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91.憧れの欧州旅行(11)~ザルツブルグ~

1989/8/9、ドイツ鉄道(Deutsche Bahn)のミュンヘン中央駅(Munich HBF)で、ザルツブルグ中央駅(Salzburg HBF)行きのチケットを買った。

鉄道で国境を越えるのは今回の旅では初めて。といっても1時間半ぐらい列車に揺られていただけ、列車を降りたらそこはもうオーストリアザルツブルグだ。

「ザルツブルグ」、この地名は少しでも音楽をかじった者にとっては特別な響きがある。モーツァルトの生誕地であり、ザルツブルグ音楽祭の開催地、そして映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台である。

ザルツブルクとは元々「塩の城」という意味で、街の中心を流れる川はザルツァッハ川(塩の川)だ。この地域ははるか紀元前の先住民の時代から「塩」の採掘が行なわれていたという。

街は、南から北に流れるザルツァッハ川を中心に、西側のツェントルムと呼ばれる旧市街(左岸地域)と、東側に位置する新市街(右岸地域)とに分かれる。観光map.pdf

まず新市街にあるミラベル公園に行った。
色とりどりの美しい花が咲き乱れ、噴水が空高く吹き上がっていた。あのサウンド・オブ・ミュージックのマリアと子どもたちの「ドレミの歌」が今にも聞こえてきそうな庭園だ。

庭園の真正面の街を見下ろす丘の上には、ホーエンザルツブルグ城が、ようこそザルツブルグへ!と言わんばかりに迎えてくれていた。

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▲ミラベル公園、正面にホーエンザルツブルグ城


このホーエンザルツブルク城は、1077年に建設が始まり、大司教座がおかれていた。当時のヨーロッパのキリスト教社会では、大司教というのは一国の領主に匹敵する権力と富を有する存在であり、ザルツブルクの街も歴代の大司教のお膝元として、貿易拠点や文化の中心として大いに繁栄したという。

庭園の横にはマリオネットシアターがある。映画では、マリアと子どもたちがトラップ大佐の婚約者を歓迎して人形劇をするが、それに使われたマリオネットだ。もちろんサウンド・オブ・ミュージックの人形劇も上演されている。

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▲マリオネット劇場のマリオネット


ザルツァッハ川にかかる橋を渡って旧市街に行ってみた。この旧市街は、ヨーロッパで最も美しいと言われ、1997 年に世界遺産に登録されている。

正に建築の宝庫。厳しい保護措置が課せられているらしいが、数々の小路を歩くと中世様式、ロマネスク様式、ルネッサンス様式、バロック様式の建物や民家が連なっている。

まずは、「音楽の都」の聖地、モーツァルトの生家に行かなければなるまい。

生家は目抜き通りのゲトライデ通り沿いにある。イエローの壁がひときわ印象的だ。モーツァルトは1756年1月27日に生まれた。現在は博物館となっており、モーツァルトが使用したヴァイオリンや自筆の手紙や楽譜、肖像画などが展示されている。

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▲モーツァルトの生家

ザルツブルクでは、1842年にモーツァルト音楽祭が、1856年にモーツァルト生誕100年記念音楽祭が開かれた。この流れを受けて、1877年にウィーンフィルがウィーン以外ではじめての公演をおこない、1887年に指揮者のハンス・リヒターが参加してザルツブルク音楽祭(Salzburger Musikfest)が始まったという。公式HPはこちら、実際に言ってみたい方には、こちらがおすすめだ。

折りしもザルツブルグ音楽祭が開催中。メインは祝祭劇場(トラップファミリーがエーデルワイスを歌うシーンを撮影)だが、レジデンツやホーエンザルツブルグ城や、市内のあちこちでサマーコンサートが開かれる。素敵な聖歌が聞こえてきた大聖堂を覗いてみた。

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▲大聖堂(Dom)でのコンサート

この5年後に、長崎の浦上天主堂でプラハ・バロック合奏団のクリスマスコンサートを企画し、長崎少年少女合唱団に歌ってもらったのは、この記憶からだった。

奇しくもこの日が長崎原爆祈念日だったのは、何かの導きだったのだろうか・・・

コンサートの後、レジデンツの前のモーツァルト広場で、モーツァルトの銅像にあいさつをした。

90.憧れの欧州旅行(10)~ロマンティック街道~

1989/8/8、バルセロナからフランスを飛び越して、ミュンヘンに降りた。

ミュンヘンはドイツ南部バイエルン州の州都。ドイツではベルリン、ハンブルグに次ぐ3番目の都市だ。街に入るなり、その一分の隙もないほど整然とした町並みに驚いた。スペインの町並みとは全く違う。さすが律儀なドイツ人が作った町だ。

ここへ来た目的は一つ。ロマンティック街道だ。

ロマンチック街道は、ドイツの中部にあるマイン川の流れる「ヴュルツブルク」(シーボルトの生誕地)から、アルプスへの入り口「フュッセン」(映画「大脱走」の撮影地)の間にある大小27のロマンチックな中世の町を結ぶ、全長約350㎞のドイツでもっとも有名な観光ルートだ。

しかし、そこをすべてゆっくり回る時間はさすがになかった。時間があれば、フランクフルトへ降りて、そこから南下するのがベストなのだが、今回はロマンティック街道の終点の一番最後の人気スポットをミュンヘンから辿ることにした。

3つの古城を巡るバスツアーに乗った。

これらの古城を語るときにまず紹介しなければならないバイエルンの王がいる。ルードヴィッヒ2世だ。

1845年、ミュンヘンのニンフェンブルク城で生まれたルードヴィッヒ2世は、少年時代をホーエンシュヴァンガウ城で過ごした。父マクシミリアン2世が中世の城跡に建てたこの城には、白鳥の騎士ローエングリンなど様々な中世の騎士伝説を題材にした壁画が飾られおり、彼はその頃から騎士伝説やゲルマン神話に強い興味を示しはじめる。やがて18歳でバイエルン国王に即位するが、執務を嫌い、美や芸術の世界に没入していく。国家財政を顧みず、ノイシュバンシュタイン城リンダーホーフ城などを築城したのだ。

まずは、そのリンダーホーフ城へ向かった。
この城は、ルートヴィヒ2世が建設した3つの城のうち、唯一完成した城である。ヴェルサイユ宮殿内のトリアノン宮殿を手本にして建てられたルネサンス様式の建造物である。

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▲リンダーホーフ城


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▲宮殿から庭園を望む(黄金の女神像の噴水が見える)

次は、最も有名なノイシュヴァンシュタイン城。おとぎ話に出てくるようなこの城は、ディズニーランドやディズニーランド・パリ、香港ディズニーランドにある「眠れる森の美女の城」のモデルの一つとしても知られている。
さすがに人気のスポットだけあって、観光客が列をなしていた。

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▲マリエン橋から見るノイシュヴァンシュタイン城

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▲マリエン橋から渓谷下91mを覗き込む


最後に、ノイシュヴァンシュタイン城からすぐ見える距離にあるホーエンシュヴァンガウ城へ行った。

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▲マリエン橋近くから見たホーエンシュヴァンガウ城

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▲ホーエンシュヴァンガウ城

ルートヴィヒ2世は現実逃避の傾向を強め、やがて奇行が人々に目撃され始めると、ついに家臣により捕らえられ、幽閉されてしまう。シュタンベルク湖畔で水死体となって発見されたのが1886年6月。死因ははっきりせず、いまだ謎につつまれているという。

こんな逸話といい、これらの城の美しさといい、ロマンティック街道は、まさにその名の通り、旅のロマンを否が応でも掻き立ててくれ、おとぎの国に舞い込んだような気にさせる場所である。

ミュンヘンへ戻ると、駅から東へ向かう列車に乗った。今回の欧州旅行の最後の訪問国オーストリアへ行くために。

89.憧れの欧州旅行(9)~バルセロナ、闘牛とガウディ~

1989/8/6、バルセロナ市内をバスで観光した。

スペイン第二の都市バルセロナは、カタルーニャ州の州都。昨日までいたアンダルシア州とは文化圏が違う。ここは「スペイン人である前にカタルーニャ人である」と言われる程、独立心が強い土地柄で、スペイン王国に組み込まれた後も、頑強にカスティーリャへの協力を拒み続けたという。スペイン語(カスティーリャ語)とともにカタルーニャ語も公用語とされる。

まずはバルセロナ・エル・プラット空港から市内へ向かう途中にあるモンジュイックの丘(213m)に行った。バルセロナの港や街並みを一望に見下ろせる。右手は地中海、北方遠くにはピレネー山脈。あの山の向こうはフランスだ。素晴らしい眺めだ。やはり港町はいい。

あの当時、3年後の92年にオリンピックが開かれ、この丘がそのメイン会場にもなろうとは知る由もなかった。

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▲モンジュイックの丘からバルセロナ市街を望む


バルセロナといって誰もが思い浮かべるのがアントニ・ガウディ(1852-1926)だ。彼の作品群も世界遺産に登録されている。

彼の作品は、バルセロナ市内ではグエル公園、グエル邸、カサ・ミラ、カサ・ヴィセンス、サグラダ・ファミリア、グエル邸パビリオン、テレサ学園、カサ・カルヴェット、ベリェスグアルド、カサ・バトリョ など、至る所にある。

まずはその中で最も有名なサグラダ・ファミリア(聖家族教会)に行った。
1882年にフランシスコ・デ・ビヤールがネオ・ゴシック様式で建築に着手、9年後の1891年からガウディが責任者として引き継ぎ、彼の没後、設計図が失われたため、暗中模索で未だに建設中の教会である。完成に必要な年月は後100年とも200年とも言われている。

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▲サグラダ・ファミリア

ガウディの作品を見るまでは、いい建築や設計というものは、いかにセンス良く直線を組み合わせるかなのだろうという思い込みが自分の中にあったのだが、ものの見事に覆され、その魅力にとりつかれてしまった。そこに直線は全くない。粘土をこねたような建築。正に芸術だった。


スペインの旅も終わりに近づいてきたが、スペインで見ておかねばならないものがまだ残っている。それは闘牛だ。

サグラダ・ファミリア近くにあるバルセロナ唯一の闘牛場モヌメンタルへ行った。

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▲モヌメンタル闘牛場

そもそも闘牛とは何か。ここに詳しい。→クリック

このカタルーニャ地方は南部のアンダルシア地方に比べて闘牛が盛んではない。それは、先に述べた地域としてのナショナリズムが強いため、スペイン文化の象徴である闘牛に対してアンチ派が多いからだそうだ。

この闘牛は確かに血生臭かった。しきたりに則って競技が行われるものの、言ってみりゃ、牛の公開屠殺ゲームなわけだ。それを民衆が見て狂喜乱舞する。国民性の違いなのか。それとも人間とは、生来こんなに残酷な動物なのか。殺されるのが牛だからまだいいのかも知れない・・・。しかし、いかにショーとはいえ、一日に6頭もの牛が殺される場面を見せられ、さすがに少し気分が悪くなった。

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▲牛と闘うマタドール(闘牛士


闘牛を見終わった後も夜暗くなるまで、またガウディの作品群を見て回った。

翌8/7は、バルセロナの山の手にあるグエル公園(Parc Güell)に行った。ここはグエル氏がスポンサーとなったガウディ最初の都市開発プロジェクトの一部として作られたもの。色とりどりの破砕タイルが埋め込まれたベンチは蛇行しながら美しい曲線を描いている。ここにある構造物にも、一つとして直線がない。自由奔放なガウディの高笑いが聞こえてきそうな公園だった。

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▲グエル公園(一部補修中)

グエル公園内には、ガウディ博物館もあり、アントニ・ガウディのデスマスクも展示されてある。1926年6月7日、ガウディはミサに向かう途中、路面電車に轢かれて死亡した。彼は電車が近づいて来るのを知っていながら、自ら避けたくなかったので歩みを止めず、そのまま轢かれてしまったという、鬼才といわれた彼ならではの伝説が残っている。

その他ガウディに関することは「ガウディの遺産」に詳しい。

スペイン旅行もこのバルセロナで終えた。本当に思い出深い旅であった。
僕のギター人生にとっての聖地を巡礼した気分でもあった。

次に向かうはドイツ。ロマンティック街道だ。

88.憧れの欧州旅行(8)~アルハンブラの思い出~

8/5、改めてアルハンブラ宮殿を訪れた。

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▲アルバイシンから望むアルハンブラ宮殿



「アルハンブラ」とは、アラビア語で「赤い城塞」を意味する「アル=カルア・アル=ハムラー」と呼ばれていたものが、スペイン語において転訛したらしい。この名称の由来については、城塞周辺の土壌が赤いためとか、建築に使われた煉瓦の色であるとか、宮殿が赤い漆喰で覆われていたからとかいろんな説があるらしい。スペイン語表記ではAlhambraと綴り、「アランブラ」と発音するが、アンダルシア方言では「アルハンブラ」とも発音する。

「アラヤネスの中庭」「バルカの間」「大使の間」「ライオンの中庭」「アベンセラヘスの間」「二姉妹の間」「ダラハの見晴台」「パルタル庭園」など見どころ満載。庭にはさまざまな花が咲き乱れ、噴水が至る所に噴出していた。

これらがあまりに美しく、見とれるばかりでカメラを向ける余裕すらなかった。
和田義男氏のHPにそれらの美しい写真と、ギターの「アルハンブラの思い出」(タルレガ作曲)のBGM付で見られるのでご紹介したい。BGMを読み込むのに時間がかかるが、ここをクリック→「スペイン紀行 アルハンブラ宮殿

しかし、これら噴水は驚くなかれ、はるかシエラネバダ山脈からの湧き水を引き込み、自然の力(サイホンの原理)で、吹き上がっているのだ。先人の知恵と技術に驚かされる。


アルハンブラ宮殿を上り切ったところにあるヘネラリフェ宮殿は、14世紀初期に王族のための夏用の離宮として建てられた。イスラームの天国をイメージしたとされる水をふんだんに使った庭園があり、詩人に好んで歌い上げられた。ここもとにかく見事である。

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▲ヘネラリフェ宮殿の噴水

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▲ヘネラリフェから望むアルバイシン


そして、ため息がでるような美しい宮殿をついに後にした。もうスペイン旅行もメインディッシュを食べ終えたというところであろうか。

次は、シエラネバダ山脈を越えて、マラガに行こうということになった。アルベニスの曲で有名なコルドバやセビリアも近かったのだが、さすがに時間がない。

シトロエンは、グラナダから更に南下しシエラエバダの山間を登っていった。途中のレストランに立ち寄って遅い昼食をとった。

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▲シエラネバダの山間を走る

ここでは、スペインの代表的な料理である冷たいスープ「ガスパチョ」も飲んだ。美味い。日本人の舌に合う。

お腹も膨らみ、快適なドライブを続ける。

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▲シエラネバダを越えマラガへ

すぐにマラガに着いた。スペインの南端、アンダルシア地方の地中海に面したリゾート地、コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)の中心地だ。画家ピカソの出身地としても有名だ。

海岸に出た。白い砂が眩しい。地中海を隔ててモロッコが、右手にはジブラルタル海峡がすぐそこに見える。マラガの隣町カディスと北アフリカ北部の半島に位置するセウタとは何と26kmしか離れていない。あれがアフリカ大陸だ。この目に焼き付けた。

そう言えば、アンダルシア街道を南下するときに、車の屋根の上にこぼれんばかりの荷物を積み込んで、マドリッドへ北上する車をやたらに見かけたが、モロッコで仕入れたものをマドリッドで売りさばくためらしい。それほどアフリカとスペインは近いのだ。


いよいよ小林さんとのお別れが近づいてきた。

お互いに立ち入った話をしたわけでもない。単にギターが好きだというだけで知り合い、この5日間、スペインを一緒に旅してきただけだ。
コスタ・デ・ソルの波の音を聞きながら、僕が長崎へ帰って何をするのかの話をし、激励の言葉を受け、もう会うこともないかもしれないことをお互いに意識しながら、しばし時を過ごした。

そしてついに、マラガ空港で握手をし別れた。「アルハンブラの思い出」をしっかりと焼き付けて。

機はバルセロナへ飛び立った。

87.憧れの欧州旅行(7)~グラナダとギター~

8/4のお昼に、とうとう憧れのグラナダに到着した。小高い丘の上には、恋してやまなかったアルハンブラ宮殿が佇んでいた。

到着一番、そのアルハンブラ宮殿の丘の途中にあるギター工房に行った。
今回の旅行の最大の目玉、自分のギターを作るためだ。

Paco Santiago Marín(パコ・サンチェゴ・マリン)の工房だ。住所は Santiago,41 18009 GRANADA。

彼の紹介をHPから転記する:


16歳から11年間、叔父のアントニオ・マリン・モンテーロの工房でギター製作技術を習得したパコ・サンチャゴ・マリン。1973年に独立、アルハンブラ宮殿のそそり立つグラナダに工房を持ち、息子のルイス・ミゲール・サンチャゴ・マリンと共に現在も製作を続けている。レオ・ブローウェル、デービッド・ラッセル、マリア・エステル・グスマン、コンラド・ラゴスニックといった著名なプレイヤーに愛用される彼のギターの魅力は、真面目な性格をよく表わしたしっかりとした構造が功を奏した極上のサウンド・バランスと芯の太さ。ハカランダ・モデルの本機種で、その魅力を体感してみて下さい。

トップ/スプルース、S&B/ハカランダ、ネック/マホガニー、フィンガーボード&ブリッジ/エボニー、スケール/650mm仕様。定価2,100,000yen ハードケース付き。


と、こんな立派なギター製作者のギターをそうそう買えるもんじゃない。小林さんに交渉してもらって、当時見習いだった彼の息子の名前で作ってもらうことにした。

今、手元にある僕のギターの銘板には、「 Luis Santiago Hernandez 」とある。息子のルイス・ミゲール・サンチャゴ・マリンのことだ。
現在のグラナダのギター工房のリストには、Pacoと同じ住所になっているが、立派に独立しているようだ。当時は写真の通り若かった。

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▲Paco Santiago Marín


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▲Luis Santiago Hernandez

日本で輸入ギターを買う場合は、輸送コストや流通業者のマージンなどが乗るので現地価格の3倍にはなると聞く。だから、ものすごくいい買い物をした。

契約書にサインして、彼らと記念撮影をし、その日の夜に食事に招待されて、店を出た。勿論、ギターはできてから日本に送ってもらう。

店を出て坂を上って行けばすぐ「アルハンブラ宮殿」だ。
内部は明日じっくり回るとして、まずは宮殿に行ってみよう。気持ちが逸る。

アルカサバは、アルハンブラ宮殿内では一番古い部分で、13世紀の要塞。今は廃櫨となっているが、全盛期には24もの塔があったと言われる。ベラの塔(Torre de la Vela)は、現存する一つで、ここに登ると、グラナダ市内、ヘネラリフェ宮から遠くはシェラネバダ山脈まで、素晴らしいパノラマが展開していた。

ここだ。僕が来たかった場所は。ギターも買ったことだし、もう何も言うことはない。もうここで死んでもいいと思いながら、この360度の絶景をいつまでも眺めていた。

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▲ベラの塔から東方を眺める。先にヘネラリフェ宮。(右手は下の写真へ続く。以下同様)
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▲南方、はるか彼方にシエラネバダ山脈
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▲西方、グラナダ市内
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▲北方、右手の白壁の民家がアルバイシン地区


この後、グラナダの名工アントニオ・マリン・モンテーロの工房を訪ね、彼の家に招かれて、美味しいワインをご馳走になった。

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▲Antonio Marín Montero


その夜は、アルバイシンを散策した。(上のパノラマ写真4枚目)

アルバイシンはグラナダでもっとも古い地区とされ、アルハンブラ宮殿、ヘネラリフェ宮殿とともに世界遺産に指定されている。元々はイスラム教徒のための居住区で、白壁を特徴とし、その景観を壊す開発が禁じられているという。

細い曲がりくねった路地を車でそろりに移動していくと、どこからともなく歌とギターが聞こえてきた。この地区に居住するジプシーたちだ。泣き叫ぶような声に乾いたフラメンコギターのラスギアード。コンサートに来てるわけでもなければ、CDを聴いているわけでもない。彼らが彼らのために歌っている唄を生で聴いているのだ。これが本当のフラメンコだ。

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▲ジプシーたちの歌とギターが聞こえたアルバイシンの民家


こんなにも一日が長く、充実して、幸せな夜はなかった。
明日はもう一度宮殿に行って、じっくりと「アルハンブラの思い出」を作ろう。

86.憧れの欧州旅行(6)~トレド・アランフェス・リナレス~

89/8/3は、トレドとアランフェスを訪ねようということになった。

マドリッド-セゴビア-アヴィラの位置関係が北の三角形なら、マドリッド-トレド-アランフェスのそれは南の小三角形と言えるかも知れない。

まずは、トレドに向かった。マドリードから南に71kmの距離。カスティーリャ・ラ・マンチャ州の州都だ。人口は約7万7千人(現在)。

かつての西ゴート王国の首都であり、中世にはイスラム教・ユダヤ教・キリスト教の文化が交錯した地である。町全体が博物館と言われ、タホ川に囲まれた旧市街は世界遺産に登録されている。また、スペインを代表する画家エル・グレコが活躍した町としても有名だ。

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▲トレド旧市街(写真はクリックで拡大)



トレド大聖堂は、スペイン・カトリックの総本山だけあって、特に素晴らしい。内部はとにかく広い。中央の礼拝堂の周りに大小合わせて22の礼拝堂が取り囲んでいる。この大聖堂は、フランスゴシック建築の代表例としても名高く、パリのノートルダム寺院と同じ様式で15世紀に作られたそうだ。本堂は高さが約45m、88本の列柱と750枚のステンドグラスで作られている。

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▲トレド大聖堂の外壁

またこの大聖堂は絵画館としても名高い。ルーカ・ジョルダノのフレスコ画、エル・グレコの「聖衣剥奪」、ゴヤ、ヴァン・ダイク、ルーベンス等の作品などが目白押しだ。

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▲トレド大聖堂の絵画


次に向かったのはアランフェス。ここはギタリストとしては絶対に外せない都市だ。なぜならスペインの作曲家ホアキン・ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」の舞台だからだ。アランフェス宮殿を前にすると、二楽章の哀愁のBmのメロディーが蘇ってきた。

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▲アランフェス宮殿(夜8時というのにこの明るさ)


さ、これから先は、アンダルシア街道をひらすら南下する。
2時間ぐらい走っただろうか。夜10時近くなるとさすがに暗くなり、国道沿いのホテル(Hostal Restaurante)に泊まった。


翌8/4、引き続き南下し、スペイン南部のアンダルシアを目指す。

このアンダルシア州には8つの県がある。セビリア・グラナダ・コルドバ・カディス・マラガ・ウエルバ・ハエン・アルメリアだ。県都は同じ名前だ。この地名は日本にいるころから知っていた。なぜなら、ほとんどがギター曲の曲名に使われていたからだ。

もちろん、この中のグラナダのアルハンブラ宮殿が第一目的だ。

単調な国道をひたすら走っていると、小林さんが突然ハンドルを左に切った。リナレスに行ってみようとおっしゃる。

そうか!リナレスはアンドレス・セゴビアの生誕地だ。彼は、大衆の一民族楽器だったギターを、クラシック音楽を奏でられる楽器として発展させた言わばギターの神様だ。

リナレスのまちには、立派なアンドレス・セゴビアの像があった。思わず、神仏に祈るように手を合わせてしまった。セゴビア教なるものがあれば敬虔な信者になったも知れない。生家も訪ねた。

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▲リナレスのアンドレス・セゴビア像


南下を続ける。行っても行っても同じ風景。見渡す限り赤茶けた乾いた土に、オリーブ畑とひまわり畑が果てしなく続く。

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▲ひまわりとオリーブ畑


ギター巡礼の旅も、いよいよ目的地が近づいてきた。もうすぐだ。この憧れの欧州旅行で一番来たかった所、グラナダだ。

85.憧れの欧州旅行(5)~マドリッド・セゴビア・アヴィラ~

1989/8/1、ロンドン・ヒースロー空港発マドリッド・バラハス国際空港行のブリティッシュ・エアウェイズに搭乗した。

空港を飛び立つと間もなく、往きは船で渡ったイギリス海峡が見えてくる。この海峡を渡ればフランスだ。英仏人はこの海峡を越えながら様々な歴史を刻んできたわけだ。

機は小一時間するとフランス北岸シェルブール上空に差し掛かる。その港を左下に見ながらしばらく飛ぶと、真っ青で広大なビスケー湾に入っていく。この先に目指すべきイベリア半島、スペインの大地が広がっているのだ。

洋上をひたすら南下する。スペイン北岸が迫ってくる。北岸の港ビルバオ上空を通過すると、眼下は褐色の大地に変貌する。スペイン北部は高原地帯だ。徐々に高度を落とし、マドリッドに着くまで約3時間20分のフライトであった。

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▲フランス北岸・シェルブール港



スペインでは、日本を経つ前に手を打って、強力なガイドをお願いしていた。
千葉ギター愛好会のメンバー小松さんから紹介してもらった小林さんだ。小林さんは日本人でありながら、マドリッド音楽院で外国人相手にギターを教えているという方だ。

単にギターが好きな日本人が来るというだけで、空港までわざわざ迎えに来てくださり、しかもこれからずっとスペインを案内してくださるというのだ。小林さんとは全くの初対面。あごひげを蓄えた優しい方で、本当に嬉しくなった。スペイン滞在中はすべて小林さんにおんぶに抱っこで、快適な旅を続けることができた。

その日は、マドリッド市内に泊まり、翌8/2からわくわくのスペイン旅行が始まった。足は「この車は本当によく走るよ」と小林さんご自慢の赤いシトロエンAXだ。確かによく走った。


まずスペイン北部、カスティーリャ・レオン州のセゴビアとアヴィラへ行こうということになった。セゴビアとアヴィラとマドリッドを結ぶと三角形ができる位置関係だ。一日で戻って来られる。

ラ・コルーニャ高速道路を北西に約95kmほど走る。セゴビアは海抜1000メートルの高原にあり、緑が多く起伏のある美しい町だ。人口5万5千人。古代ローマ時代、すでに都市として栄えていたところで、その名残りは、ほぼ完全に保存されている水道橋に見ることができる。

この水道橋は、長さ728メートル、高さは一番高い所で29メートル。セメントは使わず、花崗岩をつみ重ねただけのもの。ローマの土木技術は本当にすばらしい。この技術がはるか東洋まで伝わり、長崎の眼鏡橋にも生かされたわけだ。口をポカンと開けて見上げるばかりであった。現在でもその下を大型トラックや車が自在に行き来しているのだ。

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▲セゴビアの水道橋


セゴビアの大聖堂も素晴らしい。スペインのゴシック様式としては最後のもので16世紀にできたらしい。すらりとして気品のある外観から「大聖堂の貴婦人」と呼び親しまれている。

アルカーサルは、ディズニーが映画「白雪姫」のモデルに使ったといわれる城。小高い丘になっている町の先端にこの城は美しいシルエットを見せている。城からの眺望がすばらしく、セゴビア市内はもとより、エレスマ川の向こうには北メセタ高原がどこまでも続いている。

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▲アルカーサルから見た北メセタ高原


この「セゴビア旧市街とローマ水道橋」は1985年に世界遺産に登録された。

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▲セゴビア旧市街


セゴビアの後は、アヴィラに向かった。人口は4万6千人。グレドス山脈の峰々が遠くに見えるスペインでもっとも高い位置(標高1130メートル)にある都市だ。古い城壁にとり囲まれ、ひっそりとたつ静かな町には、同地出身の聖女テレサゆかりの教会や建物がそこかしこにある。

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▲アヴィラの城壁


アヴィラを堪能した後は、ラ・コルーニャ高速道路をひたすらマドリッドへ戻った。夕方なのにまだ日が高い。

そして夜は、といっても深夜だが、マドリッドのタブラオでフラメンコを楽しんだ。タブラオとは、フラメンコショーを見られる店のこと。「CORRAL DE LA MORERIA」という老舗の店に連れて行ってもらった。観光客は知らない、地元の通しか行かない本場の本物のフラメンコだ。

これだ。これがスペインだ。

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▲タブラオのフラメンコショー

84.憧れの欧州旅行(4)~シェークスピア・カントリー~

7/29午前中は、お決まりのロンドン市内半日観光コースに乗ってみた。初めてのロンドンだったから十分に楽しめた。各観光スポットのことは、改めてここに書く必要もないだろう。


昼から、再びレンタカー(ローバー216?)を借りて、ロンドンの北西、ハート・オブ・イングランドへ向かった。

この地方はイングランドの正に中心部。最もイングランドらしい所と言われ、古くから育まれた伝統が息づいているカントリーサイドだ。


旅のテーマの一つは「英語」。英語と言えば、ウイリアム・シェークスピア。彼が生まれ、そして埋葬されているストラトフォード・アポン・エイヴォン(エイヴォン川のほとりのストラトフォード)を訪れるのが、この地方に向かった最大の目的だ。ロンドンからM40を北西に150kmほど走ると着いた。

到着した日の夕方に早速、ロイヤル・シェークスピア・シアターで「リア王」を観劇して感激した。(←シャレ)
シェークスピアの生誕地の劇場で、四大悲劇の一つ「リア王」を観劇するなんて、何と贅沢な経験だろう。

しかし休憩時間に飲んだワインが効いたのか、後半眠くてうとうとしてしまった。勿体ない。少し旅疲れも出ていたのかもしれない。

記憶では、舞台演出が現代的で、舞台の中央に斜めにせり上がる小さいステージがあった。そこでリアは、勘当した娘コーディリアの遺体を抱いたまま、絶叫し世を去るのであった・・・

ちなみに、シェークスピアは1564年に生まれ、1616年に没した。ある人からその年号の覚え方を教えてもらった。1564-1616(いごむし、いむいむ)。なぜか今でも忘れない。(笑)

この日は、ストラトフォードの中心部にある Falcon Hotel に宿泊した。小奇麗で快適なホテルだった。

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▲スワン劇場(ロイヤルシェークスピア劇場に隣接する)



この一帯は、シェークスピア・カントリーと呼ばれ、伝統的な古い町並みや田園風景と出会える。翌2日間(7/30~31)は、この地方をゆっくりと散策し、満喫した。

シェークスピアの生家、シェイクスピアの妻が住んでいたアン・ハサウェイのコテージ、シェイクスピアの母マリー・アーデンの家など16-17世紀ころの建物や、アンティーク家具や農具などが残っていて、当時の生活スタイルがよく分かる。

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▲シェークスピアの生家にあった木造りの説明図


ストラトフォード・アポン・エイヴォンから北東8キロに位置するワーウィック城は、過去1000年を超える時の流れの中で、数々の歴史絵巻の舞台となった。中世の雰囲気あふれる城内を見学したり、小塔や城壁の回りを歩きながら、城を囲む緑のカントリーサイドの景色を堪能できる。

また、イギリスの庭園はすばらしい。イギリス国民は本当に花が好き。チューリップとバラしかしらない僕でさえ、庭園のすばらしさには心和まされた。

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▲ワーウィック城


イギリスは、歴史も文化も人間も本当に奥が深い、大人の国だ。

もう少し北へ足を伸ばせば、ビートルズの結成地、リヴァプールへ行けたのだが、そうゆっくりしてはおられない。次に、どうしても行かなければならない所がある。

そう、スペインだ。

83.憧れの欧州旅行(3)~ロンドン南部郊外~

1989/7/26、ついにイギリス本土へ降り立った。と言ってもここはドーバー、イギリスの東南端だ(日本との時差-8h)。

これから先は、自由気ままにイギリスを楽しもうとレンタカー(オースチン・メトロ)を借りた。道路は左側通行だから、右ハンドルの車で、日本と同じ感覚で運転できる。

さて、どこに行こう。特に決めていない。ロンドンなど大きな都市はまた来ることもあろう。イギリスの郊外を中心に回ることにした。

まずドーバーから西北に位置するカンタベリーに行ってみた。イギリス国教会の総本山であるカンタベリー大聖堂があるところだ。大聖堂はあまりにも大きく、荘厳過ぎて、言葉を失うほどだった。この教会は88年に世界遺産に登録されている。

ドーバーから来たハイウェイをそのまま真っ直ぐ進めばロンドンに行くのだが、何か面白くない。イギリスの南海岸へとハンドルを切った。

ちなみにイギリスのハイウェイは整備され、どこまで行っても無料だ。ただし、日本みたいにインターチェンジだ、パーキングエリアだって過剰な道路施設は一切ない。

運転で気をつけなければならないのは、ロータリーだ。交差点が十字路じゃないのだ。最初は慣れなかった。ロータリーに入ったはいいが、車の流れがよく分からず、キョロキョロしながら、目的の道路に入った。

慣れるともう快適。イギリスは車で回るのがおすすめだ。

南岸に出る。シーサイドリゾート地として名高いブライトンを海岸沿いに西に行くと、ワージングという小さな町に着いた。小さな喫茶店に立ち寄ってみると、何と日本人の若いカップルがいるではないか。こんな所で日本人に会うとは・・・恐るべしジャパニーズ!!

その日は遅かったので、このワージングの安いユースホステルに宿泊した。

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▲カンタベリー大聖堂



翌日(7/27)も、イギリス南岸を西へ向かう旅を続ける。ほどなくイギリス海軍の歴史で名高い港町ポーツマスに着いた。日露講和条約が調印されたポーツマスはアメリカなのでお間違いなく。

さらに西へ行くとサウサンプトンに着いた。ここは歴史的にはローマ人が最初に移住してきた港町。あの沈没したタイタニック号が出港した港と言った方が分かりやすいだろう。

サウサンプトンからは北西方向、内陸に向かう。すると、ソールズベリーという古い街についた。街の中心にはそびえるソールスベリー大聖堂。この尖塔は123m、イギリス最長であるという。

そして、ソールズベリーから北西に13kmの所にあるのが、かの有名なストーンヘンジだ。ここが一つの目標でもあった。
ここにある円陣状の直立巨石は紀元前2500年から2000年の間に立てられたと考えられている。

駐車場から巨石群がある場所には地下道を通っていくのだが、そこに現代から紀元前へのタイムトラベルをするかのような工夫がしてある。地下道を抜けたら、そこは紀元前だ。上手い演出だ。

この遺跡が何のために立てられたのか、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など様々な説が唱えられているが、未だ結論はでていないという。86年に世界遺産に登録されている。

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▲ストーンヘンジ


ストーンヘンジから更に北西へ向かうとバースがある。
ここは読んで字のごとくBathすなわちお風呂、ローマ帝国時代からの温泉地だ。このバース市街も世界遺産に登録された。

2000年もの歴史を誇る温泉保養地となれば泊まらないわけにはいかない。小さいゲストハウスに宿泊した。

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▲ローマンバース


7/28午前中は、バース市内を散策したが、余りゆっくりしている時間もない。

ここまでロンドン南部の郊外を時計回りで回ってきたわけだが、少し先を急ごうと、このバースから真っ直ぐ東へ185km、ロンドンへ向った。

夕方入ったロンドン市内では、コベントガーデンのJapanese Reataurant AJIMURAで久しぶりの日本料理に舌鼓を打ち、夜のロンドンを楽しみ、ホテルに宿泊した。

折角初めてのロンドンに来たわけだから、明日は市内観光でもしてから北部へ向かおう。

82.憧れの欧州旅行(2)~ベルギーからイギリスへ~

ヨーロッパ旅行は、モスクワ経由でまずベルギーに入り、ベルギー北岸からドーバー海峡を渡って、イギリスから反時計回りに各国を巡る計画を立てた。

1989/7/24、成田発モスクワ行きのアエロフロートSU582便に乗った。アメリカ以来の海外旅行だ。否が応でも胸の高まりを覚える。

モスクワ(日本との時差-5h)ではトランジットのため、シェレメーチエヴォ国際空港近くのトランジットホテルに泊まった。ホテルでは一歩も外へ出られなかったが、モスクワにも行ったよと言えなくもない。

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▲トランジットホテルから望むシェレメーチエヴォ国際空港


翌朝(7/25)9:35発のアエロフロートSU231便でベルギーのブリュッセル国際空港を目指す。ブリュッセルまでは3h余りのフライト。着陸が近まると眼下の田園風景が美しい。

そして10:40、憧れのヨーロッパの大地に着陸した。ベルギーの首都ブリュッセルだ(時差-7h)。
空港で入国手続きを済ませ、空港地下にある駅からブリュッセル中央駅まで列車に乗る。

ベルギーは、かつてオランダと共にネーデルランドと呼ばれていたが、プロテスタントのオランダを嫌い、1831年ベルギー王国として独立した。人口約1000万人、カトリック教徒が75%の国だ。

ブリュッセル中央駅から徒歩5分の所にあるグランプラス(中央広場)は、世界有数の美しい広場として知られ、1998年に世界遺産に登録された。
石畳のグランプラスの真ん中に立つと、華麗なゴシックやバロック様式で再建されたギルドハウスに囲まれ、中世へ迷い込んだ気分となる。

この日は、ステンドグラスが美しいサン・ミッシェル教会、市庁舎、有名な”小便小僧”などを散策し、市内のホテルに泊まった。

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▲サン・ミッシェル教会

翌朝(7/26)ブリュッセル北駅7:46発の国営ベルギー鉄道でオーステンデへ向かった。フランドル地方のヨーロッパでも最も古い街並みを見ながら、1時間20分の列車の旅だ。

9:10、北海に面した港町オーステンデ着。ここからドーバー海峡を渡ってイギリスへ向かう。
10:05発のフェリー(現在は就航していないらしい)に乗船する。船上から見る港町の風景が懐かしい。これから約4時間の船旅だ。

様々な歴史を刻んできた英仏海峡をフェリーで渡る。3時間ほど過ぎたところで、あの有名な「ドーバーの白い崖」が見えてきた。何と美しい。

いよいよイギリス本土だ。

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▲ドーバーの白い崖
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長崎には「墓・坂・馬鹿」が多いと揶揄されますが、「先人(歴史・文化)を敬うハカ・人の苦労(斜面都市・殉教・被爆)を知るサカ・自らを捨て人に尽くす(まつり・地域活動・平和運動)バカ」のことだと解釈し、このハカサカバカ精神で行動しながら、ケルン(記事)を積んでいます。

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