「白い花のブルース」


▲新人奨励賞/松島アキラ「湖愁」

(動画検索できず)
▲新人奨励賞/藤野たつ美「むすめ三度笠」

(動画検索できず)
▲新人奨励賞/柳うた子「さいはての唄」


▲作曲奨励賞/市川昭介「恋しているんだもん」(歌・島倉千代子)


▲編曲賞/広瀬雅一「刑事物語」(歌・西田佐知子/57オール・スターズ)


▲作詩賞/佐伯孝夫「白い花のブルース」(歌・平野こうじ)


▲作詩賞/佐伯孝夫「磯ぶし源太」(歌・橋幸夫)

▲企画賞/日本コロムビア(株) 「日本歌謡史

(動画検索できず)
▲童謡賞/曲名:「かかしのねがいごと」 歌手:楠トシエ



この36年は、2月に日活のスター赤木圭一郎が撮影中の交通事故で死亡(享年21)、4月からNHKが朝の連続ドラマを開始(第1作は「娘と私」)、10月に大関の柏戸と大鵬が同時に横綱昇進(柏鵬時代の幕開け)などが芸能界の話題でしょうか。

僕は、幼稚園の年長さん。聖劇で東方の三博士、文化祭で大国主命を演じたり、早くもスターの頭角を現したかにみえたのですが、結果ここで終っちゃいましたぁ〜早!f^_^;)
またシスターに初恋をしたのもこの時期でした~~(*^^)v

この年のリンデンピックアップは、もうこの曲以外は考えられんでしょう。


▲上を向いて歩こう/坂本九

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第2回日本レコード大賞(1960年)

第2回は、1960年(昭和35年)12月30日に神田共立講堂で行われました。


▲日本レコード大賞:松尾和子/和田弘とマヒナスターズ「誰よりも君を愛す」


▲歌唱賞:美空ひばり「哀愁波止場」


▲新人賞:橋幸夫「潮来笠」


▲作曲賞:古賀政男「白い小ゆびの歌」(歌・島倉千代子)



▲企画賞:日本コロムビア(株) 曲名:「ズンドコ節」「ダンチョネ節」 歌手:小林旭

(動画求む)
▲童謡賞:曲名:「ゆうらんバス」 歌手:水上房子/キング小鳩会



この頃、僕は毎朝、近所のケイボちゃんや明くんと一緒に歩いて幼稚園に行き、「慈悲の聖母」にわけも分からず手を合わせ、早くも3輪車から2輪車に乗り替えて遊びまわっていました。

家に帰っては、「月光仮面」「赤胴鈴之助」「チロリン村とくるみの木」などを近所の家で見せてもらいに行ってました。考えてみるともっと前からかもね。

「月光仮面」「赤胴鈴之助」は風呂敷やバケツなどを使ってよく真似をして、徒党を組んで、裏山で決闘などをしていましたね~(^^)v

この年のリンデンピックアップは、この曲、


▲アカシアの雨がやむとき/西田佐知子

妙にこのメロディーを覚えています。

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第1回日本レコード大賞(1959年)

突然ですが、日本レコード大賞を追ってみます。

第1回は、1959年(昭和34年)12月27日に文京公会堂で行われました。司会は第6回まで芥川隆行でした。

企画に当たってはアメリカのグラミー賞をヒントにして、3人の作曲家(古賀政男、吉田正、服部良一)による話し合いからグラミー賞創設の翌年1959年に作られた。

日本レコード大賞は、対象年度に発売されたすべての邦楽シングルCDの中で「作曲、編曲、作詩を通じて芸術性、独創性、企画性が顕著な『作品』」、「優れた歌唱によって活かされた『作品』」、「大衆の強い支持を得た上、その年度を強く反映・代表したと認められた『作品』」、以上3点に該当する『1作品』に贈る。審査対象は、「優秀作品賞」に選ばれた作品とする。(wikiより)



▲日本レコード大賞:水原弘「黒い花びら」


▲歌唱賞:フランク永井「夜霧に消えたチャコ」
 作曲賞:渡久地政信「夜霧に消えたチャコ」(歌・フランク永井)

(検索できませんでした)どなたか見つけたら教えて
▲作詩賞:サトウハチロー「フルート」(歌・島倉千代子)

(検索できませんでした)
▲童謡賞:曲名:「やさしい和尚さん」歌手:石井亀次郎とキングホウズキ会



僕は4歳。この年、弟が生まれ、純心幼稚園に入った年でした。覚えているわけありません。勿論テレビもありませんでした。

この年にヒットした僕一押しの曲を紹介するリンデンピックアップは、この曲、


▲スリー・キャッツ「黄色いさくらんぼ」

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長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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